世界が君を待っている。
今こそ真のリーダーシップが求められているからだ。
ハーバードケネディスクールで人気教授が行うリーダーシップについての特別ワークショップです。
アメリカ東海岸…ここは全米屈指の学園都市として知られています。
今回の特別ワークショップが行われるのはその一角にある…ケネディスクールはハーバードにある専門的なカリキュラムを持つ11の大学院プロフェッショナルスクールの一つです。
「PublicPolicy」公共政策を課題の中心として世界のリーダーたりうる人材を送り出してきました。
国連の事務総長や世界各国の大統領首相もここで学びました。
今95か国からの学生が次世代を担うべく学んでいます。
ここで30年にわたり「真のリーダーシップとは何か」という問いに迫り続けてきたのがロナルド・ハイフェッツ教授です。
今回のワークショップでは学生たちが実際に出会った経験を題材にしていきます。
ケネディスクールで学ぶ人たちがリアルな難題にどう立ち向かうべきか。
熱い議論が巻き起こります。
いよいよ最終回です。
リーダーシップを発揮する事は時に苦しく危険ですらある。
その勇気は称賛に値する。
今回はどうやったら実践の中で消耗しきってしまわずに生き残っていく事が可能なのか。
そのリーダーシップの発揮のしかたを考えていこう。
さて今回も疑問に答える事から始めよう。
前回は実にリアルな体験談をみんなから聞かせてもらった。
そして自分の周囲からどう戦略を立てるか考えてきた。
デヴィかな?教授は前回国や人々が慣れ親しんだ従来の価値観文化的なDNAを手放し新しい価値観へと移行していくには何世代か長い時間が必要だと話しました。
それを聞いていて日本の事を考えました。
日本は第2次世界大戦前と戦後とでは大きく違います。
現在の日本の社会の在り方は戦前とはまるで分離されたもののようになっていると思いますがどうでしょう?私は日本について過去からの旅立ちがどの程度のものなのかは知らないし過去の価値観がどの程度伝統や文化的な規範や言語や芸術また社会の構造や人生に対する姿勢や家族の価値観などに残っているのか分からない。
文化的なDNAの総量を見るならば重要な変化すなわち以前の文化によって築き上げられたものがどの程度手放されたのかを見ていかなければならない。
私は専門家ではないので江戸時代末期の開国についても詳しくないし1945年の第2次世界大戦の終戦が日本に与えた影響についても詳しくない。
しかし終戦後日本で天皇制が残されたのは意図的であり重要であった事は知っている。
戦後の日本の再生復興の責任者となった連合国軍の司令官マッカーサーは意図的に天皇制を継続させたのだと思う。
天皇を退位させたりはしなかった。
そこには大変重要な理由があった。
もっと大きな普遍的な枠組みを考慮に入れて天皇制を廃止するという変化を起こさなかった。
大事な事は歴史あるいは過去からの旅立ちはどんな集団においてもたとえそれが家族のような非常に小さな集団であってもあるいはもう少し大きな集団地域社会におけるユニットであってもビジネス界の大小さまざまなユニットであってもどんな集団であれその大小を問わず歴史あるいは過去から現在を通過して未来へと進む。
ある意味リーダーシップとは人々が…人々に問いを発して考えさせそのためのデータを提供し効率的に過去から未来へと移行させるための枠組みとプロセスを提供する。
そして変化と試練とに満ちている世界で成功する新しい伸びしろ可能性をもたらすそれが「適応する」という事なんだ。
もしリーダーシップがそのようなものならばその大きな部分は歴史とどのように折り合っていくかという事になる。
