じーじの仕事
2015年03月25日 (水)
実は、去年の12月に「じーじ」になりました。
「おじいちゃん」でも「じいさん」でも「ジジィ」でも、はたまた「グランパ」でもない。孫ができた自分はなんとなく「じーじ」という呼び名がしっくりくるので、ここではそうさせていただきます。はい。
何ごとにもせっかちというか、生き急いでいるとでも申しましょうか。
長男が生まれたのはぼくが25歳の時でした。その長男もわりと早くに結婚し、おかげさまで女の子に恵まれました。その結果、ぼくは53歳で「じーじ」となったのです。
ところがこの「じーじ」は、ろくに孫の顔も見ずにあちこち飛び回っていてばかり。特にこの年末からは、ほとんど休みなしで取材とリポートに走り続ける毎日でした。
長男一家の住まいは、ぼくの家から比較的近いところにあるにもかかわらず、孫と対面したのは、合わせてもほんの数時間に過ぎません。お正月も出張。お宮参りもひなまつりも付き合ってあげられませんでした。なんとまあ薄情な「じーじ」でしょう。ごめんね。
5年前にニュースウオッチ9のキャスターになってから、ぼくはだんだんとこの仕事にハマっていきました。各地に出かけ、さまざまな人たちと会い、五感を働かせる仕事。そうしてニュースの核心に迫り、自らの言葉で語るこの仕事に。
自分の任期切れが近いことを知ればなおのこと、仕事が愛おしくてたまらず、つい「じーじ」の仕事を(さらに言えば「夫」の仕事も)放棄するようなことになってしまったのです。
身体はしんどくても、こころは幸せでした。
人間の営みは複雑です。簡単な取材などありません。その都度、自分の取材力の至らなさを思い知らされます。でも、取材対象になんとか刺さり、核心の一部を切り取ろうとする仕事は、ぼくにとっては尊く、やりがいに満ちたものでした。
NHKの報道は、週刊誌などによればずいぶんと窮屈なように言われていますが、実はとても自由度が高く、多種多様なチャレンジができる場です。
ぼくはニュースの前後に、できるだけコメントを発するようにしていました。視聴者のみなさんとともにその意味を共有し、問題を提起するためです。
「公共放送にはこの程度までしか言えない」のではなく、「公共放送だからこそ言うべきことがある」という気構えで言葉を紡いできたつもりです。そして今、そのことに悔いはありません。
これまで叱咤激励をいただいた視聴者のみなさまには、心から感謝しています。連日お便りをいただくのですが、お返事を差し上げるのがなかなか追いつかないことをお許し下さい。そして本当に、ありがとうございました。
全力でラストスパートをかけるぼくを、家族はとても優しく見守ってくれました。
古くなったわが家の浴室は、タイルがあちこちで剥げてしまい、修繕が必要です。「こういうのはオレの仕事。ちゃんとやるから」と言いながらほったらかしのぼくを、妻は責めるでもなく、見ないふりをして気長に待ってくれています。
初孫なのに顔すら見に来ない「じーじ」ですが、そんなぼくを、父親である長男は「最後の番組を終えたら、家族みんなで慰労会をするぞ」と、弟たちに声をかけてくれています。これからの自分はよき家庭人であらねば、と思うきょうこの頃です。
でも、この「じーじ」はちょっとあきらめが悪いのです。
だって・・・。
「じーじ」になってまだ3か月あまり。孫娘はまだぼくをちゃんと認識できていないはずです。彼女がもう少し成長したときに、「じーじって、若いね。かっこいいね」と思ってもらえる存在でありたい。そしていずれ、画面に復活したぼくに「じーじ!」と呼びかけてくれる日が来るとすれば、どんなに嬉しいことか。
ちょっと欲張りかもしれませんね。でも、そんなことを夢見ながら、ぼくはまだまだ青臭く、NHK報道に携わっていきたいと考えています。
それがぼくなりの「じーじの仕事」なのです。(終わり)
4年余りにわたって、毎週水曜日に掲載してきた大越健介キャスターのコラム「現代(いま)をみる」は、今回をもって終了します。長い間、ご愛読ありがとうございました。
投稿者:大越健介 | 投稿時間:15:34