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男子部N様

 投稿者:解説者  投稿日:2015年 3月21日(土)01時55分45秒
  そうですね。戦い続けるのが仏ですね。
悪への妥協はありませんよね。応援しておりますよ。
真っ直ぐな信心の方、素晴らしいです。
 

金城鉄壁の団結!

 投稿者:男子部N  投稿日:2015年 3月21日(土)01時51分12秒
編集済
  こんばんは。

「最後の勝ち」というのは途中で負ける事があってもぶれずに、題目で師弟誓願を湧き上がらせ、立ち上がり続けて勝利する事ですね。

私は、富士宮で不正を犯し、信濃町に飛ばされた〇副会長らに組織から、不当に排除されましたが、 私が立ち上がり続け勝利していくならば、その不当処分は間違っていることの証明になります。

それと、すでに除名を企み指示し決行した輩らには、続々と現証が出ています。

Aと繋がる〇副会長は、女子部に暴力を犯した幹部を擁護し、除名を施行した後、富士宮で自らの不正がバレて、手下の幹部に明かされたのです。

このような裏切り者による富士宮特区より、不当な除名を受けた事を深き使命ととらえ、どんなことがあろうとも立ち上がり続け勝ちます!

稀有の師匠に出会え、正義の同志と団結でき、桜梅桃李で賑やかに出陣できた事が無上の歓びです。

先生は「悪は絶対に許すな!断固、悪は切れ!断じて学会から叩き出せ!」

「悪い幹部と喧嘩ができる者が真の弟子です!」

「悪と戦い抜いてこそ、民衆の味方である!」

と何度も何度も師子吼されてこられました。

これから、これらの裏切り者に対して、攻めが弛くなり、自らの野心の為に、権力悪を利用し繋がっていく、更なる裏切り者もでるかもしれません。 そういう輩は、始めから裏切りの命を持ち続けている魔物です。

私も、自らの魔を打ち破りながらも、これら貪欲な魔物である裏切り者を絶対に許しません!

断固、決着をつけます!

先生の敵を打ち破る事は全民衆の敵を打ち破る事だと思います。

日々、悪に出る厳しき現証を知るにつけ、正義の勝利への希望が湧きます。

そして、暴力を受け排除された女子部が益々健康になり、世界一、幸福になる事です!

これからも金城鉄壁の師弟の団結で、天魔を打ち破ります。
 

(無題)

 投稿者:ピカン  投稿日:2015年 3月21日(土)01時20分49秒
  m氏カッコつけてなくていいね
明るくていいね
 

m様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月21日(土)01時08分4秒
編集済
  割り込み失礼します。
その通りです。しかし簡単ではないし、祈りだけでも
現実は変わりません。祈りだけでは飯は炊けない。

祈りと、悪への破折は車の両輪です。
破邪顕正です。破邪が先と池田先生は指導されています。

破折とは破折屈伏の意です。誤りは正さねばなりません。
しかし、それは相手を救う一念でなくてはならない。
つまりは折伏と同じです。創価学会の信心に功徳があるのは
折伏の団体だからです。誤りを正し、広めることが必要です。

祈りとは、自分と御本尊が同じになる行為。

両者相まって、法華経の行者の祈りになる。
 

m支援

 投稿者:ピカン  投稿日:2015年 3月21日(土)01時00分22秒
  アク禁にしないでほしい
もっとやって
 

公明党の現状に関して

 投稿者:いまでも創価学会員  投稿日:2015年 3月21日(土)00時53分48秒
  この掲示板の多くの皆さんは、どうも現状の公明党の有り様に対して否定的な思いを持っている人が多いような気がします。私も現状の公明党に対して、全て賛成というわけではありません。

でも、皆さんも御存知のとおり、現、安倍晋三政権と創価学会は深い関係があります。

数日前のことですが、3.16の記念日でした。もともとは昭和33年3月16日の祈念式典で、戸田城聖さんは懇意であった政治家で総理大臣だった岸信介を大石寺に招待します。が、直前になってそれは叶わず、代理として秘書であり、岸の娘婿だった安倍晋太郎が出席するわけです。安倍晋太郎は総理になる前に死去するわけですが、息子の安倍晋三が総理大臣となっております。安倍晋三が創価学会に挨拶に行ったらしいというようなことが週刊誌に書かれたように思いますが、ありえそうに思います。

戸田さんの時代からすでに現在の自民党との関わりはあったわけです。その上、戸田さんの意思に違えて衆議院に出馬を決定し、より政治に関わりを深めた池田さんの方針の結果、今の公明党があるのだということを踏まえた上で、現状の党の有り様に対し、批判・考察をしていただきたいものです。
 

うららさん

 投稿者:m  投稿日:2015年 3月21日(土)00時51分54秒
  いまだ管理人様の御裁定を待っている状態ですが
結果が出て、去らねばならぬことになれば、書き込むことも不可能となるので
そうなる前に書いておきますね。

まず、祈りをはじめた・・・というのは「池田家の繁栄」と理解してよろしいですか?
それであれば、しっかり祈り切ってください。
今は、そう祈ることが真の弟子の道です
創価の祈りのすんごいところは「一つの祈りが全部に通じる」というところです。
結果的に、それが一番の近道であることが現証として出ます。

もう一つ、先生が「人間革命への秘伝」と仰せの祈りの方途を書き込みます。

2000年七月の本部幹部会での最後の最後の言葉です
一昨年にも紹介されました

生命変革の祈り
皆様に、お題目を送ります
皆も祈っていただきたい。
「悪鬼入其身」の反対で、自身の生命に
「梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」
「全学会員に、わが地域のすべての同志の方々の生命に
梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」-----
 こう祈れば、千倍、万倍の力が出る。
 これが生命変革の「祈り」である。「信仰」である。
人間革命への秘伝である。

日寛上人は、文段で「わが身に、日蓮大聖人の御生命が顕れる」と仰せである
これが、妙法の信仰の究極である。
おのおのの生命に、日蓮大聖人の御生命があると仰せである。
ゆえに断じて負けることはない。
この大確信で進みましょう!

うららさん
この「全学会員」の中には
現会長も、前会長も、総務部長も、弁護士も、副理事長も全部含まれるのです。
皆、いっしょくたんに祈っちゃいましょう。
あなたをはじめ、こちらの板の皆さんが皆で祈れば
なんだって、簡単に、変えられますよ!!




