タイトル以上の何も語りません。
この記事は「まだ言葉をうまく使えない子供向け」として書かれていると思います。むしろ4歳児がとっさに「この度ぶつかったのは私の不遜の致すところ、どうか勘弁してください」とか言うことができたら怖い。「ごめんなさい」がすらすら言えるのもやっぱり発達段階として不安になる。大体はまだそういうのできないんじゃないかな。
謝罪をするということは人間関係において非常に大事だ。ここぞというときに謝罪ができる人はカッコイイ。すれ違いざまにぶつかって「すみません」がスマートに出る人には憧れる。だけど、年がら年中「すみません」って言っているだけの奴は非常にムカつく。そういうところだろう。
何が不憫かって言うと、記事としては燃える要素が特にないのに「勝手に記事を燃やし隊」みたいな人が火を付けまくっているところだなぁというところです。「登場人物の心情なんてお前の勝手な思い込みだ」「よその父親を勝手に悪く言っている」っていうのは弧を描いて発信者の元へ戻ってくるレベルだし。言ってることはそんなに変なこと言ってないと思うんだけどなぁ。
以下、子供のしつけではなく大人の謝罪事情について書きます。自分は割と接客業やイベント運営的なことをしていたのですが、そこで身に着けたスキルで何にでも応用ができるなぁと思ったのは「お客様から苦情が寄せられたら言い訳をせず、とりあえず謝って言い分を聞く」というものでした。一応このやり方には理屈がある。
クレームを入れる客と言うのは大体感情が高ぶっていて話にならない。とにかく怒りのボルテージを下げないと話を聞いてくれない。そのためにはこちらが頭を下げる姿勢を見せるだけでいい。クレームをまくし立てている客も、自分が喋っているうちに状況を理解して、また話を聞いて恐縮している店員を見て落ち着きを取り戻すことになる。これがクレーム対応の黄金パターンだ。以前玉出し遊技場で働いていた時「出ねえぞ!」って怒りだした客の話をずーっと聞いていて、最終的に「また来てやるからな」と言わせた先輩はすごいと思う。
大体怒っている人には何らかの原因があるから怒っているのだ。それが他者にあるのか自分にあるのか判断ができない場合もある。だから怒鳴り、怒り、クレーマーになる。その怒りを鎮めるのが「謝罪」という潤滑油だ。少なくても、日本とはそういう国だ。ここで変に言い争ってもお互いが傷つくだけで、戦争が勃発してもおかしくはない。「店員に傷つけられた!」とナイーブになった客がある日店に火をつける可能性だってなくはないのだ。ここまではあくまでも「大人」の話だ。
ところが世の中にはいわゆる「謝ったら死ぬ病」にかかっている人もいる。「謝る」という行為はすなわち「自分の過ちを認める」ということだ。だいたいは中学生以上になれば「自分」と「自分のしてしまったこと」を切り離して考えることができるようになる。だから「自分のしてしまったこと」に過ちを認めても「自分」が傷つくことはない。これを適切に切り離すことができないと「謝ることのできない人」の完成になる。逆に記事で指摘があったように、「とりあえず『ごめんなさい』と言っておけばその場はやり過ごせる」と思ってしまえば、いくら謝罪が出来たとしてもいいことはない。前も何かに書いたけれど、こういった感情的なトラブルは個人のやりとりで解決するしかないが、大体「謝ると死ぬ病」に相手がかかっているので非常にやっかいなのだ。
以前、仕事中に自分の大切にしているモノを同僚に壊されたことがある*1。同僚は一度「ごめん」と言ったあと「そんなところに置いておくのが悪い」「大切なものだと知らなかったし悪気があったわけじゃない」「そんなに怒る方が悪い」と一貫した態度だった。もちろん不快感と不信感だけが残る結果になった。
最終的にこっちが職場を去るまでそんな調子だったので「困ったことがあったら何でも言ってくれ」というボスに「こんなことだったんですが」と報告したところ「過ぎたことをわざわざ話題にして、君は謝罪と処罰さえあればいいと思っているのかね?」と言われた。即座に「こいつ話が通じねえ」と思ってそれ以上何も言わなかった。もちろん問題は「自分が失敗をしても反省の色が全く見えないどころか逆ギレするような職員がいるよ」っていうところなのだが、組織の体質として「謝ったら死ぬ病」にかかっていたらしく最終的に謝罪も補償も一切なかった。もちろんこれはこちら視点で書いているので向こうの言い分もあるだろう。
しかし、最終的に「あなたに迷惑をかけました、すみません」という言葉がないどころか最終的に「このくらいの理不尽で怒るお前の度量が足りない。社会にはいろんな人がいるんだから相手を尊重しなさい」という非常にありがたいお言葉を頂いたのでそっくりそのまま返そうと思う。とりあえずね、人の物を壊したら姿勢だけでも「ごめんなさい」しようよ。もちろんその場で「以後気を付けます」とか「こっちが悪かったです」というような言葉が聞けたら何の不満もなかっただろう。
要は「謝る」っていうのは「自分の非を認めて」「相手を認める」という高度な精神活動なんだろうなってことです。逆に「謝らない」っていうことは「自分の都合のよい部分のみを認めて」「相手を認めない」ということです。「謝らないと死ぬ病」系の人と長く接していると、逆承認欲求を受けすぎてモラルハラスメントを受けている可能性があります。実際自分が職場で受けた対応はモラハラでした。モラハラダメ絶対。
子供が万引きしたときに親がやってきて「ほら、ごめんなさいしたでしょ! お金を払えばいいんでしょ! だから許しなさい!」とまくし立てる親がいるらしいですが、それは迷惑をかけた側が絶対言ってはいけないことだと思うのです。謝罪になっていないどころか「相手を認めるふりして認めないポーズをとっている」という悪い印象を与える結果にしかならないと思うのです。
「ゴメンで済んだら警察は要らない」っていう言葉が的確すぎて好きです。自分の非を認めずに「ごめん」とマジックワードを言って世の中通るのであれば、警察なんていらないのです。痴漢してもゴメンで終わり、モノを盗んでもゴメンで終わり、そして第三者が「悪気はなかったんだ、いいじゃないか謝ってるんだから許してやれよ。許してやれないお前は心が狭いんだな」とかそんなのがはびこるのはまっぴらゴメンだといつも思っています。
*1:仕事で使うものだったので非常に困った。こちら側に落ち度がないかと言えば管理不足という点は否めない。事故発生時に上司に報告したところ「よくわかんないけど忙しいから後にしてくれ」という対応だった。