司会 第一部では潜在自然植生にもとづく植林についての宮脇理論や、ブナ林の特性につい
てとくに害虫や菌類などの研究成果をふまえて、植物界、動物界、菌界などと、ブナ林そのも
のの仕組み、人手による再生というか更新が非常に難しいこと。つぎに、人間の営みの歴史の
なかでミズナラなどの二次林に変わり、その水源林としてあるいは生物多様性についても話し
合ってきました。
今度は、水源林としてのブナ、保水力、美味しい水、管理費、ブナ信仰の是正、教育、全国発
信などについて話し合いたいと思います。
まず、ここ13年間以上にわたって青森市は水源林として美味しい水を確保しようと、世界に
例がないようなブナ植林をしてきたわけですが、これはどのようないきさつからになりますか。
「考える会」への青森市水道部の回答(5月)
C ちょっと長くなりますが、またパネルディスカッションで市長も触れていますが、ご参
考までに「考える会」の質問に対する青森市水道部の回答を紹介します。
水道部の回答
平素から本市の水道事業はもとより、市政各般にわたり、格別のご支援、ご協力をいただき心
からお礼を申し上げます。また、水道事業に係る貴重なご意見、そして参考資料を紹介いただ
き、重ねてお礼を申し上げます。
このたびのご質問である「水源林の伐採という極めて重大な事案にあたって当然有識者の意見
を参考にされたと思いますが、その内容をお知らせくださいませんか」とのことについてお答
えいたします。
ご承知のとおり、横内浄水場の集水区域は、昭和30年の青森市と周辺町村との合併以前には、
横内村村有地であったため、一部土地等が売却され、さらに薪や木炭等の生産のため、横内川
上流地域に繁茂していたブナ、ミズナラ、コナラ、カエデ等の自然木がすべて伐採され、裸山
同然の状態で長年放置されておりました。
しかし、横内浄水場の集水区域から供給されている水道水は、昭和59年に「日本一おいしい
水」のお墨付きをいただいたことから、その水源を守るために、平成4年度から集水区域に点在
する民有地を買収するとともに、「水と森を守る運動」として市民ボランティアと一緒になっ
て、ブナ植林事業(水源涵養保安林整備事業)を進めてまいりました。
この植林事業は、林野庁が奨励している森林空間総合整備事業に沿って、裸地化の防止と林地
回復のための樹下植栽とブナ植栽の支障となる笹、潅木、あばれ木等の伐採、枝払いなど極力
自然木を残し、育成複層林を形成・整備をしているものであります。
これまで、平成4年度から平成14年度までの11年間で、32ヘクタールの敷地に約12万
8千本のブナを植林しておりますが、その苗木は青森県内のブナの種子から育てたものを使用
し、活着率は99%で、平成4年度に植えた苗木は、背丈が5.2メートル、幹の太さが7.5
センチメートルと立派な森に成長しております。
この事業の実施に当たりましては、森林の位置する自然条件及び立地条件ならびに気象条件等
の自然特性の把握はもとより、森林整備のための高度な技術と豊富な経験が求められることか
ら、青森森林管理署OBの方や森林組合あおもり等のご意見をいただきながら行っているとこ
ろであります。
今後とも、八甲田山系の前岳の中腹から湧き出る湧水、その豊かな生態系が育まれ、おいしい
水を供給し続けることができるよう、管理・育成には十分意を用いてまいりたいと考えており
ますのでご理解賜りたいと存じます。
水道水は、市民生活にとりまして欠くことのできない重要なものでありますので、これからも
水道事業へのご理解、ご協力を賜りますようお願いいたします。
平成15年5月23日
以上が回答の全文です。
ボタンの掛け違いは、ここからはじまったといえるでしょう。水文学など水源林の専門家に意
見をただすこともなく、水源林としてのミズナラ伐採とブナ植栽は、市長の意向を受けて計画
され実行されたのでしょう。こともなげに、この重大な事業が決定された経緯は驚くばかりで
す。さすが事業実行にあたっては、いわゆる有識者の助言を仰いだものと推測されます。この
ことはパネルディスカッションを聞いても分かります。
「ブナ植林」を建築にたとえれば・・・・
H 水道部様の回答を聞いてブナ植林事始めの全貌が浮き出てきましたね。こんなことだろ
うといった感じは受けるのですが、これがボタンの掛け違いといわれると納得です。
私は、35年前に刊行された「青森市水道60年史」(1969年)通史を読んでみました。
確かに1909年、当時の市長が将来の横内浄水場の水質悪化を懸念し、水源にあたる国有林
の払い下げを申請しましたが、却下されたという記述があります。八甲田山麓観光開発による
水質の悪化があったとの指摘も見られます。現市長は、過去における森林荒廃の事実をあげ、
1988年の就任直後から当地の財産区有地の地上権取得や民有地の取得をはじめたというこ
とは通史に沿っています。水源の将来保証は正しいし、これは評価しうる施策といえます。
ただ、35年前の水質悪化は汚水浄化技術によって解消されたでしょうし、国有林の乱伐など
で汚染源になることもすでになく、過去の問題だったでしょう。問題のブナ植林地においても
薪炭用の伐採はなくなり、結果が1984年の「日本一美味しい水」となったのです。その後
さらに二次林の木々は成長し、その8年後から始まるブナ植林事業には水源保護の必然性など
あろうはずがなく、公金、善意の無駄遣いであり、これは失策だと思います。
もう少しいわせてください。私は高校の生物部で虫を追いかけるところから始まりながら、横
道にそれてしまった人間ですが、このプロジェクト、用地買収以降ですが、建築のプロセスに
たとえてみることを思い立ちました。当たっているかどうか分かりませんが。
1.企画段階(存在していたかどうか?) 時流に乗った何かを作ろう。
2.計画段階 コンセプトと規模と内容は、ゆくゆく考えていけばいい。とにかく「ブナの館」
で行こう。どこか知り合いで、館について知ってる人を探そう。経験者、メンテナンス業者の
つてでもいいじゃないか。
3.基本設計段階 とりあえず第一期分の枠造りをして進めよう。全体の敷地規模が決まってい
ないが、計画段階で世話になった人の方針でいいじゃないか。設計事務所に頼むと設計料がか
かるし、もったいない。
4.実施設計段階 計画段階で世話になった人が仕様書を作ってくれた。これでいいじゃない
か。二期以降もあるから頼んだよ。設計施工一貫方式は楽でいいよ。・・・・これは必ずしも悪い
選択ではありませんが、今回の場合、水源涵養、水文学といった根本的検討がなされなかった
ことは、客観的な視点にかけていたということで、設計施工一貫方式ではありがちなことです。
5.業者決定
6.施工 近隣説明もしなくていいし、どうせ市民は喜んで手伝ってくれる。何と素晴しいプ
ロジェクトなのだろう。銅像ものだ。粛粛と進む。市民に対するPRは大事です。ミズナラな
ど残材発生。良かったら好きに処分していいです。といったかどうかは知りませんが、保安林
指定の手続きだけは忘れないでしてくれ。
7.水を差される どうしよう。話を聞いたふりをしておいて、権威あるデザイナー先生に最
後の仕上げのところで何とかつくろってもらおう。計画段階で少しお金をかけても専門家の話
を聞いておけばよかった。構造計算もしてなかったよな。
8.シンポジウム 拍手喝采、良かった良かった。
9.さて、今後の展開は如何に。
以上は、決して個人の名誉を傷つけることを目的として考えたわけではありませんが、世の中
にはよくあることだと思うし、そうだとすれば直していく必要があります。
