私たち3人それぞれ、進む道は違いますけれども、本来、記者である私も含めて、いずれ、また別の機会に、画面を通して皆さんにお目にかかる…。
え〜京都です。
京都に。
ちょっと似合わないとは思いますけども。
いえいえ。
お好きですか?京都はやっぱりいいですね。
散歩するのが大好きなので…。
でまあ「えっこんなとこにこれが」とかそういうのが随所にありますので…。
第1回目としてここに来てるんですね。
もう3年もたったんですね。
3年もたつんですが…。
今回ご一緒させて頂きます首藤と申します。
よろしくお願いいたします。
大幅に。
大幅に変わりましてこうやって地方にも出かけていくという事が決定いたしまして…。
これはなかなか…。
これなかなか。
江戸中心だったのが今度地方にも行って…。
お泊まりでも行けるという事でよろしいんですかね?いいですいいです。
帰ってきました「ブラタモリ」!3年ぶりの舞台は京都です。
千年の都京都。
いにしえよりみやびでのんびりとした時間が流れてきたかのよう。
でも実は京都は何度も存亡の危機に立たされてきました。
その度奇想天外なプロジェクトでピンチをチャンスに変えて乗り越えてきたのです。
あれ?これは丸い普通の犬くぎですね。
これ見た事ない。
京都の街に潜むそんなプロジェクトの痕跡をブラタモリ流にひもといてゆきます。
また都合のいいところに階段がありますね。
もちろんグルメもショッピングも一切ないのであしからず。
という事は向こうも突き刺さってるという事ですかね。
でしょうね。
おお〜いい景色だ!「ブラタモリ京都」。
千年の繁栄を支えた巨大プロジェクト。
その裏側をタモリさんが解き明かします。
さあまずタモリさんがやって来たのは鎌倉時代に開かれた古刹南禅寺。
こんな風流なお寺に明治時代京都の危機を救った巨大プロジェクトの痕跡があるそうですよ。
あっちょっとちらりと見えてきました。
これはね…不思議なんですけども…真ん中を堂々と貫いてます。
ちょっと南禅寺に対して失礼という感じはありますよね。
堂々とバーンといってますよね。
これはほんと俺はね珍しい風景だと思いますよ。
こちらは水路閣。
明治21年にレンガで造られた水を通す橋です。
そっち上ってみますか。
上りましょう。
ここまで上った事は…?ここまで上った事はないんじゃないですかね。
あっそうですか。
これさ俺いつも思うんだけども。
はい何ですか?これ考えてもらわないと必ず上がる脚って同じになるよね。
この幅の問題ですね。
トントントントントントンって必ず同じ脚になるんだよ。
ここが…。
もうちょっと考えられないのかな。
右だけが鍛えられるみたいな。
そうそう。
途中で替えるのも何かおかしいんだよね。
確かに。
あっ!あっ!流れてますね。
結構勢いありますね。
あっあの方ですか?何か持ってますね。
こんにちは。
こんにちは。
琵琶湖疏水記念館の寺嶋一根と申します。
巨大プロジェクトならぬ巨大な筒を抱えたこの方この水路に詳しい寺嶋一根さんです。
これ…丸抱えなさってる。
随分大きな…。
この辺これを抱えてチョロチョロチョロチョロしてる。
怪しいよね。
今いらっしゃるのがですねここですねこの京都盆地の一番東の端になるんですが今いらっしゃるという事になります。
この水路全長およそ20キロの…なんと今でも琵琶湖から京都まで水を運んでいるんです。
明治18年から5年がかりで行われた工事は全工程が手掘り。
当時の京都府年間予算の2倍もかけた一大プロジェクトでした。
なぜそこまでして琵琶湖疎水を造ったのでしょうか。
実は当時京都は存亡の危機に立たされていました。
明治2年千年続いた都が東京にうつり30万あった京都の人口はおよそ2/3まで減ってしまったのです。
京都の街の人たちにとっては。
江戸城へ行くわけです。
徳川一家がずっといた江戸城に入るという。
でそのまま天皇家が江戸城に入るんですけどもこれ私日本最大の居抜きって呼んでるんですけども…。
なるほど!そう言われればほんとですね。
京都の街というのはですね…それはそれで…それによって明治維新は起きたわけですが結構迷惑な話…。
(笑い声)まあそうだよね。
勝手に騒ぐわけでしょう。
田舎の方から武士がやって来てどうのこうのドンパチやってあげくの果ては御所に大砲撃ち込むんですからね。
迷惑な話ですよ。
京都の人たちはですね…それで考えついたのが琵琶湖疎水。
疎水を使って舟で荷物を運ぶ事。
陸路に比べて短時間で大量に運べます。
疎水ができて物資が安定して届くようになり京都の人口は都がうつる以前の水準までみるみる回復しました。
また明治24年には疎水を使った日本初の水力発電所が誕生。
その電気が京都に日本で初めての電車を走らせます。
更に機械製造や紡績など多くの工場が稼働。
疎水によって京都は一気に近代化したのです!ここへもう水を引いてしまったら……と言いますがこれですよね。
(笑い声)はい。
これどれぐらいの舟が…カヌー程度しか…。
舟が通っていたのはこの先。
そしてそこにはあっと驚くようなシカケが残されているというので見にゆく事に。