なぜなら大きな変革でも文化的なDNA全体を見た時DNAの大部分は失われずに保たれるからだ。
捨てられるのはごく一部分。
だがその変革される部分があるからこそ歴史の最良の部分だけを未来に持っていく事ができる。
文化の中核をなすものや価値観や伝統などの中心的な部分は失われずに保たれるのだ。
「人々は変化に抵抗する」という言い方を聞いた事がある人は?でも宝くじが当たったのに受け取らない人はいないよね?人は変化がいい事だと分かっている時は変化を喜んで受け入れる。
人が変化に抵抗するのは…だから歴史から旅立とうとする時失われるものがどういう性質のものか評価する事が必要だ。
「診断を下す」という事は人々に「失われるものはこれです」と示す事だ。
痛みを軽く見せてはならない。
…と説明するんだ。
「大切なものだ」と考えられている価値観の変化を定着させるには損失がもたらされ苦しくてもその価値はあると説得しなければならない。
代わりに家族や地域社会や価値観や宗教的な伝統などの…会社なら繁栄し続けるためには損失を受け入れなければならないと。
痛みを受け入れる代わりに会社には更なる繁栄がもたらされるのだと。
人間とはすばらしいものだ。
理由さえ納得できれば喜んで苦しむ事もできる。
どうぞアコール。
僕の状況は教授が今おっしゃった状況と少しだけ共通点があるようです。
僕は南スーダンから来ていますがハンセン病をご存じですか?ああ。
遺伝しないのに長く間違って遺伝すると考えられてきました。
だから人々はハンセン病患者に触れないし近づきもしません。
ハンセン病患者が住んでいる地域にも行きません。
ハンセン病患者が身内にいるかもしれないと思われるだけで結婚できなくなります。
子供に遺伝するかもと思われるからだね。
そうです。
だからたとえ情熱があって変革しようとしても難しい。
ああ。
(アコール)僕はそういう状況に直面しました。
4年前僕が祖国に戻った時です。
僕が育ったのはマレグという所でナイル川沿いにあります。
そこでハンセン病患者はみんな暮らしている。
その地域の患者はみんなそこに送られるんです。
もしおじいちゃんやおばあちゃんが指を失い始めたらそこへ連れていっておじいちゃんおばあちゃんを置いて逃げて帰るんです。
2008年に帰国した時も事態は全く変わっていませんでした。
何も変わっていなかった。
(アコール)そうです。
そこで僕は両親にこう話したんです。
「ハンセン病患者を支援する組織を作ったらいいんじゃないか」って。
でも両親は僕がその話題を出す事すら気に入らず「お前はもう結婚しているのにそんな事をしたら嫁の両親が嫁を取り戻しに来るかもしれない」とまで言われました。
そして僕は両親に説き伏せられてしまった。
つまり僕はリーダーシップを発揮できなかったわけです。
そうか。
貴重な経験談を話してくれてありがとう。
よく知らない人のために参考までに話しておこう。
ハンセン病は感染症でハンセン病の病原菌は結核菌と同じに分類もされる。
抗生物質を投与する事で治せる。
しかし抹消神経に障害を引き起こすので手や足の指に症状が現れる事もある。
また体の知覚が失われるのでけがをしやすくなる。
だが感染力は非常に弱い。
ハンセン病は治す事ができる病気であり治療すれば自らが感染源となって人にうつす事もない。
しかし百数十年前まで我々はハンセン病の原因を突き止められなかった。
そのためハンセン病患者の近くにいるとうつるという間違った思い込みから数千年もの間ハンセン病患者は隔離されてきた。
民間の伝承というのはどんな社会においてでも存在している。
現実をどうにか解釈するため自分たちの周囲で起きている事を説明するためストーリーを作り出すのだ。
そしてその物語が文化の一部となる。