「通史」と「たとえ話」をあげたのは、市民の皆さんに時間的スケールということにも着目し
ていただきたいと思ってのことです。さらに人為以前、つまり、自然や森林が自律的に持って
いる時間というものもあります。過去に薪炭林であったミズナラ主体林が、暴れ木の藪に見え
たのかも知れませんが、そこには100年単位、1000年単位以上の過去の歴史があるし、
同じく100年後、1000年後の自然に成長し自然に変化し続ける将来の森林の姿が存在し
ているはずなのです。植林を考える前に、その自然な森林の将来にまずは思いを馳せることも、
現代人にとっては必要だったのではないかと思います。
しかし、土地の公有化、白神山地の世界遺産登録後すぐのブナ植林、数値目標設定、問題の発
生、シンポジウム開催と事が進みました。自然の営みの、時間の流れから見たならば、電光石
火の早わざともいえます。これは一般的な見方では、行動力、実行力ともとることが出来るの
かもしれません。しかし指導者が性急な時間的センスしか持ち合わせていなかったがゆえに、
現地の森林の状況を把握することが出来なかったのであろうし、問題指摘に対しても、踏みと
どまって考えることが出来なかった、ともいえるのではないでしょうか。協力者や、メディア
もそうだったかもしれません。
司会 たいへん分かりやすいたとえ話です。「日本一美味しい水」とか、公金、善意の無駄
遣いとかはあとで議論したいと思います。ところで、全国的に水源林とか保安林への広葉樹の
植林がはやっています。ところが横内水源地では、なぜブナ一辺倒でいったのか。これが「考
える会」の疑問なのですが、白神山地の世界遺産効果があり、ブナ信仰が蔓延してしまったと、
よくいわれますね。これについて、宮脇博士は「ブナの宣伝が行き過ぎてアレルギーを感じて
いるかたが」とまではいったが、深くは言及しませんでした。
D 昔話になりますが、30年ほど前の在職時代は担当業務が森林昆虫の研究でした。当時、
農水省の大型研究があって、私どもの研究室では八幡平北山麓の兄川流域、ここは海抜750
m前後ありますが、5年間毎月2回のトラップ回収作業で山歩きをしていました。当時はブル
ドーザー集材が盛んに行われていて、チェンソ−で切り倒された大きなブナが枝葉を付けたま
ま引きずられ、まるで巨大なホウキで山肌をえぐる様な状態でした。業界のパルプ需要をまか
なう要請に応えてのブナ征伐だったのかもしれません。
この当時聞かされたことですが、低質広葉樹のブナを伐採して有用というか成長の早い針葉樹
に切り替えていくというのが大方針だったようで、毎年広大な面積の「低質広葉樹林」が破壊
されて消滅したのでした。たまたま、征伐しにくい立地に残っていたのが白神山地だっただけ
のことです。「世界自然遺産」に登録されて以来いつの間にか「ブナ信仰」が広まり、「ブナ
を植えるイベントに参加すること」が素晴らしい善行だと思われてしまったのです。一度、広
まった「ブナ信仰」を是正させるのは容易ではないかも知れません。気長に粘り強く誤りを正
していきましょう。
「ブナ至上信仰」は白神世界遺産から?!
H 私は「ブナ至上」の論理形成過程を次のように推測してみました。
まず八甲田山などの過去のブナ伐採に対する「感慨」とか「郷愁」が潜在的にあった。白神山
地の世界自然遺産登録(1993年)は手付かずの自然というのがまず前提です。実際にはそ
うでもなかったようなのですが・・・・。それはそれとして、白神ではそれがブナ林であったとい
うことですが、ブナ林は構成が比較的単純で視覚的にも小奇麗で見栄えがします。表面的には
誰でも理解できる自然だったのです。
皮肉なことですが、すべてが人工的に管理された都会人が、観光客として踏み込めるちょうど
よい自然のレベルなのではないかと思います。そこに意図的か否かはさておき、メディアと政
治が参入してきました。表面的には誰でも理解できるブナ林は情報として大変管理しやすい。
「売れる」「受ける」の発生です。つまり報道しやすいし施策しやすい。これは、あの頃の都
会人を巻き込んだイベントとかお祭り騒ぎを思い出してみればよく分かると思います。
司会 マスコミ、とくにテレビですが、これでもかこれでもかと放送しましたね。決まって
「保水力」というのが「売り」でした。そして、ブナを植えると保水力が高まるんだ、水は一
番美味しいのだという、「ブナ至上信仰」が全国的に高まってしまったのですね。
ウェブ検索で「ブナ 植林」とやります。出ました出ました、1万2000件も出ました。そ
のなかでトップに出たのが、話題として不名誉なことですが「特集・横内水源地ブナ植林問題
を考える」。本当にビックリです。水源との関連は蔵王とかがありますが、あとはボランティ
ア奨励とか自然学習が多い。それも関東以北が多いようで、ブナへの関心度の高さがうかがわ
れます。ただ、何でもブナを植えれば自然が豊かになるとか、水が美味しいなどといわれるの
は困ります。正しい理解をしてもらわないと。まず「保水力」ですが。
保水力一番は嘘!「ブナ1本、水277リットル」は藩の戒めから
C この犯人を突き止めるのには、ずいぶん苦労しました。ブナ保水力に関する原典があ
るのか。「ブナは、木一本が貯め込む水の量が277リットルと大変高い保水能力をもってい
ます」。これは「青森市環境計画」の一節ですが、専門家に色々と照会しました。
森林総研東北支所の森林水文学を専門にしている人は、「筑波の森林総研におったときは聞い
たことがない。東北支所に来て初めて知った。白神遺産関連で出てきた話ではないのか。少な
くとも原典となる研究報告は見たことがない。」ということです。岩手大学農学部の石井正典
教授、この方は森林水文学の権威ですが、「ブナ至上主義の震源地はNHKか?」といってい
るのです。1979年7月9日「奥さんとごいっしょに」という番組で、当時慶応大学教授の
加藤寛氏が言及した。その後、NHKやその他マスコミが定説のようにブナ優位を報道するよ
うになったというのです。先生はこのことを抗議しましたが、NHKは保水力説を撤回し、口
頭で詫びたそうです。「平成10年1月28日、NHK盛岡放送局大瀧放送部長が、今後は根
拠のない報道はしないと詫びた。」という記録が残っているそうです。
司会 それにしても「ブナの木一本、水277リットル」ということは、ここまで詳細なデー
タを出されると一般のひとは鵜呑みにしてしまいますね。世間話として流布されるだけであれ
ば、それもまあまあですが、為政者が施策の根拠にされるとなるとたまったものでないですね。
C 青森市水道部が盛んにブナ優位保水力のPRに使っているものですから、ここでもたず
ねてみました。すると新聞に書いていたということですが、詳しくは教えてくれませんでした。
先日、277リットルの出典を石井教授にたずねたとき、藩政の戒めである「ブナ一本、水一
石をはぐくむ」ではないかとの指摘がありましたので、探しました。これがズバリ的中でした。
新聞記事を発見しました。1993年8月29日の「東奥日報・日曜特集」の「山を歩けば」
という記事。なかほどに「『ブナの木一本、水一石』といわれる、ブナの森の豊かな保水力」
とあります。藩が領民へ示した禁伐の戒めが、逆の意味で引用されたのでした。語る人、書く
人、掲載する人、引用した人。関わったすべてが善意でよかれとやったことでしたが、思わぬ
結果を生んでしまった。ブナ至上信仰弊害の始まりでした。
司会 石井教授にお願いして「考える会」で講演会を開きましたね。
C 石井教授の話は専門的すぎるので、簡単に要約します。
