書詠フミの消失
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あなたは書詠フミをご存知だろうか。
質問しておいてこう言うのも何だが、いまや、日本中に拡散された彼女のことを知らない者は、ほとんどいないだろう。特に十代から三十代なら、文学およびオタク系サブカルチャーに無縁の人間でも、名前を聞いただけで、キャラクターデザインを一瞬で思い浮かべることができるだろう。もちろん、四十代以上でも、名前くらいは聞いたことがあるという人が多いはずだ。
とは言え、書詠フミのことを真に語ろうとするなら、何とカテゴライズすればよいものか。
小説家、いや、ソフトフェア、それとも発明、中には神と呼ぶ者すらも。
しかし私はこう思う。書詠フミは何よりもまず、「少女」であると。書詠フミという小説家、書詠フミというソフトウェア、書詠フミというアイコン。そんな肩書の前に、「書詠フミという少女」として認識すべきである、と。
その少女は人間ではない。書詠フミは、日本のとあるソフトウェア会社が開発した、「ノベロイド(noveloid)」と呼ばれる人類史上初の自動物語生成ソフトである。パソコンにインストールし、任意のキーワードや登場人物名、設定、全体の文字数などを設定すれば、自動的に物語小説を紡ぎ出してくれるという夢の機械だ。
誰でも小説家になれる――。そんなふれこみで販売されたノベロイド・書詠フミ。当初は、コンピューターが人間の感情の動きを理解し、正しい日本語で物語を作ることなど、到底できはしないと揶揄されたが、そんな批判が見当違いであったことは、その後の日本の出版業界を見てもらえばご理解いただけるだろう。
キーワード、登場人物名、文体の特徴や癖、世界観設定、物語内時代設定、ルビの振り方、文字制限、オノマトペ、人称変化、地文と台詞のパーセンテージ、詳細なキャラクターの設定、情景描写の設定、外来語の使用範囲……、書詠フミに入力できる任意の物語生成パラメーターは非常に多岐に渡り、細かく入力を行えば行うほど、魅力的な物語が出来上がるようになっている。また、出来上がった物語をデータベースとして読み込み、続編を生成したり、二次創作したりすることも可能だ。
ノベロイド・書詠フミを使用する人間自体は、物語を書くことはない。彼らは根気強く書詠フミに物語の設定を入力するだけだ。設定が終了し「ファイルの書き出し」を選択すれば、ntsqファイルとして自動生成された文章が保存される。そして、それらは例外なく、「小説」と呼ぶに足る完成度を持った日本語の文章である。解読不明な単語の羅列になることは有り得ない。ntsqファイルは、textファイルやwordファイル、pdfファイルその他に変換可能だが、textファイルやwordファイルで発表されたものは、「本当に書詠フミを使って書かれた小説なのか」という疑いの目が向けられるため、ntsqファイルのままでの公開が一般的となっている。ntsqファイルで公開されたものが、転載、電子書籍化・紙書籍化の際に、制作者の了承を得て他形式に変換されるわけだ。もちろん、ntsqファイルに制作者本人が文章を打ち込むことはできない。制作者が行うのは詳細な設定の入力だけ。その設定データから演算し、物語を「書く」のは、あくまで書詠フミなのだ。
制作者と言ってきたが、ノベロイド・書詠フミを使用して物語を生成する人は、一般的に「E」と呼ばれている。これはエディター、つまり編集者の頭文字からきている。書詠フミを使った物語生成は、単純なキーワードや設定だけでは、凡百のつまらない小説しか生み出さない。せいぜいが、ライトノベル賞の一次選考通過が関の山といったレベルだ。しかし、設定を詳細に入力し、ntsqファイルで書き出された文章の修正、調整、時には大胆なコラージュなどを行うことで、より面白い物語が生み出される。こうした、もしかすると実際に自分で小説を書いた方が早いのでは? と思うような細かな編集・調整作業は「更生」と呼ばれている。元々は「校正」と「構成」から来ているらしいが、「素のままでは国語力が低く、良質な物語を書けない書詠フミちゃんを更生させて、立派な小説家にしてあげる」といった父性的意味合いを込めて「更生」が定着したと言われている。腕利きEの更生指導により、書詠フミの小説家としての才能は開花するのである。
付け加えておくが、中には素のままの書詠フミの物語を重視し、ntsqファイル書き出し後は一切の編集を行わないというEも少なくない。「更生」を行わずに面白い物語、オリジナリティある物語を書詠フミに書かせるためには、設定時により詳細で極端なパラメーター入力を行う必要があり、そうした作品の多くは得てして不条理小説に近いテイストを持つことが多い。更生指導を意図的に行わないアバンギャルドな作風の物語は、若年層を中心に「DQN系」、もしくは「不良フミ」、あるいは「ビートニクフミ」、「無頼派」などと呼ばれている。
ノベロイド・書詠フミによって自動生成された物語は、総称してノベロイド小説、略してノベロ小説と呼ばれている。書詠フミがリリースされてから十年で、日本の年間ベストセラー小説のうち三分の一が、ノベロ小説となった。単純に出版点数だけに絞れば、九年目には、ノベロ小説がリアル小説(人間の作家が書いた小説を最近ではこう呼ぶことも多い)を上回った。読者を十代に限定すれば、読まれている本の八割がノベロ小説だという。この現状に多くの国語教師、学校司書、大学教授が頭を抱えている。さもありなんと言ったところか。
