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白マントさん
戸塚アンダーパスの開通で閉鎖される「戸塚大踏切」の最後の様子は?(はまれぽ編集部のキニナル)
130年近い歴史の最後の瞬間に立ち会おうと「戸塚大踏切」の周りには多くの人が。住民は「便利になるがさみしい、複雑」といった声。関連イベントも
ライター:はまれぽ編集部 (2015/03/25)
「開かずの踏切」閉鎖
1962(昭和37)年の計画決定から実に50年以上の年月を経た2015(平成27)年3月25日(水)午後3時、戸塚区民のみならず横浜市民としても悲願だった「戸塚アンダーパス」が全面開通した。
全面開通した戸塚アンダーパス(25日午後3時5分ごろ)
これによって、ピーク時には1時間のうち57分が遮断される「開かずの踏切」として知られたJR戸塚駅北側の「戸塚大踏切」が同日午後4時をもって閉鎖された。
役目を終えた「戸塚大踏切」
当日は「戸塚大踏切」の最後の雄姿を見ようと午後2時前には大勢の人が駆けつけた。
踏切前で写真を撮る人たち
車道を挟んで反対側もこの人の数
デッキの上や
線路の反対にも多くの人が
「子どもが小さいころ、電車や踏切の“カンカン”という音が好きで、ここに連れて来たり、踏切の動画を撮って見せていた」という戸塚区の吉田さんご一家は「さみしい気持ちもあるが、便利になった方がいい」と話してくれた。
お話し、ありがとうございます
一方で生まれも育ちも戸塚区で、旧国鉄に勤務していたころは「戸塚大踏切」の保守作業をしていたという男性(81歳)は「みんなは(アンダーパス開通や踏切閉鎖で)便利になるというけれど『さみしい』という言葉では表せない複雑な気持ち」と言った後で、しばらく踏切越しに電車を眺めていた。
踏切を見守る男性
「戸塚大踏切」の正式名称は「東海道踏切」。神奈川県の「踏切道調査表」によると、道幅15.3メートル、長さ34.8メートル。東海道線、横須賀線、東海道貨物線のそれぞれ上下線計6線が横断する。
長く、電車の本数も多いので横断は難しい
JR東日本横浜支社などによると「戸塚大踏切」の設置年度は不明だが、東海道線が開業した1887(明治20)年前後からあるといわれている。
「戸塚大踏切」の閉鎖・撤去を機に戸塚駅を挟んだ東西の街づくりをより進めていこう、という地元有志が発行した『戸塚踏切新聞』によると、1933(昭和8)年に神奈川県議会が鉄道相(現在の国土交通相)に踏切改修の意見書を提出することを決めた文書が残っているという。
地元有志が発行した『戸塚踏切新聞』
80年以上も前から戸塚の交通を滞らせていた「戸塚大踏切」の様子は、アンダーパス開通前日に行われた記念式典でも地域の写真館などが撮影した写真で紹介されていた。
1965(昭和40)年ごろ、戸塚駅東口側からの様子
2003(平成15)年ごろの「戸塚大踏切」
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