2015年3月26日木曜日

洗っていない犬の味


わたしは、久留米から博多に向かう夜高速バスに乗っいた。
足もとで、10リットル水が入ったポリタンクがゴトゴト鳴っいた。
水は、わたしがバスに乗り込むときに、吉田純子夫がくれたもだ。


吉田純子とは、レズ関係にあった堤美由紀と同僚看護師二人を精神的に支配し
貯蓄や給与を上納させた挙句、同僚看護師二人夫を殺害し保険金を手に入れた、
保険金殺人事件主犯名前だ。
だまし取った金は、総額2億円と言われいる。
金を、久留米市内高級マンション購入費や、旅行や、エステに使った。
純子は2002年に逮捕され、現在は死刑が確定しいる。
             ※
「ブドウ狩りにいかん?」
と、純子夫から電話があったは、初公判早朝だった。
わたしは、久留米駅そばワシントンホテル部屋で、まだ眠っいた。
「裁判、見に行かないんですか」
「いかねえよ」
「わたしは行こうと思っいるんですよ。だから、すみません」
身支度をし、わたしは、純子娘三人と福岡地方裁判所前に向かった。
わたしは取材者としまるひと月間、純子娘たちと、純子夫と接触し続けいた。
2002年8月27日朝はよく晴れいた。
事件関係者である娘たちは、初公判を優先的に傍聴できるだが、
わたしために傍聴希望者列に並んで抽選に参加しくれるということだった。
列はざっとみただけで100人以上になり、新聞やテレビ局記者たちが
「今回事件をどう思うか」と列を作る人たちに聞き込んでいた。
ICレコーダーを持った記者たちは、わたしたち前にも立ち止まった。
都度、「傍聴券とりアルバイトなでなにもわかりません」といっ逃げた。
殺人事件被害者遺族に密着したことはそれまでに何度かあったが、
殺害した犯人側家族とふかい関係を持ったはこれが初めだった。
わからないことが多かった。
初公判日にブドウ狩りに行こうと誘っくる夫気持ちもわからなかったし、
娘たち気持ちも測りかねた。
特に19歳長女気持ちがわからなかった。
決し美人とは言えない純子に、最も顔が似いたが長女だ。
彼女は計画段階ではあったが、純子に殺されそうになっいる。
すでにそ事実は従犯三人調書や証拠等であきらかになっいた
事件後に長女もそことを知った。
事件前までは決しよい母子関係ではなかったと、
長女もわたしに話をしくれたことがある。
 
