「兄事」という言葉を知る日本人がいま、どれほど存在するだろうか。ヤフーの辞書で検索すると「兄に対するように、敬意と親愛の気持ちをもって仕えること」とあった。「兄事」の「事」は、「事大」の「事」と同じ用法、「つかえる」ことだ。
親しい人間の間に「兄事」があってもよい。しかし、国と国との間となると、いかがか。私のような進歩的な人間は「兄事すべき国」などという発言を聞くと、気持ち悪くなるだけなのだが…。
朝日新聞の木村伊量前社長は在職当時の2014年10月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに「朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と語ったという(韓国・中央日報、14年10月20日)。まさに「兄事すべき国=韓国」を語っているのだ。
それに呼応するかのように、韓国の鄭●(=火へんに共)原(チョン・ホンウォン)首相は吹いた。
「法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている」(韓国・国民日報、15年1月10日)
念のため、鄭氏は今年2月に首相を辞任したが、この発言があったときは現職の首相だった。
この発言が「日本に先んじていた」と過去形であったなら、それなりに理解の仕方もある。「あぁ、彼の国では、現職の首相まで《大韓ナチズム》のファンタジー古代史観の虜(とりこ)になっているのだ」と。しかし、この首相発言は現在形なのだ。