Updated: Tokyo  2015/03/25 12:01  |  New York  2015/03/24 23:01  |  London  2015/03/25 03:01
 

【コラム】憲法改正、地雷は9条以外の部分に埋められている

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【コラムニスト:Noah Smith】  (ブルームバーグ・ビュー):政府が自由と人権から距離を置こうとする憂慮すべき傾向が世界的に見られるが、残念なことに日本もこれに踊らされている。

安倍晋三首相率いる日本政府が推進してきた政策には、女性の活用拡大や外国人労働者の受け入れ増支持などリベラル(自由主義的)なものが含まれる。裁判員制度の導入など、日本社会は数十年前から全般的により自由主義的な方向に進んできた。しかし自民党の望み通りに憲法が改正されれば、これらのほとんどが意味を成さなくなる恐れがある。

自由民主党は英語でリベラル・デモクラティック・パーティーと表記されるが、これほど実態とかけ離れた党名も珍しい。わずかな期間を除いて戦後ほぼ一貫して政権を握っている同党のかなりの部分は、思想的にも、組織面でも、さらに遺伝子的にも軍国主義時代の政治階層を引き継いでいる。これらの勢力は一時期党内で少数派だったが、今では中心的な立場にあるようだ。

その自民党が今取り組んでいるのが、米国が起草した日本国憲法の改正だ。改正草案の内容を説明した冊子で自民党は「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」と主張。草案では表現の自由について、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という規定が加えられた。また信教の自由に関しては、いかなる宗教団体も「政治上の権力を行使してはならない」との一文が削除され、政教分離を事実上放棄している。

「公益及び公の秩序」

さらに心配なのは、改正草案が国民に新たに6つの「責務」を負わせていることだ。このうち1)「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」しなければならない、2)常に「公益及び公の秩序に反してはならない」、3)緊急事態の宣言の効果について「何人も国あるいは公の機関の指示に従わなければならない」の3つは、明らかに反自由主義と独裁政治の方向への一歩と言える。

こうした概念は中国やロシアでなら場違いではないだろう。「緊急事態」に関する条項には、中東の独裁政権が使った弾圧の正当化と同じ響きがある。

残念なのは、この憲法改正草案の極めて反自由主義的な性質が概して見過ごされている点だ。特に欧米諸国の関心は1点に集中している。戦力の保持を認めないと明記している9条の改正しか、話題になっていない。

自民党がまとめた憲法改正草案が9条を変えるものであることは事実だ。9条の変更こそ、安倍首相が憲法改正を望む大きな理由であることも間違いない。しかし非武装の是非に焦点を絞るのは、事の本質を見失う危険をはらんでいる。

特定秘密保護法

9条の改正は妥当だ。日本にはすでに自衛隊という軍隊があり、現行9条の解釈があいまいなものになっている。改正しても劇的な変更はなさそうだ。憲法が改正されたからといって、日本が他国に攻め入るとは極めて考えにくい。日本が自国の軍隊を軍隊と呼んでも構わない。

だが軍の問題に関心が集中するあまり、特に欧米の関心が寄せられることで、国民の自由に対する深刻な打撃が見過ごされている。

日本国民は当然、反自由主義的な国での生活を望んでいない。安倍政権が成立させた「特定秘密保護法」には、80%以上が反対したとの報道がある。国民はまた、憲法改正への手続きを簡素化しようとする自民党の試みにも反発した。日本人は過去70年間享受してきた自由がたいそう気に入っている。その自由がそもそも外国によって押し付けられたものだとしてもだ。

ここで危険なのは、日本人がごまかされて自ら自由を手放すことだ。欧米ジャーナリストらと同様、日本国民も9条改正に気を取られ、人権を「責務」に置き換える部分を素通りしてしまう可能性がある。安倍政権が経済再生への最善の希望をもたらしている中で、野党の力が弱く、分裂状態でほとんど機能していない点もよくない影響を及ぼしている。

国境なき記者団

大事なのは、こうしたことすべてに過剰反応しないことだ。憲法も一枚の紙切れだ。日本の首相が反自由主義国家を作り上げたいのなら、それは1947年に米国が書いた憲法では止められない。実際、自民党の中の一部の改憲派メンバーらはすでに、憲法改正草案を日本の「本当の」法と認識しているかもしれない。また草案のすべてが反自由主義的というわけでもない。性別や人種、宗教の差別を禁じる条項は維持され、その範囲は障害者に広げられた。

それでも改正案には現実の危険が伴う。ひとつは自民党の狙いが実は、芳しくない景気と原発事故を契機に大きな声を上げ始めた市民社会の締め付けにあるのではないかという疑念だ。特定秘密保護法のほかにも、報道の自由に対する締め付けは憂慮すべき兆候だ。「国境なき記者団」がまとめた報道の自由ランキングで2010年に10位だった日本は、15年には61位に転落した。

トルコ、ハンガリー、中国

もう一つは、この草案の導入が国際関係を揺るがしかねないことだ。トルコやハンガリーで台頭しつつある反自由主義の民主主義を日本が選択した場合、アジアの中で抑圧的な中国に代わる存在としての日本の価値が下がりかねない。日米同盟の絆が弱まる恐れさえある。同盟の前提となっている共通の価値観が失われれば、反自由主義の中国と、総じて反自由主義的な日本の間で、米国は今よりも中立的な姿勢に傾くかもしれない。

こうなると9条だけ変更して、後は手を付けずに残すのが最善の解決策となろう。しかし政治的にそれは実現不可能だ。9条変更を可能にする措置が取られるならば、権威主義的な「責務」と人権軽視へのドアを開くことになる。現実的な最善策は、もともと欠陥のある憲法を書き直すこと自体を先送りし、政権に就いている人々が1940年代のような考え方をしない時代まで待つことだ。

日本は極めて重大な歴史の岐路に立たされている。もっと自由主義的な社会になる可能性がある一方で、自由主義社会が大幅に後退する恐れもある。前者を選ぶことが賢明であり、かつ倫理的な選択だ。

(スミス氏はブルームバーグ・ビューのコラムニストです。コラムの内容は同氏自身の見解です)

原題:Japan’s Constitution Change Is Dance With Autocracy(抜粋)

記事に関する記者への問い合わせ先:ニューヨーク Noah Smith nsmith150@bloomberg.net

記事についてのエディターへの問い合わせ先: James Greiff jgreiff@bloomberg.net 西前 明子

更新日時: 2015/02/24 13:27 JST

 
 
 
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