すると君のご両親のように君にハンセン病患者の暮らす地域で働いてほしくない君の子供が危険だと考えるようになってしまう。
ハンセン病は治るのに科学を信じない。
まるで人々が地球温暖化を信じないのと同じだ。
もし君がハンセン病の問題でリーダーシップを発揮しようとし社会を再教育しようとするならば少なくとも20年はかかるかもしれない。
啓蒙活動を続ければハンセン病は感染力の低い病気で危険な病気ではないと人々も理解し始めるだろう。
だがそのためには君は君を愛し君を守ろうとする家族との関係を緊張状態に置かなければならなくなるだろう。
家族の中には「アコール私はお前の言う事を信じるよ。
信頼しているしお前の味方だ」と言ってくれる人もいるだろう。
しかし他の家族や地域の人々は「お前がそういう活動をするなら二度と私の家には来ないでくれ」と言うだろう。
君の奥さんのご家族は奥さんに「アコールのそばにいちゃいけない。
離婚しろ」と言うかもしれない。
だから君には戦略が必要だ。
まずは君の身内の意識を変えていく。
ある意味それは君にとってテストケースとなるだろう。
なぜなら家族や君の属する地域社会の人々を再教育するという挑戦は試験台となるからだ。
君がもっと大きな集団において献身的にリーダーシップを発揮しようと決意した場合のいわば縮図だからだ。
私はその挑戦は成し遂げられると思う。
ただし家族関係が緊張し一度は亀裂が生じる事は避けられないだろう。
恐らくは君が議論を促せば家族の間で言い争いとなるだろう。
「あなたは何でアコールにあんな所へ行けと言うのか」と言う人もいれば「何で行かせてやらないんだ。
科学の本を読んでないのか?ハンセン病はうつらないんだぞ」と言う人もいるだろう。
こういう議論が起こるのは避けられない。
つまり君は家族の中に嵐を生じさせる事になる。
論争や言い争いが生じるだろう。
君の仕事は時間をかけてそのバランスの悪い状態に対応していく事だ。
長い時間をかけなければ家族の中で議論を尽くさせ変革へと向かわせる事はできない。
それに家族は君に目標を諦めて議論をやめるようものすごい圧力をかけてくるだろう。
リーダーシップとは多くの場合人々が新しいやり方を身につけ始めて…人はそれぞれ異なる意見を持っているから言い争いや論争を通じて力強い動きが生まれ時間をかけてゆっくりと新しいやり方を学んでいくのだ。
そしてもし君がその方向へと進もうとするなら君が最初に味方につけなければならないのはもちろん君の奥さんだ。
奥さんにそばにいてほしいなら彼女を説得する必要がある。
でもそれには奥さんが彼女の親族に対しても持っている忠誠心に敬意を払う事。
なぜなら奥さんは君に対する忠誠心と自分を愛し守ろうとしてくれる親族に対する忠誠心との板挟みになるからだ。
君たち2人は強い気持ちを持って奥さんの親族の恐れを理解し向き合い辛抱強く説得を続けなければならない。
戦略を立て時間をかけて…まずは身内からだ。
彼らの世界観から考えてどういうふうに問題を切り出すべきだろうか。
どうやったら君を攻撃するのではなく彼らの間で意見を戦わせる事ができるだろうか。
奥さんの親族の中にも自分の家族の中にも味方を見つけなければならない。
そうすれば親族同士での議論となり君だけを相手にする事はなくなる。
リーダーシップを発揮する際に犯しがちな間違いは孤立してしまい残りの全員に君を攻撃させてしまう事だ。
バランスを取り戻す最も簡単な方法は君を中立化させる事だ。
だから家族の中に味方を見つけ君だけが対立の元ではないようにする事が大事だ。
これが君の問題に対する私の意見だ。
教授の説明を聞けば聞くほどリーダーシップを発揮するのが難しく思えてきます。
だろ?