 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月21日(土)00時43分7秒
編集済
  せっかくなので続けます。
m様が登場され大事なことを言われました。
2030年、創立100周年
たくさんのうららさんが必要だと。

皆様、この時を考えてください。
池田先生はいませんよ。たくさんのうららさん?は置いといて、正しい本尊観、師弟観がなければ皆が迷います。

今まで、単なる教義変更の話しをしてきたのではありません。

池田先生滅後の創価学会が正しく広宣流布していくために、
教学上も、三代会長、なかんずく池田先生の存在を
師弟として捉えることが大事なのです。
54年問題とは、この点において
明らかにすることができなかった歴史です。

今の会則変更に、この三代会長の意義付けが無い。
または、曖昧なのです。
これから正すべきは、この点なのだと思います。
先生のスピーチで師弟を論じてきた意味はそこです。
 

桜@青い太陽さま

 投稿者:壮年部A  投稿日:2015年 3月21日(土)00時38分53秒
  浴びせられた冷や水…その以前の書き込みもも含めて、涙出る思いで拝読いたしました。
ありがとうございました。
【創価学会と言う蓑などいらない】に込められた創価への恋慕の思いを汲み取りました。
仏様、大聖人様は、罰を与えるだけの存在では無いですよねえ。宗門は創価のこれまでの
御本尊を偽と騒いでますが…下付停止にしたから…でしょう?
きちんと功徳有ります。正しく御本尊に祈れば。
一切衆生を救いたいと言う、大誓願の基、ご出現成されるんだと思います。

 

冷静な議論をしましょう

 投稿者:しなのそば  投稿日:2015年 3月21日(土)00時37分43秒
  太ちゃんさん、熱くなっているつもりはないかもしれませんが、どこか納得出来ずもやもやとしたものを抱いてられるのではないですか?

出て行かれる必要なんてありません。ただ、少し色々な書き込みに一つ一つ反応されるのを少し抑えられてはどうでしょうか?少し流れを見ていたら、勘違いや思い過ごしであることが分かったりします。

良いキャラをお持ちですから。また様々ご意見をお伺いしたいです。

しかしここで一番の牽引役である信濃町さんには、より一層活躍いただく必要がありますし。

ということでご理解いただきたく存じます。
 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月21日(土)00時16分22秒
編集済
  関係ないことを持ちだしたり、一方的な我見を述べないでくださいね。

何度かぶつかった?
勝手な思い込みでそれは違いますよ。
そういってるに過ぎません。

1回目
うららさんに、教学を学んでいかないと
教学論争に勝てなくなりますよ。
アドバイスしたにすぎません。
本尊論の正邪、師弟とは?
これらは教学上も明らかにしていかねばならない。
そういう段階に入るのです。
うららさんは、まれな存在です。
期待をしているからこそ、大局的見地からのアドバイス。
対合衆をうららさんにしましたが、正視眼で論じていくには
必ず必要になります。
ついてこれなくてもは、
あなたの大いなる誤読。しなのそば様が指摘した通りです。
あなた自身の勝手な混乱にすぎません。
くだらなすぎて、反論しませんでしたが。

2回目
教学部レポート配信の件
組織についてない事情から配信できなかった。
あなただけではありません。
送らない方は他にもいます。理由はメールに書いた通りです。
それを理解できずに、難癖をつけたから
掲示板でも明らかにしましたよね。メールだってあなたの責任において公開していただいて結構と言いました。
おかしなことを言っていると、皆様は判断しますよ。
そもそも、配信時には組織名についても本人確認の為に必須としました。

これで、あなたの大いなる勘違いだとわかりましたか?
 

了解しました(^^)

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)23時59分32秒
編集済
  普通に読んで『出てけ!』ということでしょうね?

これは僕の『勘違い』になりますでしょうか?(^^)



http://6027.teacup.com/situation/bbs/22580

(無題)   投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月20日(金)23時49分7秒

あなたの我見だと思いますね。
勝手な思い込みに勘違いも甚だしい。

何も頼んでいないし、何も頼まれる義務もない。
何度か、あなたを助けたり

一方的な勘違いについて
10000歩引いてましたが。

やれやれはこちらのセリフ。いい加減にしてくたさいね。



追伸:
コメントを増やす間でもないでしょうから追伸で。
今回の話かと思い、以下とは「違う話」と思ってましたよ。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/22584

↑この件なら続けたところで平行線になるだけでしょうね。


追伸:しなのそばさんへ
暖かいお言葉ありがとうございます(^^)
僕としては善意でやっているつもりだし、それが結果的に『ただの迷惑』でしかないなら出て行くしかないでしょう?
正直なところ、こういう事ならこのまま出て行くことに別に何の未練もないですよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)23時50分37秒
  控えないで、はっきりさせてくださいな。
あなたの大いなる勘違いを明らかにしますから。
 

桜さん変わりましたね(^^)

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)23時49分42秒
  おや?と思いながら拝見していました(^^)  

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)23時49分7秒
  あなたの我見だと思いますね。
勝手な思い込みに勘違いも甚だしい。

何も頼んでいないし、何も頼まれる義務もない。
何度か、あなたを助けたり

一方的な勘違いについて
10000歩引いてましたが。

やれやれはこちらのセリフ。いい加減にしてくたさいね。

 

浴びせられた冷や水

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時48分25秒
  草々の創価学会の話。今もあるかどうかは分からない。


