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武者小路実篤ら文豪が魯迅の弟に宛てた書簡発見3月25日 21時00分
武者小路実篤や島崎藤村といった日本の文豪たちが大正から昭和にかけて中国の作家、魯迅の弟に宛てた1400通余りの手紙などが中国で見つかり、専門家は激動の時代を生きた日中の文化人の交流を知る貴重な資料だと話しています。
見つかったのは中国の作家・魯迅の弟で、自身も作家として活躍した周作人に宛てて日本の文豪などが書いた手紙やはがきで、中国・北京に住む周作人の孫が保管していました。
調査の依頼を受けて、北京を訪問した日本近代文学が専門で弘前学院大学大学院の顧偉良教授によりますと、明治から昭和にかけて活躍した文豪や文学者、それに民間人350人余りが大正初期から周作人が亡くなる昭和40年代にかけて送った1400通余りが見つかったということです。
周作人は明治時代に兄の魯迅とともに日本に渡り、帰国後、大学教授として日本文学などを研究していたことから、日本の文豪たちと交流があったということです。
このうち、武者小路実篤が昭和18年に送った手紙には漢の時代のすずりをもらったことへの感謝の気持ちが記されています。
また、島崎藤村が本名で書いた手紙や、戦後、中国を訪問したいと願った晩年の谷崎潤一郎が妻に代筆させて書いたとみられる貴重な手紙なども残されています。
顧教授は「これだけ多くの書簡が保管されているのは極めて珍しい。激動の時代を生きた日中の文化人の交流を知るうえで貴重な資料だ」と話しています。
顧教授は今後、北京を再び訪問して手紙などの内容をさらに詳しく調べるとともに、日本に送られた書簡も探すなどして本格的な研究を進めていきたいとしています。
調査の依頼を受けて、北京を訪問した日本近代文学が専門で弘前学院大学大学院の顧偉良教授によりますと、明治から昭和にかけて活躍した文豪や文学者、それに民間人350人余りが大正初期から周作人が亡くなる昭和40年代にかけて送った1400通余りが見つかったということです。
周作人は明治時代に兄の魯迅とともに日本に渡り、帰国後、大学教授として日本文学などを研究していたことから、日本の文豪たちと交流があったということです。
このうち、武者小路実篤が昭和18年に送った手紙には漢の時代のすずりをもらったことへの感謝の気持ちが記されています。
また、島崎藤村が本名で書いた手紙や、戦後、中国を訪問したいと願った晩年の谷崎潤一郎が妻に代筆させて書いたとみられる貴重な手紙なども残されています。
顧教授は「これだけ多くの書簡が保管されているのは極めて珍しい。激動の時代を生きた日中の文化人の交流を知るうえで貴重な資料だ」と話しています。
顧教授は今後、北京を再び訪問して手紙などの内容をさらに詳しく調べるとともに、日本に送られた書簡も探すなどして本格的な研究を進めていきたいとしています。