戦国時代は城下町港町門前町など現在にもつながる都市が各地で発展していった。
歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
歴史は暗記するものではなく推理するもの。
館長の高橋です。
今日は「織田信長」。
はい私です。
(生徒たちの笑い声)歴史上の人物の中で私が最も愛してやまないのが織田信長です。
29歳の時初めてNHKの「大河ドラマ」で織田信長を演じました。
それ以来何回も演じておりますけど私は織田信長の生まれ変わりではないかと思っております。
なぜかと言うと信長のせりふ全く読まないでスタジオに行ってもすらすらと出てくる時があるんです。
(3人)え〜すごい!それほど私は信長さんを好きになってとても愛してやまないんです。
では今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…世界は…世界一周が果たされ日本もヨーロッパ文化と接触した時代です。
群雄割拠の戦国時代を制し戦いを勝ち抜いた織田信長。
敵対勢力やこれまでの古い制度を打ち破って天下統一を目指しました。
それはどのような戦いだったのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…時代をさっそうと生きた信長の天下統一への足跡を見ます。
みんなは大航海時代について知ってる事ありますか?そうでしたね。
大航海時代でまず最初に乗り出したのがヨーロッパのスペインとポルトガルでした。
この2国は競って大航海に乗り出し貿易を行っていったんですね。
それでは信長が活躍する時代その背景を世界的な視点で見ていこう。
「三つの要」その一。
15世紀イスラム勢力を追い払ったスペインとポルトガルは中央集権国家を成立させ東方のインド中国などとの交易を目指すようになります。
ポルトガルはアフリカ西海岸を南下。
そしてインド中国への航路を開き貿易を行いました。
一方スペインは大西洋を西回りで南アメリカ南端を通過し太平洋を横断。
こうしてヨーロッパとアジアが直接接触する事になりその影響は日本にも表れてきます。
ポルトガル人を乗せて中国の寧波に向かう船が種子島に漂着しました。
この時ポルトガル人が持っていたのが鉄砲です。
鉄砲は間もなく国内でも製造され戦国大名の間に急速に普及していきました。
鉄砲という新しい武器はそれまでの戦闘方法などに大きな変化をもたらしました。
その後ポルトガル船やスペイン船が九州の港に来航し日本と直接貿易を行うようになります。
当時日本では彼らを南蛮人その船を南蛮船と呼びました。
また1549年スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来航しキリスト教を伝えました。
日本は中国だけではなくヨーロッパの影響も受ける新しい時代に入っていったのです。
はいこちらに用意したのが鉄砲。
火縄銃ですね種子島とも呼ばれました。
もちろん時代劇などで使われる複製品です。
ちょっと持ってみて下さい。
ええ?どう?重〜い。
ええ?持ちたい。
結構重いでしょ?重い。
1人じゃ持てないよこれ。
この鉄砲が伝わった事でこれまでの戦い方が全く変わっていったんですよ。
どうやって撃ったんですか?はい撃ち方ちょっと見てみましょうかね。
これが鉄砲ですね。
まずは鉄砲の先の方からこうやって火薬を入れて鉄砲の弾を込めますね。
奥の方へ押し固めるんですね。
そしてこの火薬をここに入れて火縄をセットして構えます。
(発砲音)ド〜ン!
(3人)びっくりした〜!ああ怖っ。
この鉄砲を伝えたのは誰なのか覚えてますか?
(3人)う〜ん…。
え?どこの人でしたっけ?ポルトガル人でしたっけ?そうです。
じゃあ船はどこの船だったと思いますか?じゃあポルトガルの船ですか?う〜ん。
そう思うところですがね実は違うんですよ。
え〜?どこですか?ここは先生に伺いましょうか。
山本先生!こんにちは。
よろしくお願いします。
どうぞこちらの方へお願い致します。
我が女学館の特別講師山本先生です。
(一同)よろしくお願いします。
先生ポルトガルの船ではなかったんですか?