(笑い)権威ある高い地位にいる人がリーダーシップを発揮できずに失敗するのも同じ理由だと思う。
人々に歴史に根ざした忠誠心を捨てさせ未来に向けて変化を作り出させる事は難しい事だからだ。
しかし不可能ではないしそれをやってのけた人々も大勢いる。
アーロン。
僕が思うにアコールの話を聞いて思ったんですが社会の規範そのものを問う事がリーダーシップの大きな部分を占めているんじゃないかと。
ハンセン病は遺伝すると間違って言い続けてきた身内に対し「いやそうじゃない」と異議を唱える事自体文化的な規範に対する挑戦だと思います。
それまでとは違うものの見方をしようとしているわけですから。
教授はリーダーシップの実践は「徐々にゆっくり」とおっしゃいました。
それが特別に大きな課題でなくても。
君の言うとおりだ。
私たちは意味のある大きな飛躍や革新的な変化について考えてきたが実際に社会で起きているのは徐々にゆっくり変わっていく動きや即興的な動きがたくさんあり成功例も失敗例も両方ある。
どれほど真面目な人でも失敗する事はある。
失敗したらそれを修正しまた挑戦する。
その場で思いついた事でもそうやって積み重ねていく事で新しい未来を作り出せる。
なので私も「変化は徐々にゆっくり」という意見に賛成だ。
リーダーシップは日々「次はどんな手を打つべきか」「次はどう話すべきか」と考える事の中に宿っている。
その点アコールはまだ充分な工夫をしていないと思う。
アコールは最初の一歩として疑問を投げかけた。
しかしこの先どうすればいいかまだ真剣に考えていない。
「自分は1番にあの人に話を持っていったけれど14番目でもよかったかもしれない」。
「ああいうふうに話をしてみたけどこう話した方がよかったかも」。
「新聞記事を渡して読んでもらえばよかったかな」。
「権威ある人例えば医師に話をしてもらえばよかった」とか戦術はたくさんある。
でもアコールはまだ徐々にゆっくりと変えていく事で成功する確率を上げようと試みてもいない。
リーダーシップが発揮されるのは「ゆっくりした変化」の過程ではあるが発揮する立場にいる人間の思考回路は「ゆっくり」ではいけない。
状況の変化に素早く対応し常に微調整していかなければならない。
アコールは妻の両親の反対は娘を愛し心配しているからこそと分かってあげなくてはならない。
妻には「僕を愛してくれている事は分かっているしありがたい。
これからも危ないと思ったら注意してくれ。
でも今僕がしようとしている事は危険な事じゃない」と説明すべきだ。
これは「僕の事を心配するのはやめてくれ」と突き放すのとは全然違う。
なぜかというとこれからの人生でアコール夫妻には妻の身内や親族の助けが必要になる時が来るかもしれないからだ。
リーダーシップや変革は全てを捨ててしまう事ではない。
赤ちゃんを湯船のお湯と一緒に放り出すはずがないのと同じだ。
リーダーシップとは慎重に注意深く文化のどの部分を保持するかどんな価値観や伝統を大切にするかそして人々にどの部分を諦めてくれと働きかけるかを査定する事だ。
はいサレー。
僕にはちょっと不思議な経験があります。
ある事でリーダーシップを発揮しようと考え情熱を持って事にあたったとします。
でも僕の場合は失敗しそうになると失敗の方向へ向かっていると感じるものを体と心が全て拒否してしまうんです。
それは僕の知識とか理解とは関係ないみたいです。
ただただ体と心が拒否してしまうんです。
そこで質問です。
イデオロギーで凝り固まった人をどうやって相手にすればいいのでしょうか?僕はレバノンのベイルートから来ていますがシーア派のコミュニティーではヒズボラが支配的な勢力となっています。
ああ。
僕が困っているのは次のような事です。
まずは彼らがどこから来たかを理解し彼らが生まれた時から吹き込まれている価値観を理解しようとします。
ああ。
最初は共感しようとするんです。
彼らはイスラエルに攻撃されると確信していてだから自分たちは武装しているんだと主張するんですよね。
でも経験から言うとそれは「信念」というよりは「イデオロギーによる洗脳」です。
それが分かるので彼らが失わなければならないものを理解しろと言われてもどこかでいらだちを感じます。
