谷崎潤一郎:「ナオミの家」安住の地を…「痴人の愛」執筆

毎日新聞 2015年03月24日 15時00分

谷崎が住んでいた当時の「ナオミの家」予想見取り図
谷崎が住んでいた当時の「ナオミの家」予想見取り図

 大正末期、関西に移り住んだ文豪、谷崎潤一郎(1886〜1965年)が最初に借りた旧邸が、解体されたまま兵庫県内の倉庫で10年近く復元を待っている。谷崎が「痴人の愛」を執筆した神戸市東灘区本山北町の通称「ナオミの家」。今年は谷崎没後50年にあたり、復元運動に携わる研究者は「貴重な文化的財産をこのまま失うのは惜しい。移築場所を確保し、年内の再建を目指したい」と話している。

 ◇研究者ら復元呼びかけ

 「ナオミの家」は木造平屋建て(約50平方メートル)の洋風住宅。3室の洋間と6畳の土間があり、棟上げは1922年とされる。谷崎が24年から約2年半借りていた母屋の離れにあたり、仕事場にしていた。同時期に新聞連載された「痴人の愛」には、「赤いスレートで葺(ふ)いた屋根。マッチの箱のように白い壁で包んだ外側」など、この家を思わせる描写がある。

 谷崎文学を研究するたつみ都志(とし)・武庫川女子大教授によると、戦後、企業の社宅として長く使われ、阪神大震災での倒壊も免れた。その後10年以上放置され、2006年に家主の意向で取り壊された。その際、解体を請け負ったのが同県伊丹市の材木会社社長、則岡宏牟(のりおかひろむ)さん(67)だった。古民家再生に熱心で、「谷崎が生活した痕跡の残る家。本物をなんとか残したかった」と語る。

 たつみ教授らによる解体時の移築計画では、阪急岡本駅近くの神戸市の市有地を予定していたが、近隣住民の合意が得られず09年に断念。解体した約300点の部材が則岡さんの会社倉庫に残った。

 「解体当時の現場にいた作業員も現役を退き、残るは私を含む2人だけ。元の姿を知る者がいるうちに、移築を急ぎたい」と則岡さん。たつみ教授は「谷崎は作品にふさわしい空間にこだわり続けた『場の作家』だった。ナオミの家が復活すれば、谷崎の世界をより深く味わえる」と話す。

 庭のあった当時の雰囲気を再現するには、少なくとも約200平方メートルの敷地が必要だという。たつみ教授は一般開放が可能な阪神間での無償の土地提供を呼びかけている。移築費は則岡さんが負担し、管理・運営はたつみ教授主宰のNPO法人が行う計画。

 問い合わせは、たつみ教授(072・754・2116)。【清水有香】

 ◇痴人の愛◇

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