「ピケティの罠」の罠=世代間格差拡大が日本の格差問題とする大竹文雄氏のウソ
井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
阿部彩氏「貧困統計ホームページ」より女性の年齢階層別の貧困率
ピケティブームで、日本の格差問題がいろいろ論じられています。『中央公論』4月号では、「ピケティの罠」という特集を組み、「なぜ日本で格差をめぐる議論が盛り上がるのか」と題し、大竹文雄氏(大阪大学教授)と森口千晶氏(一橋大学教授・スタンフォード大学客員教授)の対談が掲載されています。この対談の中で次のやりとりが行われています。
大竹 若年層、30代の貧困率は上がっている。非正規雇用の増大が大きく影響していると考えられますが、それによってその子ども、10歳未満の貧困率も上がっています。その一方で、高年齢者層、70代以上の貧困率は下がっている。これは年金の充実というのがいちばん大きな理由です。
森口 日本ではやはり、世代間の格差の拡大が重要な問題なのですね。
ようするに、日本においては、ピケティが指摘する、ごく一部の富裕層に富が集中して格差が拡大するようなことが起こっているわけではなくて、世代間格差拡大の方が問題なのだと言っているわけです。
しかし、本当にそうなのでしょうか? すでに以前のエントリー「日本の富裕層トップ1%が世界一富を拡大、ワーキングプア30万人増、貯蓄ゼロ19%増(2012-13)」や、「ピケティの言う格差上位1%、日本では金融資産だけで少なくとも1億円以上、申告所得のみなら5千万円以上」などで、日本においても富裕層に富が集中していることを紹介していますので、今回は世代間格差の問題を少しデータを見ながら考えてみたいと思います。
上のグラフは、阿部彩さん(国立社会保障・人口問題研究所 社会保障応用分析研究部部長)の「貧困統計ホームページ」に掲載されている女性の年齢階層別の相対的貧困率のグラフです。大竹文雄氏が言っているように直近の2012年の貧困率は、0~24歳の若年層の貧困率は上がっていますが、70~74歳の2012年の貧困率は2006年と比べれば下がっていても、直近の2009年と比べれば上がっていますので(男性のデータも同じです)、「高年齢者層、70代以上の貧困率は下がっている。これは年金の充実というのがいちばん大きな理由です」との大竹文雄氏の指摘はそもそも間違っていることになります。加えて、グラフを見れば分かるように、2012年の若年層のヤマは20~24歳の19.5%ですが、70歳以上の年齢層はそれよりも貧困率が高くなっています。若年層より高齢層の方が貧困率が高いのに、一体どこから年金が充実しているとか、若年層と高齢層における世代間格差の拡大が問題だとか言えるのか不思議です。
それから上の2つのグラフは、OECDのサイトで見ることができる年齢階層別の相対的貧困率で、上の方が日本とフランスとの比較、その下が日本とアメリカとの比較です。2009年で日本の貧困率のピークは76歳以上で、22.8%です。若年層のところでは18~25歳がいちばん高く18.7%ですが、ここでも高齢層の方が貧困率が高いのです。また、貧困大国アメリカと日本はどの年齢層でも似通っていますが、上のグラフにあるように、51~65歳では日本が15.1%とアメリカの13.4%を上回っているのです。貧困大国アメリカの貧困率を高齢層のところで上回っているわけです。
それから、OECDの直近データでは、2011年の相対的貧困率において、日本は、18歳未満が15.7%、18~25歳が18.7%、26~65歳が13.9%、65歳以上が19.4%となっています。アメリカの65歳以上の貧困率は18.8%で、ここでも日本の高齢層は貧困大国アメリカよりも貧困状態にあるのです。(他の年齢層ではアメリカの貧困率の方が高くなっています)
加えて、OECD34カ国の平均の貧困率は、18歳未満が13.9%、18~25歳が14.0%、26~65歳が10.0%、65歳以上が10.8%となっていますから、日本の65歳以上の貧困率19.4%というのは、OECD平均の2倍近くも突出して高くなっているわけです。
以上のように、客観的なデータを見れば、日本の高齢層が豊かになり、若年層が貧困になって世代間格差が拡大しているかのような大竹文雄氏の言説は間違いであることがわかります。事実は、日本の高齢層の貧困率は貧困大国アメリカより高く、OECD34カ国平均の2倍近い異常な貧困状態にあるということです。