おっ京都市内見えますね。
そうです。
高いんですね。
これですよね。
そうです。
これですね。
はいこれです。
インクライン。
実は京都の街に入る手前のこの場所舟が行き来する事ができない急勾配があるんです。
そこで登場したのが…大胆にも舟をレールで運ぶというユニークな仕掛けです。
台車に載った舟は線路を一直線に下り急勾配の下にある船溜まで運ばれます。
なんとインクラインも疎水が生み出した電気で動いていたんですって。
あ〜残ってるんですか。
当時の…。
これだ。
こんな…。
ものすごい施設じゃないですか。
こういうのやってきれいに勾配つくって。
でも一回にこれだけしか運べないんですよね?これはちょっと少ない。
実際はですね…たまたまこのお写真が…。
これはちょっと少なかったという。
たまたま…。
たまたま少ない時に当たった…。
たまたま少ない写真が…。
線路好きのタモリさん居ても立ってもいられずインクラインを歩いてみる事に。
私はね線路ファンなんで。
鉄道ファンというよりは線路ファンなの。
鉄道ファンだっていうのは何となく。
その中の線路ファン。
(2人)あ〜っ。
どこでも。
すごいでしょ。
これ行けばどこでも行けるというのが子供の時の驚きだったんですよ。
「えっ!?全国につながってるのかこれは。
大変な事をやらかしたな」という。
これも…。
あっ?あらあらタモリさんお気に入りのあれを見つけたんでしょうか。
これは丸い普通の犬くぎですね。
これ初めて。
これ欠陥品じゃないんですね?いや違うんですよ。
これ最初の犬くぎ。
そうなんです。
これはちょっと見づらいんですが横から見て頂くと犬の顔に見えませんでしょうか?はあはあ見えます。
これが耳ですね。
でパクってくわえてる感じですけれども…。
これドッグスパイキって言いまして犬。
こっちが亀の甲羅みたいなのでタートルスパイキって言うんですが…。
犬くぎ。
ほんとはこれは犬くぎと言っちゃいけないんだよね。
カメ?カメくぎ。
カメくぎ犬くぎ。
一般的な犬くぎはアメリカで使われていた「カメ型」。
タモリさんも初めて見た「イヌ型」はヨーロッパで使われていました。
日本に最初に入ってきたのが「イヌ型」だったので「犬くぎ」と呼ばれるようになったのです。
一応ここは野外レール博物館という隠れたコンセプトですね。
こっち展示品こっちから敷石の方歩いてこのレールを鑑賞して頂くという…。
展示場を歩いてるみたいなものなのこれ。
すごい通ですねこれ。
そうなんです。
皆さんはここが野外レール博物館って知ってますか?ああやっぱり知らない。
京都の方ですか?ここはず〜っと琵琶湖から舟がこの上に着いてこのレールの上を舟がず〜っと向こうの方に物資運んでたんですよ。
あ知らないんだ。
どこに行ってたんですか?南禅寺行ったの?あ〜…。
湯豆腐食べた?あ〜…。
(笑い声)タモリさん大丈夫ですか?ずっとかがんだまま…。
え?ずっとかがんだまま…。
すごいですね。
宇多田ヒカルみたいになってる。
(「Automatic」)タモリさん野外レール博物館一のお宝を発見。
下ばかり見ていてよかったですね。
あっ!これ?BARROW。
BARROWですねこれ。
これ1800年代?そうです。
1887年。
BARROWっていう製鉄所。
BARROW社っていうイギリスのメーカーが1887年明治20年につくった75ポンドレール。
最初なんだ。
最初ではないかという事です。
鉄道使う前に。
へぇ〜!よく残ってますねこれ。
これ。
鉄でボロボロにもならず。
そう。
ここちょうど木の陰で多分なんて言うか雨露がちょっとしのげたのか割と刻印がきれいに残ってます。
他もいくつかあるんです。
他もいくつかあるんです。
タモリさん…。
タモカメこれ新しくなったね。
背中が光ってる。
昔光らなかったんですよ。
ここが。
何のために?何のためですかね。
ちょっと分かりませんね。
何のために…。
琵琶湖疎水大プロジェクト。
明治時代外国から最先端の技術を取り入れて京都の近代化を一気に推し進めました。
それでは皆様お待ちかねインクラインが走っていたあの時代に行ってみましょうか。
明治の初め都が東京にうつりすっかり元気をなくしていた京都の街。
琵琶湖疎水とは別の大プロジェクトがとある街なかで動きだしていました。
その痕跡を探しに続いてタモリさんがやって来たのは南禅寺の西修学旅行生にはおなじみの商店街です。
いらっしゃった事ありますか?ないと思う。
あんまり俺この辺用事ない…。
用事がないですね。
用事が。
修学旅行大人の友達でやろうって話があったのよ。
学生服を着て…。
大人が。
大人が。
京都ぐるぐる回ろうというね企画はあったんだけどね。
タモリさんが一度も来た事がないというこの商店街の秘密を知っている船越幹央さん。
生まれ育った京都の魅力を街歩きで見つけている行動派学芸員です。
タモリさんちょっとこれを見て頂くとどうですか?なんて書いてあるか…。
え?迷子なんとかしたやですね。
迷子のみちしるべ?