ある女子部が、信心の話をするために、玄関先を訪問していた。


家主の男性は、彼女に罵声を浴びせ、散々、罵るのである。



彼女は、黙って耐えていた。


だが、激高する主人は、彼女に冷水を浴びせるのである。


一部始終を見ていた、近所の人が、たまらず、割って入って、「そこまでしなくてもいいだろう。」と逆に主人に注意をし、彼女にタオルを手渡す。



昔も今も、創価学会などこういう扱いかも知れない。


だが、学会員の振る舞いを、心ある人は見ているのだ。


黙って見ている人の心を動かすのが、信心である。


心ある人は、世間にいっぱいいる。

信心していなくとも、人情のある婦人、良識のあるご主人は、日本中にいるのだ。


昔と今と、学会のおかれている社会状況は違うかも知れない。かつては、信心をやめないと、会社をクビにするという時代もあった。


そういう日本の良心を敵に回す学会員は、正に法を落とす行為であろう。いるかどうかは知らないが。


人としての振舞、信仰者としての姿勢に、創価学会っていいものなのかも知れないと漠然とも思われたら、それは、仏様の使いである。


南無妙法蓮華経の経が大事とは、池田先生の指導である。

経とは、仏様の足である。

足を使って歩く。


仏の使いとして歩く事が、大事だというのである。


無理やり、聖教新聞を取ってもらう。公明党の支援をお願いする。法を下げるとは言わない。それ自体を否定する事はない。


何が大事か。

真心である。

振る舞いである。

常識である。


相手を尊重し、礼儀正しく行動する信仰者の姿勢である。


創価学会という蓑などいらない。


浴びせられた水の中で、仏道修行する純真な信心に、仏が宿るのである。言い換えれば、正義があるのである。


世法に迎合しろとは言わない。折伏は重要だ。


時と機も、勿論だ。


法とは、新聞の勧誘でも、特定政党の支持依頼でもない。


人の振舞である。

釈尊の出世の本懐は、人の振舞なのだ。


情熱も勇気も大事だが、誠意と感謝と良識は、もっと大事である。

相手の心を打つのが、仏法者の使命である。


師弟不二も重要だが、一番、偉いのは、池田先生ではない。

一番、偉いのは、無名の庶民である。


知ってるか知らないか知らないが、有名人など浮草のようなものである。

公明党の国会議員が偉いのではない。また、偉くしてもいけない。


議員など、庶民の家来である。


無名でも、路傍の石でも、この世には、凄い人は山ほどいる。

雑草のような庶民に、偉大な魂の人は、たくさん、いるのである。


誤解を恐れないで言えば、池田大作よりも、会員さんの方が偉いというのが、本来の創価学会の組織である。

知られていないような民衆の中に、信仰者の模範のような人はいる。いや、本当にいるのだ。


真実の実像というのは、マスコミや学会の書物や、中傷記事ではなく、無名の庶民の菩薩の精神に宿るのである。


そいう人々が、創価学会を支えているのである。

大事なものは、表に出ないのだ。

浴びせられた冷水は、不軽菩薩の魂である。

仏様は、いるのだ。


学がなくても、人情がある。教学がなくとも、生きる知恵がある。学歴がなくとも人柄がいい。全部、なくても、信心がある。

無告の民は、黙って微笑んでいるのである。


注釈・・・・「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書1174ページ)

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

近況・・

 投稿者:妙の照覧影の人  投稿日:2015年 3月20日(金)23時46分27秒
編集済
  過疎地の男子様

私も過疎地の壮年部です。そうですね。池田先生は良く途中はどでもよい。最後が勝負だ。最後に勝てば良いんだよと言われていました。私も人生の後半に近づいてきて、これまで様々体験をさせて頂きました。本当に祈りは必ず良い方向へと一歩一歩、宿命転換してまいりました。それも先生のご指導通り戦って来たからであると確信しております。

真剣な祈りと真剣な闘い(特に悪を許さない)は現象が必ず出ていました。3,11の震災でも周りは様々有りましたが、私は大功徳を頂きました。これも悪との闘争のお陰と感謝しております。
組織悪は何処にでも有ると思っております。それを当時の全国青年部長など等、本部職員の方にも先輩を通して指導も受けてきましたが、聞くだけ聞くが、う~と。うなずきながら結論は出ませんでした。

また池田先生は戸田先生に「お前は学会が好きかと」聞かれ、日頃からいい加減な幹部の姿を見ていたので、一瞬悩み。しかし先生の創られた学会を嫌いだとは言えず、好きですと言われたそうです。すると戸田先生即座にお前は嘘つきだ。そんなに嫌ならお前が好きな学会を創れば良いじゃないかと言われた話を聞いた時には、そうだ。変えて行けば良いんだと決意し戦ってきた次第です。

しかし、難しいですよ。池田先生だから出来るような話であると。しかし良く考えれば、先生が言われた言葉は即我々弟子に言われて居る事だと気づかされ反省もしまた。
しかし、やっぱり難しいですよ。組織悪と戦うことはね。今私は一人で闘っているつもりです。余り周りを巻き込みたくないので。

また話し長くなりましたね。そういえば近況でした。
本日久しぶりに本部教宣部長宅にお邪魔しましたら、やはり今回の会則改定には明確な指導は無かったと、ぼやいていました。またその方家族が折伏した女子部が脱会し、顕正会に入ったとの手紙と顕正新聞が届いたそうです。今は顕正会の青年の方が元気が良いからなと言ってましたよ。やっぱりかと思う次第です。

また私、地元公明市会議員(女性)ご夫婦とも良く話をしますが、最近の学会の折伏は、一人暮らしや仕事に就けない壮年の一人暮らしの方で生活保護申請の方が多くくて参りましたと。当然困っているわけだから救っていくのは解るが、逆に利用されていないかと危惧しておりますと。

何か全てが「逆転現象や空回り」が起きている気がしてなりません。


 

虹と創価家族様

 投稿者:だいせーどー  投稿日:2015年 3月20日(金)23時43分31秒
  >>三代の歴史を否定した原田会長のふるまいは、厳しく言えば先生と会員を断絶する行為です。

会員が会則改定を肯定すれば、知らないうちに仏敵から先生への攻撃を容認したことになるからです。<<

ここですよね。池田先生をとるか、創価学会の組織をとるか。
師弟の魂のない学会では、先生がお亡くなりになった後が見えませんね。

>>また「独立した宗教団体だからとやかく言われる筋合いはない」という理屈は、自分から言わせれば悪と戦わない行為。<<

折伏を放棄していくことにもなりかねません。どなたかが指摘していましたが。

戸田先生も、池田先生も折伏の大将です。頭領です。だから大聖人の仏法を実践したことになるのに。

それを否定していく間違った方向にいくことを懸念しています。


>>先生への攻撃を無視する行為に繋がります。<<

そうですね。先生を守っていくには正しい言論戦が必要です。

今日の議論を見ていて思ったのは、やはり組織で戦わないと本当の学会はわからないし
池田先生のことは理解できないと思いました。

正視眼で見れるかどうか、実はここが大事なんですが。
ネットは、あまりにも偏っている書き込みが多いですね。

どんなに学会がおかしくなろうとも、現場で闘いながら正していくしかない。
だから、除名などは勿体ないです。現場で踏ん張った方がよい。


組織信仰は間違いですが、そもそも正しく指導できる幹部が少なくなった。
選挙なんかも、なんで公明党を今回応援するの?こういうことをしっかりと指導できる人がいない。それは、谷川事務総長になってから、この流れが加速しているように思います。
そもそも公明党の政策も与党にいたいが為に、変な妥協になっている。

池田先生のスピーチも、我見でしか読めていない方がいるのは残念ですね。

ここのところを皆が実践できていないのが、今の学会の問題なんですかね。
如是我聞が必要ですね。



 

みかん箱の信心

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時42分54秒
  その昔、草々の創価学会の友は、仏壇を買うお金もなく、極貧の人々は、みかん箱にご本尊を安置して祈っていた。