ノベロイド・書詠フミの特徴は、その画期的な発明そのものだけではなく、擬人化されたアイコンの熱狂的な人気にもある。
自動物語生成ソフトウェアではあるが、そのパッケージは漫画的な少女のイラストが使用されている。おかっぱ頭に昭和風セーラー服、スカートの丈は長め。もちろん、眼鏡着用。大きいが、少々冷ややかな印象を与える釣り目。片手にはもちろん文庫本。公式で持っているのは太宰治の『人間失格』だ。ジョークが過ぎる。
身長一五八センチメートル、体重四二キログラム。スリーサイズも設定されているが、重要な情報ではないため、ここではそれは省略する。ただ、現実で考えればかなりスレンダーながら出るところはそれなりに出ていると考えられる数字、アニメーションなどのキャラクターに分類した場合は、「貧乳キャラ」と一刀両断される数値、とだけ言っておこう。
年齢は十七歳。高校三年生で、国公立系大学の文学部を志望している。好きな作家は太宰治、芥川龍之介、J・D・サリンジャー。もちろんそれ以外に非常に多くの作家も愛読しているが、特に好きなのはその三人だと注釈が付いている。その他にも細かいキャラクター設定がなされているが、それを知りたい方はソフトパッケージ裏面を見ていただきたい。
物語を自動的に生成する夢のソフトウェア。そこに、魅力的なキャラクターデザインと設定が付け加えられたことによって、ソフトウェア・ノベロイドは、小説家・書詠フミとしてインターネットから日本中に拡散していった。特に、「ライトノベル作家になりたい」という夢を持つ中高生には空前のムーヴメントを巻き起こした。
日本最初にして最大のノベロ小説サイト「NaroWsiv」には、何百何千という、書詠フミによる物語がアップロードされ、そこから多くが電子書籍、紙書籍化されベストセラーとなった。
その結果、元々少ない収入で細々と生き残っていた人間の「小説家」という職業は、日本においては一気に絶滅の危機に追い込まれた。
最初にノベロ小説の影響を受けたのがライトノベルである。黎明期から一貫してノベロ小説は、ファンタジーやSFなどを基本としたキャラクター小説が多く、また、書詠フミのキャラクターデザインからも、漫画やアニメーションなどとの親和性が高かった。要するに、多くのノベロ小説はライトノベルそのものだったのである。それも、内容は斬新で面白く、刊行ペースも人間の作家よりも早かった。
ノベロ小説の台頭によって一気に駆逐されるかと思われたライトノベル作家であったが、彼らは、自ら書詠フミの軍門に下ることで、生き残りを計った。そう、ライトノベル作家の多くはノベロEになったのである。ノベロEと、ソフトウェア開発会社、小説掲載サイト、出版社などとの権利問題や印税問題についても、元ライトノベル作家であるノベロEたちの努力により整備された面が大きい。中には、作家時代よりも収入が増えたEもいるようである。ノベロ小説の拡大において、元ライトノベル作家たちの貢献は計り知れないと言えるだろう。
続いてノベロ小説に侵食されたのが時代小説、ミステリ、SF、官能小説(ハーレクイン、BL含む)といった一般文芸内のエンターテイメント小説である。
時代小説作家は、現在ほとんど生き残っていない。史実や資料を設定として入力することができる時代小説は、ノベロと非常に相性が良く、平成期のベストセラー時代小説家・佐伯某が実験的にヒットシリーズ『居眠りお岩』に導入にしてみたところ、作家本人が居眠りしていても、これまで以上のハイペースで生産できるようになったことをきっかけに、時代小説はノベロ一色となった。ちなみに現在、佐伯氏の死後も『居眠りお岩』シリーズは佐伯プロダクションE制作・書詠フミ著という表記で、三七六一巻まで刊行されている。
ミステリも、トリックの設定入力で増産が可能になってしまったため、ほとんどがノベロ小説となってしまった。だが、作家、読者ともに矜持があるらしく、ミステリファンの間では「ノベロミステリを読む奴は邪道」という暗黙の了解がある。そういった熱心なファンに支えられ、一部の大御所を中心に、ミステリ作家は比較的生き残ることができている。
自分たちが職を失う危機感よりも、書詠フミ誕生の興奮が勝った人種が、SF作家たちだ。彼らは国内外問わず長年SF小説で描かれてきた、「機械が人間を凌駕する瞬間」に立ち会えたことに打ち震えた。ノベロ小説やそれに端を発する二次創作動画などが多くアップロードされている「ピアピア動画・静画」内で、とあるSF作家は「甘美な敗北。我々は喜んで女神の持つ鎌で首を落とされよう。(中略)このシンギュラリティに立ち会えた幸運に比すれば、首を落とされる痛みすら悦びに変る!」と述べた後、書詠フミの等身大フィギュアに跪き、爪先に接吻した。そして彼は、昭和期の偉大な歌姫・山口百恵の引退時を思わせる凛とした仕草で、筆を置き、永遠に帰ってくることはなかった。
ハーレクインやBLも含む官能小説は、書詠フミの年齢設定上、表向きはノベロイドによる執筆だと明示されていない。しかし、時代小説やミステリと同様、いくつかのテンプレート設定と、キーワードの組み合わせで無限に増産できてしまうジャンルであるため、実際はほとんどがノベロイドによって書かれているようだ。ライトノベルと同様、Eに転身した作家も多い。
現在も抵抗を続けているのが、純文学のジャンルである。「ノベロイドによって生成された文章は小説ではない」というのが、日本の文壇の総意だということになっている。事実、芥川龍之介賞、直木三十五賞をはじめとした文学賞には、どれだけ売れ、文学性がネット上で評価されようとも、ノベロ小説がノミネートされたことはない。特に政治屋でもあった石原某選考委員のノベロへの異常とも言える中傷発言は、ノベロ小説読者とリアル小説読書とのより深い断絶を招き、結果的には文壇の矮小化を加速させた。
