長田屋敷跡と「はりつけの松」(愛知県美浜町野間)。
|
名鉄野間駅から源義朝の墓のある野間大坊まで歩いて15分くらいですが、その途中に落ち延びてきた義朝を殺害した長田忠致(ただむね)の屋敷跡がありました。
左方に見えるのが名鉄野間駅です。右方には「野間大坊」の標識がありますね。
このような道を「野間大坊」に向かって歩いて行きます。
少し進むと道路の右側の梅林に、「長田屋敷跡」という標識がありました。
これは長田忠致が住んでいた屋敷のあった場所に相違ありません。源義朝はまずはこの屋敷に入ったに違いありません。その後しばらくしてから、油断したところを湯殿で殺害されたようです。
この長田屋敷跡を道路ではさんだ反対側に別の標識が立っていました。
何だろうと見てみると、「はりつけの松」と書いてあります。
「はりつけの松」とはいったい何なのだろう?とにかくこんもりした丘の上にあるようです。
胸騒ぎを感じながら行ってみました。
するとそれらしき松が見えてきました。
裏に回って、石碑を見て納得しました。
長田忠致と景致親子がこの松にはりつけにされたものでした。
説明版がありました。
天下統一を果たした源頼朝は上洛途上に野間に立ち寄り、長田忠致・景致親子を捕らえてこの松にはりつけにしたものでした。
源頼朝にすれば、平家討伐に功があれば論功行賞を与えると言っておきながら、最初からこの親子を助ける気はなかったのですね。父の義朝を殺されているのだからその気持ちは理解できます。
「はりつけの松」は、長田屋敷跡のすぐ近くにあります。
写真は「はりつけの松」から長田屋敷跡の標識(右方)を撮ったものです。分かるでしょうか?すなわち長田屋敷のほぼ目の前に「はりつけの松」はあるということです。
この位置関係見ていたら、長田屋敷から頼朝の手勢に長田忠致・景致親子が引っ張り出され、屋敷の前の丘の上で松の木にはりつけにされる光景が脳裏に浮かびました。
さらにこの「はりつけの松」ですが、源義朝の墓からも見える位置にあることが分かりました。
野間大坊の義朝の墓の方から「はりつけの松」を撮ってみました。「はりつけの松」が分かるでしょうか?
頼朝とすると、仇を取ったところを父義朝に見てもらったというところでしょうか。
野間の地、良く言えばかなりドラマチックなところでしたね。 |
この記事に
「名古屋近郊の旅」書庫の記事一覧
-
2014/4/7(月) 午後 10:23
-
2014/4/6(日) 午前 2:29
-
2014/4/5(土) 午後 5:20
-
2012/11/24(土) 午後 8:32
-
2011/7/3(日) 午後 1:52