こうした大竹文雄氏のような世代間対立を煽るような言説は繰り返し行われていますが、その点について指摘している、私が行った唐鎌直義立命館大学教授へのインタビューを紹介しておきます。
世代間の分断を乗り越えるために
――社会保障は若者から遠い存在で、要するに高齢者ばかり得をしているのではないかといわれています。世代間の分断が起きていますね。
これはイデオロギーとしての世代間扶養論の問題だけではなく、社会保障の実態が高齢者中心になってしまっているという問題が背景にあるのです。
それでつくったのが▼図表6です。これは社会支出の対国民所得比について、OECD基準にある社会支出の9分野で、それぞれに何%を使っているかを国際比較したものです。この図表のAの中の「高齢」は年金と介護。「遺族」は遺族年金。保健は医療サービス給付で、ここには生活保護の医療扶助も入っています。全体で国民所得の31.78%を社会保障に使っているのですが、国民所得の27.16%を高齢・遺族・保健の3分野に使っているということです。社会保障給付費全体の85%以上を、この3分野で使っています。医療もかなりの部分を高齢者が使っています。
次に、障害・労災、家族(児童手当のこと)、失業(失業手当の支給)、積極的労働政策(職業訓練等)とあります。あとは住宅と生活保護その他です。図表4のA以外のところ(Bの6分野)をみると、対国民所得比で4.62%しかないのです。これに対してスウェーデンでは国民所得の17.31%、フランスでは12.24%がこの6分野に使われています。フランスは日本の2.6倍に達します。ドイツでも11.95%、イギリスでも12.14%。私はこれらの6分野を「貧困関連社会支出」と呼んでいるのですが、EU諸国は貧困の除去にこんなに使っているということを示した表なのです。
貧困関連の社会支出増を
日本はやはり明らかに高齢者中心の社会保障なのですね。だから私が言う「脱貧困の社会保障」というのは、貧困との関連の深い6分野に対して重点的に最低保障を強めるべきだということです。
この分野を中心に日本の社会保障を拡充していけば、若者が受け取る分野が拡大します。失業手当、住宅保障、それに教育も含めればさらに拡大しますね。教育における公的支出は、日本は低いので、それを加えればさらに日本の貧困関連社会支出の国民所得比は全体的に下がるでしょう。
アメリカは6分野で5.15%ですが、日本は4.62%ですから、あの自己責任の国のアメリカよりも低いのです。EU諸国に比べると、これはもう社会保障の質的な違いというべきでしょう。スウェーデン、フランス、ドイツ、イギリスに比べると、日本の社会保障は非常にいびつだと思いますね。どうにか高齢者にだけはやっているという感じです。それでもいろいろな問題があります。
高齢分野のところに一応格好はつけているけれど、ヨーロッパのレベルには達していないということです。国民年金のレベルを見れば一目瞭然です。しかし、それに輪をかけて、高齢・遺族・保健以外の分野は無茶苦茶だということですね。それが日本の社会保障の現状です。
所得の垂直的再配分を
――高齢者だけに社会保障を使っている現状から、世代間格差を強調して、そこから引き剥がして若者にもってくるという主張もおかしいわけですね?
そうです。高齢者のところの社会保障もまだ欧米のレベルに達していないと言うべきでしょう。高齢者の社会保障から若い世代の社会保障に振り替えるという方向性も間違っているのです。高齢者のところも含めて、今のEUレベルの社会保障まで引き上げていくということが大切なのです。
世代間不公平の視点ではなく、所得の垂直的再分配が必要です。すでに指摘したように、それが社会保障の肝といいますか、命なのです。そこに国民の視点を持っていかせないように、いろいろな分断策が講じられているわけです。その最たるものが高齢者と若い世代の世代間の利害対立で、その次が男性と女性、さらに正規労働者と非正規労働者、サラリーマンと自営業者、都市と農村など、格差が認められるいろいろなところに分断の仕掛けがつくられていて、統一して社会保障の拡充を求めることができないようにされているわけです。逆に言うと、労働組合が理論的にその分断を切り崩していけば大きな新しい力になっていくと私は思っています。