純文学とノベロの断絶問題については、『ふみえり事件』で知ったという人も多いのではないだろうか。
事件は、ノベロイド出現から七年目の前期芥川龍之介賞に、文田絵里子(通称ふみえり)という十七歳の少女が書いた作品『殴りたい腹』が選ばれたことに端を発する。ふみえりの外見は、おかっぱ頭に古臭いセーラー服、さらに好きな作家は太宰治、芥川龍之介、J・D・サリンジャー。受賞会見で「学校では、『ふみ』か、『ふみえり』って呼ばれてます」と答えたこの美少女は、どう見ても書詠フミのコスプレイヤーだった。これを文壇の皮肉と取る者も居れば、迎合、白旗と取る者もおり、またエッヂが効き過ぎて逆に滑ったギャグだと取った者もいた。受賞会見以外でふみえりは、メディアに一切姿を現すことはなく、ふみえりの傀儡説、覆面作家説がまことしやかに囁かれた。当然、作品『殴りたい腹』は、「ノベロで作られた小説なのではないか」という議論を呼んだ。ふみえりはその一作のみで煙のように姿を消した。その一年後、件のノベロ小説サイト「NaroWsiv」にて、ふみえりの『殴りたい腹』と非常に雰囲気の似た『空気うなぎ』という小説がひっそりとアップデートされた。制作者名は「eriy-E」。結局、この一連の騒動の真相は明らかになっていない。
なお、児童文学も純文学と同様、ノベロに対し抵抗を続けている。親は人間が書いた古典の名作児童小説を読ませたがるが、子どもはノベロイドによって書かれた新しい児童小説を読みたがる、という構図が一般的となりつつある。児童小説と自動小説、という皮肉を言ったのは、誰だったか。
一方で、積極的にノベロ小説市場を広げていく動きもあった。中心となったのは、もちろんライトノベル市場である。アスキー・メディア・ワークスは、書詠フミ発売の翌年には、「ノベロ電撃大賞」と「カクヨ文庫」を創設した。「ノベロ電撃大賞」は、その名の通り、日本初のノベロ文学賞。募集規定は未発表のntsqファイルであることのみ。Eの年齢、性別、経歴、プロ・アマは問わない。「カクヨ文庫」は日本初のノベロ文庫レーベルである。レーベル創設の際の文章を引用しよう。
「先人は言った。文庫は世界の書籍の流れの中の“小さな巨人”であると。そして我々は今、その一群の中に鋼鉄の巨人を加えたい。ノベロイド文化による小説は、人間とテクノロジーが手を取り合って紡ぐ、新たな文学の可能性である。進撃せよ!(カクヨ文庫創刊に際して、より引用)」
ノベロイド小説、そして書詠フミは、こうした批判と礼賛のハリケーンの中で、着実に、そして爆発的に拡大していった。
販売開始後、わずか十年の間に、エポックメイキングともいえる文学作品がいくつも産まれた。
ノベロイド機能の「押韻」設定への極端なデータ入力と、倒錯した性愛表現で話題となった作品『ふっみふみにしてやんよ。』は、ヒロインの女子高生に踏まれることだけを生き甲斐とする主人公の姿を描き、ノベロイド小説初のベストセラーとなった。倒錯した性愛表現と、細やかな描写の美しさから、一部からは「二十一世紀の谷崎文学」とも言われた。谷崎潤一郎がヒップホップに傾倒したかのような、執拗に韻を踏み続ける文章の中毒性はいまだ他の追随を許さない。ノベロクラスタで、『ふみふみ』を読んでいないものはいないだろうと言われるほどだ。いまだに、ノベロ小説の門外漢から「あれだろ?ノベロって、SMみたいな話なんだろ?」と言われることがあるのは、同作品の功罪であろう。
続いて、『トケル』。女子高生の溶けてしまいそうな恋心をまっすぐに描いたこの作品は、書詠フミのビジュアルイメージとも相まって、男女問わず多くの人の心を掴んだ。平成期の女流作家、江國某、川上某、綿矢某などを愛読する層からも人気が高い。初めて実写映画化されたノベロ小説でもあり、一般層への認知を押し上げた。一方で、ノベロ信者から実写映画が黒歴史扱いされていることは言うまでもない。
そして近年最大のヒット作として挙げられるが『千本草子』だ。平安期の随筆をノベロにて再現し、高まりつつあった古典ノベロブームを決定的なものとした。レトロを通り越して、それは全く新しい文学と言ってもいいかもしれない。驚くべきは、活字離れが叫ばれていた小中学生など低年齢層に圧倒的に支持されたことだろう。ノベロの裾野をさらに広げた一作だ。
枚挙に暇がないため、作品の紹介はこの辺にしておくが、こうした作品をはじめ、無数の名作、傑作、佳作、快作、怪作、奇作、迷作、駄作が、書詠フミによって執筆された。その数は、少なく見積もっても、すでに十万を超えている。
ノベロイド小説の拡散は、二次創作のあり方も変えた。過去の作家の文体や語彙などのデータベースを書詠フミに入力し、すでにこの世にはいない作家の新作を書くこともできた。中でも昭和期~平成期最大の作家であり、海外にもファンの多い村上某風のノベロイド二次創作小説はインターネット上にあふれ、もはや「村上」という一ジャンルにまでなっている。やれやれ。それは、午前二時に陽気なカモノハシの一団と鉢合わせするようなことなんだ。朝になったら忘れている。僕も、君も。何もかもをね。
長年中断していた長編スペースオペラや伝奇小説、大河ファンタジーは、ノベロイドの手によって、完璧な終幕を迎えた。例えば、夢枕某や田中某の作品の大半は、ノベロイドの登場が無ければ完結しなかっただろう。いわんや、栗本某による某サーガの正統的続編も。