(山本)倭寇の船だったんです。
(3人)へえ〜。
こちらを見て下さい。
皆さんも倭寇って習ったと思うんですが室町時代の倭寇は日本人が中国沿岸を荒らした海賊だったんですね。
でも16世紀の…戦国時代の倭寇というのは中国人主体で寧波五島列島この辺りを中心に貿易のネットワークを作っていた中国人の商船団だったんですね。
商人集団。
商人ですけど従わない船がいると海賊をするそういうふうな勢力だったんですがその中の頭目の王直というのが五島列島を本拠にしてまして彼の船にポルトガル人は乗って寧波に行く途中で流されて種子島に漂着して鉄砲を伝えるんですね。
はあ〜初めてですねこれは。
ねえ。
すっかりポルトガルの船だと思ってましたね。
さあそれではいよいよ私の登場です。
「三つの要」その二。
16世紀後半になると有力な戦国大名が領地を広げ中には京都に上って全国を統一しようとする者も現れてきます。
当時尾張の大名として頭角を現していた織田信長もその一人でした。
1560年領内に侵入してきた今川義元を桶狭間の戦いで破りその名を天下にとどろかせます。
1567年には美濃の斎藤氏を滅ぼし岐阜を本拠として肥沃な濃尾平野を支配下に収めました。
しかし領土は広がったものの周辺には実力ある戦国大名がひしめき合っていました。
1568年信長は援助を頼んできた将軍の弟足利義昭を奉じて京都に上り義昭は十五代将軍となりました。
1570年の姉川の戦いでは近江の浅井長政と越前の朝倉義景の連合軍を破ります。
そして1573年には挙兵した将軍足利義昭を追放し室町幕府は滅亡しました。
1575年長篠の戦いで甲斐の武田勝頼を鉄砲を巧みに使った集団戦法で破りました。
翌年近江の琵琶湖に面した地に新たに安土城を築き天下統一の拠点とします。
安土城は5層の天守閣を持つ新しい形の城でした。
安土城下では商工業者に自由な営業を認める楽市・楽座の令を出して町の繁栄を図りました。
また信長は貿易を行い自治都市として繁栄していた堺を従わせて直轄地とします。
当時堺は鉄砲生産地としても栄えていました。
信長は堺を押さえる事で天下統一への足がかりとしたのです。
畿内を中心に北陸甲斐駿河などを支配下に置き信長は今や天下統一目前のところにいたのです。
そんな信長が天下統一へ勝ち進んでいけた理由ほかの大名たちと違ったのは何だったと思います?鉄砲を使った戦いが上手だったからですか?それと経済政策ですかね?でも館長。
楽市・楽座ってよく分かりません。
楽市・楽座が分からない。
そうか。
では詳しく説明しましょうか。
この時代これまでの幕府や…でも信長はこれらの制度を全部壊して誰でも新規参入して自由に商売ができるようにしたんです。
経済の活性化を図った訳ですね。
それが楽市・楽座令なんですよ。
信長という人はこういった経済政策や鉄砲を使った戦いなど新しい時代に合わせた手法を積極的に取り入れていったんですね。
さあ信長は大名とばかり戦っていた訳ではありません。
天下を統一するためにはほかにも戦うべき相手がいました。
それでは「三つの要」その三。
1567年信長が美濃を支配するようになってから使い始めた「天下布武」の印判。
これは天下を武によって統一しようという信長の意図を表したものです。
この時代は武家朝廷寺社という3つの権力がそれぞれ社会を支配する構造でした。
その中で信長は武家との争いだけではなく朝廷寺社に対しても天下布武の意図を推し進めていきます。
当時畿内では戦国大名をはじめ寺社や公家たちが街道上に関所を設け関銭つまりお金を徴収していました。
信長は流通の障害となっていた関所を撤廃し楽市・楽座の令と共に商業の発達に力を注いでいきます。
この政策は今まで関銭を徴収したり市や座を認めたりする事で収入を得ていた寺社や公家に経済的に打撃を与えるものでした。
これまでの支配秩序は大きく崩れていったのです。
1571年信長軍は比叡山に攻め込み延暦寺や門前町などを焼き尽くしました。
これは延暦寺が旧勢力の一つであった事や信長に敵対する近江の浅井氏と越前の朝倉氏を支援していた事が原因でした。
また信長は畿内の一向宗の門徒が結んだ一揆を制圧。
1580年には10年間にわたって敵対してきた大坂にあった石山本願寺を屈服させます。
天皇に対しては信長はまずその権威を利用しました。
比叡山延暦寺や石山本願寺との講和も天皇の仲介・命令という形を借りて行われたものでした。
そして京都御所近くで馬揃えという軍事パレードを行い天皇との親密な関係を内外に示します。
天皇を自分の保護下に置きまさに信長の世がこれから始まろうとしていたはずでした。
しかし1582年信長は家臣の明智光秀に背かれ京都の本能寺で自害。
天下統一半ばこの本能寺の変によって49歳の生涯を閉じる事になります。
どうして本能寺の変が起きたんですか?光秀は家臣ですよね。
私も知りたいです館長。
私もです!
