振り返れば、僕ら夫婦には本当にいろんなことがありました。僕もシャーロットも、誰にも負けないと言い切れるほど役に向き合ってきました。だから、ただ最終週の物語のなかに僕らは生き、そんな僕たちをドキュメンタリーのように撮ってもらえればうれしいと思い、監督に話しました。僕らには24週ぶんの積み上げてきたものがあるので、年老いたふたりのたたずまいに自然に出てくるものがあるだろうと思ったんです。夫婦げんかをしたり、夢を挫折しそうになったり、小説家だのパン屋になるだのといったようなたわ言もありましたが(笑)、いろんなことを思い返してほほえましくなれる最終週になればいいなぁ、と。
亡きエリーからのラブレターを読むシーンは、台本にあった手紙の内容をあえて見ずに、一度きりの本番で初めて読ませてもらいました。あの手紙って、決してマッサンを泣かせるための手紙じゃないんですよね。すごく日常的な心配ごとが書いてあったから、まだエリーは生きてるんじゃないのかなって思えるくらいの感覚があって。実はウイスキーの味がよく分かっていなかったという告白には、そりゃそうかもな……なんて思ったり(笑)。
人生にはいろんな理不尽なことってありますよね。そういうときに同調するのか、逆にしりをたたくのか、きっと夫婦にしか分からない部分ってあると思う。それによって、相手は気持ちが楽になったり、追い詰められたり、責任感を持てたり。やっぱり人にはパートナーが必要で、ひとりの力なんてたかが知れている。マッサンは、エリーがいてのマッサンだったんだと改めて感じました。
僕ね、ひとつ気になっていたことがあったんですよ。それは、ふたりが出会ったクリスマスパーティで引き当てた6ペンス銀貨が、その後のドラマで一度も出てこなかったこと。マッサン、もしかして使ったんじゃないか?って(笑)。だから、あの6ペンス銀貨を使いたいなぁと思って、ラストのエリーのお墓のシーンでは、すべて僕のアドリブであの芝居をさせてもらいました。
エリーが亡くなるこの最終週は、確かにすごく切ない週です。でもそれだけじゃなく、エリーの死によって一度は抜け殻のようになったマッサンが、あの年齢からもうひとふんばりできたのもエリーのおかげ。エリーの死と向き合ったことでスーパーエリーが完成して、それが世界的な賞を受賞する……。ひとの死はもちろん悲しいけど、そこから前を向いて生きる人間に思いは受け継がれている。きっと心地よいハッピーエンドだったんじゃないかと僕は思っています。
マッサンへのラブレターを台本で最初に読んだとき、どうしても泣けてしまう部分がありました。それは、「これからは私じゃない誰かがマッサンの洗濯をすることになると思うから、脱ぐときはちゃんと表に返して洗濯に出してくださいね」というところ。“私じゃない誰か”というフレーズが心に痛くて、読むのがつらかったのです。
手紙を折りたたむとき、エリーの香水で香りをつけることは私が提案しました。嗅覚というのはとても強い感覚だと思うのです。きっとその香りが、マッサンの記憶にあるいろんな思い出につながると思いました。マッサンの“M”のマークも、私が書いたものです。
そのラブレターをマッサンが読むシーンでは、私はコントロールルーム(副調整室)で彼の芝居を見ていたんです。「私にはウイスキーの味がよくわかりません」というところで、マッサンが泣きながらふっと笑った表情が、本当に本当に愛おしかったです。
エリーが逝くシーンの撮影が、スタジオ撮影の最終日でした。この日は、スタジオに入った瞬間から泣いていました。撮影が終わることへの安心感、終わってしまうことの悲しさ、ここまでやってきたことの達成感……いろんな思いが入り交じっていたからです。そして、マッサンにさよならを言わなくちゃいけないことと同時に、ずっと演じてきたエリーにもさよならを言うときが来たという思いもありました。なじみのカメラマンの顔を見てはクランクインのことを思い出して泣いて、お昼にごちそうになった「玉山さんからのお弁当がおいしかったね」って言っては泣いて(笑)。朝からずーっと泣いていました。
演技としては、だんだん力が抜けていくように死んでいく、肉体的な演技が必要な難しいシーンでした。そのなかで泣いているマッサンを感じて、ずっとこれまで私がなぐさめる立場だったのに、それができないことが切なかった。マッサンの泣き声を聞いてしまうと死んだエリーから涙が出ちゃうから、もう必死で耳を閉ざしていたんです。
この最期のシーンのなかで一番好きなのは、ふたりの姿を背中から撮っているところです。マッサンの「ちぃと休むか?」っていうセリフがあったんですけど……あぁ、思い出しちゃった……(日本語で)なんで私、泣いてる?(と、笑って涙をぬぐうシャーロット)。ごめんなさい。この言葉が、ふと「人生をちょっと休むか?」っていうふうに響いてきてしまって、心にじんわりときたんです。
私、歳をとったマッサンが一番大好きなんです。とってもかわいらしいし、誰よりもジェントルマン。そんなマッサンとすてきな時間を最終週で過ごせたことは、本当に幸せでした。
お坊ちゃまを支えてきた人生の結末は。
アドベンチャーな夫婦を見届けた娘より。