(船越)迷子を捜す人がここに来いと。
そっちにも文字あるんですか?あっ何か書いてある。
何だ?これ!もうPHSはないでしょう。
そのPHSを見つけた人はここに「見つけました」という紙を貼るんです。
空いてますね。
ああそうかこれ。
でこれPHSを載っけるわけですね。
そこですか?ほんとですか?ほんとですか?こちらにですね…。
おっ危ねえなこれ。
気をつけて。
「明治十五年」というふうに…。
そうなんです。
ここ新京極通は迷子の碑が建てられた明治の初めにつくられたのです。
迷子が出るほどの繁華街をつくる事で京都に活気を取り戻す。
それこそがもう一つの巨大プロジェクトだったんです。
そしてこの繁華街の中に明治時代新京極ができたという証拠が痕跡として残っているそうです。
この地図をよくご覧頂きながら…行ってみましょうかこれ。
こっちですね。
じゃあ私は少し向こうの蛸薬師の辺りでお待ちしてますので。
はあ!?一緒に行かないんですか?一緒に行くとちょっとあれですのでここはタモリさんの方でじっくりと。
ああ…分かりました。
じゃあ…ないだろうこれ明治時代の痕跡っていうのが。
すごく新しいお店な感じがしますね。
みんな新しいですよね。
これは古いかな。
お寺だ。
あっ誠心院。
痕跡…どうですか?お墓しか見えませんね。
お寺じゃなくてお墓しか見えない。
巨大プロジェクトの痕跡って…。
巨大プロジェクトの痕跡…。
あるんですかね…。
あっ聞いてみます?きしめんさらしな。
(一同)おはようございます。
NHKの「ブラタモリ」という番組なんですけれど…。
やっぱり!いつも拝見させて頂いております。
京都をやる事になりました。
京都編でお邪魔しております。
よろしくどうぞ。
明治時代にこの道が通ったという事はご存じですか?明治7年からやってらっしゃる。
え?あっそうですか。
明治7年。
その当時からある…。
そうですね。
あっ!今年で140周年を迎えました。
これ明治からあるんですか?そうです。
これでも痕跡ですよね。
明治の痕跡ですよ。
一つ見つけた。
(一同)ありがとうございます。
ありがとうございます。
こっちの方にあるかもしれない。
痕跡ってタモリさんはどういうとこをご覧になるんですか?道路の端とか…。
道路の端?ないよなこれ。
西光寺お寺。
お寺が並んでるんですよね。
お寺…ねえ。
ここに並んでんの。
これお寺ですか。
何もないですか?消防団員募集してますよ。
田舎の方って消防団員さんよく飲み会開いてるよね。
ちょっとなかなか難しくって…。
難しいですね。
まあこの角が変といや変なんですけどね。
いかがでした?何か…。
分かんない。
じゃあ…。
うん!?この巨大プロジェクトの新京極なんですが江戸時代の地図に合わせますと…。
おお。
新京極は明治5年お寺や神社の境内を貫くように通されました。
ご覧下さい。
おおっほんとだ!え〜っ。
新京極が境内に通された痕跡はまだあるのです。
続いては小さなお寺の前にのびる細い路地にご注目。
(船越)真正面に寅薬師。
で今ですね…こういう感じですね。
そうですね。
お寺に向かって参道だった道が今も痕跡として残ってるんです。
これがタモリさん…。
これは俺ですね。
それタモリさん。
でもどうしてわざわざお寺や神社の真ん中に道を通したんでしょうか。
新京極にある錦天満宮の宮司さんに伺ってみましょう。
あの…さっきから動きますよねこれ。
動いてます。
ちょっとタモリさん200円。
うん?あ200円。
あ…フフフ一緒に動いてます。
フフフ。
あ〜来たありがとう。
「自己を信じ勉学せよ」。
安産。
安産。
(笑い声)何ですか?これ。
おっ。
おっ。
(拍子木が鳴る音)上にテープが…。
これ…。
上に…。
「この天満宮のいわれをお話ししましょう。
物語は平安時代の初めのころにまで遡ります。
道真さんは子供のころから秀才で…」。
1枚がたっぷりあります。
じゃあちょっと長そうなので宮司さんのところに…。
やりっぱなしでいいんですか?これ。
ごめんください。
はい。
これも電動で開くんじゃない?お待たせしました。
宮司さんどうしてお寺や神社の真ん真ん中に新京極を通してしまったんですか?縁日を…ず〜っと店が並ぶようなとこがあった?あったんです。
敷地の中にそもそも。
単にむちゃくちゃというわけでもないわけですね。
そうですね。
そもそも江戸時代お寺や神社の境内は見せ物小屋や縁日の屋台が立ち並ぶ盛り場でした。
聖なるものと俗っぽいものが混在するにぎやかな空間だったのです。
そんなにぎわいをうま〜く利用して繁華街をつくった明治初めのプロジェクト。