「そもそも問題となる保水力なる語彙は、森林水文学では、はっきりした定義はなく、森林土
壌に限定する場合と、その下の岩盤まで含める場合とを区別する必要がある。一般にいわれる
保水力は、農学であつかう畑地土壌の静的な毛管水をいうのであって、森林水文学では、動的
な移動水についていう言葉である。そして、保水力のよい山とは、樹種に関係なく樹木の根が
地下深く伸びている森林が好ましい。その点で、ブナは浅根性なのでスギやアカマツよりも保
水力は弱いといえる。その意味でもアカマツやミズナラの今まで育っていた前生樹を伐採して、
わざわざ生長が遅くしかも根の浅いブナを植林するのは、あやまりということになる」という
ことになります。
【石井正典教授講演会と見解】
石井正典教授講演会3月12日青森市中央市民センター大会議室
石井正典教授(岩手大学農学部)見解
B 私自身も、水文学をやっている研究者からブナがとくに保水力がつよいということはな
い、という話を聞いたことがありますし、村井先生の本でも、スギとの実験の例がそのように
なっていたと思います。
もともとの植生という点からいうと、すでに育っているナラを伐採してまでブナを植えるとい
うのは、一時的に保水力を失うことになりますし、コストも余計にかかるわけです。原植生の
ブナにもどすとしても、現在の森林の能力を失わないように、ゆっくりもどしてやったほうが、
コスト的にも理にかなっていると思います。
司会 水源地植林は、コストからいっても、時間からしても無駄なことをしたと思います。
ただ、宮脇博士は、ドイツでも水源林にはブナが一番といっていますね。なにか根拠があるの
ですか。
B ドイツのブナ林の多くは、植えたというよりは、いわゆる天然更新です。ブナの母樹が
種子を落とし生えてきた実生を、林冠木をじょうずに伐採しながら明るくしてゆくことでコン
トロールしたものです。日本もこのやり方を最初に導入しようとしたのですが、ササや低木が
豊富すぎて失敗しています。オランダやデンマークなどではブナの植林がありました。
G ドイツでもブナを植えたのでしょうか。ドイツ人が植林したのはトウヒとミズナラに
近いヨーロッパナラ、旧ドイツマルク硬貨の図案にもなった木ですね、その2種であって、ブ
ナを植えたのは英国人だと思ってましたが。確かにドイツの樹種別順位を検索するとドイツト
ウヒ32%、オウシュウアカマツ28%、ヨーロッパブナ23%、ヨーロッパナラ8%なんて
データが出てくるので植えられた、あるいは天然更新により殖やされた可能性はありますね。
「保水力一番」を広報から削除しよう
司会 いずれにしても「保水力が一番」という寓話は、青森市のホームページに踊っています。
早めに修正しないと全国の笑いモノになる。会の小関代表もパネルディスカッションでそこは
強調していたところですが。また会としても、このような間違いについてキチンと理由をつけ
て全国に発信しておかないと、日本中がブナ信仰におかされてしまう、無駄骨が永遠につづく
ことになります。
E これからきたものだと思いますが、この前、JRに乗って座席にあった広報誌を開い
てみました。すると「ブナの木一本、年間8トン」という記述が出ていました。活字でも電波
でも、またたく間に全国に広まってしまいます。これからブナについて物書きする人は、この
辺をわきまえないと頭のほどが疑われますから注意しないと。
「日本一美味しい水」の検証
司会 美味しい水ということについても、科学的な根拠を明確にしておかないと、これも全
国の笑いモノになる。「ブナの雫」という青森市のPR用のペットボトルがありますが、ブナ
だから美味しいということにされてしまえば大変です。「横内水源地の水が日本一」という評
価の考察。これについてはいかがでしょうか。
I 私は浄水場勤務の経験があるので基本的なことをいいます。
浄水場に流入する水、つまり原水の水質の測定項目は、おおよそ、濁度、水温、電気伝導度、
アルカリ度、アンモニア性窒素濃度、このほか人間の感覚を用いて測定するものに色度、臭気
など。顕微鏡を用いて、微生物のチェックも行います。このほか、気象観測も行っていると思
います。
確たる文献を読んだわけではありませんが、以上の項目のうち、水源の植生の変化によって影
響が現れるのは、電気伝導度、アルカリ度、アンモニア性窒素濃度、微生物ではないかと思い
ます。
濁度計には透過式と反射式とがあり、透過式は検体に光を当てて透過する光の減衰の程度によ
り濁度を測ります。検体に色度があると、それを濁度として読んでしまうという欠点がありま
す。反射式は、検体に光を当てて、検体中の濁質から反射してくる光の強さで濁度をはかるも
ので、濁質の色または反射率により誤差が出る欠点があります。
水質計器ですが、水温計を除いて、1週間から2週間ごとに校正をかけなければならず、この
ほか1か月に1度行うメンテナンス、1年に1回行わなければならないメンテナンス項目があ
るなど、けっこう保守に手間がかかります。以上、ご参考までです。
司会 水道部の回答にありましたが、青森市の水道水は昭和59年に「日本一美味しい水」
とお墨付きをもらった。これは誇ってよいことですが、ブナが保水した水だからそうなんだ、
ということは非常に難しい論法だと思いますが。
H 実際には横内浄水場の水の供給率は青森市の約40%なのですが、青森市を代表する
水が美味しいのは事実ですし、これを宣伝し守るという発想までは間違っていませんね。この
点では当局も市民、そして当会にしても、共通認識であるはずです。ところが当局は、美味し
い水イコールブナの木、ブナ植林で動いてしまったものですから、周りを見渡すことができな
くなってしまいました。パネルディスカッションも含めて、振りまわされた市民は気の毒な感
じもします。
美味しい水イコールブナの木、ブナ植林という思考の連鎖をいったん断ち切る表現は、あった
方が良いと思います。横内浄水場の集水域の自然条件として、気候、地質、植生について簡単
にふれることを思い立ってもいいのではないでしょうか。美味しいか、そうでないかは、数値
としても判定できるのかも知れませんが、私が意図するのは、水源地部分のことではなく、植
生との関連もいったん切り離して、およそ八甲田山前岳から水源地にいたる部分の、地質の概
要の説明です。先ほど地質学専門家の教示がありましたが。「・・・・八甲田山火砕流堆積物(ロ
ーム)上に発達した・・・・」あたりがどうかなと、いま思っています。
集水域の地形図を見て、ここは火山灰堆積地であろうとの推測はつくのですが、目だった土地
利用もなく、おおかた森林に覆われていたことが、やはり「美味しい水」を生んだのではない
でしょうか。また、上流に酸性水が湧き出るところもない。想像ですが、この火山灰層をゆっ
くり通ってろ過された水が良かったんだと。
司会 パネルディスカッションの出だしで市長がしみじみと語りかけていました。八甲田山
前岳のふもとに深く分け入って、やっとのことでたどりついた「まるで森の精が、集会場所の
ような神秘的な場所」というくだりです。これがいま、Hさんが話したことと通じるのではな
いかと思います。ブナの保水力とか植林とは、いったん切り離して考えて見る。
それにしても、さきほどコストの問題とかが出てきました。市民、国民の、税金の使い方のこ
とです。
「ブナ植林」は税金の無駄遣い
C これは、横内水源地の水源涵養林を云々する場合忘れてならないことです。パネルディ
スカッションでは、財政的な話は小関代表以外はまったく話題にしませんでした。コーディネ
