ホドロフスキーはかく語りき – 100歳 だと!? それでは足りない!!


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私が70年代にやっていたことなんて誰も考えつかなかっただろうから、やり方は変わりはしない。『エル・トポ』のときは、日付の入った小切手に署名した詐欺師のような気分だった。米国に売り込みに行ったが全く相手にされず、1日で1キロも痩せたくらいだ。メキシコでは、誘拐でもして身代金を取らなければやっていけないほどだった。それだけ映画を創るには困難が伴った。そして2015年、今回の冒険でもう100万ドルを失っている。それも好きでやっているんだが。とにかく人間、勇敢でなければならない。人生は賭けのようなものだ。それぐらいやらなくてはだめだ。

 


アレハンドロ・ホドロフスキーは『ホーリー・マウンテン』( The Holy Mountain, 1973 )や『サンタ・サングレ/聖なる血』( Santa Sangre, 1989 )といったシュールレアリスムの古典的映画の脚本、監督をした人物だ。また、最高と評されながらも未完成となったSF映画に関するドキュメンタリー、『ホドロフスキーのDUNE』では自ら主演もしている。タロットとサイコマジックの専門家であり、パントマイムも行う。そして劇作家、漫画家、ミュージカル制作者でもある。チリ北部のユダヤ系ウクライナ人家庭に生まれ、その後すぐチリの首都、サンティアゴに移り住み、24歳のときにはシュールレアリスムの芸術家との交流を求めフランスへと渡る。その後メキシコへ入り、そこで上記映画2作品の脚本・監督を務める。作品は他にも『エル・トポ』( El Topo,1969 )、『Tusk』(1980)、そしてまるで薬物中毒の幻覚のような35ミリフィルム『The Rainbow Thief』(1990)などがある。

ホドロフスキーは現代の預言者でもある。86歳となった今も、70年代のころと変わらず映画を作るその姿勢は破壊的だ。最新作である『リアリティのダンス』( La danza de la realidad, 2013 )では、チリ北部での子供時代が語られ、大統領を殺すことに夢中の父親と、ソプラノ歌手が歌うように喋る母親が登場する。ドワーフや醜い人間、そして精神世界を案内するガイドたちが、海のほとりに生活する、という話だ。

そして今ホドロフスキーは、幻想的というよりもむしろ現代風なものに取り組んでいる。今、彼がキックスターターで寄付金を集めている新たな映画は、『リアリティのダンス』の第2部にあたるもので、タイトルは『エンドレス・ポエトリー【無限の詩】』といい、サンティアゴに移り住んでからフランスに渡った24歳までのころの彼の人生を元に描かれている。彼が性、詩、思春期、社会、そして第二次世界大戦を経験した時代だ。

ホドロフスキーはあくまでホドロフスキーである。よって彼に投資すれば、その金は、彼曰く、すぐ今の価値より上がること間違いなしの(つまり現時点ではなんの価値もない)「ポエティックマネー」となって返ってくるのである。脚本作業の段階で、集まった資金はすでに映画の予算の約10%にあたる35万ドルという当初の目標に達した。なぜキックスターターを利用したのか、それは映画業界への挑戦だ、と彼は言う。

アパルトマンにいるホドロフスキーと、スカイプを通して会話を試みた。背後に見える部屋は、本と、神秘的なオブジェであふれていた…

 


パリはどうですか。

アレハンドロ・ホドロフスキー:パリは人を歓待する街ではない。ただ住んでいるだけだ。ある意味穏やかで、静かに暮らすことができる場所でもある。邪魔をしないでくれる。とても静かだ。ただ、だれしもがこの世界に住んでいる、と言える。たとえばあなたは今パリには住んでいないが――この世界には暮らしている。この世界というよりむしろ、この宇宙に住んでいるといった方が正しい。

シャルリー・エブドの事件をどう思いますか。

あれはそう、愚行だ。存在理由のない愚かな事件。それは誰にも、イスラム教徒にすら役に立たないのだから、実に愚かだ。あの馬鹿な二人には、誰もが激怒している。イスラム教徒にも西洋人にも得にならない狂信的行為だ。不寛容がもたらす愚鈍な行為だ。私をはじめ、誰しもそう感じている。ウォリンスキは友人だ。とてもいい人間だった。そんな彼が殺された。あんな風に殺されるべき人物ではなかった。善良な人間だったのに。ユーモアにあふれ、知的だった。あんな風に彼を殺すとは、なんと愚かな。非常に愚かだ。