とても理にかなっていたんですねタモリさん。
へぇ〜。
あっこれですかこれタヌキ。
えっ?カッパですかこれ。
カッパですね。
これは脚の上に舟をのせてその上に牛がのっているという…。
うそでしょう?片足でできるわけないでしょこれ牛を。
むちゃくちゃですね。
新京極には寄席や芝居小屋などが立ち並び明治30年代になると浅草とともに日本三大盛り場と呼ばれるほど発展します。
更に芝居小屋は映画館に。
昭和の初めには18軒も立ち並ぶ関西随一の歓楽街へと進化してゆきました。
そして今なお新京極には江戸時代から続く盛り場のDNAが受け継がれています。
さて新京極周辺をブラリングしていたタモリさん。
何か気になる事でも?この鳥居ですね。
両側は全く境内で空いてますよね。
私もずっとですねこれ中はどうなってるんだろうと…。
そう。
あるのかギリギリなのか。
中に入ってるでしょう。
入ってるふうに見えますね。
鳥居の先。
鳥居の先。
こんにちは。
お邪魔します。
お邪魔します。
えっここは…。
メタル系の店ですか?
(店員)メタルというかヴィジュアル系です。
ヴィジュアル系の…。
あっ!
(笑い声)あ〜!これすごい!あ〜!これ…どうしてこんな事になるんですかね?すごい!鳥居の先…。
こ…これここで普通やめるでしょう。
これ突き出てますよ。
はぁ〜何でこういう事になったんですかね?あ分からないですよね。
分からないですね。
そうですよね。
そうなんです。
これ店始める時からこうなってたわけですからね。
これ窓から見えるの?はい。
是非ご覧になって下さい。
ほんとだ。
なってます?なってるなってるなってる!ああっ近い!すごいこれ。
近っ!すごいな。
こんなの全国にないでしょう。
(店員)そう思います。
鳥居の先が建物に突き刺さってるんですからね。
すっごい。
鳥居の先って触った事ないですよね。
ないですよ。
鳥居の先触った事ないです。
うれしいな。
うれしいよ。
いい事あるかも。
不思議な風景ですねこれ。
ほ〜っ。
更にタモリさんのブラリングは地元の人しか歩かないディープな路地裏へ。
すると早速タモリさんの足が止まりました。
何やら足元の石畳が気になっているようです。
市電にこう…ね。
これ市電の敷石なんですか?市電の間にね敷石があったんですよ。
考えてみれば贅沢ですよね。
贅沢ですね。
市電の石をず〜っと使ってたんですから。
タモリさんが見つけた石畳はこの部分。
京都の街ではかつて走っていた市電の軌道に敷かれていた御影石を路地やお寺の参道でリサイクルしているんですって。
タモリさんがいるこの路地。
もともとは鎌倉時代からあった大きなお寺の境内です。
そこが今では小道が張り巡らされている路地の迷宮空間に…。
時代時代の痕跡がまざり合うまさに魅惑のスポット。
更に路地の奥へ奥へと進んでいきますと…。
え?あれ?靴屋さん?これ?あれ?これ通っていいんですか?通って大丈夫なんで…。
自然にお店の中に入っちゃいましたけど。
こっちとこっちがお店ですよね。
へぇ〜。
ああこんにちは。
で振り返ってみるとこんな感じです。
道ですね。
ここは京都一短いという商店街花遊小路の一部です。
明治の終わりから大正の初めこの辺りの開発と共にできた小さな小さな路地。
祇園に近いため昭和の初めには舞妓さん御用達の和装や小間物のお店がたくさんあったそうです。
路地の先に何があるのか分からないのがラビリンス迷路迷宮の魅力。
いっぱい飲み屋さんとかそういうのが並んでまして。
ああ…。
いえいえいえ飲みたいとこなんですけども…。
あります。
いやいやあります…。
(笑い声)石畳で…あら。
八兵衛明神。
タヌキを祀った…。
あっこれだ!さっき宮司さんが言ってたタヌキを祀った…。
柳小路にあるなんともかわいらしい神社。
新京極に見せ物小屋が建っていた明治時代この辺に住んでいたタヌキを弔って建てられました。
タヌキの八兵衛にちなんで8つの願い事をかなえてくれるとか。
六兵衛七兵衛八兵衛というのの八兵衛明神。
ですから…これは古い町並み…。
いいねこの通りは。
いい!ディープな路地からやっと抜け出してきたタモリさん。
今度は大きな建物が気になるようですね。
これ何だろう?これ。
ええ?これも古いですねこの建物。
古いですね。
これも昭和の初めごろに建ったそうなんですが…。
これも映画館だったんですよ。
映画館。
ここ昔ピンク映画をやってたんですよ。
専門だったんですよ私の学生の頃は。
あれはやっぱり専門ですよ。
普通の寅さんとやるわけないですよ。