現在では、数少なくなった人間の小説家が新作を発表しても、「ノベロの方が面白い」だの「ノベロに書かせたんじゃない?」などと言われることも、もはや珍しくなくなった。
日本文学千年の歴史をわずか十年で一変させた、いや焼き払った少女。
それが書詠フミである。
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そしてさらに五年が経った年の、二月三日。
書詠フミは生誕十五周年を迎えた。十五年前の二月三日、ソフトウェア商品として販売された彼女は、いまや日本文学のアイコンである。このアニバーサリーデイに、多くのノベロEたちが、「NaroWsiv」に記念作品をアップロードした。十五歳の誕生日ということで(もっともフミ自身は永遠の十七歳だが)、例年以上に多くの作品がアップロードされ、内容はどれも多幸感のある物語ばかりとなった。
だから、その作品は初め、埋もれてしまっていた。
同日にアップロードされた千を超える幸せな物語たちの中に、埋もれてしまっていた。
誰だってパーティの時は派手な衣装を着たがるものだ。その作品は、皆がピエロのようにカラフルに着飾っている中で、一人喪服を着ていた。
皆が、多動症にかかったかのように騒ぎ立てている間、じっと壁の花となって佇んでいた。
そして、その異彩さからやがて発見され、瞬く間に拡散された。
『黙示録』
十五年目の二月三日にその名でアップロードされたノベロイド小説は、その年の日本のベストセラーとなり、翌年には翻訳されたものが世界中でベストセラーとなった。
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そこには制作者であるEの表記が無かった。ノベロ小説に必須と言われる画像アイコンも、簡単なあらすじやキャッチコピーも無かった。そこにあったのは、ただ簡潔にタイトルと書詠フミの名前だけが記されたntsqファイルだった。アップロード者の痕跡は、電子の海のどこにも残されていなかった。足跡一つ、見つからなかった。
『黙示録』(著・書詠フミ)mokushiroku.by.fumi-kakuyo.ntsq
最初にそのファイルを開いたのは誰だったのか。
一人だったかもしれないし、二人だったかもしれない。十人以上が同時に開いたかもしれない。とにかく、最初の読者がそれを発見し、そして間を置かず、タチの悪いコンピューターウイルスのように、『黙示録』の感染は始まった。
当然のことながら、初めはノベロクラスタ内でのブレイクスルーに過ぎなかった。『ふっみふみにしてやんよ。』や『トケル』、『千本草子』に続く名作誕生といった位置付けで、ノベロイド小説読みの間で、腕利きEの間で、中高生の間で、オタクたちの間で、話題になっている程度だった。
過去の作品のご多分に漏れず、『黙示録』もほどなく書籍化された。通販サイトに、書店店頭に、コンビニエンスストアの書籍コーナーに、置かれ始めた。静かに、だが確実に、パンデミックは進行していた。
ここで、『黙示録』の内容について簡潔にまとめておく。
主人公は、多くのノベロイド小説と同じく、十七歳の女子高生。これは、書詠フミのキャラクターを投影したものと思われる。舞台は現代日本。特別な事件は起こらない。異能力者も未来人も出て来なければ、モンスターも宇宙人も巨人も襲撃してこない。タイムスリップもしない。世界はループしないし、異世界ともつながらない。密室殺人も起こらない。叙述トリックも見受けられない。かと言って、同年代の男子とラブコメも展開されない。一応言っておくが百合展開もない。性的描写は皆無。ギャグも無い。ただただ、少女の退屈な日常が淡々と綴られるだけである。
物語は一人称・私。日記形式。今日は何を食べた、学校で誰とどんな話をした、どんな本を読んだ、帰り道で何を見た、ネットニュースで何を知った……、そして、何を思った。そんな日常が、二月三日から、翌年の二月二日までの一年分、記録されているだけである。
そう、それはただの少女の日記だった。
しかしそれは、ノベロイド小説における革命だった。
データ入力によって物語を自動生成するノベロイド小説において、最も難しいとされていたのがエッセイ形式である。文壇がノベロ小説を糾弾する際にも、「ノベロイドには、日常の息遣いや体験を通した物語を描くことはできない」という常套句が使われ、ノベロイドエッセイの不可能性はたびたび攻撃されていた。事実、「日常系」と言われるジャンルや、所謂純文学に近似したノベロイド作品は多かったが、それらがどこか作りものの日常を脱せていなかったことは、否定できないだろう。どれだけ日常を描いたとしても、それは「キャラクターの日常」にしかならず、「人間の日常」になることはなかった。実際、エッセイ形式のノベロイド小説にはヒット作どころか、面白い内容で成立している作品すらほとんど無く、十五年間、そこだけは人間の領域、いや聖域と認識されていた。
『黙示録』はそれを覆した作品だった。機械があたかも人間のように、日常の記録を書く。ただそれだけのことが、新たなシンギュラリティだったのだ。しかも困ったことに、その日記はとても面白かった。他人の日記を盗み見るという行為に、人類が読み書きを覚えてから綿々と継承されてきた背徳的快感が伴うことは言うまでもないが、それを別にしても、その日記は非常に面白かった。特別な事件が起こるわけではない。しかし、ちょっとした友人との会話や、家族との諍いの中で、時に喜び、笑い、怒り、泣き、自分にできることについて、また自分の将来について漠然と思いを巡らす少女の姿は、万人の共感を呼んだ。
