私小説 施設警備員時代 47
僕を故郷に連れて帰る成果をもって、僕との関係を決着させようと考える折茂。しかし、当然のことながら、僕は折茂の望む返事はしなかった。
伊勢佐木屋警備隊が撤退する日は確実に近づいていく。焦る折茂がとった手段は、「嫉妬の感情を利用する」ということであった。具体的には、僕と同じく、己と近しい立場の若者の世話を焼いたり、優しく声をかけた後、「お前、あのとき嫉妬してただろ?」と聞いてくるということを、何度も、何度もやってきたのだ。あくまで、「僕は本当は折茂に好意を持っているのに、恥ずかしがって素直になれないだけ」との前提で話を進めようとする折茂は、僕に嫉妬をさせて焦らせば、「折茂さんが好き、憧れている」という本音(折茂が思い込んでいるだけであり、そんな本音は一切ない)が引き出せると考えていたのである。
この時期、バックれた立義の後釜として、伊勢佐木屋警備隊に赤田という新人が入ってきた。二十二歳、僕より一個年上の大学生で、就職活動も終わって卒業に必要な単位もすべて取り終え、余った時間にアルバイトをしようと入ってきたのである。赤田は日勤隊、折茂や僕は夜勤隊と働く時間帯も違うが、折茂はこの赤田に積極的に声をかけ、僕に「嫉妬させるため」の努力をし始めたのである。
「博行。お前はさっき、俺が赤田と話しているのを、凄い怖い目で見ていたな」
自分の目つきが人からどう見られているかなどは自分ではわからないが、少なくとも嫉妬をしていた事実などは、一切ない。全部折茂の妄想である。
「博行。俺が赤田と話しているからといって、不満そうな顔をするな」
自分の顔つきが人からどう見られているかなどは自分ではわからないが、少なくとも不満を感じた事実などは、一切ない。もし不満気に見えていたとするなら、それは、「どうせまた、後で嫉妬がどうのって話が始まるんだろうな」とうんざりしていたのが、顔に表れていただけの話だ。実際、折茂は僕がいくら嫉妬していないと主張しても聞かず、二十回でも三十回でも、僕に意地でもうんと言わそうと、何度も嫉妬云々の話をしてきたのである。
折茂の執念は凄まじかった。僕が嫉妬していたことにする、ただそれだけのために、自分の女友達まで巻き込んだのである。
「この前、赤田と俺の女友達を合わせましたよ。あいつになら、女友達を安心して任せられますからね」
塩村にそんな話しをしながら、僕の方を、チラッチラッと見てくる。そして、塩村がいなくなった後、「嫉妬したか?」と来るのである。
「いや・・・別に嫉妬はしてないですが・・・幸せになればいいんじゃないですか」
当時、女には飢えていたが、本当に嫉妬などはしなかった。自惚れ屋で、リア充を気取る折茂の女友達などは、自信家で自己主張が強く、容姿や収入などで平気で男を見下すような女に違いなく、そんな女などは、顔面をグチャグチャに潰して泣かせてやりたいとは思うが、付き合いたいとは思わない。それに、その女を通じて折茂との関係も継続してしまうことになっても困る。
「そうか。それはそうだよな。何しろお前は、俺が好きなんだもんな」
自分の都合のいい解釈をする・・・というより、逃げ道を見つけることにおいて、折茂は天才的であった。
折茂が言うように、僕が嫉妬深い男であることは、間違いではない。しかしその嫉妬心は、自分が特別に欲してやまない成功を収めた人間をみたときや、特別に好きな女を取られたときのみでしか発動しない。
たとえば、僕は小説で成功したいと思っているので小説で成功した人をみたときは嫉妬するが、まったく畑違いの分野で成功した人を見ても、とくに心は動かされないし、共感できるところがあれば素直に尊敬できる。友人が誰と付き合っていてもどうでもいいし、街中でカップルを見かけたとしても何とも思わない。ましてや、自分が快く思っていない折茂が誰の世話を焼いたところで嫉妬などするはずがないし、むしろ「どうぞそっちに行ってくれ」という話である。
折茂が、僕を「嫉妬していたことにする」ために利用していたのは、赤田だけではなかった。どこで知り合ったのかしらないが、僕と同じ二十一歳の大学生で、アメフト部か何かに入っているという若者である。その若者が、折茂に憧れて、よく電話相談などをしているというのである。ちなみに、僕はその若者に会ったことはない。写真も見たことはない。だから、折茂が作り出した、架空の人物という可能性もある。