ーターもおかしいではありませんか。青森市水道部の財政状況は赤字です。水道部のHP(財
政状況)をご覧になればハッキリしています。借入金の利息支払い11.3億円です。これ以
上の詳細は省略しますが。
これでも、せっかくの伸び盛りのミズナラを伐ってまで、「本物の森」にするためブナを植え
ましょうというのです。効果のない土嚢を敷設したり、ペットボトル製造などまるで湯水のご
とく無駄遣いをやっているとしか思えません。市議会ではほとんど問題にされなかったのでし
た。議員の怠慢というべきでしょう。ある主婦がいいました、「働き盛りの木を切って、赤ち
ゃんから育てるなんて時間と労力無駄!」。
水源林に関しては叙勲を受けた学者様よりも、主婦の直感が正しいとしか言いようがありませ
ん。「本物の森」の欺瞞性は、ホームページでも徹底的に糾明すべきと思います。水文学者の、
石井教授の次の言葉を改めて問いかけましょう。「ミズナラなど、すでに育っている木を大切
に育てることが、水源涵養林としては、理に適っている」。これに「考える会」は「横内水源
涵養林としては、最も理に適っている」と付け加えるのです。
H 私は一つ疑問を持っています。それは、ブナ問題の政治的な本質を誰も明らかにしよ
うとしないことです。これは会の目的ではなく、本来、メディア、議会が機能していればよい
だけのことなのです。しかしこの部分は、解明しておかないと一般市民が気の毒でなりません。
なぜ今の市政がブナ植林継続に執着するのかについて最低限議論されて、一般市民にも考えて
もらわないと、将来に生きてこないのではないでしょうか。
G 「行政コスト、つまり税金を使って行政が行う施策は、住民の幸せや快適さの向上に
つながるものでなければならない」という思いが、私にはずっとあります。なぜか行政は公僕
たる本分を忘れて権力者になってしまい、権力者の都合優先で行政が行われてきているきらい
があるわけです。今回の問題の、一連の流れをみると、この典型だと思っています。
日本国中どこにでもこの問題はあるのです。あれだけの行政コストを使いながら、主権者たる
日本国民は幸せになっているのでしょうか。官僚機構が自己肥大を続け行政コストが大幅アッ
プし、国家の借金が膨らむなか、増税、年金問題など、根本解決の糸口すら見つかっていませ
ん、というより見つけたくないのです。企業は赤字だと、リストラを余儀なくされますが、行
政にとってはそれはまるで不可侵の聖域であるかのようです。
今回のブナ植樹問題にもこれが当てはまりませんか。合法的な手続きを経ていますので、違法
ではありませんが、あれだけの金を使って得たものはなんだったのか。企業であれば、株主に
よる糾弾は当然で退陣を要求されることになります。いま公務員の試験に合格するためには法
律の勉強が不可欠ですが、法律はあくまで手段であるべきなのに、大多数の日本人と官僚にと
っては、法律が目的となってしまい、法の目的が忘れ去られ条文が全てになるという悪弊に染
まっています。法律なんて所詮、人間のつくったもの。不備があるのはあたりまえ。問題はそ
の目的です。
それに対して自然は、知れば知るほど精緻につくられている。だれが何の目的で創ったかわか
らないが、とにかく巧妙に出来ている。巧妙に運用されている。人間はもっと謙虚になって自
然を畏れ敬うべきではないかと思うのです。そんな態度で自然に接してくれたならば、あのブ
ナ植樹問題などおきなかったでしょう。自然科学教育が不足しています。日本の建て直しはや
はり教育からでしょう。
水源涵養林の望ましい姿は?
司会 グッサリ突き刺さる、いや突き刺さって欲しい言葉ですね。自然科学教育が一番、これ
は後回しにします。ここで水源林というか涵養林についてハッキリさせておこうと思います。
C 石井教授は水源涵養林として望ましい姿は、樹種・人工・天然林の別なく法正林であ
るといっておられます。法正林というのは、厳正法正林と広義の法正林とがあり、前者は「伐
期に至るまでの各林齢の林分が等面積ずつ存在する森林」をさし、後者は「毎年一定量の収穫
を持続的に供給できる森林」をさす林学用語です。
老齢過熟林は、その意味では好ましくない。むしろ法正林を維持するための伐採も必要であり、
またその伐根が保水力維持には有効であるということになりますでしょうか。
B もうちょっと付け加えましょう。「法正林」といいますが、これは、林業経営を行う
場合の概念です。森林が成長する速さとほぼ同じ量を伐採して、常に木材を生産しながら森林
の蓄積量を減らさない方法です。水源林の場合に、このような方法を目指しておられるのでし
ょうか。私は、基本的には、水源林をどのような森林にしたいのか、という問題によって、目
指す森林が異なると思います。いくつかオプションがあると思います。
1)水源林として他の機能を期待せず、できるだけ自然で永続的な森林をめざす。
2)水源林と同時に、市民の憩いの場など市民が利用(木材以外)をめざす。
3)水源林と同時に木材生産をめざす。
法正林が理想の形となるのは3)の場合です。青森市での議論の詳細を知りませんが、今回は
1)あるいは2)で議論されているのではないかと思いますが、どうでしょうか。
1)の場合には、やはりブナ林を目指したほうがいいと思います。ただ、その場合でも、現在
草原状あるいは裸地になっているところでは、とにかく、まず森林に戻すことが水源林として
は重要です。そのため、ブナよりも成長の速い樹種、もちろん地元のものですが、これを植栽
し、それらに、ブナを混ぜて植えるか、成長の早い樹種が成林したあとでブナに変えてゆくや
り方が良いと思います。いまあるミズナラを伐採してブナを植えるというようなことは、一時
的に森林の持っている機能を損なうことになるので、よくないと思います。ブナに変えてゆく
のは、森林の中でミズナラが枯れた場所や、森林の中で樹木の少ない場所に、植えるというよ
うな作業をすべきです。自然の森林は、十分な広さであれば、自然の力で森林が続いてゆくの
で、将来的なコストは少なくてすみます。また、温暖化を考えると、ブナだけの植林でないほ
うがいい場合もあるでしょう。その場合は、カエデ類は有力候補だと思います。
2)の場合には、いろいろな森林をめざすことが可能だと思います。昔の薪炭雑木林のように
して維持してゆくこともできるでしょうし、公園のようなかたちで維持してゆくことも可能だ
と思います。そのあたりは、青森市や周辺のみなさんの選択だと思います。ただ、水源林とし
ての機能を失わずに森林を管理することが必要となるので、大面積に伐採したり、林床を全部
刈り払ったり、という管理は適当とはいえません。定期的に小規模の伐採をすれば、ミズナラ
林として維持できますし、伐採する樹種を選択的に選んだり、そのあとに植える樹木を選んだ
りすればいろいろな森林を作ることができると思います。ただし、数百年のスケールで考える
と、現在の気候が続けばミズナラ林を自然のままで維持してゆくことは難しくなるだろうと思
います。
私が、ブナの植栽に違和感をもつのは、
1)新しい場所、とくに裸地にブナを植えるよりは、他の成長の速い地元の広葉樹をまず植え
て、とりあえず森林としての回復を優先させるべきです。ブナを植えるとしても、これらに混
ぜて植えるか、あるいは、成林したあとにすべき。ブナを植えても、他の植物、草とか樹木、
つるに負けるので、手入れにコストがかかりますよ。
2)現在の森林を伐採してまでブナを植えるのは、水源林の機能を損なう。また、余計なコス