分けるんですね。
分けますよ。
で私も学生のころ初めて来て入りまして暗闇の中に座ると横に男性が座って。
そうなんですよ。
えっ?どういう事ですか?男が来るんですよピンク映画は。
で男性ばっかりがお客さんとして見ていますよね。
そうそうそう。
そういう事ですか…。
そうそうなんですよピンク映画って来るんですよ。
ほんとですか?ええ。
あれはねでも「何だこんにゃろう」とは言えないですよね怖いですよね。
怖いですね真っ暗闇ですしね。
あれほんとに怖いもん…。
静かな中でちょっと触られたりして…。
俺の友達は…今では若者向けの洋服屋さんになっている昭和初めの映画館。
中は一体どうなっているんでしょう?タモリさん興味津々。
かつてのスクリーンの…。
名残が…。
あ〜っ!へぇ〜。
メンズですね。
2階メンズのフロアへ。
(笑い声)そうそう。
映写室がこの上か。
映写室だあそこが。
あっあそこから。
へぇ〜残ってるんですね。
残ってますね。
いや〜ほんと天井の装飾もきれいで…。
昭和の初めらしいモダンな感じのね。
だから映画というものはあれですよそのころは娯楽ですから娯楽っぽく造ってありますよね。
こういう映画館残ってるとは思わなかったですね。
ましてや今ほとんど映画館というのは壊されてるんですよね。
珍しいですよこれは。
かつては大きなお寺の境内だった界わい。
そこには小道が網の目のように巡らされ時代ごとに色とりどりの盛り場が花開いてきました。
その記憶が今なお路地の迷宮に刻まれています。
続いてやって来たのは新京極から北西6キロ離れた京都の端。
閑静な住宅街に明治時代よりはるか前の巨大プロジェクトの痕跡が残っているそうなのです。
こんなとこに巨大プロジェクトがあるんですか痕跡が。
あるみたいなんですけれど…。
これだ!えっどれですか?日本初のコンクリート製の擁壁。
(笑い声)なんと!あ…。
うん?あ…。
な…何?こちらは?こんにちは。
この方は見るからにマニアっぽい方です。
いやいやいやいや…。
京都でも有名な高低差マニアという…ちょっとユニークな視点で京都の街歩きガイドをしています。
これ崖ですよ。
タモリさん分かります?この崖。
崖は崖ですよねこれ。
ちょっといいですか?今ね僕らがいるのがこの辺りです。
はいはいはい。
まずこの崖なんですけどこれなんです。
ほう〜。
河岸段丘というやつですね。
おっしゃるとおりですね河岸段丘ですね。
(タモリ梅林)河岸段丘!そうなんですよ。
何ですかこの意気投合な感じは。
いやいやいやいや…。
河岸段丘段丘ファンですから。
段丘ファン!このカーブがこういう事ですか?そうです。
あれから谷が入ってくる…。
そうです。
だから反対側は平地なんですよ。
そうですね。
あ〜…崖だ。
河岸段丘の崖。
おっしゃるとおり。
いいですねここ!いいでしょう!いいいい!よかったお会いできて。
市内にねえ。
これですこの線ですね。
お〜さすが早いですね。
このね違和感答えが少し向こうに歩くと姿現しますんで是非…。
こっちへ入るんじゃないですか?こっちまた次回行きましょう。
あ〜見えてきましたね。
見えてきましたね。
あっ住宅街に突如…。
これは御土居ですね。
あっさすがタモリさん早いですね!御土居?それはやばいですね。
やばいですね。
今からおよそ400年前。
あの豊臣秀吉がつくらせた巨大な土の壁。
それが御土居です。
鍵かかってますよこれ。
今日はね特別に鍵を用意して…。
鍵持ってきてるんですか。
では開けますね。
いいんですか?はい。
どうぞ。
入りましょう。
失礼します。
入りましょう。
お〜。
えっ随分高いですね!すごいでしょう?高いですねこれは。
でこの切れ込みありますよね。
右側に見えます。
これがこの溝になるわけです。
あっそこか。
タモリさん上った事…。
いやないないです。
入れないですから普通は。
そうですよね。
危ないですよ。
結構急で高いですね。
では頂上まで行ってみましょう。
この部分は盛ったところですよね。
そうです。
人が?うん。
おお〜いい景色だ!ほんとですね!随分高い。
お〜高いねここは。
正面に見える山ご存じですか?あっよくご存じで。
実はその昔この御土居がグルッと京都の街を囲んでいたんですって。
全長23キロ。
僅か4か月で完成した安土桃山時代の巨大プロジェクトです。
しかし今ではほとんど取り壊されてしまったのでここはとっても貴重な場所なのです。
はいはいはいはい。
あ〜よく聞きます「洛中洛外」。
中が洛中。
外が洛外。
だからこの堤防のこっち側が洛中こっち側が洛外。
