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震災から4年 タラノメ栽培奮闘記|荒川静香のステイ・ポジティブ「かがやいている、元気な農家」vol.4

 皆さんは、どんな瞬間に春の訪れを感じられますか? 桜の開花、入学式の光景、春一番の到来。最近は花粉症の始まりと答える方々も多いかもしれません。私は、ついこの間、スーパーの棚にタラノメが並んでいるのを見たとき、春が近いことを実感しました。子どもの頃、家の近所の山に自生していたタラノキが先端に新芽をつけているのを見かけたことがあります。現在スーパーに出回っているものの多くは、そうした天然物ではなく、農家の方々が水耕栽培で育てたタラノメであることを今回の取材で知りました。

 福島県双葉郡川内(かわうち)村は、東京電力の福島第一原子力発電所の半径20~30キロ圏内にあり、2011年3月11日に起きた東日本大震災の直後に全村避難した地域。現在、村内の空間放射線量は毎時1マイクロシーベルト以下、年被ばく量で1~5ミリシーベルトの地域がほとんどです。


[上]タラノメの穂木となるタラノキ。毎年、11月中旬~12月初旬にかけて伐採する。
[下]山菜の王者といわれるタラノメの天ぷら。「春の訪れを濃厚に感じさせる食材。私も大好きです」(荒川さん)
 その年の9月に避難準備区域が解除されたものの、約3000人の住民のうち、震災から4年目の今、村に戻ったのは、周辺地域から通う人々も含めて半分ほど。そんな中、いち早くタラノメ栽培の再開に取り組んできたのが、坪井利一さん(77)・紘子さん(74)のご夫妻なのです。

 坪井さんがタラノメ栽培を始めたのは今から約20年前。かつて村の主産業だった葉たばこ栽培と養蚕に陰りが見えたのがきっかけでした。「最初の数年は自己流で苗床をおがくずで作っていたが、うまくいかず、先進地の会津に行って水耕栽培を学び、その手法を取り入れました」と坪井さんは話します。

 タラノメ栽培は、タラノキの穂木(ほだき)を畑で育て、それを冬の間に刈り取ります。その穂木を節ごとにカッターで切断し、それを箱に並べて温かいハウス内に置き、水に浸けて芽が出るように促します。天然のタラノメは、1本のタラノキから1個しか採取できませんが、この栽培方法を行えば、その約20倍のタラノメを育てることができるのです。

 震災直後、親戚の家に身を寄せ、その後は郡山の仮設住宅に入居した坪井さんご夫妻。それでも避難から半年後にはハウスの状態が気になり、週に1度は自宅に戻り、栽培の再開を模索しました。とはいえ、「栽培できなかった半年の間に、穂木がすっかり害虫にやられていた。無事だったのは1割くらい。最終的には、妻の“土の上で生まれた人間は土の上を歩いていくしかない”という一言が営農再開の決め手となりました」と利一さんは当時を振り返ります。


タラノメの収穫の全盛期は3月~4月。青々と育った新芽を手にする坪井利一さん、紘子さん、荒川静香さん(右から)。

 JAふたば川内支店のタラノメ生産組合長でもある坪井さんは、「震災前の7戸のうち、4戸が再びタラノメ栽培に取り組んでいますが、後継者がいません。タラノメ栽培に興味のある人なら誰でも大歓迎。ぜひお越しください」と明るく笑います。

 そんな坪井さんの悩みの種は、帰村の歩みが遅々として進まないこと。とりわけ、若い世代の人々が戻ってこないことに、「このままでは村が消滅してしまう」と危機感を募らせています。確かに、村を出て避難先で新たな生活基盤が築かれてしまうと、除染活動が進み、農業が再開される準備が整っても、簡単に戻ってこられないという事情もあるでしょう。これは震災の被災地だけの問題ではなく、高齢化が進む日本の農村全体に共通する悩みかもしれません。しかし、原発事故からの避難が引き金になっているここ福島県の場合、とりわけ、事態は深刻です。

 阿武隈山系に囲まれ、豊かな自然に恵まれた川内村が、本来の暮らしを取り戻すことを私も願ってやみません。このレポートをお読みいただいた方々も一緒になり、よい解決案を考えていただければ幸いです。

2015年3月
荒川静香



JAふたば川内支店。日常生活・営農支援など、地域住民の支えとなって日々、奮闘中。

 福島県双葉郡の6町2村は、東日本大震災において過酷な試練を強いられた地域の一つだろう。震災直後に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、大半が警戒区域や計画的避難区域に指定され、今も多くの人々が自宅に帰還できずに避難生活を送っている。そのエリアを管内とするJAふたば代表理事専務の木幡治さんが、こう話す。

「震災から約1か月後に職員を招集し、立て直しを図りました。職員も各地に散り散りになっていたので、福島市、郡山市、会津若松市、いわき市の4か所にサポートセンターを置き、約1万2000人の組合員の所在確認と生活支援活動が行われました。営農再開に向けた活動は翌12年から。避難準備区域から解除された広野町、川内村を中心に、除染等放射能抑制低減対策にも取り組みながら、慎重に進めています」


[左]JAふたば川内支店タラノメ生産組合の皆さん。[中央]川内村のベルトコンベア式の放射性物質検査器は、JAふたば川内支店管内の倉庫に設置されている。[右]JAふたばの木幡治・代表理事専務。

 福島県産米は、放射性物質のスクリーニング検査が全量全袋において実施されており、広野町及び川内村で各1台(計2台)の検査器を配置。昨年度の場合、広野町・川内村を併せて、254戸315ヘクタール、2万590俵の米が出荷されている。また野菜やそば、タラノメ、生シイタケ、麦などの作付も行われており、畜産もわずかながら、復活を遂げている。

 今後、JAふたば管内の各町村では、順次、避難準備区域などからの解除が実現してゆく予定だ。JAふたば営農経済部の吉田一重次長は言う。「花卉(かき)では、浪江町で栽培したトルコキキョウを昨年7月、東京市場に出荷し、好評を得ました。有望な作物としては、ほかに食品添加物となるムラサキイモも候補に挙がっています」

 震災から丸4年――。ここ福島県“浜通り”でも、営農再開に向けて、必死の努力が続けられている。






2015年03月27日
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