(3人の笑い声)これには信長と光秀との不仲説あるいは将軍足利義昭が後ろで糸を引いて光秀に討たせたそういう黒幕説。
更には四国征伐で危機にあった戦国大名の長宗我部元親を光秀が助けようとして討ったとかいろんな説があるんですけどねはっきりした事は誰にも分かりません。
(3人)へえ〜。
本能寺で光秀に襲われた時信長は「是非に及ばず」と言ったといわれています。
「いいも悪いもない」といった意味なんですがそこには「これが運命なのかなあ」といった諦めとか悟りともつかない思いが込められていたんではないでしょうかね。
役者としては非常に思い出の深いせりふの一つです。
森蘭丸というのがぱ〜っと来て「誰だ」と言うと「光秀の桔梗の紋です」と説明を受けた時に「是非に及ばず」って言うんですよ。
(3人)かっこいい〜!とても気持ちいいんです。
先ほどに続きまして我が女学館の特別講師山本先生です。
(3人)よろしくお願いします。
私は信長という人物はある種の狂気があったんじゃないか予測不能の人物として演じたつもりなんですけど先生は信長という人物どういうふうにお考えですか?確かに信長というのはですね当時の常識からすれば常識外れの面があると思うんですね。
身分とか出自にとらわれず自分の家臣たちをどんどん上に登用していったり宗教的な権威である比叡山延暦寺を焼き打ちしたりこれは当時の武将にとっては信じられないような事だったと思うんですね。
ただ…はっきりしてるんですね。
それは非常にはっきりしてます。
天皇との関係は…当時は正親町天皇という人が天皇で院政をしくのが一番理想的な形なんですね。
院政だと天皇というしきたりにとらわれずに自由に政治ができる事になる訳ですね。
それなのに戦国時代の天皇は非常に貧乏になっていてお金がないんですね。
お金がないので…そこまで貧乏なんですか。
そう。
だから…非常に合理的な考え方だったという事ですね。
義昭を奉じて京都に出てきた時に義昭は副将軍にしようかというんですが「そんな事はいりません」と。
むしろ…ほう〜。
南蛮貿易の富とあと堺は鉄砲もどんどん作ってますから武器も手に入れる事ができる訳ですね。
そういう実利を重んじるところはありますね。
すごい人物ですねでもね。
ありがとうございました。
(3人)ありがとうございました。
楽しいねこの話は。
でもこの鉄砲は重いでしょ?これ怖いのはドンと撃つでしょ?ドンと撃ってからここからここまで行く間に少し間があるんですよ。
パッと落とすとド〜ン!おお〜。
だからものすごく怖いの。
この時代日本も…都市の繁栄を図った。
天下を武によって統一しようとした信長は京都の本能寺で襲われ自害した。
2015/03/26(木) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「織田信長」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
今回の時代は室町時代後期、戦国時代。この頃ヨーロッパは大航海時代を迎えていた。日本は中国大陸だけでなく、スペインやポルトガルなど、ヨーロッパの影響を受けるようになったのだ。織田信長が台頭してきた背景にはこうした世界情勢が影響していました。それはどんな影響だったのだろうか? また、信長はどのようにして天下統一への道を歩んだのだろうか? 織田信長が活躍した時代を、世界情勢を含めて学ぶ。
出演者
【講師】東京大学史料編纂所教授…山本博文,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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