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北条浩氏
この方の語録というものが残っておらず、昭和58年に急死されたことも、仏罰なのか三障四魔なのかわからない。
ただ言えることは、三障四魔なら、強情な信心によるものなのに、現創価学会勤行の御祈念からは省かれているということだ。
勤行の御祈念は、あくまで三代までである。
創価学会もこの御仁の死を、仏罰と捉え、信心強情による死魔とは捉えていないようだ。
さても可愛そうな御仁である。
さて、北条氏が会長となり制定したのが、創価学会会則である。
昭和54年創価学会会則制定
教義条項に
「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
とある。
死魔のひとつの側面に、身近なものの死によって、周囲の信者が動揺し、信心が揺らいで退転させる目的があります。
北条氏の死が、学会員の信心を強情にさせたか。
答えは、否である。
それまでの信心を変更し、宗門への誹謗を加速し、挙句の果てには破門・2度の宗規改定・本門戒壇の大御本尊否定へと退転していく。
逆に、この一連の流れこそ、本来の創価学会の強情な信心だとしたらどうであろう。
昭和54年のこの会則を作った北条氏は全くのペテンということだ。
また、
ここで疑問が起こるのは、平成3年の破門以降も、平成14まで11年も、この会則を変更していないという事だ。
何故だ!!!!
平成3年の破門以降、大石寺とは関係が無いはずだ!
平成3年から14年の11年間もの間、大石寺と関係もないにも関わらず、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本としていたのである。
まさに11年間も学会員を騙し続けた創価学会。ここにペテンありである。
北条氏の死。
死魔:それまでの創価学会の信心から退転し、死魔に負けた学会が現在存在する
仏罰:北条氏は仏罰によって亡くなったことを創価学会員も承知しているため、勤行で御祈念しないことに全く抵抗感がないのか。
創価学会もその勤行で北条氏のご供養をしていないところを見るに、この方が制定した会則は嘘で、北条氏をペテンと考えているようである。
北条氏の家族は、脱会したとの噂あり。
また、北条氏の葬儀は、東京戸田記念講堂で行われ、創価学会から見ると邪宗中の邪宗、日顕上人の大導師であり、戒名まで頂いている。
学会員から見ると、大謗法且つ、絶対に成仏などありえない事態が起きている訳だ。
ここに、直近3代が全てペテンということが証明された。
次は、初代牧口氏・戸田氏としよう。
この2人は本門戒壇の大御本尊に関する主張に食い違いはなさそうだからだ。
池田氏は、じっくり考察する必要がある。面白すぎるからだ。
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