武装勢力である彼らが常軌を逸しているとまでは言いませんが洗脳されているのでついこちらも妥協したり相互理解へ向かおうとしても理解するより彼らの敗北を望む気持ちに変わってしまうんです。
心では彼らが失うものも理解したいし敬意を払いたいとも思います。
でもイデオロギーで凝り固まった相手に向き合うと相手を理解するというのは無理なんじゃないかそんな方法はとれないとそう思ってしまうんです。
とてもいい質問をしてくれたね。
私にはベイルートやレバノンにおけるさまざまな勢力間の力学について充分な知識がない。
国内の派閥対立については特にだ。
シーア派に属するそれぞれの中内部のグループ同士でも対立があるだろう。
しかし私はその集団自身が勇気を持って真実のより濃密な分析に立ち向かわせるべき状況がたくさんあるのではないかと思う。
彼らは真実を否定する事に多大なエネルギーを費やしている。
彼らは真実を否定し現状を維持するためのメカニズムとして一連の制度を作り出そうとしている。
だから時として人々を何らかのプレッシャーの中に閉じ込め特別な条件を作り出す事すら必要だ。
自己欺瞞や自己否定を詳しく問いそれを変えていく必要性に向き合ってもらうためだ。
私の推測だが君が今説明してくれたような事はネパールで女性の権利を求める運動においても南スーダンのハンセン病患者のコロニーにおいても起こっていると思う。
私たちが現実と取り組もうとすると狭いものの見方に執着している人々は自分たちを守り補強するための制度を作り上げて対抗する。
何らかの力何らかの特別な条件なしでは彼らが立て籠もる牙城を破る事は難しい。
君が「敗北」と言う時それは政治的あるいは軍事的敗北の事であると思うがそういう敗北があって初めて彼らを自分たちの社会内部の自己欺瞞に向き合わせる事ができるようになるのかもしれない。
私はリーダーシップというテーブルからそういう道を排除はしない。
しかしそれは今直面している問題を解決するために人々を社会の内部矛盾と向き合わせるための更に極端な手段だと言わざるをえない。
レバノンのシーア派にとってイスラエルは実に便利な存在だ。
だがイスラエルを倒したからといってレバノンの国内問題が解決されるという事にはならない。
なぜならレバノン内部に問題の根っこがあるからだ。
イスラエルを倒すにせよ自分たちがどういう国家になればいいのかは考えていかなくてはならない。
どうやったら良い共同体になれるか。
境界を越えて互いに敬意を持てるようになるのか。
多くの国家が内部の困難をまとめるために外部にその原因を求めて非難し敵を作るという事をしている。
その政策は国民によりよい未来に向かって適応する努力を払う事を回避させてしまう。
しかし一度その方向へ動き始めてしまったらどうやって止めればいいのか。
君は祖国で「政治的」あるいは「軍事的な敗北」が他の勢力にとって何を意味するか考えなければならない。
いくつもの勢力が争い合っていては一つの国家にはなれないからだ。
ここで「戦略は一つだけではない」と強く言いたい。
最も重要な原則は何より命を落とさない事。
そして素早く決断を下す事だ。
なぜならば共同体の中で適応が必要な変化を起こすための方程式はないからだ。
そこでまず必要なのは行動を起こす現場から下がってバルコニーに立ってみる事だ。
バルコニーの上からなら全体を大局的に眺められる。
バルコニーの上からズーム・インしたりズーム・アウトしたりしてみれば現場の視点でも見られるし大きな視点でも見られる。
変革しようとしている対象の隅々まで見渡す事ができる。
バルコニーの上では状況を吟味する。
状況を分析しなぜ人々はその変化に抵抗するのかを考える。
そして吟味した中身を確かめに行く。
いろいろな人に会い人の話に耳を傾ける。
そしてまた状況を分析する。
分析が終わったらまた現場に戻り調査を続ける。
質問を重ねまた別な人の話を聞く。
すると変革の鍵を握るグループがどれで影響を及ぼす人が誰か分かってくる。
戦略を立てるうえで外せないのは…そしてそれらの人に近づき話に耳を傾けてみる事だ。
スポークスマンの話だけではいけない。
そうすれば共同体の中の各グループ関係者の忠誠心がどこにあるのか現在の状況に対してなぜそう考えるのか理解する事ができる。
時間をかけるうちに地図が出来る。
現在の状況の地図だ。
その地図に答えがある。
例えば会社のエンジニア部門でこれまでなかった刷新を成し遂げたいとしよう。