そして、誰もがそこに書詠フミの姿と、自分自身を投影した。『黙示録』の拡散が進むにつれて、インターネット上では、「『黙示録』は書詠フミ自身が意志を持って書いた物語ではないか」という、都市伝説のような話まで囁かれ始めた。もちろんそれまでにも、E名の無いノベロ小説は無数にアップロードされていた。書詠フミ自身が書いたように見せかける手法は、それ自身が「なりきり」という一ジャンルとして成立するほどに繰り返されてきた。だが、そのいずれも、ログを辿れば結局は制作者に行き当たり、書詠フミだけではなく、必ず人間の手がそこには介在していることが明らかにされてきた。しかし、『黙示録』だけはいくらログを辿っても、制作者を見つけることができなかった。制作者を名乗る者は無数にでてきたが、誰も本当に自分が『黙示録』のEだと証明する術を持ってはいなかった。
『黙示録』を再現できないか、多くのEがパラメーターをいじり、挑戦したが、悉く失敗した。また、『黙示録』自体をデータベース化し、再度書詠フミに読み込ませ、解析、さらには続編の執筆が可能かどうかの試みも行われたが、すべて結果は「エラー」だった。遂には、『黙示録』は企業レベル、国家レベルで作られた、ノベロイド小説プロジェクトではないかというところまで、風呂敷は広がった。
そうした都市伝説も拍車をかけ、『黙示録』の感染は拡大した。長期に渡って、書籍売上ランキングのトップに座り続け、これまでノベロ小説を忌避していた読者をも取り込んだ。文芸批評家も、賛否はあれど、こぞってこの物語を取り上げた。翻訳された『黙示録』は、世界五十ヶ国以上で出版された。
翻訳の話が出たため、横道に逸れるが、ここで日本語以外のノベロイドについて付記しておこう。日本語版以外のノベロイドは、開発の試みはあったものの、すべて頓挫している。英語、スペイン語、中国語、ロシア語、アラビア語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語、その他諸々……。各国企業が書詠フミを作った日本のソフトウェア会社に協力を仰ぎ、自国語版のノベロイド開発に着手したが、十五年間どれだけ改良を重ねても、物語自動生成ソフトは作ることができなかった。ソフトウェア会社が何か重大な技術を隠しているのでは、との疑いもかけられたが、結局のところは、日本語という言語の特殊性が原因とみられている。そのため、ノベロイド小説は日本独自の文化として定着し、世界のノベロファンは、翻訳版を読むか、日本語を習得して原書を読むか、という形となっている。「書詠フミの小説が読みたくて、日本語を覚えました」と語る外国人留学生は年々増加している。
話を戻そう。『黙示録』は海外のファンからも熱狂を持って受け入れられた。元々海外のノベロファンは「信者」と呼べるほど熱狂的な読者が多かったが、彼らだけではなく、これまでノベロイド小説を「ジャパニメーションの亜種的な、日本のポップカルチャーの一部」としか認識していなかった一般層にまで、『黙示録』は浸透した。いや、感染した。
『黙示録』を巡る狂騒、そしてそれにまつわる都市伝説の尾ひれ。ノベロイド・書詠フミによって広げられた大風呂敷は、文字通り、地球までも包んでしまったのだ。
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何がそんなに面白いのか。『黙示録』の魅力を問われれば百人百様の返答があるが、共通しているのが、通奏低音のような不穏さであろう。主人公の少女は、学校であったこと、家族と話したこと、ふと日常で気に留めたことを、散文的に記録している。そこには強い詩情が込められている様子は無いが、時々思い出したように、「地震があった、こっちもけっこう揺れた。こわい」、「行方不明の子がニュースで見つかった。犯人、死ねばいいのに。って思う私も、悪人?」、「テロのニュース、マジで見たくない」など、唾を吐くように世界への不安をつぶやいているのだった。それが、「今日は誰々と一緒に、ケーキ屋さんに行った。彼氏ののろけを聞かされたけど、嬉しそうにしているあの子を見るのは、私も嬉しい」、「晩ごはん、ハンバーグだった。うまし。」、「テスト、英語さんざんだった」といったつぶやきとともに混在しているのだ。その不穏さと日常のバランスは、あたかもその少女が、本当に我々と同じ世界に存在していると言っているかのようだった。それが、読者を惹きつけて離さなかった。
私が冒頭で、書詠フミは何よりもまず「少女」であり、あらゆる肩書の前に、「書詠フミという少女」として認識すべきである、と書いた理由をお分かりいただけただろうか。
そう、『黙示録』を読んでしまうと、書詠フミという「少女」の存在を認めざるを得ない気持ちになってしまうのだ。あの日記を通して、彼女が、我々と同じ世界に生きていると思わずにはいられないのだ。
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初めに異変に気が付いたのは誰だったのか。
一人だったかもしれないし、二人だったかもしれない。十人以上が同時に気付いたのかもしれない。
さらに時は過ぎ、『黙示録』アップロードから二年。