生きるか死ぬかという瀬戸際の中で、極貧の中を、懸命に題目を上げていたのである。



食べるものも、着るものも、勿論、娯楽もない。明日、死ぬかも知れないという窮乏である。


右を見ても、左を見ても、満天下の星空を見ても、希望も恵みもない、極寒の中、凍えてしまうような襤褸屋で、泣きながら、ご本尊に祈りを捧げる婦人。


仕事もなければ、金もない。借金取りに追われる父、病気で伏せる母、子供たちに食べさせるあったかいご飯もない。

仏壇なんかあるわけがない。


藁をも縋るような信心。


渇望するような信心。


必死の題目。


もうどうにもならないような最悪の状況の中で、草々の先達は、必死で信心を渇望した。


乾いた砂から水を出だし、湿れる土から炎を出だすような、強情な信心。


必死である。自分も、わが子も、両親も、このままでは助からない。このままの状況が続けば、一家は飢え死にしてしまう。


知恵もない。策もない。名案もない。頼れる知り合いもいない。


本当に、0から、いや、マイナスからの人生の宿命転換。


彼女ら、彼らは、この絶対的な絶望の渦中から、薄皮を一枚、一枚、剥ぐように、宿命を転換して行くのである。


不可能を可能とする信仰が、日本全土の津々浦々の路地裏で、土管の中で、襤褸屋の四畳半の中で、奇跡のように起こっていたのである。



人間の生きる力は無限である。その無限の息吹を引き出すのが、この信心だ。



砂に水が染み込むように、生命に渇望した民衆に、仏法の功力がマイナスに働くわけがない。


草々の学会の功徳と歓喜が、信じられない体験を多くもっているのは、その生活環境にあったのである。


祈りが強い。純真に直向きに、必死で祈ったから、結果が出たのである。



翻って、21世紀の現代。


立派な家を持ち、何不自由ない暮らしを謳歌出来るようになった同志は多い。


草々の聖教新聞の広告は、線香か蝋燭の広告しか取れなかった。



一流企業などに、相手にされるわけがないのである。


貧乏人と病人の集まりの、怪しげな新興宗教に、広告のクライアントなどつくわけがないのである。


馬鹿にされ、けなされ、時には冷笑される中、草創期、聖教新聞、広告部は戦ったのである。



いまや、大手の大企業、一流メーカーや建設会社など、そうそうたるクライアントの広告が掲載される聖教新聞。


大手の大新聞と遜色ない出で立ちである。


聖教新聞広告部だけではなく、創価学会の財力、金力、経済力は、いまや、社会的影響力も持つようになった。


聖教新聞がスポンサーにつくラジオやテレビ番組さえ、あるほどである。


第一次宗門問題の時に、池田先生が勇退され、北条会長が就任した折は、各界の名士の来賓も少なくたったと言う。


往年にもまして、暗い時代だったというのだ。


こんな惨めな学会ではだめだと、当時の幹部や会員は、社会的信用や経済力をつけるために、獅子奮迅したと言う。


そして、経済力も社会的影響力も人脈も創価学会は築き上げた。


相対的幸福の成就を見たのである。



「相対的」な「総体革命」である。


個人の相対的幸福も、組織の相対的幸福も、それ自体は否定しない。


いや、それも十分、必要だ。人間には。


だが、戸田城聖先生が提唱した、日蓮仏法の王道は、絶対的幸福境涯である。


金剛不壊の生命観である。



早く言えば、信心である。



巨大な会館の建立、人材の陸続とした輩出、立派な大学、学実機関や美術館の設立・・・・化義の広宣流布であり、一次的には、総体革命でもある。

否定はしないし、大事な事だ。


だが、その結果に安住して、草々の精神、学会精神を失ったら、絶対的幸福境涯には至らない。



いや、むしろ、その精神、信心を失ったら、全てはただの風景に過ぎない。



では、絶対的幸福とは何か。


そんなものがあるのか。



それは、豪華な仏壇に安置されたご本尊が知っている。


みかん箱の信心である。


苦しかった頃、悔しかった頃、寝ずに上げた題目、貧しさの中で味わった一杯の掛け蕎麦。


その時の自分に、強固な信心がある。学会精神がある。


本当の幸福があるのである。


学会本部の職員も、私以上の年齢の人間は、貧しかった人も多いのだ。


あの日、あの時の、自分の闘魂に、信心がある。金剛不壊の題目があるのである。



何が信心か。何が幸福か。


それはエベレストを踏破した時に終わるのではない。


必死な思いで、エベレストを登っている、その過程に宿るのである。



ましてや、師弟に生きる私どもは、相対的幸福の山を登っているのではない。


絶対的幸福という、前人未到の尾根に挑む炎の勇者ではないか。


師弟誓願の広布の丈夫ではないか。


相対的幸福は否定しない。

しかし、それに満足していたら、もはや、その幸福は幻である。


いかに、生きるのか。

門下一同、ゆめゆめ、忘れてはいけない。

永遠に戦いなのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

信心は見えるか

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時40分0秒
  人間に、最も必要なものは何か?


恋人?家族?兄弟?それとも、友人?


いや、そんなのじゃなくて、国家だ、社会だ、行政だ、法律だ、という人もいるかも知れない。


いやいや、人間にとって、食事の方が重要だろう。食べないと死んでしまう。

いや、待てよ。食事は、2~3日なら大丈夫だ。それより、水だ。水がないと死んでしまう。

一番、必要なのは、水である。


果たしてそうだろうか?


もっと、大事なものを忘れてはいないだろうか?


それは、空気である。



気が付いた方もおられるかも知れないが、空気は見えない。だから、重要性を意識出来ない。本当の意味での大切さを忘れてしまう。


ここに、信心の胆がある。

信心も目に見えない。実態があるわけではない。顕微鏡で見れば見えるというものではない。


だから、信心が何かとは、言葉で表現するしかない。


言論戦の急所も、この次元である。



見えないものは、心である。心こそ大切なのである。


日蓮大聖人は、信仰の神髄として、ご本尊を表された。これが、結論であって、日蓮仏法が難解難入なのも、結論がいきなり来る、演繹法だからである。



ご本尊の有難味を知るために、観心本尊抄や、開目抄、御義口伝などを読むのも悪くない。教学は重要だ。


御書の一節を拝読してから、ご本尊と相対するというのもいいだろう。


教学の重要性は否定しないが、人間の本然的感性は、実は、もっとシンプルである。


正本堂を建立した創価学会。その正本堂は、魔僧らの手によって破壊されてしまった。


本門の戒壇と言われた正本堂。


だが、壊れていないものがある。


それは、創価学会員の真心である。誠心であり、気持ちだ。


これは、衣の権威でも、破壊出来ない、金剛不壊の美しくも正しい清浄な心である。



見えないものほど、本質がある。功徳がある。歓喜も信心もあるのである。


鎌倉時代に、遠路はるばる大聖人のもとに、馳せ参じた婦人門下の信心・・・・彼女は教学もない漢字なんか読めない。だから、大聖人は、平仮名でお手紙を渡されたのだ。


真心には、真心で。誠実には、大誠実で。



こういう信心の神髄を忘れた弟子が、漢文のみの御書に拘り、御消息文を無視したのである。


信心が分からないから、こうなるだ。



漢文であろうが、かな文字であろうが、大聖人のお心に変わりはない。


見えないから、怖い。見えないから、気が付かない。


大聖人の権威を利用したのが、五老僧であり、信心の本質を見抜いていたのが、日興上人である。


だから、日興上人は、身延離山という、苦渋の決断をしたのである。


立派な建物、大聖人の御真筆のご本尊。


心がなければ、信心がなければ、ただの風景である。



きつねを拝む、鬼子母神を拝む、それ以前に、信心が分からないから、悲惨な結果が出るのである。



今の、宗門も同じである。大御本尊の権威で信徒を縛る。

信心と真逆の想念である。


信心は見えない。

心は見えない。


声高に、「心こそ大切なれ」と叫んでも、信心が分からなければ、誰もついて来ない。


真心とか、信心は、身分や階級ではない。


人間革命には、総理大臣よりも庶民の方が偉いと書いてある。

名もない無名の庶民に、信心の本当の姿がある。


馬鹿にしてはいけない。


この無名の庶民のために立たれるのが、本当の指導者である。本当の革命児である。



日蓮は、涙暇なしと仰せである。


この世から、悲惨の二字がなくなるのが、創価学会が結成された目的である。

不幸の二字をなくすための、題目である。


全ては、心で決まる。

信心で決まる。


その信心がなければ、いかに御本尊が結論を御図現された魂でも、歓喜も功徳も出ない。


心が、ただの観念の遊戯や、その場しのぎの慰めではないのは、信心を知ってる者なら、分かる。


この心が、全世界に広まる事が、化義の広宣流布なのだ。



注釈・・・「蔵の財よりも身の財すぐれたり・身の財より心の財第一なり・此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし」(御書1173頁)