トをかけてしまう。植えるとしたら、現在小面積で樹木がない場所(ギャップ)などで、林床
を多少刈りはらって植える。そのほうが、将来の手入れコストもかからないのです。
司会 法正林という意味、そして水源林の望ましい姿、さらにブナを植えた場合の問題点など、
関係者にはよく知ってほしいことです。さきほどHさんから建築の工程になぞった話がありま
したが、ひとつの思いつきがあって、それが組織のなかでトップダウンされ民間、市民まで巻
き込んでしまった可能性があります。水道部の回答には、青森森林管理局OBとか森林組合あ
おもりの指導を受けたとありますが、水源林をどのようにしたら良いのかとなると、これまで
の皆さんの話を総合するとミスリードに終始したといわれても、それを認めるしかないようで
す。
ここで、市側と「考える会」の話し合いは、パネルディスカッションのあとどのようになって
いるのでしょうか。「ブナ植林試験区」の設定というのは、すでに会の提言どおりに進んでい
るようですが、そのほかについては、いかがですか。
「考える会」5つの提言
C 水道部との話し合いは、現地での検討会とか事務的な打ち合わせなどと積極的に進め
ています。現在、どの辺にあるかといいますと、合意に達したことは、
1)ブナ植林地の坪刈り。これは宮脇さんの現地指導もあって、今までの全面下刈りを坪刈に
変えることです。今年はコスト的に相当安くあがっているはずです。
2)ブナ植林試験区の設定。世界的に例のない植林でしたので、その推移をみることは将来、
役立つことです。青森県林業試験場ともその必要性について合意できております。
【参考資料】青森県林業試験場との意見交換
引き続き話し合いを進めていることは、
3)自然観察林との位置づけを視野に入れながら、毎年定期的に水道部主催の水源地観察会
(仮称)開催を検討する。
4)ブナ植林地をふくめミズナラ等水源林の水源涵養保安林指定を段階的に進める。
5)水道法等との関連で条例改正は困難としても、実質的に改訂に相当する専門家参加の定期
的な諮問会(仮称)開催を検討する。
以上のようになっています。
【現地検討会・観察会】
是非現地を見てほしい! 4月25日
横内水源地観察会 5月9日
NHK青森TVニュース青森市の水源地で自然観察会
A 急進展をみせているということですね。パネルディスカッションを聴いていて、コーデ
ィネーターをつとめた田村さんの、最初の言葉が印象的でした。「森林になにを求め、どのよ
うに取り扱うか。これまで行政担当者とか技術者を中心に行ってきたが、そのような構図はも
はや容認されるものではない」という点です。ねばりづよい話し合いで理解を深め合い、提言
はぜひとも実現して欲しいものです。
B 水源林として期待される機能を損なわないで、レクリエーションや教育の森として使
うことは十分可能だと思います。そういう提案は積極的にやっていただくのがいいと思います。
いろいろなやり方があっていいと思います。教育的には、ナラの森林を人間がどのように利用
・維持してきたのか、カエデはどのような生態の樹木なのか、林床にはどんな植物があるのか、
など、なにもブナでなければならないという理由はありません。あるいは、裸地から森林を早
くつくるには、どうしたらよいのかということも教育になるかもしれません。
望まれるレクリエーションや「教育の森」づくり
司会 私の記憶違いかも知れませんが、市側は横内水源地のブナ植林は20万本位を目標にし
ているということを聞いたことがあります。これで植える場所がなくなるので、この後はゲー
トを封鎖して立入禁止区域にしましょうと。水道水は市民の生命にかかわる大切なものですか
ら、みだりにここに入ってゴミを捨てたりすると危険だからという理由でした。
G さきほど教育について、とくに自然科学の重要性についていいました。会も提言して
いますが自然観察林を水道部主催でやっていただければ素晴らしいこと、大賛成です。「ウェ
ブ東奥」の投稿に、「かつてブナ林だったからそれに戻してやるのが人間の役目だ」というの
がありました。そんなに簡単にできるのでしょうか。失礼をかえりみず反論すれば、このよう
な解釈をするひとは多いのかも知れませんが、「それでは私たちの人類の存在を鎌倉時代前ま
で逆行させることが出来るのか。人口や生活様式をその時代に戻すことが出来るのか」といい
たくなるのです。現在の状況を無視した観念論が幅を利かせているのは嘆かわしいことです。
いうことは自由だから、と何をいっても良いというものではありません。
行政もそんな風潮に迎合しているふしもあります。自分たちの誤りに気がつかない、あるいは
ふりをしている。やはりこれは教育であり自然科学を基礎とした、日本の自然に対する客観的
な認識を与えるための、何らかの仕組みが必要なのではないでしょうか。
テレビの番組でイエローストーン国立公園でパークレンジャー、彼らの多くは博士号を持って
いるとのことでしたが、子供たちを引き連れて、動植物について子供たちの関心を引きながら、
生態系について授業しているシーンを見かけました。教室内の授業ばかりでなく、そういった
実地の授業はこの日本でも絶対に必要だと思います。
市側としては安全な水を守るということから、シャットアウトすればいい、という気持ちは分
かりますが、規制をするだけでは問題の解決にはつながりません。
市民はブナやミズナラにもっと親しもう
H 一般市民が問題解決に参加できるようになるために、いま何が必要なのかということ
で考えてみます。青森にはヒバという樹があって、建築用を中心に使用され親しまれています。
和室があれば、造作はヒバにしたいですし、障子や、玄関ドア、さらに工芸品もあります。そ
して大抵の一般市民は樹木のヒバも知っていますから、樹木としても木材としても馴染みがあ
るのです。しかも、藩政時代から数えても数百年という伝統があるのです。
ではブナやミズナラはどうかというと、吉田博史さんのミズナラ100年史(リンク)、五十嵐さ
んの指摘にもありましたように、最初は薪炭用として姿の見えないそれこそ黒子の存在でした。
そして一般生活の見える存在になったのは建材としても、家具としてもここ50年くらいの歴
史でしかありません。しかも初期の床材や、学校用家具として利用されたあたりから、資源が
乏しくなる時期とも重なり、木材の産地と製品の産地が分かれてしまいました。さらに、器具
材としての生活に密着した使われ方もありませんでした。ですから、一般市民としては馴染み
がないわけです。ヨーロッパと比べても、種々の用途に応じた他の良材があったため、あえて
使う必要がなかったとも思います。そして気がついたときには、住宅用の床材は大手メーカー
の薄い突き板張り、良質な家具には手が届かず、気の利いた木製玩具、生活器具も県内では生
産されないといった環境が出来上がってしまいました。
ところが、金属材料も普及している現代ですが、潤いを求めようとするならば家庭生活、社会
生活どちらの視点で見てもブナやミズナラに象徴される堅木による器具、家具などはヒバ製品
と同様に必要なのです。それが地場生産ではあまり良品が普及していない。なんとも複雑な気
持ちです。
今、秋の山に遊びドングリを拾っても、それがミズナラというこのような歴史を持った樹、そ
して木材としても、ヒバと共に限りなく人に幸福をもたらす可能性を秘めた樹であることを語
る人は、青森にどの位いるのでしょうか。今現在その恩恵がえられていない、地場生産が出来
ないという現実とは切り離して、夢を語らない、きれいな積み木が出来る樹なんだと想像する
