プロフィール~一番印象に残っている取材~
2011年01月01日 (土)1989年東京・政治部に異動しました1996年、中堅どころとしてもっとも脂がのりきっていた35歳の頃、ちょっと大げさですが、「総理が生まれる瞬間」に立ち会えたことがあります。
自民・社民・さきがけの連立政権時代、総理大臣だった社民党の村山富市さんが政権運営に行き詰まりました。ある晩遅く、周囲に辞意を漏らしたという情報をキャッチし、翌日の午前、ポスト村山ならこの人と言われていた、当時の自民党総裁、通産大臣だった橋本龍太郎さん(当時59歳)のもとに駆けつけました。
その情報が本当なら、当然知りうる立場にあると思ったからです。秘書官に無理を言って通産大臣室で橋本さんと"サシ"で向き合った僕は、村山氏辞意の情報をつかんでいることを伝え、
「次はあなただ。総理の座から、まさか逃げることはないでしょうね」と
やや生意気な言葉で迫りました。橋本さんはしばし僕の目を見つめた後、握手の手を差し出し、
「当たり前じゃないか」と
破顔一笑しました。実は、僕が橋本さんと向き合った1時間後には、総理官邸で党首会談が開かれ、村山総理が正式に辞意表明を行う段取りが、このときすでに組まれていたのです。
橋本さんから情報の裏をとった僕はキャップに一報、まもなく、"村山首相辞意固める。後任は橋本氏に"というニュース速報を流すことができました。
僕は橋本さんという人が大好きでした。気むずかしく、キザなイメージだけが先行していましたが、心は繊細で、涙もろい人情家でした。政治家と記者という立場を超えてずいぶんかわいがってもらいました。重要な局面で確認取材ができたのも、そうした信頼関係があったからだと思っています。本来、こうした取材のやりとりは秘密のままにしておきます。しかし、ご本人がすでに鬼籍に入られ、奥様の久美子さんにも了解を得られたため、このエピソードを明かすことにしました。
いずれも故人ではありますが、自民党旧小渕派の担当が長かったこともあって、橋本さんだけでなく、小渕恵三元総理、梶山静六元官房長官など、魅力ある政治家を追い続けることができました。
政治というと、ダーティーな印象がつきまとい、実際、きれいごとばかりでは済まない世界ではあります。しかし、清濁両面でバイタリティーがあり、人たらしの魅力があり、かつ、心の底ではこの国をよくしたいと真剣に願っている多くの政治家たちと、取材を通して出会えたことは、僕の一生の財産だと思っています。
投稿者:大越健介 | 投稿時間:09:11