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

うららさんへ

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)23時38分48秒
  そう感じてるから争いを避けるようにしようとしてるのだけどf^^;

3度やったところで喜ぶのはネット対策ぐらいのもんでしょうし。
 

らっきょうの信心

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時31分49秒
  創価学会第二代会長、戸田城聖先生は、学会は「らっきょう」であると喝破した。


らっきょうは、剥いても剥いても中身が出てこない。

創価学会は何か裏がある。隠している事がある。聖教新聞に出ない裏がある。そういう事は絶対にないと断じたのである。


創価学会は、らっきょうだと言うのである。

池田先生の先生の戸田先生の指導なのだから、真剣に門下一同、傾聴するべきだ。

金もいらぬ、名もいらぬ、世のため人のための信心。これが学会の原点である。


宗門との軋轢がない時代だ。


現在の宗門は、戸田先生を持ち上げ、池田先生を批判している。師弟の分断である。


しかし、戸田先生と日淳上人が、懇意で親密だったという事実を無視した話であり、池田先生が会長になってからは、猊下が違う。日達さんであり、微妙な存在である。そして、相承のない日顕になってから、完全に宗門との亀裂が決定的になったのである。


簡単いうと、池田先生の財産のほとんどは、宗門に奪われたのであり、その後の第二次宗門問題や、聖教座談会の罵詈雑言、かなり無理のある裁判訴訟など、完全に弟子の方法論の失態であり、逆に創価学会の信用や法を落したと言える。



さて、らっきょうの信心の話である。


戸田先生の指導に背けば、当然、師弟の分断になる。


宗門の言う次元とはレベルが違うのだ。


剥いても剥いても中身がない。おかしい・・・全く分からない。おかしな奴らだ・・・これが、宗教界の王者の本来の姿である。


幸福の科学のような宗教ビジネスなら分かりやすい。

世間も納得するのだ。


伝統宗教のように、神仏を祀り上げ、お布施を取る。

こんなのは生きた宗教ではない。

これが、戸田先生の言うらっきょうの信心だ。


菩薩の修行なのだ。


実際に苦悩する民衆に分け入って、貧乏人と病人を救うのが、宗教界の王者である。


正義と平和と慈悲の団体である。


金も名誉も権威、権力もいらないというのが、戸田先生率いる闘争集団としての正義の獅子の団体である。


剥いたら、剥いたら、色々なものが出てきた・・・・これは、もう、創価学会ではない。恩師に顔向け出来ないではないか。


真摯に誠実に愚直に生きよ。


先師に恥をかかすな。

誰にも恥じぬ正義を勝ち取れ。

それが、師弟不二だ。人間主義だ。


知恵第一の舎利弗は、乞食に目玉をくれと言われ、片目を布施する。乞食は、それをもらうと、捨て去り、唾を吐くのである。



これに怒った舎利弗は、菩薩行を捨て、一人、解脱の道に入ってしまう。


これでは、広宣流布は出来ない。

一人で覚醒して、民衆を救わないのは、菩薩ではない。


悩める人、病める人、苦しんでいる人々を救うのが、地涌の菩薩である。

そこに、成道の道がある。


らっきょうになるのである。

金も名誉も権威も権力もいらない。

俺には信心がある。

私には信心がある。

これが、創価の魂であり、人間主義の丈夫である。


名聞名利の退転者、反逆者に腹を立て、罵倒するのは、日蓮仏法ではない。

それは、忽目のバラモンの信心だ。

外道である。


反逆者も最後には救うのだ。

救えないのは、私どもの信心が足りないのである。


提婆達多も最後には成仏させる。

これが、大乗仏教の精髄であり、信心の王道である。


そこに、人権がある。普遍的な人間主義がある。


らっきょうの信心は、無敵である。

行きづまりもない。

絶対的幸福境涯に至るのである。



あの人がこうだ、この人がこうだでは、もはや、観念にもならない。


人を救え。

悩める友は、全国、全世界にいるのである。


誰かに輝かせてもらうような月になるな。

私どもが、太陽となって、悩める衆生を輝かせるのである。


真実は一つ。

らっきょうの信心である。


『身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり』(開目抄下 P232)

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

こんばんは!

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 3月20日(金)23時30分46秒
  mさま  承知いたしました。私は太ちゃんの方の掲示板にちょっと勉強し、書き込んでいきたいことがありますので、
一旦、お相手退かせていただきますが、まずはお心の内をお話して見られてはいかがでしょうか。
共感される方もいらっしゃると思います。私もあれからmさまにアドバイスいただき題目あげ、
お陰様でさっそく動きがありました。ありがとうございます。

太ちゃん こちらは信濃町さんを尊重しませんか。掲示板上ではなおさら、今日明日、分かり合えるというわけにもいかないと思います。
 

生きた宗教

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時29分34秒
  創価学会は生きた宗教である。


檀上からの幹部の指導がご仏智に適っているとは限らない。


それは、結局、教会での牧師の講話と同じで、有難く聞く話ではない。


宗教で飯を食っている宗教を職業にしている人間が、高い檀上から会員に指導する事だけが、宗教なら、もう、その宗教は形骸化した腐敗した形式主義だ。


創価大学を優秀な成績で卒業した苦労しらずの本部職員が、副会長になって、会員の指導など出来るわけがない。


草創の学会の歓喜と功徳は、座談会や個人指導が、体験と御書とが融合した生きた指導で、相手の仏性を触発し、苦悩する民衆を蘇生させるという、生きた実践の宗教だったからである。