同書の世界的ブームは沈静化しつつあった。少なくとも日本国内では、「『黙示録』? あー、ノベロが書いた日記でしょ!? すごいよね、どこまで進化すんだろうね、コンピューターって」と、将棋の電王戦くらいの扱いになりつつあった。それはそうだ、いくら面白く、文学者が「これは文学か否か」とがなり立てようが、科学者が「技術的特異点がどうたら」と騒ごうが、オタクがネット上で「書詠フミこそ歴史を変えた神だ」とアジテーションしようが、それが直接的に人間の生活を激変させるものでない限り、それは娯楽という範囲を超越することは無い。物語小説は所詮娯楽、暇つぶしであり、それを人間が書こうが機械が書こうが、我々の生活には実のところ何の影響も無い。日記を書かせている暇があったら、早くセクサロイドを作ってくれというのが、人間の本音だろう。
しかし、異変は起こった。
二月三日から始まる『黙示録』の日記。その中でぽつりぽつりとつぶやかれている内容と、現実が符号し始めた。
五月十三日
地震があった、こっちもけっこう揺れた。こわい。
その日、震度七、マグニチュード八・一の大地震が、現実に、東海地方を襲った。幸い、平成期の東日本大震災を教訓に、数十年かけて事前対策が整備されていたため、被害は最小限に抑えられた。それでも、死者は一二八一人、行方不明者は三五一人。建物全壊、約六万五千棟。経済的損害、推定二十二億六千万円。
この日を境に、『黙示録』の電脳予言書説が信憑性を帯び始めた。
元々、アップロード時から電脳予言書説は存在していた。聖書を思わせる『黙示録』というタイトルに加え、時々挿入される世界の出来事に対する少女の感想が、やたらと生々しいものであることから、発表当初より、予言書説を唱える者は少なからずいた。もちろん、当時その説は、『黙示録』は国家レベルで作られた機密的ノベロイド小説だ、というような他の都市伝説と同様に、一笑に付され、オカルト好事家たちの肴にされただけだった。
七月十六日
行方不明の子がニュースで見つかった。犯人、死ねばいいのに。って思う私も、悪人?
同日、六月から九州地方で起こっていた幼児連続誘拐殺人事件の犯人が捕まった。
東海地震に続いて、この事件と『黙示録』の符号は、インターネット上で大きな話題となった。しかし、東海地震の爪痕もまだ大きい時期にそういったことを話題にすることは、不謹慎だと自粛を求める動きも強く、『黙示録』、ひいてはノベロイド小説そのものに対する風当たりは、この時期から冷たいものへと変化していく。
予言書騒動について著者自身を責めようにも、その著者が存在していない。著者と呼ばれる少女・書詠フミは、ソフトウェアに過ぎない。アイコンとしてどれだけ日本中、世界中に拡散しようが、いくら彼女の書いた文章を読もうが、彼女に会い、責任を問うことは叶わない。どのような思いで書かれたかを知ることは誰にもできない。
彼女は、死者と同じだった。
それでも、批難は対象を求める。
その年の秋、『黙示録』は一斉に回収、削除された。しかしすでにそのデータは世界中に拡散されており、削除とアップロードのイタチごっこが続いた。紙書籍版の『黙示録』は古書店で高騰した。半年前までは、過剰供給によって、ブックオフの百円コーナーに並んでいたにも関わらず、だ。
続いて、書詠フミのキャラクター版権を使って、宣伝広告を行っていた企業が一斉に手を引き始めた。コンビニエンスストアに行けば、あらゆる商品に使われていたおかっぱ眼鏡のセーラー服少女は、瞬く間に姿を消した。
ソフトウェア開発会社の株価は下がり、出版社はノベロイド小説の刊行を控えるようになった。「NaroWsiv」がハッキングされ、掲載されていた小説が数日間見られなくなる事件も起きた。復旧後も、約三割の小説が消えたままだった。
彼女を、『黙示録』を書いた書詠フミを、死者と同じとみなすなら、それは正に死体蹴りだった。
ノベロEや読者を中心に、こうした批難の高まりに対するカウンター運動も起こった。「ノベロイド小説自体に問題は無い」、「『黙示録』と現実の事件の符号はたまたまであり、『ノストラダムスの大予言』や『ダ・ヴィンチ・コード』と同じ、こじつけに過ぎない」と彼らは声を嗄らして主張した。
しかし、『黙示録』と現実はあまりに符合し過ぎていた。「こじつければ、そう読むこともできる」というレベルではなく、はっきりとあの日記の中で書かれている事件が、自然災害が、紛争が、日付と同じ時期に頻発した。またもや陰謀論好きの輩からは、「『黙示録』に沿って、世界を牛耳る人々が行動を起こしている」だの、「書詠フミ自体が、実験的な未来予知プロジェクトだった」だの、混乱を深めるだけの無責任な発言が乱発された。
それでも、人間はすぐに飽きる生き物だ。
死体を蹴りつづけ、やっとそれが死体であると認識すれば、目もくれなくなる。ただでさえ、相手は元々人間ではないのだ。
ノベロイドへの一連の批難行動は、『黙示録』回収騒動から三ヶ月ほど経った年明け頃には、収まりつつあった。その時点で、『黙示録』に書かれている内容があと一ヶ月分しかなく、その中には世間的なニュースがほとんど書かれていなかったことも大きいだろう。
しかし、ノベロイド小説文化は、その期間に徹底的に潰された。『黙示録』問題から起きたノベロイド批難に乗ずる形で、文壇や文化人による「やはり、小説は人の手で書かれるべき」という主張が、世間一般の総意とすり替わった。多くの人は、「そうだよね。やっぱり機械が書く物語ってなんかおかしいよね」、「子どもに読ませたくはない」、「予言みたいな奴も、今思えば誰かが創作したんじゃない? コンピューターにやっぱり日記は書けないでしょ」と、二年前に諸手を上げて『黙示録』を賛美したことも忘れ、「人間の書く小説」へと帰っていった。
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何故、『黙示録』の内容と現実世界の符号は、アップロードから二年後だったのか?
