桂米朝さん葬儀に参列した上岡龍太郎氏(右は松尾貴史)=25日、大阪府吹田市(撮影・恵守乾)【拡大】
「(オスマン・)サンコンさんが『ギニアでは年寄りが1人死ぬと図書館がなくなったという』そうです。米朝師匠は図書館どころか、寄席も博物館も全部なくなったようなもん。考えられんくらい何でも知ってはる」
最後の“対面”は米朝アンドロイドが登場した12年。引退後、楽屋などに足を踏み入れない上岡さんは客席から見た。それ以来の“再会”は、微笑んだ遺影と。
月亭可朝(77)の一門あいさつを、「年は4つ上でも同期みたいなもん。カチョヤンらしくてよかった」と聞いた。
「米朝師匠のすごいとこはね、可朝、枝雀、ざこば、吉朝と形が違う弟子を育てた。米朝師匠もそんだけ幅が広かったんでしょう」
「よう頑張ってる」とざこばらの踏ん張りを見て、一門の将来に不安はない。
「好きだった人が全部向こうに逝きはったんで、ボクも早いこと逝った方が楽しそうやな」と言う上岡さん。それは米朝さんが許さない。
(紙面から)