その場合…特定しなければならない。
鍵となる関係者のグループはどこかを特定して初めてどう連携していくかの戦略も立てられるし彼らの意見も理解できるし争点を構成する事もできる。
そうする事で考える余裕が得られる。
変革のための行動を起こしても…人々が違う考え方を取り入れるのには時間がかかるからだ。
また単独で改革を成し遂げる事はできない。
多くの人は戦士の孤独な戦いのように「自分一人で導いている」と思いがちだがそれは失敗の元。
パートナーが絶対に必要だ。
これはサプナが話してくれた事だがサプナは女性の権利を推進する運動を始めようと決意した時最初にした事は夫に話をする事だったそうだ。
「これからあなたも圧力を受けると思うけど私にはあなたのサポートが必要なの」と。
事実サプナが行動を起こすと彼もすさまじい圧力を受けた。
しかし準備は出来ていた。
サプナが予想された「バランスを取り戻そうとする圧力」に対して準備させていたからだ。
1人より2人の方がより強くなれる。
家族やコミュニティーやご近所からの圧力に耐えやすくなる。
だからこそパートナーが必要だ。
しかも2種類のパートナーが必要だ。
まずは「協力者」。
協力者とは基本的なものの考え方が君と同じだけれども違う派閥違う組織違う地域社会を代表する人だ。
違う地区違う小集団違う派閥違うグループの代表だからこそ自分のグループの人々を連れてきてくれる。
それが君のグループと合わされば君の上げる声はより強いものとなる。
協力者がいれば人々が新しい考え方に注目してくれる可能性を高める事ができる。
またアコールを例で言うといきなり家族に向かって「これから科学的な話をするよ」と言っても効果は薄い。
「ハンセン病は細菌による感染症で抗生物質で治るんだ。
ほらここに書いてあるだろ?」と言っても無駄だ。
家族は信じてくれない。
ではそういう話をして家族に信じてもらえる人は誰だろう?西洋人の医師かそれとも地域の先住民族の精霊信仰宗教的伝統を代表する人物だろうか。
家族がキリスト教徒なら司祭だろうか。
同じキリスト教徒の年長者だろうか。
アコールの家族から見て「この人の言う事なら信じられる」と思える人物から話をしてもらえば家族の中に協力者を獲得できる。
また協力者から得られる助力の一つは君を…「ちょっと待って。
この辺りで状況を一度整理してみよう。
あのミーティングに行ってみたけれどうまくいかなかったね。
だったらバルコニーから全体を見てなぜ駄目だったかを考えてみよう」と言ってくれる。
パートナーがいれば…それはどんな動きになるかな?スタートはここ。
そして君がたどりつきたい未来はここ。
たどりつくためにプランを立てる。
計画を立てる事はいい事だ。
しかし目標に向かって歩き出した途端に思いもかけぬ事が起きる。
現実は計画どおりに進んでくれるわけじゃない。
そういう場合は行動を修正しなければならない。
即興的にやらなきゃいけない時もある。
そもそもリーダーシップとは「即興の芸術」だともいえる。
運が良ければB地点の近くまで行けるがB地点には到達しない。
なぜなら道の途中で発見するさまざまな事がプランからの逸脱を余儀なくさせるからだ。
だからパートナーが必要だ。
君をバルコニーに立たせ情勢を把握させてくれる。
そのうえで次に何をすればいいのか誰と話をすればいいのか問題をどう捉えればいいのかどう投げかければ情報が引き出せるか考えていけばいい。
協力者を持つ事は重要で君に強大な力を与えてくれるがそれは協力者の基盤が君とは異なるからだ。
協力者とは君とは違う家族や別の組織や共同体にいて君とは違うグループに属する人の事だ。
彼らは自分の仲間を運動に引っ張り込んでくれる。
しかし同時に彼らには忠誠を尽くさなければならない仲間がいる。
彼らは君だけに忠誠を尽くすわけにはいかない。
自分の仲間への忠誠も尽くさなければならないのだ。
だから協力者とは君の心の中にある事を全て分かち合うわけにはいかない。
なぜなら時として協力者を困らせる状況に追いやる事もあるからだ。
君からの情報で自分の仲間に痛みを強いると知ったとすると君か仲間かどちらに忠誠を尽くすべきか迷うだろう。
それなので協力者と分かち合う情報についてはよく考え慎重を期さなければならない。