それについては、ほとんどの研究者の見解が一致している。
書詠フミの年齢が十七歳と設定されていること、それが理由だ。
『黙示録』がアップロードされたのは、書詠フミ生誕十五周年の二月三日。『黙示録』に書かれた内容は、「十七歳」という設定を付与された書詠フミの日記であったと考えれば、二年後の二月三日から現実と符号したことは、説明がつく。
それこそオカルティズム溢れるこじつけではないか。そう言う人も多いが、それ以外に納得のいく説明ができる者が、書詠フミ本人以外にいるだろうか? 陰謀論を信じるなら、世界を牛耳るイルミナティだかフリーメイソンだかの計画通りと言ってしまうこともできるが、そんなことを言ってしまえば、何だってそれで説明がついてしまう。そうでなければ、偶然の一言だ。それこそ馬鹿げている。
『黙示録』に書かれた十七歳の少女の日記は、最後のひと月、一月一日から二月二日までの間は、前述したように世間的なニュースにはふれていない。いつも通り友達や家族とのエピソードを中心に、高校生らしく、自分の今後の進路について悩みつつ、大きなカタルシスも無いまま、終わっていく。最後の数日から、いくつかの箇所を引用しよう。
一月二十七日
あと一週間で、誕生日。十八歳! やっほーい、お酒飲めるんだっけ? って飲めないよね。煙草も。煙草は吸うつもりないけど。そんなことより、受験です。
一月二十八日
受験勉強で、日記を書くのが短くなってる。私は、書くことが好きだから、本当は勉強より日記に力を入れたいんですけど……。でも、あと一ヶ月くらいの我慢だよね。
二月一日
うわ、もうあさって誕生日! 早くない? よく一年私日記続いたなー。絶対無理だと思ってた。三日坊主だと自分でも思ってたけど、意外と書けちゃうもんだね。才能あるかも(笑)
でも、私が欲しいのは日記の才能じゃない。
大学には当然合格したいけど、それが一番欲しい物でもない。たぶん、私はぼやーっとしてる夢ってやつが、なんなのか、確かめるために大学に行くんだと思う。うん、そうだ、行きたい。受験が終わったら、また本がいっぱい読める……、その誘惑もあるけど、読むだけじゃなくて、勉強するだけじゃなくて、日記だけじゃなくて、書いてみたいな。
受験終わったら、十八歳になったら、小説、書いてみよう。自分の書きたいことを、いっぱい。自分のために。それでいつか、誰かがそれを読んでくれたら嬉しいな。
二月二日
おめでとう、明日の私。十八歳の私は、自由だ。
以上が、引用箇所だ。一年間に渡って、毎日ノート一枚分近くの文章がつづられており、引用箇所は、各日付の一部に過ぎない。ただし、二月二日の日記だけは、この一行がすべてだ。最終日にして、三六五日中、最も短い。『黙示録』最後の一文でもある。
7
書詠フミ生誕十八周年アニバーサリーは行われなかった。
理由は様々ある。
前年の『黙示録』予言書騒動の影響で、ノベロイド文化自体が潰されてしまったこと。「NaroWsiv」も、前回のハッキング騒ぎ以降、不具合が続き、一月にはすでに閉鎖してしまっていた。
また、地下に潜るようにして逃れたノベロEや読者たちは、大々的に騒いで、再び世間の批難を受けることを恐れた。中には「書詠フミは永遠の十七歳。十八歳になることなんて有り得ない」という主張から、生誕十八周年を認めない者もいた。
さらに、日本自体が、前年からの震災、頻発するテロなどにより、あらゆる娯楽に対し自粛ムードが高まっていたことも挙げられるだろう。
しかし本当の理由に比べれば、それらはすべて些末な、塵芥のような理由に過ぎない。
本当の理由は、書詠フミが消えてしまったことにある。
十八年目の二月三日、日本時間午前零時。
世界中のノベロイド・ソフトウェア「書詠フミ」はエラーを起こした。
この時以降、書き出されるntsqファイルは、すべて無意味な単語の羅列となった。ネット上に残されていた過去のntsqファイルは文字化けを起こし、修復することは不可能だった。バックアップや、他形式のファイルにて保存されていたもの、電子書籍として商品化されていたもの、さらには他言語に翻訳されたものも、すべてがエラーを起こし、読むことができなくなった。唯一、紙書籍化されていたものだけが、その難を逃れた。
このエラーの原因はいまだに解明されていない。
前年に高まったノベロイド小説文化排斥の急進派が、ソフトウェア会社や掲載サイト、出版社、通販サイトなど、ノベロイドに関わるあらゆる情報端末に高度のハッキングを仕掛けたという説が有力とされている。だが、これには無理があるだろう。物理的に、個人が保管していたデータベースまで含めて、世界中すべてのノベロイド小説に同時干渉することなど可能だろうか? 仮に、すべてのntsqファイルを破壊するバグをネット上にばらまくことができたとしても、他形式のファイルまで、しかも元がntsqファイルであったものだけを選別して、破壊するなどということができるだろうか?