これは今京都駅ですよね?ここ京都駅です。
京都駅の外側まであるわけですか。
そうなんですよ。
今ここですから相当ありますよね。
はい。
そうそうそうそう!そうなんだよね!山陰線のね!そうなんですよ。
そうなんだよ。
そうなの?あ〜ずっとこれ続いてんだここは。
いいですねこれ。
いいねこれ歩くと。
これはいいとこ来た!あっよかったです。
ほんとうれしいです。
これはすごいわ。
ほんとうれしいです。
よかったよかったよかった。
この辺りなんか例えばほんとにエッジが見えるじゃないですか。
エッジ?エッジがね。
見えません?エッジがきいてますよね。
よく流されないでここまでエッジが残ってますよね。
工事のしかたがすごいのかな。
でしょうね。
すごいですね。
当時の土木技術はすごいですね。
すごいですね。
あの〜京都もそうですし関東平野なんかもそうですし。
すごいですよね。
いろんな木が植わってるんですけどちょっと注目して頂きたいのが大ぶりの竹の切り株なんですよ。
御土居と関係あるみたいで…。
今歩くと土の塊ってイメージが強いじゃないですか。
これすばらしいです。
すばらしいです。
見た事ない。
これはねすばらしいです。
で御土居はどれか分かりますか?うん?こう…この辺からこう…こうですね。
はい。
このグリーンベルト。
これ竹林みたいな感じですよね。
そうなんですよ。
土だけじゃなかったんです。
ほぉ〜。
はぁ〜。
これでも竹は根がはりますから土砂崩れとかそういう防ぐの分かるんですがそれだけのためだったんでしょうかねこれだけの竹を。
へぇ〜。
京都って考えてみれば竹使う機会多いんです。
それにしても秀吉はどうしてこんな巨大な御土居をつくらせたんでしょうか。
実はその時代の京都も危機的な状況に立たされていたのです。
御土居ができるおよそ100年少し前に応仁の乱という大軍があったんですよ。
ありましたね。
ほとんど京都は焼けちゃったという。
乱暴狼藉をはたらくこの悪そうな男たちがしっちゃかめっちゃかにされたんですね。
で結果…中国でも西欧でも大体街は囲むんですよね。
城壁で囲んであるのが普通なんです古い都市は。
日本も同じく。
これはでも広い意味で言えば…ああ〜。
自分たちはこの国のどこにあって限界がどこだと知る事によって国の意識が出てくるんですよ。
あ〜。
伊能忠敬がつくった以降日本人という気持ちが出てくる。
それまであんま日本人だっていう意識はない。
なかったでしょうね。
土佐人だとかね。
土佐人とか尾張人とか。
尾張人とかしかなかったんです。
というのは…そうですそうですそうですそうです。
そこだと思います。
だから豊臣秀吉が亡くなってもう必要じゃないかなって思われても必要だった。
御土居がつくられた理由は諸説ありますがこのプロジェクトとともに今に続く町割が整えられて京都の街は息を吹き返しました。
行きましょう行きましょう。
端っこ。
今ではほとんど壊されてしまった御土居。
400年前にちょっと行ってみましょうか?歩いてきた御土居の続きはどうなっているのでしょう。
疑問に思ったタモリさん。
その先にある住宅街をブラリング。
こう来てるはずですよ。
こう来てるはずですね。
この先にですね…。
こっち行くんですか?少しここで…。
ここで?立ち止まって見てみましょうか。
違います。
こっち高いですね。
高いのをこういうふうに。
そうですそうです!こっちはそのままですよね。
そうなんですよ。
あっ家の高さが…。
違いますでしょ。
御土居かもしれない。
これ?つまり今タモリさんが見ている石垣は家を建てる時に御土居が削られて残った土台の痕跡ではないかというんです。
住宅街に入ると姿を消したかに見えた御土居。
実はひっそりと残っていたんですねタモリさん。
更にずっと続いてたんですね。
はい。
いいポイントですね。
いいポイントですね。
いいポイントだよ。
うん?「南旧土居町」だ。
「土居」。
地図で見てみましょうか。
「土居」と付いてるんですね。
この辺が非常に面白い町の区割り。
今いるのがこの旧土居町。
旧土居町。
御土居の形どおりに…。
どおりになってるんですね町が。
土居町って細長〜い…。
細長いんですね。
すごく細長いんですよ。
こんな町ないですよね。
ないですないですないです。
京都でもここぐらいです。
相当向こうまで行っても間2軒くらいだからさ。
ちょっと住んでる人に話聞いてみますか。
あっ会長ですこの方。
あっほんと!南旧土居町…失礼します。
(チャイム)あっいらっしゃいますね。
こんにちは。
はい!あっすみません。
