桂米朝さん告別式に参列後、取材に応じる上岡龍太郎氏【拡大】
「一般人ですから」。報道陣の問いかけに、本人であることは認めながらも、ノーコメントで最寄り駅へと歩を進めた上岡さん。米朝さんへの思いについて聞かれると、上岡節がよみがえった。
「ただただお礼を(言いました)。『おまはんも、もう一門みたいなもんや』と言うてくださった。ほんと、ありがたかったですよ」
上岡さんが公の場で発言するのは、2011年12月の立川談志さんお別れ会以来。「横山ノック、桂枝雀、立川談志、夢路いとし・喜味こいし、米朝師匠。ボクの憧れてた人がこれで全部亡くなりました」と失意は大きい。若い頃に入門も考えた「桂米朝」だから、こんなこだわりも。
「100年経って、知らん人ばっかりになったら(名跡を)継いでいいかもしれんけど、永久欠番でしょうね。継いだ人がかわいそう。継ぐべきやない。誰か下手なんが継いで、『悪いけど、米朝は…』と言えるのもオモロいかもしれんけど」
ひねってニヤリの上岡節は健在。弟子入りこそしなかったが、共著「米朝・上岡が語る昭和上方漫才」(00年)など、米朝さんから直接学んだものは一言で表せない。