君の意図や戦略の情報はもちろんだが協力者が君にではなく仲間に忠誠を尽くす事を選ばざるをえない場合に協力者との関係を守る方法についても考えておく必要がある。
さてそのパートナーだが2種類のパートナーが必要だと言った。
一つは境界線を越えて連動する「協力者」。
そしてもう一つは「相談役」。
「相談役」と「協力者」とは違う。
なぜ相談役が必要なのかというと相談役と君とは忠誠心で対立する事がないからだ。
だから相談役の場合は利害関係は全くない。
相談役とは君の心の中にある事を何でも分かち合える相手だ。
どんな情報であれ問題ない。
相談役はその案件ではなく君自身を気にかけてくれているからだ。
君にはそういうパートナー相談役が必要だ。
絶望した時君を元気づけてくれる人間が。
壁にぶつかりどうしようもないように思える時リーダーシップを発揮する事にはなぜ価値があるのか思い出させてくれる人が。
危険があっても傷ついても進むのは君が生み出そうとしている新しい価値観達成しようとしている事は良い事だからだと。
しかし時として人は相談役の扱いにおいて過ちを犯す。
しゃべり過ぎてしまう。
なぜならどんな時でも「相談役」という立場にずっといられる人間はいないからだ。
どういう事かというともし結婚しているとしたら君の夫ないし妻は人生における多くの出来事において相談役の立場にある。
しかし思った事をそのままいつも打ち明けていいわけではない。
例えば義理の妹か義理の母が家に遊びに来るとしよう。
彼らは君の夫ないし妻の家族ではあるが君にとっては一緒にいる事が苦痛な相手かもしれない。
一緒にいるとイライラさせられる。
それが5日間も我が家に泊まるのか?
(笑い)これは誰かに愚痴でも言わねば。
しかし夫ないしは妻に「君の妹と一緒にいるのは我慢できない」とは言えないだろう。
なぜなら配偶者にとって妹は大事な家族でもあるからだ。
となれば愚痴は別の人に言わなければならない。
誰か外部の人間この件には何の利害関係も持たない違う相談役に言わねばならない。
この2種類のパートナー協力者と相談役はどちらも…バルコニーからよく観察し変革を働きかけなければならない人々の内面の忠誠心について考えどうリーダーシップを発揮していかなければならないか考える事ができる。
ホセ。
私の質問は…また今リーダーシップを発揮するチャンスだと思ってもどうしたらそれが正しいって分かるんでしょうか?サプナの戦いは正しいんでしょうか?その戦い方で問題と向き合い成功できるんでしょうか?リーダーシップを発揮する機会が今だとどうやって見極めればいいのか。
そしてどうやったらそれを効果的にできるんでしょうか?リーダーシップにはある種のものの見方が必要だ。
環境を見極めはるかかなたにある未来を見渡そうとする態度だ。
近い未来でもいいそんなに遠い未来でなくてもいい。
そしてどんなチャレンジが自分に訴えかけてくるか考える。
この世界には我々の対応を必要としている多くのチャレンジ多くのチャンス多くの難題があるからね。
なぜならリーダーシップとは愛する者のためになる事をしたいと思う事から始まるからだ。
子供を愛しているから教育問題が気になる。
愛する人の健康が気になるから健康に良くない事が気になる。
何であれ君の心を動かす事でなければ駄目だ。
なぜならリーダーシップには厳しい道のりが待っている。
大勢の人と話さなければならないしまた聞かねばならない。
そして探り出さなければならない。
みんなが何を考えているか誰が協力者になってくれ誰が運動に参加してくれそうか。
どんな支援をどんな力を得られそうか。
人々に集団として努力させるにはどんな力が必要になりそうか。
大変な仕事をしなければならないから情熱が持てない事なら無理だ。
リーダーシップの過程では苦もあり楽もある。
その日々を乗り切っていかなくてはならないからだ。
絶望のどん底でも前進し続けられるある意味器の大きさが必要になる。
そういう時は必ず来るからだ。
もしアコールがハンセン病患者の療養所で働く事にしたら「アコールにはもう近づかない」と言う人が出てくるかもしれない。
でもそれはアコールに対する個人的な攻撃ではない事を理解しなければならない。
でもつらい思いをするだろう。
人間は人に触れる事を欲する生き物だからだ。
リーダーシップを発揮する過程で孤独と絶望の日々が訪れるかもしれない。
