ガイドブックは持たない。
駅の地図を見て、歩く方向を決めればいい。
足の向くまま、気の向くまま、町の臍を探して歩く。
町の臍といっても抽象的で主観的だが、オーラを放っているというのだろうか。
このたたずまいはちょっと違う。そう思わせるのが町の臍だ。
人を惹きつける磁場とでも言おうか。
地理、方位、中国で言う風水みたいな、科学でははじきだせない力が作用して、
もちろん都市計画などとは関係なく、
なるべくして町の中心になったような場所。
そんなわけで、注意深く歩けば、よそ者だって足が向く。
二十代のころ、母の里に近い今津に行った。
母によれば、今津はその界隈では東京のような町だった。
何かがあれば今津に買い物に行く。そしたら何でも揃うという。
だが、幼いころ母の里帰りについて行って見た今津は、寂れた田舎町だった。
さてそのとき、その今津を10数年ぶりに改めて歩いた。
旧街道風の細い通りに、旅籠風の宿屋があった。
小さな宿だが、どこか違う。只者ではないという気配がした。
帰ってから母に聞いたら、町でいちばんの宿だったとか。
宿の近くには、見かけは野暮ったいけれど老舗で知られる川魚屋などが立ち並び、
鮎の飴炊きの匂いが漂っていた。
グルメ番組では取り上げられないが、昔からここの名物といえば、鮎の飴炊きだった。
要するに、こういうところが町の臍だ。
臍を見つけたところで、何をするわけでもない。
喫茶店があればお茶を飲み、店の人に旅行で来たことをぼそっと話す。
運が良ければ、町について話してくれる。
日が暮れないうちにすべきことは、夜に行く飲み屋の品定め。
昼間から飲めれば、なお嬉しい。
地元の人が、何を肴にどんな酒を飲んでいるか横目で眺め、話の中身に聞き耳を立てる。
すべては地元の人の日常であり、自分にとっては非日常。
そこにいるだけで十分だ。
心地よければ再訪する。
また来ようと思っても、別の町に移り気すると、なかなか来られないこともある。
観光振興だの、地域マーケティングだの、何をかいわんや。
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