八澤俊夫 八嶋智人さん わやくちゃな人生こそ、俊夫の生きた証。 「結局、人生はままならない」。……僕、ドラマが伝えたいものは昔からこうじゃないかと思うんですね。 おそらく、俊夫の人生も思い通りではなかったんですよ。積極的な選択をして、広島から大阪、そして北海道へと流れ流れたわけじゃない。 でも、結局はものづくりの喜びとハナという最高のパートナーを得たように、振り返ってみたときによかったと思えればいい。 「わしの人生、お坊ちゃまのせいでわやくちゃじゃわい」という俊夫のセリフ、すごくいい言葉だなと思ってます。 “わやくちゃなほうが楽しかった”ということなんでしょう。 俊夫は自らの決断で広島へ帰ることを選びました。それを実現してくれたのは、やっぱりハナ。 俊夫とハナは、マッサンとエリーという夫婦像にも似ている気がします。 俊夫というとぼけたキャラクターをいつも包み込んで成り立たせてくれたのは、ハナであり小池栄子という女優です。 現場では一緒にふざけてバカなこと言いながら、すべてにおいて支えてもらっていました。 僕の実際のお嫁さんなんかは、「あなたのお芝居がよく見えてるのは小池さんがすごいから。 引き出してもらってるのよ」って(笑)。結局、手綱を握っているのはハナちゃんなんです。まぁ、現実世界の僕のおうちでも、そういうところがあります(笑)。
亀山エマ 木南晴夏さん 年老いたふたりの姿は、泣けてくるほど温かい。 エマとマイクをきっかけに、マッサンとエリーのこれまでを振り返る最終週。 実は私、『マッサン』ファンとしてずっとテレビで見ていたので、エマを演じながらもすごく懐かしかったです(笑)。 エマはエリーらしさを受け継いで自立した女性の一面を持っているけれど、「マッサンの夢が私の夢」と言い切れるほど、 夫の人生にすべてをかけたエリーの生き方はすごいですよね。それが自分の幸せだと言える女性ってとても強いと思います。 そして、これまでを経てきた今のマッサンとエリーがすごく愛らしくて。マッサンの雰囲気は落ち着いても、 おもしろさやエネルギーが根っこに残っている感じがしますし、病を患うエリーにはつらつとした元気はないけれど、 昔の“がんばるエリー”から、“見守って包み込むエリー”になっているように思います。 そんなふたりを「相変わらずアツアツだね」って言うセリフがあるんですけど、本当にその通り。 特にステキだと思ったのは、マッサンが「結婚式を挙げるど」と話すシーンなど、お互いへの気づかいがさり気なく伝わってくる夫婦の姿ですね。 じんわりとした温かみがあって、ふたりを見るだけで泣けてくる。 リアルだと見間違うようなすばらしい雪のセットのなかで、ふたりの温もりがいっそう引き立つ感じがします。 仲よしでラブラブなおじいちゃんとおばあちゃんのマッサンとエリーは、これまでで一番幸せなんじゃないかなと思いました。
ふたりのラブの集大成は、玉山くんとシャーロットの生きざまです。
最終週の構想は、
主役のふたりからもアイディアをもらいました。玉山くんは、「亡くなったエリーの隣で悲しむ姿では終わりたくない」と。
そしてシャーロットは「最後はマッサンとデートがしたいな」と言っていましたね。
お互いから、「これまでの愛情へのお礼がしたい」という思いを聞いて、雪の中での散歩のシーンや、エリーからのラブレターの構想が生まれたんです。
監督としてはっきりしていたのは、ふたりのラブの集大成を表現するにあたり、マッサンとエリーというよりも、「玉山くんとシャーロットを撮ろう」ということでした。
こんなに苦労して乗り越えてきたふたりに、思いをちゃんとぶつけあってほしいと思ったんです。
エリーが亡くなる直前、
ふたりで写真を見ながら思い出を振り返るシーンは、音声を一切録らず、ふたりの自然なやりとりと表情をそのままに撮りました。 このドラマは、日本語が話せないシャーロットがエリーを演じたということでなかばドキュメンタリーのようなものでしたから、 最後までドキュメンタリーでいいんじゃないかと思ったんですよ。
亡きエリーのラブレターを
マッサンが読むシーンは、「初見で手紙を読みたい」という玉山くんの希望を聞いて、ひとつ細工をしました。 放送用とは別に、彼だけのためにシャーロットに手紙を読んでもらい、その音声を現場で流したんですよ。 シャーロットはモニター越しに彼の演技を見て、ぼろぼろ泣いてましたね(笑)。 僕としては、ここがドラマの到達点だと思っています。この後にマッサンがスーパーエリーをつくる話は、おまけのエピソード。 一番最後のエリーの墓前でのマッサンのシーンは、ずっとドラマを見てくださったみなさんへの小さなプレゼントのような気持ちでつくりました。。
僕らが描きたかったのは
ただ単にウイスキーで成功をなした男の話ということではなく、国際結婚が難しかった時代に生きた「夫婦の愛情物語」です。決して特別なふたりでなく、いろんな壁を乗り越えたられたのは、ちゃんと愛があるからだと伝えたかった。そして、エリーが64歳で亡くなるまでの約40年間、日本に居続けられた理由が見えればいいと思いました。それは、広島・大阪・北海道とそれぞれの地で出会った、あらゆる日本人をエリーは好きになったから。そんなエリーやマッサンを周りも好きになったのは、玉山くんとシャーロットがいつも中心にいて仲が良かったこの現場そのものとリンクしていたように思います。
監督として最終週の編集をしながら、マッサンとエリーの姿を見て「こんな老夫婦になりたい」と純粋に思ったんですよ。老夫婦になっても手をつないだり、お互いをいつも見ていたり、決してその関係がいやみに見えなかった。それはたぶん、この夫婦がものすごいものを乗り越えてきたからだと思うんです。僕自身も、数十年後に妻とそうあれればいいな、なんてね(笑)。ずっと『マッサン』を見守ってくださったみなさんにも、最後にそう思ってもらえると非常にうれしいです。
※NHKサイトを離れます