プロフィール~取材を通して哀しかったこと~
2011年01月02日 (日)哀しかったというか、とても複雑な思いを抱き、決して忘れられない経験があります。
新人記者時代、郷里の新潟で夏休みをとっていたところ、1985年日航ジャンボ機が群馬・長野県境で消息を絶ったという速報が流れました。あの御巣鷹山の大惨事でした。落ち着かない思いで夜行列車にのり、翌朝、任地の岡山に戻りました。
局に顔を出すと、デスクからある指令を受けました。あの墜落事故では、何人かの方が助かったのをご記憶でしょうか。奇跡の生存が世間を驚かせる中、そのうちのある母娘の近親者が岡山市に住んでいることがわかり、インタビューをとってこいというのです。
事情は複雑でした。近親者の女性は、助かった母娘の娘さんからみるとおばあちゃん、しかし、お母さんから見ると義母にあたりました。実は、彼女からすればお嫁さんとお孫さんが助かったものの、実の息子を、この事故で亡くしていたのです。
カメラマンを伴っていきなり訪ねることをせず、まずは単身で訪ねることにしました。温厚なおばあさんで、事故の渦中にもかかわらず、新人記者の僕に丁寧に接し、自分の置かれた事情を話してくれました。しかし、彼女の胸中を思うと、カメラの前でマイクに答えてくれと言えず、とうとうインタビューは果たせずに終わりました。
デスクに怒られたかどうかは覚えていません。おそらく、デスクも事情を飲み込んで許してくれたのだと思います。事件事故の報道では、マスコミが被害者に向けるぶしつけで心ない取材が批判されることがあります。取材する側も人間ですから、もちろん心に痛みを感じていないわけではありません。しかし、仕事をやり遂げなければならないという思いと、他社との競争意識で、時に過剰な取材ラッシュになってしまいます。
相手の人権を尊重しつつも、真実に迫る努力は我々の使命でもあります。
その許容される線とはどこなのか。あの時のつらい経験以来、何度か似通った現場に立ち会いましたが、自分の中でも明確な答えは見つかっていません。
マスコミ全体が真摯に向き合わなければならない、古くて新しい課題だと思います。
投稿者:大越健介 | 投稿時間:10:15