プロフィール~ピッチャーとして~
2011年01月10日 (月)子どもの頃、田んぼ野球で肩をコントロールを鍛えた甲斐あってか、大学4年でプレーヤーを終えるまでは、大半が投手として過ごしました。新潟高校時代には、甲子園まであとわずかまで迫りましたが果たせず、なんとしても東京六大学野球の舞台を踏みたいと、一浪の末東大野球部に入りました。
東大を目指した動機は、おそらくもっとも試合に出やすいと考えたからで、大半の東大生には考えもつかない動機だったことでしょう。大学でも投手を命じられ、通算8勝27敗。東大で8勝は、我ながらまあまあだと思っていますが、それより27敗もしたことが僕の誇りです。なぜなら、それだけの試合、マウンドを守ったからです。休むことなく、よく投げました。そして監督もよく信頼して使っていただけました。
小柄で、スピードボールには限界があることをわかっていたので、大学1年の時にオーバースローからサイドスローに変えました。スライダーとストレートでカウントを整え、横手特有のシュートで詰まらせる配球が得意でした。
東大だから頭脳派だね、とよく言われましたが、事実は正反対。打たれるとカッとなって投球が単調になり、また打たれるという悪循環によくはまりました。そんな僕ではありますが、長い間投手をやっていると、ポーカーフェースというものを学びます。投手がいちいち表情を変えていたのでは、バックのみんなを不安に陥れてしまうからです。それは今も生かされています。少々のことがあっても、動揺を表に出さず、表情は穏やかに。いつも「平らな」人であることを心がけています。でも、人間、限界がありますね。時々、短気な地金がでてしまい、周囲を慌てさせることも少なくありません。まだまだ修行が足りないとつくづく思います。
投稿者:大越健介 | 投稿時間:10:23