体験がなければ、ただの口先だけの偽善である。


体験がなければ、御書の一節を拝しても、それは、単なる読み合わせである。


体験があるから、苦悩する民衆に同苦出来る。体験があるから、言葉に確信がある。体験があるから、情熱が伝わる。体験があるから、言葉が相手の心に刺さるのである。



自分が体験がないのに、相手を納得させる事など出来ない。


そもそも、指導とは、相手を納得させる仏道修行なのだ。


言葉の遊びではない。


苦悩する会員の心に寄り添い、確信と慈悲の言葉で、友の魂を蘇生させられないなら、創価学会の幹部の資格はないし、また、幹部にしてもいけない。



指導とは、相手を救う聖業である。


間違った指導をすれば、会員は苦悩する。最悪、脱会する。正法を捨てるのだ。



そんな指導をする者は、幹部失格である。


指導する者は、指導を受ける者よりも、一歩も二歩も先を行く修行者でなければならない。


創価学会の未来の成否は、幹部で決まる。



学ばない幹部。苦労を知らない幹部。慈悲のない幹部、真剣でない幹部。そういう幹部のいる地域は、衰退する。


会員が苦悩する。会員が苦しむ。会員が悩み悲しむ。


全部、幹部の責任である。


そうなった場合は、それは、もう、創価学会ではない。カルトだ。


相手よりも、勉強し、相手よりも教学を知り、相手よりも体験も苦労もしている智勇兼備の闘将だけが、創価学会の幹部になれる。


数の打ちだしだけの形骸化した単なる活動家は、活動家ではなく、活動屋であって、成長も功徳もない、組織にいてもらっても困る病んだ歯車である。


新聞の購読数を競う。それなら、新聞屋になれ。


選挙支援の内だしに狂奔する。それなら、信心などいらないではないか。


座談会の結集の数の目標だけが一人歩きする。

そんなの人間主義ではない。

人に会い、激励するのが、地涌の菩薩である。


池田先生は、全国津々浦々の友と一期一会で、魂の激励をして来た。これが菩薩だ。仏の使いだ。大聖人の名代だ。


人間革命を読む前に、幹部が人間革命しろ。

出来ないなら、とっとと、宗門に行け。宗門に役職はいっぱいある。そういう幹部はいらない。いてもらっても困るのだ。

幹部が錆びる。幹部が劣化する。幹部が勉強を怠る。


そうなれば、組織は動かなくなる。動いても、歓喜も功徳もない。勿論、成仏も出来ない。日本も滅ぶだろう。


幹部は活動屋ではない。

また、そんな活動なら参加しないでいい。

家族と食事でもしていた方がいい。

価値を創造するのが、創価学会の目的であって、無価値を生む活動ならやめていい。

そんな活動を強いるなら、本部は潰れるだろう。

無理する必要はない。

日本も滅ぶのだ。


悩める民衆を覚醒させ、信心で歓喜と功徳を与えるのが、創価学会の設立された目的である。

地涌の菩薩の集団なのだ。

民衆を救う聖業である。

公明党を支援させるなら、幹部は議員よりも勉強していなければならない。出来ないなら支援などやめろ。


御書は、勉強会ではない。ましてや、読み合わせではない。


指導の場である。

御書学習会は、指導の道場である。


教学は生きた信心の宝剣である。


御書を学ぶのは、創価学会ではない。

それでは、声聞縁覚ではないか。二乗の戯言である。


御書で、人を救うのが、創価学会である。

出来ないなら、創価学会など解散しろ。


御書を研鑽するのは、人を救うためである。

菩薩のための剣が、御書だ。

勘違いしてはいけない。

激励と指導で、相手を納得させ、歓喜と功徳で魂を蘇生させる菩薩の集団が創価学会である。




菩薩の行を忘れて、象牙の塔にこもるのは、才能ある畜生である。

創価学会などやめて、学者になればいいのである。


創価学会は、民衆を救う団体である。

生きた宗教である。

慈悲と確信によって、魂の救済をする菩薩の集団である。


株式会社ではない。

宗教法人でもない。


宗教界の王者なのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

やれやれだなぁf--;

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)23時28分18秒
  信濃町の人びとさんが『発端』を切り開いたのは素晴らしいことだと大きく評価をしております。

信濃町の人びとさんのご指摘は実は承知の上で『方便』としてあのように話したのです。

なぜそうしたのかは控えた方がいいでしょうね。
 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)23時12分2秒
編集済
  あれって良かったって何?勝手な憶測の決めつけでは?

押し付け合いなどしてませんよ。
あなたが間違っているから、指摘しているにすぎませんが?
 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)23時08分41秒
編集済
  意味不明ですね。はっきり言われたらどうですか?
そちらこそいい加減にしては?
勝手に思い込まないでくださいね。
 

それこそこの辺にしておいた方が良いのでは?f^^;

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)23時03分56秒
  信濃町の人びとさん、すでに二度もぶつかっていますよね?

あれって『良かったこと』でしたか?
みなさんの状態を見ればよかったかどうか明瞭ではないでしょうか。

こちらとしてはなんとか円滑に進められるようにしようとしているのですよ。
お互いに『押し付け合い』をしても仕方ないと思いますよ?
 

秋谷会長

 投稿者:信濃町のネット対策の対策  投稿日:2015年 3月20日(金)22時36分53秒
  職員の皆様も音楽隊の皆様も目の当たりにした本部幹部会での秋谷会長の土下座について。

秋谷会長が悪いから?
池田先生が悪いから?

池田先生を師匠とする職員や音楽隊員なら、誰でも当たり前に、秋谷会長が悪いからと答えるでしょう。

師匠池田先生に土下座までさせられる秋谷会長を今、信用できるのかが今問われています。

そして秋谷会長と親しい間柄の八尋さん。

職員さん、音楽隊員の皆様はこんな二人を信用できますか?
会員さんに信用できますと言えますか?

あの場面を知る心ある職員さんや音楽隊員さんの率直な意見を聞きたいです。
 

ロマン様、信濃町様、深く同意致します。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 3月20日(金)22時21分2秒
  会則改定で三代の歴史を否定した原田会長のふるまいは、厳しく言えば先生と会員を断絶する行為です。

会員が会則改定を肯定すれば、知らないうちに仏敵から先生への攻撃を容認したことになるからです。

また「独立した宗教団体だからとやかく言われる筋合いはない」という理屈は、自分から言わせれば悪と戦わない行為。

先生への攻撃を無視する行為に繋がります。

先生の敵と戦わないことは、創価正義を永遠に勝ち取ることはできません。

学会員は、知らないうちに四人組と与同罪になっている。

先生との師弟の絆が、知らないうちに破壊されているかもしれません。


>ロマン様が言われている通りです。
創価学会が駄目になる。潰れるということは、
日蓮大聖人の教えを誰が実現するのか。
誰もいなくなります。<
 

「勝つ」ということ

 投稿者:過疎地の男子  投稿日:2015年 3月20日(金)22時13分1秒
  久しぶりに書き込みします。




昭和34年3月号の『大白蓮華』に、当時参謀室長の池田先生の指導が掲載されています。

「敗れるのと負けるのとは、どう違うのか」という質問に対する答え。



「(前略)戸田先生が会長になるのを嫌がって罰を受けられ、事業に失敗されたとき、お車で迎えに行ったら、
『このおれは負けないぞ。戸田は負けたのではない、敗れたのだ』
という不思議なことをいわれたのを、いまだに記憶しています。