こともないのです。
ブナやサクラ、カエデについても同じです。木材や製品を知っていてもその樹木を知らない。
また樹木を知っていても木材や製品を知らない。どちらも自分とは関係ない、専門ではないと
いう人が多い。豊かな社会を求めようとしたとき、一般市民としてもこのままで良いのかでし
ょうか。先に述べたブナ植林を解決しようとして、我々がしてきたことというのは、一般市民
から見たらそんなことなのかも知れませんが、できるなら、この辺をジックリと行政、市民が
一緒になって考えていきたいことなのです。
C 水源地観察会などは市側に引き続き理解をもとめていくつもりです。水源林は市民の
生命の源泉になっていることを大人も子供にも知って欲しいし、私たちが住んでいるふるさと
の環境自体に限りがあるわけですから、また循環利用とかゴミ問題とかテーマはいっぱいあり
ます。動植物、森林の仕組み、地質学、水文学といった最新の科学知識を一緒に共有できるよ
うな諮問会開催についても提言していきます。一番大切なのは情報公開です。市民みんなで町
づくりをしていけるように。
「ブナ植林の是非」を全国発信
司会 「考える会」は青森市の横内水源林で進められていた「ブナ至上信仰」にもとづく植林
は誤りだ、ということから、これについて異論、反論、提言をしてきました。さっきものべた
ように、ブナ植林に限らず、森づくりは全国で盛んに行われています。今回の一連の動きを機
会に青森県内はもとより、全国へと発信していく必要があるのではないでしょうか。ただそれ
は、口だけでいうのではダメで、実例を示していかないとなかなか理解して貰えない。
毎年、春5月、6月になると、県内各地からブナ植林云々というマスコミ報道があります。そ
のつど複雑な気持ちになってしまう。青森県がブナを推奨樹種に指定しているということを聞
きますが、その特性とか適地適木が基本だとか、何か具体的な指導があるのですか。
C 青森県が水源涵養林目標林型の一つとして、ブナによる育成単層林をあげているのは
問題だと思います(東青地域森林計画書。平成12年12月)。これを受けたかのように青森
市は、森林整備計画書(平成13年3月)の中で、「集水区域:広葉樹(ブナ)を積極的に植
栽・育成するとともに、住民参加ができる森林整備の推進(6頁)」を掲げているのです。
水源地ブナ植林事業は、以上の青森県、青森市の森林計画書によれば整合性があることとなり、
水道部は無罪放免となるのです。この誤った指導は、ホームページの「青森市環境計画」に象
徴的に示されております。「樹齢50年位で直径30pの一人前になったブナは、木一本が貯
め込む水の量が277リットルと大変高い保水能力をもっています。」(環境課題)
さきほどもいいましたが、江戸時代藩の戒め「ブナ一本、水一石をはぐくむ」が現代に誤って
引用されているのは、驚くばかりです。
ブナ一本277リットルはブナの平均材積から換算したものでしょう。笑止千万です。
司会 県がそのようにしているのであれば、県に対しても、各市町村、団体にも根気よく広報
していく必要がありますね。「考える会」の活動については、春から新聞や「ウェブ東奥」の
インターネットなどで盛んに取り上げられ話題になったと思うのですが、県民全体には、それ
は青森市の問題だ、自分たちには関係ないと思われているかも知れません。もちろんマスコミ
などにも、誤解のないように一連の資料を届けておく必要があります。
これまでは水源林を中心に話を進めてきましたが、都市公園など、さまざまな分野でも是正す
べきことが多いのではないでしょうか。私は、すごく気になっていることがあります。宮脇博
士が全国で指導している「ふるさとの森」づくりがありますね。新聞記事に全国1220か所
もあると書いていました。これはどのようなものなのでしょうか。
「宮脇流・森づくり」への疑問
G 宮脇理論による森づくりには、大いに疑問をもっているので、いわせてください。こ
れは、「開発されてしまった更地に何を植えるか」という手法だと考えています。その根拠は
イオンの「木を植えています」キャンペーンです。「イオンの森」はたしかに雑草もそんなに
生えず、この雑草というのは人間の管理する立場での言葉ですが、植えたものの生存率は高い
のですが、はっきりいって森づくりというよりは藪づくりに近いと思います。土地の樹種を潅
木、低木、高木を混ぜて密植して競合させる。多層林づくりを初めから考えているのでしょう
けれど、潅木の成長が素晴らしく、高木になるべき樹木が良く育っていません。その見本はイ
オン柏SC、同じく下田SCに見ることが出来ます。
「イオン柏の森」は、ショッピングセンター敷地の南西隅につくられた森です。整地した残土
の小山の上に畑土を客土してつくられたものらしいのです。5年前までは濃密な藪だったので
すが、今回訪問(2004年10月2日)してみたら一見森らしくなっていました。ハッキリ
した理由は分からないのですが、その直後から人手を入れて間伐、枝打ち、下草刈りなどの管
理をはじめたようなのです。宮脇理論では管理は植え付け後3年以内、それも最低限というこ
とになっています。これが守られなかった。つまりこれはもはや宮脇理論による森でなくなっ
た姿です。なぜそうなったのか?を考えてみました。あのあまりの藪然とした姿が「見苦しい」
という声が上がったのが原因であろうという想像ができます。地域住民やイオンSCのマネジ
ャー達に受け入れられなかったのだとも考えられます。そしてイオンは、現在木を植えるキャ
ンペーンはしていないようです。
【イオンの森・柏】
1.森の東側で、植え付け後約20年経過。5年前は濃密な藪だったが、競争勝ち残り組みに
よって、いよいよ宮脇理論の自然林化が進み始めたかと思ったのだが・・・・。
2.一見、自然林ふうだが、林床は整然としていて負け組みの残骸も見当たらない、なぜ?
3.あれ?枝打ちの跡がある!そう言えば林床も刈り払った跡がある。
4.これは伐根だ、何年か前のものから比較的新しいものまでいろいろある。なんと人工林並
の管理がされている。これはもはや宮脇理論によるものではない。
5.これはクヌギではないか。この地方にはクヌギは分布していなかったはずだが!
6.そして現在はみすぼらしいケヤキ林に過ぎない。この程度のケヤキ林を初めからつくるの
でよければ何も宮脇理論など必要ない、もっと見栄えの良いケヤキ林がもっと低コストで
つくることが出来たはずだ。
「イオン下田の森」はショッピングセンター北部に設けられたもので「ブナパーク」と名づけ
られています。ここ下田町にはブナは向かないと思います。青森県東部は積雪が少なく、冬は
乾期というほどの乾いた西風が吹きます。ここはもっと乾燥に適応した樹種を主木に選定すべ
きだったのでは。カエデ類、ハリギリ、ケヤキなど。ここでも宮脇理論では必要とされないは
ずの「雑草採り」などを地域の有志が行っているとの新聞報道がありました。美観が要求され
るSCの森であることに加え、地域性から雑草を生えたままにしておくのは「見苦しい」だけ
ではなく「農家にとっては罪悪」なのですから、これは止むを得ない結果なのかもしれません。
写真撮影は2004年6月19日です。
【イオンの森・下田】
1.主木のブナはやっと生きている状態。潅木はまあまあの生育だが下草にはスギナが多い。
スギナは貧栄養状態で優占、あるいは頻繁な「雑草採り」で優占しやすい植物。スギナが優占
する土壌は痩せ地で他の植物の生育は抑制される。ここはSCになる前は畑だったはずなのに、
表土ははがされてなくなったのだろうか?
