いまの国会に、戦後の平和主義を転換したり、憲法を変える論議を提起したりする正統性があるといえるのか。

 新たな是正策を検討しているとはいえ、国会の動きはあまりに鈍い。法の下の平等という原則を尊重する意思があるのか。それすら疑わざるを得ない。

 昨年12月の衆院選の一票の格差をめぐる判決が、各地の高裁・支部で続いている。17件のうち14件で判決が出て、「違憲」が1、その手前の「違憲状態」が9。「合憲」は4だった。

 「違憲状態」判決には、来年12月を期限とし、改めずに選挙したら次は「違憲・無効」もありという、最後通告のような厳しさも含まれている。

 あのときの一票の格差は最大2・13倍。ある人の投票の重みが、違う選挙区に住む人の半分にも満たないことを意味する。

 そこまでの不平等を、有権者は耐え忍ぶしかないのか。国会の怠慢による不平等の放置は、民主主義に対する軽蔑以外の何ものでもない。

 前回衆院選は「0増5減」の調整はされたが、議席をまず都道府県に一つずつ割り振る「1人別枠方式」を事実上残して行われた。最高裁が4年前、一票の重みを不平等にする主因とし、廃止を促した方法だ。

 格差をゼロに近づける抜本改革はなされず、いま検討されているのも「9増9減」という、別の数合わせにすぎない。自ら代表性や正統性を低めようとしているといわれても仕方ない。

 最高裁の判決を待つまでもなく、国会は衆参両院をにらんだ抜本改革に本気で取り組むしかない。合憲判決があったことで開き直る雰囲気もあるようだが、それは間違っている。あくまでも国会で制度見直しが進むことを前提にしており、三権の緊張関係の中で、司法が立法の裁量権に配慮した判断だということをふまえるべきだ。

 改めて甘かったと感じるのが、前々回の12年衆院選をめぐる13年の最高裁判決である。

 1人別枠方式を実質的に残したやり方に一定の理解を示した点が、今回の高裁で「合憲」まで出る寛容さをうみ出しているのではないか。

 忘れてならないのは、投票価値の不平等に伴う司法の責任の重みだ。議員が自分を選んだ制度を温存したいのは本音だろうし、平等な一票を求める国民の利益代表にはなりにくい。司法がきっちり言わないと、ないがしろにされがちな価値なのだ。

 高裁判決は来月も続く。国民の側に足場を置いて、判断を尽くしてほしい。