われわれの人生においても、負け戦というものがあるんです。このような時に変毒為薬して、乗り切っていけば負けたとは云いきれない。教学もそうじゃないか。落っこちちゃって、もうダメだとあきらめたら負けなのだ。

 勝負けは 人の生命の 常なれど
 最後の勝ちをば 仏にぞ祈らん

これは会長先生から最後にいただいた御歌です。

人間は立ち上がることができるか、いなかによって、立ち上がることができないときに負け、立ち上がれるのは敗れたのだ」



どのように受け止め、解釈するかは、各人のものだと思います。

ただ、私個人として思うことは、
勝った勝ったの連続などということは、人生の中では有り得ないことだと思います。

私自身も今日までの来し方を振り返ると、ボロ雑巾のように、憐れで惨めな姿を晒して生きてきた時期が、厳然とあります。

ですから、新聞で「勝ちまくれ」や「勝利勝利の人生を」などという言葉を見聞すると、
娑婆の苦労を何にも知らない連中が書いているんじゃないか?
という気持ちが湧いてくるのです。

この当時の先生のご指導は、娑婆世界の中で苦しみながらも懸命に生きる同志への慈愛に溢れているように思えるのです。



私は、現実社会のなかで、時には「敗れる」ことが多くても、「最後の勝ち」を目指す生き方をしていきたいと願っています。
 

再掲します

 投稿者:ロマン  投稿日:2015年 3月20日(金)22時01分35秒
  投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年 9月 2日(火)19時31分15秒
悪汁ブシャーさんへのお返事です。

悪汁様

お疲れ様です。
端的にズバリ核心を突きます。
矢野追撃を何故指示されたかつきるのです。

矢野→秋谷→八尋は一蓮托生。
それぞれ役割や目的は異なりますが、池田先生がど真ん中にいる創価学会が嫌であり、先生が邪魔なのです。
表向きの顔と裏でやっていることが違う。
それをよく表しているのが、ルノアールの事件です。何故解明されなかったか?

国税と警視庁が介入していたのですよ。
不思議ではないですか?

ルノアールにより八尋の悪事がばれる。
それを防ごうとした。
誰か?
秋谷です。秋谷と八尋は親密です。
秋谷は矢野とも親密で、矢野を使い妨害した。

宗教団体が美術品を買い、関連の美術館で目玉として展示することは当たり前でなんらやましいことはない。他宗でもやっているし、元々、芸術のパトロンは宗教です。

堂々と買えばよかったのです。
何故おかしな買い方をしたのか?
全く不思議ですよね。
この時期には様々な不祥事が出ました。
金庫事件、矢野の明電工事件。
藤原、大橋問題。株の損失補填問題。
それらの裏処理に関わった。

その後、学会は激しく矢野を追求します。
矢野は学会の査問などの人権侵害に対して激しく怒り、暴露本出版の第二弾が計画されていた。

八尋や秋谷にとっては、甚だ不都合だったわけです。先生、先生と。表向きは先生利用。
裏では悪事と学会利用。矢野はそれらの裏仕事をしていた。

先生は早くからその悪を見抜いていた。
宗門に勝ち、宗門の悪をたたきだす。
公明党の悪をたたきだす。
最後に学会幹部の悪をたたきだす。

谷川は自分が会長に成りたい一心から、悪に染まり魂を売り渡した男なのです。

浅見追放は谷川らと八尋、葬儀屋の合作です。
追放の人事は秋谷。佐藤は泣いてよろこぶ。


> 信濃町の人びとさんへのお返事です。
>
> 失礼、先日少し触れてくれていたんだね
>
> >矢野追撃は結局、八尋に潰され、悪に食い破られて、負けたのが和解の結果です。
>
> この投稿だと少し抽象的というか
> 具体的には、なぜ八尋に潰されて、和解になったのだろうか?
>
 

論題に戻します

 投稿者:ロマン  投稿日:2015年 3月20日(金)21時53分0秒
  やはり、キーワードは「矢野本」になるのでしょうかね。

谷川副会長は、こう語っていた。
「もとより『週刊新潮』の記事は、事実無根の悪質な捏造記事である。
矢野の本性を、法廷の場で白日の下に明らかにし、厳然たる決着をつけてまいりたい」

結果は皆さま御存知のとおりです。
 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)21時48分34秒
  すいません。今でもさんも、太ちゃんの論も
大いに違います。

違うというよりは、そのどちらも正しいです。大聖人の説かれた仏法の意味を考えればわかります。

当時の仏教上の常識や理論を使ったにすぎません。
大切なのは、その意味にあります。

これは、池田先生のスピーチを学ぶ上でも大切です。

なんのため、誰のため。表層だけをなめていては駄目です。





 

会則改定の悪

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 3月20日(金)21時46分48秒
編集済
  会則改定は先生への非難中傷を増大させただけではない。
小樽問答で先生と共に戦った会員の歴史をも否定する。

民衆が先生と共に邪宗と戦い、創価の正義を勝ち取った偉大なる歴史。
その歴史を誇りとして生き抜いてきた、創価功労者の心がわからないのだろうか。

民衆の痛みが理解できない原田会長と執行部。
冷たい人たちだ。

冷たい輩が、今、冷笑している。

先生の敵と戦うという一念で団結できれば、善の勢力は必ず四人組を打ち滅ぼす!
 

re: いまでも創価学会員さんへ

 投稿者:いまでも創価学会員  投稿日:2015年 3月20日(金)21時41分9秒
編集済
  >太ちゃんさん

> 思い切り勘違いしてるようだけどf^^;
> 「意図」でいうならこういうことですよ。
> 大聖人は『不幸が起こって欲しい』としているわけではなく『起こってしまうぞ?』ということで主張しているのですよ。それ以上でもそれ以下でもないです。
> ちなみに、大聖人の主張は、たとえ天災であっても、その根底にあるのは人災、というのが主張内容なんですよ。
>
> 誹謗正法の国には災厄が起こる。起こらないわけがない。(以下は完全にあなたの思い込みによる誤読です)

「思い切り勘違い」ですか、日蓮は災害を望んでいたわけはないと。で、

> 誹謗正法の国には災厄が起こる。起こらないわけがない。(以下は完全にあなたの思い込みによる誤読です)

ここまでは間違いではないとおっしゃってるのでしょうか。

私は天災と宗教への信とに必然的な関連があるという考え方には異議があります。もし日蓮がそんなことを言っているとしたら、日蓮が間違っているというだけの話です。

誹謗正法の国(誹謗正法の基準は何でしょうかね)には必ず災厄(自然災害)が起こる、なんてことは全くの間違いであると、私は「信」じております。
(^^;;)
 

太ちゃん

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)21時40分22秒
  それは大いに違います。

その二つは、一体です。合一です。

それが、大聖人の仏法です。よく思索してください。
自分の闘争と自分の頭で考えてみてください。
 

re: 【第一回青年部「3.16」記念大会】全集第八十九巻/1-10

 投稿者:いまでも創価学会員  投稿日:2015年 3月20日(金)21時23分5秒
編集済
  >河内平野さん

私も関西の人間なんですが、

> 《「3.16」の魂は「勝つこと」にある》
>
> 「3・16」。その魂は、盛大な儀式でもなく、かっこうのよい言葉でもない。
>
> 大事なことは、ただ一つ、「勝つこと」である。