純子が逮捕され、拘置所に入れられた後、長女は、
自宅から博多まで定期券を購入し、毎日接見にでかけるようになった。
福岡拘置所にいる純子に手紙を書いたわたしに、
電話で返事をしくれたも長女だった。
「母こと、助けもらえますか」
「お母さんを無罪にしたりする力わたしにはないし、それは無理かもしれないです…」
「どうしも保釈をとっちゃんと関係者に詫びに行きたいと言っいます」
無罪を主張する純子が、「関係者」に詫びる必要などないではないかと思ったが、
保釈をとるためには何でも言うだろうとも思った。
「お母さん言い分を記事にすれば、支援方がでくるかもしれません。
もし手記を出版することになれば、すくないですが印税も入ります」
「いくらになりますか」
話になっ、長女は切実な様子で質問を繰り返した。
博多駅で待ち合わせたとき、わたしを見た長女は
「もっと年上だと思っいました」と言っ笑った。
そし、自分車に乗らないかと言っくれた。
黒い車高たかい軽自動車。 
車内には当時流行しいた、宇多田ヒカルSAKURAドロップス」が流れいた。
まま事件が起きた自宅である、
久留米市内高級マンション最上階まで案内しくれた。
純子娘三人と純子母は事件後も、こ部屋に住み続けいた。
翌日は雨で、夕刻、わたしはなんないまま、
善導寺にある吉田純子実家玄関先にいた。
あと一時間ほどで、完全な夜になる。
蚊柱があちこちで上がっ、遠くには牛餌になる干し草が
白いビニールに巻かれテトラポットように積んであるが見えた。
全く車が通らない
雨で、真っ暗で、蚊柱で、携帯電波も届かなくひとりでいるが怖かった。
不安な気持ちで、2時間ほど待っいると、純子夫が白い車に乗っ戻っきた。
殺人犯夫に会ったわたしは、「よし。口説い話をとっやる」という意気込みより
「いま、誰でもいいから人間がいうれしい」という気持ち方が強かった。
取材をさせ貰いたいと、伝えた。
純子夫は「飯食いましたか」とわたしに聞いた。
40代半ばに見えた純子夫は、背は高くないが、
みっちりと付いた筋肉はよく使い込まれいるようで、
体を使う仕事をしいるとひとめでわかった。
「食べないです」
「おれもまだなんです。じゃあ、飯食うか」
助手席にわたしが乗り込むと、車は走り始めた。
車は30分ほども走り続けた。どこを走っいるか、わたしにはもうわからなかった。
何か手荒なことをされたり、殺されるたりするかもしれないと少し思った。
ついたところは、ラーメン店だった。
「こあたりで一番うまいんです」
と、純子夫は言った。
まるで洗っないようなにおいするスープ
けもとんこつラーメンだった。
純子夫と純子娘たちは、お互い一切交流をもとうとしなかった。
運転免許を持っないわたしは、純子車にも、
純子長女車にも乗せもらった。
運転席と助手席に並んで、同じ方向に目線を向け話すことは、
わたしにとっはとも楽だ。
純子夫は、わたしを実家善導寺地名由来となった寺院や、
気に入り飲食店につれ行きたがった。
純子長女は、母親保釈を何とかとりたい、それにはどうしたらいいか、
と言うことばかりを話し、わたしに意見を求めた。
初公判が終わったあと、わたしは長女と、
宇多田ヒカルアルバム「Deep River」がエンドレスリピートされる車に乗り込み、
久留米駅周辺をぐるぐる走りながら、話をした。
わたしは長女に言った。
「もうさ、お母さんとかかわる、やめたほうがいいよ。お母さんさあ、
あなたこと殺そうとしたんだよ? そことは忘れない方がいいよ」
長女は「妹二人はまだこどもだし、お父さんもああだし、わたししか、
気持ちは理解できないと思う」と言った。
溺愛されいた末娘は、ふわふわした綿菓子ような気持ち優しい子で、
初めあったとき「おかあさんがかわいそう」だと言っ泣いた。
わたしも末っ子だから、見なくいい部分を見ずにすんでいる
末娘雰囲気がともよくわかる気がした。
「毎日母親接見ためだけに時間をつかっいる
少しヘンだと思うんだよ。だっ、自分夢だっあるでしょう?
「うん。やりたいことはある」
「なにがやりたい?」
「エステティシャン。わたし、すっごく太っね。
どんなダイエットを試しも痩せなかった
 逮捕される前、母と一緒にエステに通っ
一年間で10㌔以上痩せることができた
 だから、努力すれば夢がかなうっ
エステ仕事を通し太っ悩んでる人に教えあげたい、
あなたも夢が叶うんだよっ
初公判で、純子手帳に記された言葉を
検察官が読みあげたシーンがフラッシュバックした。
「本日、マネー、やっと念願、ヤッター三千四百五十万円」。
仲間夫を殺し、保険金を手にした日に記されいた文字列だ。
人びとことが「わからないではないかもしれない
わたしはこ人びとが「好きになれないかもしれないそう思った。
長女と別れて、その晩は、久留米で純子夫に会った。
日中に、ひとりで摘んできたブドウを手渡しくれた。
彼は昼に行われた初公判で純子様子に関心を示さなかった。
「こ辺は、うまいわき水がでるんだ」
帰りがけに、わたしに10リットルポリタンクを渡した。
「ありがとうございます」
博多に着いたわたしは、そ水をホテルバスルームに捨
ポリタンクは係りひとにいっ破棄しもらった。
東京に戻り、長女に取材結果を記事にすると告げるときに、わたしは言った。
「あなたは、あなたなんだから、お母さんためではなく、
もう自分人生を生きたほうがいいよ」。
いま、ふりかえると、なんと醜悪なことを言っただろうかと思う。
わたしは、保釈へ執念を向けられることをかわしながら、
長女から断片的に伝えられる純子最新情報を聞き取っいた。
取材者とし、記事にするために。
でも、わたしは取材者ではない生身わたし考えも彼女に伝えしまっいた。
「自分人生を生きなよ」と。
そこは越えはいけない線だったと、今はわかる。
わたしは、あくどい両替商ように、日替わりでルールを変え長女に接した。
わたしと長女は、そ後電話で数度話し、長女はわたし電話には一切でなくなった。
                             ※
数年後わたしは久留米に向かうために、博多に前泊しいた。
翌日朝には、結婚挨拶をするため、夫になる男性実家に向かうだ。
わたしは、中洲屋台に座っ、博多川を眺めいた。
「川が逆流しるね」
川は、満潮にあわせ、目ふちに涙がふくれ上がるように、ゆっくり増水しいった。
新婚らしい、機嫌良い時間をすごしたあと、
夜ふけに彼は、「博多で食べられる久留米ラーメン店」に連れいっくれた。
けもラーメンだった。
を知っいるとわたしは思った。
純子夫が食べさせくれたラーメンももしかしたらこんなだったかもしれない
わたしは、純子長女名前も、純子夫が連れいっくれたラーメン店名前も、もう思い出せなかった。