「おう、電話してきたか。今?今仕事中だが、電話ぐらいは出られるぞ」
ある日の勤務で折茂の携帯が鳴り、そのなんとか君との会話が始まった。実に都合よく、まるで見計らったかのように――アラームでもセットしていたかのように――仕事の手が空いて暇なときに、電話がかかってきたのである。
「またその悩みについてか。うん。それは自分次第だよ。うん」
やり取りについては、それなりに自然であるようには聞こえる。まあ、折茂が握っている携帯の画面に、ちゃんと人の名前と通話時間が映し出されていようと、ただのオプション画面が表示されているのであろうと、僕には関係ない。中学三年生のとき、一緒に野球観戦を約束していた友達が急用で来られなくなり一人で球場に足を運んだとき、当時、なぜか一人で野球を観ることが恥ずかしいことだと思っていた僕も、自分の席の周りにいる人に対して、わざわざ友人の急用を伝えるための「偽電話」をやった経験はあるから、たとえ折茂が架空の人間と喋っていたのだとしても、折茂をバカにはできない。
閉口したのは、そのあとのことである。折茂が突然、僕の手を引き、トイレに連行して抱き付いてきたのである。
「ちょ・・・な、なんですか突然」
「博行。嫉妬をするな。俺はお前が一番だからな」
「いや・・・ちょ、やめ・・・」
「博行、ガードをするな。俺に抱かれるのが嫌なのか」
「いや・・・あの・・・やはり男同士でこういうことをするのは、おかしいですよ・・・」
「どうしてそんなことを言うんだ。昔のお前は、俺に抱かれて喜んでいたじゃないか」
「いや・・・あれは、心が弱っていたときだったから・・・」
それでバカの一つ覚えみたいに何度も抱き付かれては困る、というのが、僕の心の中の声である。
男同士で抱き合うなどは、特別に感極まったときでなければ、人からどういう目でみられるかは、本人だってわかっているはず。だからわざわざ、絶対に人に見られないよう、トイレにまで連行して抱き付いているのではないのか。
自分でも恥ずかしいとわかっていることをやってまで、僕を信者にしようとする折茂。その執念だけは、確かに凄まじいものがあった。
伊勢佐木屋警備隊が撤退する日は確実に近づいていく。焦る折茂がとった手段は、「嫉妬の感情を利用する」ということであった。具体的には、僕と同じく、己と近しい立場の若者の世話を焼いたり、優しく声をかけた後、「お前、あのとき嫉妬してただろ?」と聞いてくるということを、何度も、何度もやってきたのだ。あくまで、「僕は本当は折茂に好意を持っているのに、恥ずかしがって素直になれないだけ」との前提で話を進めようとする折茂は、僕に嫉妬をさせて焦らせば、「折茂さんが好き、憧れている」という本音(折茂が思い込んでいるだけであり、そんな本音は一切ない)が引き出せると考えていたのである。
この時期、バックれた立義の後釜として、伊勢佐木屋警備隊に赤田という新人が入ってきた。二十二歳、僕より一個年上の大学生で、就職活動も終わって卒業に必要な単位もすべて取り終え、余った時間にアルバイトをしようと入ってきたのである。赤田は日勤隊、折茂や僕は夜勤隊と働く時間帯も違うが、折茂はこの赤田に積極的に声をかけ、僕に「嫉妬させるため」の努力をし始めたのである。
「博行。お前はさっき、俺が赤田と話しているのを、凄い怖い目で見ていたな」
自分の目つきが人からどう見られているかなどは自分ではわからないが、少なくとも嫉妬をしていた事実などは、一切ない。全部折茂の妄想である。
「博行。俺が赤田と話しているからといって、不満そうな顔をするな」
自分の顔つきが人からどう見られているかなどは自分ではわからないが、少なくとも不満を感じた事実などは、一切ない。もし不満気に見えていたとするなら、それは、「どうせまた、後で嫉妬がどうのって話が始まるんだろうな」とうんざりしていたのが、顔に表れていただけの話だ。実際、折茂は僕がいくら嫉妬していないと主張しても聞かず、二十回でも三十回でも、僕に意地でもうんと言わそうと、何度も嫉妬云々の話をしてきたのである。
折茂の執念は凄まじかった。僕が嫉妬していたことにする、ただそれだけのために、自分の女友達まで巻き込んだのである。