だからこそ「みんなはあなたが果たしている役割を攻撃しているのよ。
あなたはみんなの信念や価値観や伝統を揺り動かしているから不安や恐れを感じている。
あなた自身を攻撃しているのではない」と言ってくれるパートナーが必要だ。
もちろん攻撃を個人的なものだと捉えないようにするのはとても難しい。
リーダーシップを発揮する間打ちひしがれずにいるのには「個人攻撃だと受け取ってはいけない」と言ってくれるパートナーが必要だ。
それと君が自分自身に戻れる場所「聖域」が必要だ。
それは人それぞれでいろいろな自分自身の聖域があっていいと思う。
祈りを捧げたり瞑想したりできる場所とか散歩で歩く森の中とかもしかしたらバーでスコッチの氷を眺めるのが癒やしだという人もいるだろう。
絵を描く時間だという人もいるだろうし楽器だという人もいるだろう。
とにかく聖域が必要だ。
私たちはそこで心身を癒やし再び戦いの場へと出ていく英気を養うのだ。
それではこのワークショップを終える前に最後に一つみんなに言っておきたい事がある。
どんな事か説明しよう。
私たちは数値化の世界に住んでいる。
君たちはケネディスクールで学びありとあらゆる種類の数値化のツールを学ぶだろう。
数値化のツールは便利なものである。
会社や国家組織学校や家庭でさえも予算なしで経営する事はできない。
収入がこれだけで支出がこれだけという数値がなければ経営は無理だ。
しかし数値化に慣れてしまうと私たちは…しかし数値化できない真実はたくさんある。
この事はリーダーシップを実践するうえで重要だ。
特に目標を達成できなかったという結果を突きつけられた時に重要になる。
達成したのが20%だった事を知ればまだ80%も残っているという気持ちになる。
ここには平和をもたらす事ができたけれどまだ多くの場所で平和をもたらす事ができなかったから意味がないとか。
でも私は善い行い「善」を数値化する事などできないと信じている。
私たちがいずれこの世を去る時天使たちが迎えに来たとしよう。
天使は君をこう言って責めるだろうか?「なぜあなたが命を救ったのは27人で36人じゃないの?」。
「なぜ読み書きを教えた子供たちは100人で200人じゃないの?」。
「なぜこっちの家族にだけきれいな水を届けてあっちの家族には届けなかったの?」。
「なぜ平和をもたらしたのは1つの地域だけで3つの地域じゃないの?」。
いやそんな事を聞くはずがない。
一人の子供の目に光をともす事ができたのならば君は数では表せない善を行った事になる。
私が生まれ育った文化にはこういう言い方がある。
リーダーシップを実践する人が絶望に陥ってしまうケースの一つはまだ達成できていない事ばかりを見てしまう時だ。
Dialogue:0,0:51:20.55,0:51:24.58,Default,,0000,00002015/03/27(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
白熱教室海外版 リーダーシップ白熱教室 第6回「世界が君を待っている」[二][字]
ハーバード大学ケネディ行政大学院・通称ケネディスクールで人気を誇るロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップに関する特別ワークショップ全6回の最終回。
詳細情報
番組内容
なにか問題を解決しようとするとき、人々に損失を我慢してもらう必要があることが往々にして起きる。するとすぐに周囲から反発が起きる。そんなときは孤立しないようにすることが大切だ。また、ときにはその場から離れ、全体を見渡せる場所=バルコニーに上がってみることも欠かせない。説得しなければならない相手がその改革で何を失い何を失う必要がないのか、正しく見極めることが欠かせないからだ。そして再び現場に戻るのだ。
出演者
【出演】ハーバード大学ケネディ行政大学院教授…ロナルド・ハイフェッツ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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英語
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