2.藪状態のミズナラでブナに比べるとはるかに状態が良い。ミズナラは空っ風に決して強い
とはいえないが、藪の中では生き生きとしている。下草に注目して欲しい。ここでもスギナで
ある。
二つの森を見てきましたが、たとえていえばササの代りを潅木がしてしまい、高木の成長が阻
害されている状態がわかります。下田の場合は、それでもあと百年後くらいには我慢強いカエ
デが優勢の林になるのかも知れませんが、そうなるまでの間は「ニセモノの林」だと思ってい
ます。結局、自然がつくる自然林と宮脇理論による森づくりが本物の森になるまでは、大差な
い時間が必要でないかと思います。自然のためには、陰樹主体なのか半陽樹主体の林かは機能
的な差はありません。
私の住んでいる太平洋側には極相林と呼べる森はありませんが、それでも自然は豊かです。
鹿糠さんが、「宮脇理論の矛盾」についてまとめていますので、そちらのほうも読んでいただ
きたいと思います。
人間が100%自然のまねを出来るわけがないと思います。自然林にしたい更地にはアカマツ
やハンノキ類を植えましょう。自然のサイクルのスタートに立てるように、出来るだけ自然に
沿った形で遷移が進むように。遷移が始まったらその生態系を観察しながら、過不足がないよ
うな修正をお手伝いするだけで、あとはできるだけ自然にまかせることが本物の森づくりだと、
私は思います。
うまく整理できないのですが、この辺をHさんあたりに整理していただければと思うのですが
いかがでしょうか。
新興宗教を思わせる森づくり
H 宮脇さんの本を読んだりして、色々考えこむのですが、「潜在自然植生」の知識があ
り、かつ樹木に親しんでいる者にとっては、彼の理論はそれほど新鮮なものではないと思いま
す。しかし、一般的にはそうではなく、宮脇さん自身も語られているように、だから行動のし
甲斐もあるし、指導力となって注目を集める結果となるのでしょう。
図書館で借りた「魂の森を行け」という宮脇さんのことを書いた本があって、このなかに、前
に借りた方の忘れ物でしょうか、著者の一志治夫氏がこの著作の過程について書いた新聞記事
の切抜きがはさんでありました。「宮脇さんと会うまでは、常緑樹と落葉樹の区別もろくにつ
かなかった・・・・」。そこで目覚めて走ってしまった。どこか、新興の宗教と似ていませんか。
新興も含めて、すべての宗教を否定するものではありませんが。
植林というボランティア行為を支えている一般の方の心のありようとは、このようなものなの
ではないでしょうか。著作は自由ですが、売れているということを逆にみると、内容の危うさ
が見えてくるようです。パネルディスカッションでは、市長がお気に入りだったようですが、
それなりということになるのでしょう。
もう一つ指摘しておきたいと思います。これも、いみじくも宮脇さんが述べておられる通り、
自然の森林と、都市の緑地のあり方について、総合的見解、見識を持ち合せている人が少ない
のではということです。ですから宮脇さんは、いくらでも入り込むところがあるのです。庭園
は石か植物か。庭園が公園でもよいのですが、二者一択を迫るなら、区画があって、その中の
適正配置がなくてはその存在が消失するという意味からも、石でしょう。宮脇さんは当然その
現実を知っているはずなのです。にもかかわらず、樹木を植えるということだけを語るという
のはいかがなものでしょうか。
区画があって、使用目的を考え、造形処理を凝らして、適切な空間が作られていく。そこに知
恵が生まれ、文化が形成される。その精神的なバックボーンも持ち合せていないと、自然を守
ることはできないのではないでしょうか。仮想のシンポジウムでの話にはなりますが、もしそ
のような議論の展開になったとき、宮脇さんは何を語るのでしょうか。実は、私が都市の緑に
ついて考えておいた方がよいというのは、このようなことが理由なのです。
Gさんが青森県内の宮脇作品を見せてくれたので私からも。先日、横浜国立大学のキャンパス
に、宮脇植林による植栽を見に行ってきました。樹木が育っているという意味においては成功
です。ただし、現在では相当に枝払いの手間がかかっていることと、建物管理上植えてはなら
ないところ、建物群の認識に支障が生ずる部分にも、無理に植えているところがあり、これら
は近々に、処分されるでしょう。また、新しい建て屋の植栽では、宮脇方式は採用されていま
せん。ここは施設内の植栽ですが、木を植えるということとは、どのようなことなのか、考え
るフィールドにはなりうると考えます。Gさんの、イオンの森の報告は意味深いし、ここのと
ころから「考える」ということを、皆で始められたらよいのかと思っています。
【横浜国大の森】
1.森の形成。中央広場の比較的若い植栽。良い森になるだろう。
2.大刈り込み。木は育っているが、視界を確保するため大きく刈り込み。
3.問題ある植栽。ここは密植ではないが、この手の植栽が何箇所かあった。
4.最近の植栽。ハナミズキ、ツツジ、アベリア・・背後は残された自然林。
横浜国大の森を見て私の感想ですが、大刈り込みは、場所によりますがもう少し遠慮しても良
いところはあるはず。しかし、もうすでに心理的に木々が脅威となって管理者の目に映ってい
るのは確かのようです。問題の植栽は、建築学科を有する横浜国大ではありますが、われ関せ
ずを皆さん決め込んでいたのか、それとも、営繕も含め植栽そのものに興味が無かったのかな
あとも思います。
司会 二人の意見を聞かせていただきました。人はそれぞれ考え方があり、また物の見方が違
う場合もあるかと思います。しかし、それらはキチンとした考えに裏づけされていなければ、
受け入れられるものではありません。とくに自然環境への関わりというのは、ずっと続く公共
のものだけになおさらです。私がいま危ないと思ったのは「どこか新興宗教」というところで
す。50年間の科学的な業績に裏打ちされているから、何でも正しい、という受け止め方はや
めた方がいいと思います。物事には表に出す、出さないは別として絶えず批判的な目が必要か
と思います。
先般のパネルディスカッションで市長が、今度は横内水源涵養林だけでなく、「青い森」にふ
さわしい、町中の森林、森づくりを宮脇博士の指導でやりたいといっていました。このことか
らもGさん、Hさんの考えには多くのかたがたが耳を傾けて、間違いのない森づくりであって
ほしいものです。
またまた、宮脇流の植林についてなんですが、会場でポット苗方式の植林をずいぶん強調して
いました。これについても触れておきたいと思います。Cさんはこれに直接タッチしていまし
たね。
「ポット植林」を考える
C 宮脇さんの熱弁、「これらの種子は殺虫処理してポット栽培で育てる」には、大いに
疑問を感じました。かつて青森営林局で、スギポット造林を推進したことがありました。これ
は、ポット造林に熱心な当時の造林課長が、現場主任の反対を押し切って推進したものでした。
私は、造林課で種苗事業を担当しておりましたのでその経験は身にしみて忘れません。整理し
てみます。
ポット造林の長所(期待)は、@活着がよいこと。A生長が早いこと。
ポット造林の短所(実績)は、@植栽地までの運搬が困難。A育苗管理が難しい。B金がかかる。
結果的にポット造林は、数年間の小規模実施で自然消滅しました。その原因は、つぎのような
ものでした。
@生長が期待したほど、よくないこと。A山地では植栽に普通の苗木の、数倍の人手がかかる
こと。B育苗管理に灌水施設が必要で、夏期には絶えず枯損の危機にさらされること。C以上