NHKの「ブラタモリ」という番組なんですが…。
お〜!ちょっとよろしいですか?はい。
あっすみませんこんにちは。
どうもこんにちは。
あっ!あらら!うわ〜。
ちょっと御土居の事を…ずっと歩いてるんですけど。
ここが御土居の上ですよね?うんそうですね!御土居の上で。
お能か何かやってらっしゃるんですか?私そんな器用なものやってません。
ただのおじいです。
いやいやいやいや。
これから裏の2軒ぐらい裏もう向こうの通りは違うんですよね。
そうですね。
御土居ってここと向こうの通りが御土居。
…の間だけですよね?そうですね。
もう私らもここ入る時に御土居っていうのあまり知らなかったもんですけどね。
でも今御土居の上に住んでるっていう実感は?正直言ってないです。
まあそうでしょうね。
(笑い声)ありがとうございます。
今日は何です?これ。
御土居の跡を巡って。
「ブラタモリ」って番組また始まりますんで。
お〜!よろしくお願いします。
やっぱお能やってらっしゃる。
いやいやそんな上品な人間じゃないです。
(笑い声)どうも失礼します。
ありがとうございます。
お?見えてきましたね。
見えてきましたね。
御土居ですね。
この道路が…。
そうです。
よくご存じで。
鷹峯街道です。
あっここに来るんだ!そうなんです。
ここに出るわけですね。
ここはタモリさん立った事が?これですよ御土居餅ね。
御土居餅?名物御土居餅。
どんなお餅なんですか?御土居餅。
(3人)こんにちは。
いつもお世話になっています。
こんにちは。
御土居餅ってどれですかね?これでございます。
そういえば御土居みたいですね。
私たちが歩いたところ。
ずっと歩いていかはったんですか。
歩いてきました。
御土居の上なんです。
地盤は安定して…。
安定してます。
これも濃い色でこういうふうにしてあるんです。
ばい煎をきつく。
ええ…。
きな粉のばい煎…。
頂いて…。
すみません。
ナイロンの中入れますか?あっ大丈夫ですそのままで。
御土居の上やから…。
おいしい。
おいしいです。
これはあれですね大福の上にきな粉かけただけですね。
いやいやいやいや。
タモリさん。
御土居餅です。
御土居餅です。
たまに間違うて名前で言わはる時ありますけどね。
おいど餅って。
(笑い声)違います違います!あ〜おかしい。
(笑い声)このきな粉いいですね。
これぐらいのばい煎がいい。
どうも。
(一同)ありがとうございます。
昔ねなだらかな…もっと先はね…カシャカシャカシャカシャいう中をずっと上っていって。
いい通りなんですよ。
随分今景色変わりましたね。
変わりました。
随分変わりましたね。
学生時代の事よく覚えていますねタモリさん。
では御土居からちょっと脱線して記憶を頼りにブラブラしてみる事に。
学生時代。
え〜何で京都に?何か知らない。
ここは偶然一回来たらすごい好きになって何度も来るんですけども。
坂の上が突き当たって左行くと光悦寺ってあるんですよね。
あの辺が好きでずっと行ってたんです。
その辺に…あら。
え〜!ちょっと行ってみましょうかね。
これはありますね。
いい香りですね。
いい香りが。
お醤油のいい香り。
あ〜っ。
こんにちは〜。
失礼します。
すみませんNHKの「ブラタモリ」という番組なんですけれどちょっとよろしいですか?はいどうぞ。
「ブラタモリ」という番組でこの辺を御土居の跡を巡ってるんで…。
僕はこの鷹峯街道が好きで50年ぐらい前から京都来ると通ってたんです。
ここだけは変わりませんね。
そうですね。
これが看板ですのでね…。
何年ぐらいになるんですか?209年!209年。
何代目?今の社長が6代目ですね。
これ裏でつくってらっしゃるんですか?あっいいですか?見せて頂いて。
湯気立ってるんで出来たてホヤホヤですんで。
せっかくですんで。
はあ〜これすごいな。
ちょっと物がいっぱいあるんですけど…。
よろしいんですか?すみませんお邪魔します。
こんにちはどうも。
うわ〜。
あっこれ?僕が乗っても大丈夫ですので上がって頂いて…。
再仕込という…。
あ〜!中の様子はどうですか?これ今熱を加えてるの?熱を加え終わったところですね。
再仕込はまろやかでうまいですよね。
そうですね。
すごい。
まだちょっと温かいと思うんですけれども。
うまい。
うまいですね。
再仕込ってやわらかいんですよ味。
そういう事なんですか。
味が全くまろやかになる。
へぇ〜!かけるのにすごく優秀なんです。
かけ醤油は再仕込うまいんですよ。
ちょっと高いですけどね。
ちょっと…。
手間がかかっておりますので。
