吉田拓郎のイベント観覧記録を紹介します。
●篠島で燃え尽きた日 学生時代に友人二人と吉田拓郎アイランドコンサート前日に愛知県の篠島に乗り込んだ。前日から来てる人は何千人もいて、防波堤の堅いコンクリートの上で雑魚寝させられることになった。島民にとっては、集まった拓郎ファンの群れは、通行のさまたげになるらしく、ファンを仕切ってる主催者側と島民がもめていた。ファンたちは、それぞれに集まって拓郎の歌を歌いながら宴会をしていた。そんな状態だったので朝まで眠れなかった。翌日は炎天下。その島は木もあまりないので、日陰で隠れる場所がほとんどない。コンサートは、その日の夜7時から始まるのだが、コンサートの場所取り後、夕方までの時間は、うだる暑さが続いた。夕闇せまる6時ぐらいから観客がざわつきはじめた。既にファンは総立ちだ。一緒に来た友人の一人は、その島で偶然知り合いに出会い、出かけたまま帰って来なかった。夜7時に「ローリング30」のイントロと共に拓郎登場!「ああ青春」をファンと共に大合唱が始まった。 1曲目終わったあとに「朝までやるぜ!」の拓郎の掛け声で熱気は増す。バックは松任谷正隆をメインとした松任谷グループ。6曲目の「されど私の人生」のあと拓郎は「もうステージで死ねと言われるんなら、ステージで死ぬまで歌う」と宣言!ファンも絶叫してた。10曲歌い終わると30分の休憩が入った。弁当を買いに行った。ついさっきまで300円で売ってた弁当が500円に値上がりしてた。300円は安いと思ってたが、売ってる島民もあまりにも売れるんで、思わずつり上げたのだろう。何しろ2万人もいて、そこでしか食べる物を売ってないのだから、たとえ1000円でも買っただろう。「春だったね」で始まった第2部のバックは瀬尾一三率いるグループ。ここでは23曲熱唱「たえこMy Love」のイントロで失敗して歌い直すというハプニングもあった。第3部は弾き語り、正式にレコード化されていない幻のデビュー曲?「準ちゃん」も1番だけ歌った。10曲目の「落陽」あとの休憩時間の頃は既に深夜、再びお腹がすいてきた。たこやきを買いに行った。1パック店のおばちゃんに頼むと「材木何本?」って言われた。すぐ材木が楊枝のことだと分かったので「2本」と答えた。こういう時は、何を食べても美味しい!その頃、ゲストのステージが始まった。 長渕剛が登場した。「今日はみんなと同じように俺も拓郎の大ファンで・・・」とうもかなりあがってるようだ。3曲ぐらい歌ったあたりで、二人ばかり「帰れ!」とか「ひっこめ!」とか言うと、「お前、引っ込めなんて言うな!」と長渕もキレぎみ、それでも最後の「巡恋歌」まで歌いきった。長渕の自伝には、2万人を敵にしたと書いてあるようだが、確か2人しか言ってないと思う。2人目のゲスト・小室等が登場した。3曲目の「比叡おろし」は、拓郎も参加してた新六文銭の歌だ。8曲目の「雨が空から降れば」では拓郎も登場してデュエットした。昔から腐れ縁の二人である。 深夜2時過ぎに始まったラストステージでは、再度登場の松任谷グループをバックに「知識」「イメージの詩」と続く。日が射し始めた頃に何故か「落陽」?そして最後の曲の「人間なんて」が始まったがこの曲が長く永遠に続く・・・直射日光が降り注いでいた。あまりの眩しさに目を開けた。太陽は真上にあった。「人間なんて」は、1曲で30分以上続く長い歌だ。後半は全く覚えていない。どうやら、「人間なんて」の途中でぶっ倒れて寝てしまったらしい。なにしろ2日寝てないのだ・・・ぶっ倒れるわけだ。一緒に来た友人も目を覚ましたが、もう一人は相変わらず行方不明だ。まあ、子供じゃないんだし、なんとか帰るだろう。二人で島を後にした。頭の中は、「人間なんて」のメロディーがリフレインしていた。 |