「この前、赤田と俺の女友達を合わせましたよ。あいつになら、女友達を安心して任せられますからね」
塩村にそんな話しをしながら、僕の方を、チラッチラッと見てくる。そして、塩村がいなくなった後、「嫉妬したか?」と来るのである。
「いや・・・別に嫉妬はしてないですが・・・幸せになればいいんじゃないですか」
当時、女には飢えていたが、本当に嫉妬などはしなかった。自惚れ屋で、リア充を気取る折茂の女友達などは、自信家で自己主張が強く、容姿や収入などで平気で男を見下すような女に違いなく、そんな女などは、顔面をグチャグチャに潰して泣かせてやりたいとは思うが、付き合いたいとは思わない。それに、その女を通じて折茂との関係も継続してしまうことになっても困る。
「そうか。それはそうだよな。何しろお前は、俺が好きなんだもんな」
自分の都合のいい解釈をする・・・というより、逃げ道を見つけることにおいて、折茂は天才的であった。
折茂が言うように、僕が嫉妬深い男であることは、間違いではない。しかしその嫉妬心は、自分が特別に欲してやまない成功を収めた人間をみたときや、特別に好きな女を取られたときのみでしか発動しない。
たとえば、僕は小説で成功したいと思っているので小説で成功した人をみたときは嫉妬するが、まったく畑違いの分野で成功した人を見ても、とくに心は動かされないし、共感できるところがあれば素直に尊敬できる。友人が誰と付き合っていてもどうでもいいし、街中でカップルを見かけたとしても何とも思わない。ましてや、自分が快く思っていない折茂が誰の世話を焼いたところで嫉妬などするはずがないし、むしろ「どうぞそっちに行ってくれ」という話である。
折茂が、僕を「嫉妬していたことにする」ために利用していたのは、赤田だけではなかった。どこで知り合ったのかしらないが、僕と同じ二十一歳の大学生で、アメフト部か何かに入っているという若者である。その若者が、折茂に憧れて、よく電話相談などをしているというのである。ちなみに、僕はその若者に会ったことはない。写真も見たことはない。だから、折茂が作り出した、架空の人物という可能性もある。
「おう、電話してきたか。今?今仕事中だが、電話ぐらいは出られるぞ」
ある日の勤務で折茂の携帯が鳴り、そのなんとか君との会話が始まった。実に都合よく、まるで見計らったかのように――アラームでもセットしていたかのように――仕事の手が空いて暇なときに、電話がかかってきたのである。
「またその悩みについてか。うん。それは自分次第だよ。うん」
やり取りについては、それなりに自然であるようには聞こえる。まあ、折茂が握っている携帯の画面に、ちゃんと人の名前と通話時間が映し出されていようと、ただのオプション画面が表示されているのであろうと、僕には関係ない。中学三年生のとき、一緒に野球観戦を約束していた友達が急用で来られなくなり一人で球場に足を運んだとき、当時、なぜか一人で野球を観ることが恥ずかしいことだと思っていた僕も、自分の席の周りにいる人に対して、わざわざ友人の急用を伝えるための「偽電話」をやった経験はあるから、たとえ折茂が架空の人間と喋っていたのだとしても、折茂をバカにはできない。
閉口したのは、そのあとのことである。折茂が突然、僕の手を引き、トイレに連行して抱き付いてきたのである。
「ちょ・・・な、なんですか突然」
「博行。嫉妬をするな。俺はお前が一番だからな」
「いや・・・ちょ、やめ・・・」
「博行、ガードをするな。俺に抱かれるのが嫌なのか」
「いや・・・あの・・・やはり男同士でこういうことをするのは、おかしいですよ・・・」
「どうしてそんなことを言うんだ。昔のお前は、俺に抱かれて喜んでいたじゃないか」
「いや・・・あれは、心が弱っていたときだったから・・・」
それでバカの一つ覚えみたいに何度も抱き付かれては困る、というのが、僕の心の中の声である。
男同士で抱き合うなどは、特別に感極まったときでなければ、人からどういう目でみられるかは、本人だってわかっているはず。だからわざわざ、絶対に人に見られないよう、トイレにまで連行して抱き付いているのではないのか。
自分でも恥ずかしいとわかっていることをやってまで、僕を信者にしようとする折茂。その執念だけは、確かに凄まじいものがあった。