手間がかかってる。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ちょいちょい僕来てますんで寄ります今度。
はい是非。
すみません突然ありがとうございました。
いやいや。
いいお店でした。
御土居に戻りましょう。
こんにちは。
どうも。
お元気で。
あっ!ほらね!あっ!この辺多いんですよ森田ってのが。
本当ですね!森田さんちだ。
多いんですよ。
森田家ですね。
これ上もね上曲がって左も3軒ぐらい森田森田商店とか書いてあるんですよ。
それはすごい!多いんだな。
楽しい寄り道もほどほどにしてさっき歩いた住宅街の先に見えた御土居に行ってみる事に。
どうぞ入って下さい。
はい。
お〜。
また足元気をつけて下さいね。
はい。
こんなに下りるんですか?今僕らが立っている位置がこの御土居のちょうど…。
どん詰まりの所ですね。
ここで御土居が東西方向から直角に南北方向に曲がる。
へぇ〜そういう場所なんですか。
ちょっと耳を澄ませてみて下さい。
聞こえませんか?聞こえますよね。
水の音。
ここは今まで見てきた御土居とは一味違う御土居。
川が削ってできた河岸段丘の崖を見事に利用しています。
ですからわざわざここまで…。
延ばした。
あんな田舎に何であるんだとか。
かなり急な河岸段丘。
珍しいですか?うん。
人工だけじゃない自然だけじゃない。
いや御土居をね中…ここはもちろん知ってたんですけど入れるとは思ってなかったですね。
ほんとに普通に旅行で来たのでは外から見るだけですからね。
上ったり歩いたりはできませんから。
はいおっしゃるとおりです。
大プロジェクトですよこれはほんとに大プロジェクト。
千年の都京都。
京都の人たちはピンチに見舞われる度大胆かつ奇想天外なプロジェクトで乗り越えてきました。
みやびの裏にある激動の記憶が今も土地に刻まれています。
「ブラタモリ」いかがでしたか?また4月にお目にかかりましょう。
それでは御機嫌よう。
いよいよ…
(笑い)あ〜あのね…。
(笑い)
という事で3年ぶりに復活する「ブラタモリ」。
ではここでちょっとだけ「最新とれたて映像」をお見せします
最初に訪れた場所は長崎
寒さにも負けず初回の放送では坂の町長崎の知られざる歴史に迫ります
そこまで言いますか。
かつての外国人居留地を訪ねたタモリさん。
そこには坂の町ならではの工夫がありました
そうです。
石をくりぬいてつくってるんです。
(笑い声)
更に何やら道路の真ん中が盛り上がっている謎の場所
その秘密に迫るため地下に潜入する事に!
翌週の放送では海から長崎の近代化の秘密を解き明かします
タモリさんたちが船で向かったのは長崎のとある小島。
実はここ2001年まで石炭を掘り出していた…
わ〜っ!わ〜いい!
(笑い声)
更にタモリさん実際に石炭を掘っていた坑道へ!
ちょっと持ってみます?大丈夫かと思いますけどね。
いいですか?手離しますよ。
うわっ!
(笑い声)
長崎の次に訪れたのは北陸新幹線開通で今最も熱い金沢へ
金がとれる沢。
そう!洗い流していくの。
あった!大きい!お上手ですね。
あ〜!
そして4月からは番組のテーマ曲もリニューアル。
井上陽水さんの書き下ろしです。
お楽しみに!
「ブラタモリ」。
4月から日本全国あなたの町をタモリさんが歩きます
あなたの町へ…。
(2人)「ブラタモリ」。
土曜の夜は…。
(2人)「ブラタモリ」。
2015/03/27(金) 22:00〜23:08
NHK総合1・神戸
ブラタモリ「京都・完全版」[字]
3年ぶり復活した「ブラタモリ・京都」を、未公開シーンをプラスした完全版で!京都1200年の繁栄の秘密にタモリさんならではの視点で迫る旅を、たっぷりお届けします。
詳細情報
番組内容
応仁の乱で荒廃した都を救うべく、豊臣秀吉が立ち上げた大プロジェクトとは? 修学旅行でおなじみのあの通りは、明治に生まれた京都復活の切り札だった? 平安の昔から、京都が1200年も繁栄を続ける秘密に、タモリさんならではの視点で迫る旅を、未公開シーンも含めてたっぷりお送りします。さらに、新年度からの見どころもダイジェストで!
出演者
【司会】タモリ,首藤奈知子,【ゲスト】京都市琵琶湖疏水記念館 資料研究専門員…寺嶋一根,京都高低差崖会 崖長…梅林秀行,大阪歴史博物館 学芸員…船越幹央
ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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