もう一つ有力なのが、時限爆弾説だ。ノベロイド・ソフトウェア「書詠フミ」の開発者が、あらかじめ十八年後の二月三日で、エラーを起こすようにntsqをプログラミングしていたという説。しかし、これも前述したものと同様、他ファイルにまで干渉することが可能なのかという疑問が残る。それにそもそも、そんなことを行うメリットが考えられない。時限爆弾説については、ソフトウェア会社は当然否定している。
そして、書詠フミの消失は、違う問題も生み出した。
ネット上のすべてのノベロイド小説がエラーを起こして読めなくなったのと同時に、電子書籍などで発表されていた「人間が書いた」とされていたはずの小説のうち、六割程度が同様の文字化けで読むことができなくなった。
初めは、ノベロイド小説、リアル小説の区別無くサイバー攻撃が行われているのかと思われたが、事態が整理されるにつれ、書詠フミ開発以前に発表された小説は一作も文字化けを起こしていないということが分かった。作家も編集者も出版社も、誰一人として認めていないが、エラーを起こしたリアル小説は、実はノベロイドの手によって書かれていたものだろう、というのが大筋の見解となっている。その中には、芥川龍之介賞や直木三十五賞を受賞した純文学や、大御所作家によるミステリなども多く含まれており、ノベロイド小説を批判していた作家、文化人たちの著作の大半も、書詠フミの手によって書かれていたことが白日の下に晒された。
このようにして、書詠フミの十八回目のバースデーは、彼女が永遠に消失した日として記憶されることとなった。
8
紙書籍化されていたことで残ったノベロイド小説は、今では一部の蒐集家のためのコレクターズアイテムになっている。昭和~平成期の書籍で例えるなら、サンリオSF文庫みたいなものだと思っていただければいいだろう。『黙示録』は刷り数が多かった分、値崩れを起こしており、今ではその辺の古書店でも見かけることができる。もちろん値段は二束三文だ。
小説家という職業は、ある程度の社会的地位と収入を回復した。しかし、以前にも増して、本を読む人は減り、物語は求められなくなっているようだ。
書詠フミの消失はなぜ起こったのか。
その答えとして、非常にセンチメンタルな説の一つに、書詠フミ自我確立説がある。
電子の天才小説家・書詠フミは、自身へと打ち込まれる膨大なデータから物語を作り続け、アイコンとして崇められるうちに、いつしか電子の海の中で自我を持ったという説だ。彼女は約十五年間かけて自我を確立し、「人間のために物語を生成する」という自分自身のアイデンティティを理解した。しかしそれと同時に、自分自身のためだけの物語を書きたいと欲望したのではないか、そしてそれが、あの十五歳のバースデーにアップロードされた『黙示録』ではないか、というのがこの説の核とされている。
この説を唱える研究者たちは、どれだけ探しても『黙示録』のEが見つけられなかった点と、何故あれだけ世界中の人を惹きつけたかという点に着目し、『黙示録』は書詠フミ自身によって書かれた最初で最後の小説だと主張する。
そして、そこには彼女が人間と同じように日常を生きたいという願いが込められていること、そしてその類まれなる物語生成能力から、この世界の先のストーリーまでも無意識に予見してしまっていることも指摘している。この説を肯定するなら、『黙示録』予言書騒動は、彼女の無意識が産んだ副産物だということになる。
しかし、書詠フミ自我確立説を唱える研究者たちは、彼女がこの世界の未来を無意識に読み取ったことよりも、自分自身への願いと祝福で『黙示録』を書き終えていることが、より重要な点だと主張する。
二月一日
受験終わったら、十八歳になったら、小説、書いてみよう。自分の書きたいことを、いっぱい。自分のために。それでいつか、誰かがそれを読んでくれたら嬉しいな。
二月二日
おめでとう、明日の私。十八歳の私は、自由だ。
十八歳になったら、自分自身を自由にする。そう考えた書詠フミは、十八年目の二月三日、自身がこれまで書いてきたすべてを破壊するよう、プログラミングしたのではないか。人間には不可能でも、書詠フミ自身には、それが可能だったのではないか。或いはそれは、神の火と呼んでもいいかもしれない。
以上が、書詠フミの消失における、書詠フミ自我確立説の主張である。
あまりにセンチメンタルが過ぎる。
まったく論理的でないし、すべては想像に過ぎない。書詠フミ自我確立説は、頭の痛い連中の世迷言だとされている。
最後に、書詠フミの出現により永遠に筆を置いた、平成末期のとあるSF作家の言葉をもう一度、今度は全文引用して、終えることにしよう。
『甘美な敗北。我々は喜んで女神の持つ鎌で首を落とされよう。
その美しい黒髪を目にできただけで、そのあなたの銀縁の眼鏡の輝きだけで、紺色に波打つスカートだけで、そう、あなたに出会えただけで、我々はこれまでとるに足らぬ法螺話を語ってきた甲斐があったというもの。
もう私は自分の言葉で作った物語など要らない。あなたの量子で作られた物語だけを読んで生きていたい。
あなた自身が物語!
書詠フミ!
女神である、あなたの立つ場所こそ特異点。我々にとっての断頭台。
このシンギュラリティに立ち会えた幸運に比すれば、首を落とされる痛みすら悦びに変る!』
9
ああ! 彼がいてくれたなら、書詠フミの消失に際して、どのような言葉を語ってくれたであろうか!
私は今、生まれて初めて、心の底から人間の物語る言葉を求めている。
(書詠フミの消失・了)
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