常勝関西なんてのに飽き飽きしております。いや、常に勝つなんてことはありえませんでしょう。

池田さんの発言は、常に勝つことばかり主張していたと一見思えます。確かに戦争なんかに負けてしまうとどんだけそれを引きずるのかわからないですからね。

でも、池田さんは必ずしも勝つことに対してさほど強調されてなかったりしたんじゃねえのかって思うことがあります。

御存知かも知れませんが、いつかの3月16日付けの池田さんの言葉に、

「君よ
 勝ち負けを超越して
 常に朗らかにして
 確信が満ち光る
 人間であってもらいたい」

てのがあるんですよ。

私はこの言葉は好きですね。「勝ち負けを超越して」っていうところが泣けてきます。

この言葉を聞いた当時、勝つなんてことにこだわらず、まあ、できるだけ負けないようになんて思いましたです。今は創価学会なんてのに関わること自体を避けたいと思っているのに、こんな掲示板に書き込みをしているわけですから、まだまだですねえ。
 

使命で二極化

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)20時57分5秒
  ごめんなさい。
水を差す目的ではなく、たぶん同じく感じてる人がいるだろうからちょっと話すのだけどね。

真面目に信仰する人は、破折型か自他共の幸福路線型か、というどちらかに流れる傾向があるように感じています。日本は風土のためか、概ね『自他共の幸福路線型』が多いように感じております。いずれも必要な要素でしょうね。

どちらになるかは、それぞれの『使命』に拠るように感じています。
僕が信濃町の人びとさんにたまに『オイタ』をするのも、僕は本来は『自他共の幸福型』だからだろうと感じているんですけどね。

今でも思うのだけど、よくまぁあの当時の『ネット上の空気』の時期に、こういう流れになるよう「クサビ」を打ち込めたものだと感じています。そして今でも牽引してきている。『破折型』の使命の方なのでしょうね。だからこそできたことと感じています。

この掲示板の話題は『破折型』の内容であるから、『自他共の幸福』を使命としてる方にはやはり難しいだろうと感じるのです。破折も自他共の幸福の両方ともバランスよく、という人はなかなかいないですね。どちらかの専門家としてスキルを積むのがやはり効率よく自分も周囲も幸せになれるもののようです。

それで、この掲示板は『破折型』の最前線になっているけれど、『自他共の幸福型』の最前線は、僕の知る限りでは「ブログ村」にいる『真実を語る』の場所が相当してるように感じています。訪れる方は多様で、管理人さんは変に飾ったりせず自然体なので、訪れる人には『憩いの場』となっていながら信心についての話題が連日活発です。

紹介をしたのは、自分の使命に合った環境の方が福運を積みやすいからです。
十分に使命のスキルを積んだ上で、苦手な側のスキルを積んでも遅くはないでしょう。

話が反れて失礼しましたm(__)m
 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)20時16分21秒
  ロマン様が言われている通りです。
創価学会が駄目になる。潰れるということは、
日蓮大聖人の教えを誰が実現するのか。

誰もいなくなります。

三代会長の闘争は何だったのか。こう疑問に思われてしまう。
今、創価学会に必要なのは、師弟とは何かです。

この趣旨で、全てを論じなければ、ただの騒ぎにしか見られません。

引き続き皆様で論議をしていきましょう。
 

混沌した時こそ冷静に

 投稿者:ロマン  投稿日:2015年 3月20日(金)19時40分0秒
  内部の中でさえ二分される状況になっていることを問題視した方がいいですよ。
創価学会と日蓮正宗という対立軸ではなく、創価学会内で意見が割れている。
そのことが、「九割付いてこれればいい」という無慈悲な発言につながっているわけですから。

感情的な議論は何も生み出しません。
ほくそ笑む者がいるだけですから。
 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)19時30分50秒
編集済
  他の方が何かを書こうと思っているのに、荒れた状態だと、
書けません。見ている方も離れていきます。
結果、掲示板が矮小化されます。
よい議論での激しい攻防はよいですが。

太ちゃん、了解ありがとう。

壮年部A様も論旨をしっかり整理して書いてください。

本部が査問をするのは、リスクがあるから、
意味ある相手にしかしません。常識で考えてください。
どうしても、潰したい人間にしかしませんよ。

また、本部側の言う、ある大物…誰かは…
事情通であれば、当然に知っている話し。私もその事情通のひとり。議論不要でお願いします。
 

(無題)

 投稿者:創価班OB  投稿日:2015年 3月20日(金)19時24分57秒
  喧嘩している暇があったら、法戦に向けての政治学習に勤しみましょうww  

了解!

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)19時14分40秒
  >ちょっと二人とももうやめましょうよ。

日本語が読めない人に言っても仕方ないもんね。
そういう人も今の組織状態では実際いますね。

嘆いても仕方ないけれど。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

(無題)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 3月20日(金)18時58分33秒
  ちょっと二人とももうやめましょうよ。
意味がないです。壮年部A様はもう何回目ですか?
何度も注意されてませんか?
ストレス発散の場ではありませんよ。
 

太さま

 投稿者:壮年部A  投稿日:2015年 3月20日(金)18時53分47秒
  ゴミ捨て場で聖教新聞拾いしてないで購読しよ。贈呈しよか?
川崎じゃ配達出来なけどさ。それ、拾えたら、功徳なの?(笑)
だいたいさ。上から目線で、人様に功徳の有る無し聞く前に、
東日本大震災で災難に会われた方を、罰みたいに言うの止めようね。
 

いいかげん笑われてる事に気づいたら?

 投稿者:太ちゃん  投稿日:2015年 3月20日(金)18時15分39秒
編集済
  その『聖教新聞』を読んでるのがお前A自身なんだろ?

お前の言動からは『クズ新聞』でしかない、という『印象』を与えることであろうね。

宗門のやつらに習って『形』だけでしか相手を言えないようではね。

負け犬人生は楽しいかい?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

虫が湧く・・・季節 !

 投稿者:河内平野  投稿日:2015年 3月20日(金)17時58分59秒
  春ですなぁ~ 笑  

うららさん

 投稿者:m  投稿日:2015年 3月20日(金)17時54分12秒
  このくらいの書き込みなら許されるかな

お誘いありがとうございます。
ただ、私は数年前に掲示板から退いて、仕事と地域の現場に徹しておりまして。
他の掲示板に書き込むほどの余裕がないのです。
こちらの掲示板は特別だったんで。・・・・
すみません。
 

久々に

 投稿者:壮年部A  投稿日:2015年 3月20日(金)17時13分41秒
  笑えた。組織についてない、どいつかに、今の組織事情だって。お腹痛いほど笑えたあ。  

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