の理由により、一般植林に較べコストが割高になること。
以上のことを考えれば、横内浄水場水源涵養保安林の植栽でも、ポット育苗は見合わせた方が
賢明かと思います。ただ、ボランティアが自分でポット育苗をするとか、管理面での指導がう
まくなされるとすれば、それなりの成果が得られかも知れません。
司会 ありがとうございました。最後に皆さん、これだけはいっておきたいということがあり
ましたら。森づくり、それは山地でも公園でも、また日頃から気になっていること、何でも結
構です。
C 行政は自然の改変を伴う事業を計画するときは、かならず事前に専門家と市民代表の
声を聞くべきだと思います。横内水源地のブナ植林問題はその必要性を如実に示してくれたと
思います。
インターネットの時代となって、行政の過ちは一地方に止まらず直ちに全国版となって紹介さ
れるようになりました。その結果、全国的な視野での一般市民と専門家を交えた討議が常時お
こなわれることとなりました。自然改変は、行政・専門家・市民が一丸となって企画から実行
そして経過観察まで取り組む時代だと思います。
また今回の「ブナ植林」については水道部は年内に、遅くとも年度内には、有識者を招いて説
明会を兼ねた意見交換会を開催すべきだと思います。それは、2月13日の水道部主催の意見
交換会のように、出席者と市民に対する説明責任だと思うのです。
D 人工林として、植栽から収穫(伐採)まで技術が確立されているのはスギ、ヒノキく
らいのものです。残念ながらその技術も伝承されないまま、あるいは改変されて放置されたま
まの人工林が問題になっていますが、広葉樹ではほとんど未知の分野です。
とくにブナの人工植栽の実例は、「ガルトネル植物群落保護林」と富士山麓の「東大演習林」
くらいのもので、他はごく近年、「白神山地の自然遺産登録」後の山引き苗によるごく小規模
の試植例だけです。横内水源林へのブナ植栽は空前の規模で行われたもので、「播種−苗畑育
苗−山地植栽」の実例として学術的にも非常に貴重な実験例だと思います。その意味でも、後
世の研究者に伝える義務があるのではないでしょうか
G 直接森の話ではないのですが、もっと多くの方が自然に親しんで欲しいと思います。
何度も言うように自然教育は不足していますが、教育の問題は何も学校でばかりとは限らない
わけで、家族の中にも教育はあるわけですから、もっと外に出かけて自然に親しんで欲しい。
自然の中に入ることによって多様な自然の営みに関心をもってくれさえすれば、自然教育の基
礎は意外に簡単につくれるのです。知識としての自然科学ではなくて自然を感じられる自然科
学です。
動植物に限らずキノコのような菌類までもが親しいものになり、私たち日本人を取り巻いてい
る日本の自然が、いかに豊かな素晴らしいものであるかが実感できるようになるかもしれませ
ん。森林、湖沼、湿地、干潟など、人間の営みに直接関係のない自然にもそれぞれの生態系が
あり、それらは日本人の生存に欠かせない自然資産なのだということを感じられる人々が増え
てくれれば、今回のような、あるいは諫早湾干拓のような「官の無知」による自然破壊は防げ
たと思うからです。
A 二つあります。一つは遺伝子汚染のことです。横内水源地に植えたブナは近くの八甲
田産の苗木ということで良しとしますが、白神世界遺産の山麓に自然愛護団体がブナを植林し
たことがあり、一部には中部日本産のものが植えられたそうです。Bさんも指摘していました
が、同じブナでも裏日本側と表日本側は大違いです。その土地に地史レベルの時間をかけて自
然分布してきたわけですから、そのような自然林への他の産地の遺伝子混入は絶対に慎むべき
ことです。
これはブナに限ったことではなく、岩木山をぐるりと取り巻いた「オオヤマザクラ・ネックレス
ロード」というのがありますが、これには大量の北海道産のオオヤマザクラが移植されたとい
う話があります。もしそうだとすれば、近隣には地元の自然植生としてオオヤマザクラが分布
しているので危険です。さきほど、Gさんが紹介したイオンの森に、クヌギが植えられていま
した。クヌギは青森県にはない樹種です。こうなると郷土の森づくりを推奨している宮脇さん
指導のプロジェクトは、よその土地の樹種をごちゃまぜにすることではないのか、と疑問に思
えてきます。それから、最近は自然保護思想の実践、行動としてボランティアによるメダカと
かホタル類の移植が盛んですが、なかにはよそモノを入れるという、あってはならないケース
が散見されます。「善意の自然破壊」を招かないように、自然科学教育の必要性には、私も同
感です。
二つ目ですが、「町なかのブナ3題」として写真を用意しました。青森市官庁街の県警察本部
ビルの前に記念植樹された「哀れなブナ」です。夏はカイガラムシなどに痛めつけられ、幹や
枝はしわだらけで黒ずんでしまっています。生長は遅々として、仮に大きくなったとしてもビ
ルの壁が邪魔をして望むべくもありません。もうひとつは、青森市橋本という市街地真っ只中
の住宅地に育つ「しあわせブナ」です。植え主にたずねました。枝、梢は切らないで伸び放題。
隣の家の主人も理解がある。季節ごとのブナの葉音とほのかな匂いを楽しむ窓辺は、特等席だ
ということです。ことしの八甲田山は、ブナ種子は不作ですが、ここ橋本ではいままでになか
ったほど、実っているということです。要は樹木への接し方が一番大切なことではと思いまし
た。
【青森市街のブナ】
1.青森県警察本部前のブナ記念植樹。「哀れなブナ」が痛々しい。
2.仮に枝、梢が伸びたとしてもビル壁面に接し邪魔モノ扱いになるだろう。
3.青森市橋本といえば市街地のど真ん中。5月にここを通りかかったとき、あまりの美しさ
に見とれた。
4.この家の主人は、芽吹き、新緑、その後の微妙な変化に、八甲田山の自然の移ろいを感じ
るという。
5.平和公園のブナ:広い空間が有って踏み圧の無いところではまずまずの成長を示す。
6.平和公園のブナ:しかし市街地ではブナ特有の美しい幹肌はとても期待できない。
司会 長時間にわたりありがとうございました。先日、私は友人からメールをいただきました。
それは「横内のブナを植えたころは、なにもしなければ市民にとっては『ただの山』だったの
です。しかし、水を守ると高らかに宣言し、市民参加の植林をしたということはもう『ただの
山』ではなく『意味を持った場所』になってしまったと思います」と・・・・いうものです。
青森市の横内水源地は、ブナ植林ということで全国に大きな情報を発信することになりました。
それは水源涵養林の望ましい姿であり、自然環境から多くのことを学ぼうという豊かなくらし
のための学習です。「考える会」の提言については、引き続き青森市と話し合いがもたれるわ
けですが、是非とも実りの多い結果を期待します。
最後に強調しておきたいことは、今回のブナ植林問題についての会の活動では、積極的なメデ
ィアをとおしての情報のやりとりがあったことです。地元紙「東奥日報」には8回の報道記事
が載せられ、同紙の「ウェブ東奥」のインターネットニュースにも再録、全国、海外へ配信さ
れました。同じく「東奥日報」の読者欄には24回の投稿があり、「ウェブ東奥」の掲示板に
は97回、これに加えて「考える会」のホームページ「読者の声」欄には47回の書き込みが
ありました。このような市民、国民がみんなで考えるという姿勢、その透明性が、大きな力に
なったのではないかと思います。これからもよろしくお願いします。
(完) |