電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムを斥ける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

犯罪組織アカの選挙法違反

2015-03-25 10:27:46 | 社会思想の終焉

昨日、伏尾台で白石恵子という日本共産党の市議会議員だった者が街頭演説をしていた。誰も聞いてない。宮本顕示が、集団リンチで人を殺した。それを、党首にしてきた政党だ。末端とはいえ、そんな暴力を過去にしてきた政党だ。何が変わったのかもわからない。いまだに民主集中制で、書記の独裁体制だ。実に、薄気味悪かった。ここの党員は、毎日みかける。何をされるかわかったものではない。それで、道路につばを吐いてやった。通り過ぎてから。誰もみてないところでな。

 何の因果関係があるかは不明だが、本日、強い頭痛だ。頭部にふくらみがある。誰が、私を動けないほどの頭痛にしろ、と命令したのだろうか。伏尾台のアカか、それとも川西多田のアカか。

 また目もしょぼつく。隣近所から、性懲りもなく強い電波を飛ばす。そのせいで、私は頭痛がひどくなる。電波だけでなく、何か薬剤を噴霧するようで、それを吸い込むと頭痛が強くなる。

 選挙法違反ではないのだろうか。何が? 強い電波を浴びせて、有権者に悪質な嫌がらせをする。被害者の苦しむ様を見せて、私たちに逆らうとそんなひどい目に遭わせると脅迫して、一般の共犯者に投票させる行為がだ。脅迫して、投票を強要するのは、自由な選挙に違反する。アカの組織犯罪では、こういうことが常々行われている。
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資本主義が終焉しない理由その四 配給を完璧にしても社会主義は終わっている、

2015-03-24 11:12:55 | 社会思想の終焉
晴れ
 急に寒くなった。擬似花粉症は、イオンガードで治ることが判明した。早速、買ってこよう。皆様もそれを使い。よく効くから。

 資本主義が終焉しない理由をシリーズ化している。何か、後で役立つだろう。共産が滅んでも、いまだに社会主義信者が残る。その駆除剤みたいなものだ。日本からそういう左翼の論調を消すためには、どうしても必要な作業ではある。私はあまり気乗りしないのだが。

 なにしろ アクセス数が激減。私は巷の経済書の論理を反論している。この論点は、今あまり注目されてないからな。

 資本主義が終焉しない理由その四 配給を完璧にしても、そこに自由がなく暗黒社会

 社会主義信者というのは頭が固い。共産主義が滅んで、計画経済ではたちゆかないのを見ても、いまだに、かたくなに資本主義よりも社会主義のほうが優れている、いつかはそうなると、思い込む。それが破滅幻想だ。

 神のような英知で、完璧に配給したら、誰も飢えることがなく、人々は幸福なのではないか? 今は高度なコンピューターがあるから、それでニーズなどを探り、生産量も間違えずにやれば・・・ これが頑迷な彼らの最後の主張である。

 しかし、配給を完全にできたとしても、その社会は発展しない。自由がそこにないからだ。巨大なコンピューターが何から何まで、人間のほしいものを探り出して、ロボットに生産させ、配給する。飢えない、貧しい者はいない。だが、そこは政府のコンピューターが管理する恐ろしい世界なのだ。人間の自由がそこには一つもない。

 ソ連の共産独裁者が、巨大で高度なコンピューターにすり替わったと考えればよい。社会主義なので、定義上、民間や個人の自由活動は禁止される。それはいくらなんでも不幸だから認めよう、というのは社会主義はだめだから、資本主義にしよう、という意見だ。そんな自由を認める制度は社会主義ではない。個人の自由や自主的なグループ活動はそこでは一切存在しないのだ。

 何もかもが政府のコンピューターがやってくれる。誕生日にはケーキも贈ってくれるかもしれない。職場も、政府のコンピューターが適材適所として決めてくれる。何しろ、そこは国営企業しかないのだから。ニーズをとらえ生産し、余らないように、無駄をなくすように、コンピューターの指示通り人々は活動する。全て、その中央の命令通りに動いている。

 社会主義者の最後の砦とは、こんな暗黒社会である。こんな窮屈で、自由に何もすることができない社会に住みたいのだろうか? 自分たちで社会を動かす? そんなことは政府トップの人間たちにしかできない。そのほかは、皆、命令されて動くロボットだ。

 コンピューターか、それに近いような人間が支配する冷徹な完全配給社会。食い物・衣服、住処は困らない。が、そこには何一つ、自主的に活動する自由がない。当然、昨日の議論のように、その社会は創造性が極端に乏しく、発展速度はきわめて遅い。

 そんな社会主義になると、ずっとずっと永遠に、それらトップエリートに支配されて、誰も自由にものがいえなく、過ごすことになる。そんな最終的な社会を誰が望むのだろうか? 配給さえ完璧にすれば、社会主義はなんとかなる。それは間違いだ。美点は配給のロスがないことだけで、そこはどうにもならないほど、自由がなく、その喜びもない死んだ社会なのだ。

 そう。それはまるで、愛と喜びと子供の笑い声がない、単に施設として完璧な人がいない保育所のようなところだ。死なないだろう。だが、そこは大勢にとって、何も自ら進んでするものがない、生命力がない鬱屈した社会なのだ。

資本主義という自由を捨て、社会主義になると、人類はそこで止まる。そこは清潔なだけの人類の墓場である。社会主義はもはや終わっている。

 発達心理
 現在 翻訳中なので、こちらは休憩。

 本日の被害
 軽い頭痛。それと擬似花粉症。
 やっとわかった。彼らの手口が。彼らが使うのは、トイレの洗剤サンポールにひたした繊維の埃。もしくは酸性剤の粉末をつけたもの。それをアカはこっそり室内に噴霧する。それが鼻につくと、症状がひどくなる。もちろん、睡眠中に、鼻や目などをさして、軽い傷害を起こしておく。それでわずかな刺激にも敏感になる。そんなことが実際にされているか?

 睡眠中にそんな見えにくい切り傷をたくさん鼻や目につけられているか、を確認する方法はある。まぶたをもちあげて、眼球の内側を見る。すると、大きく目の内側や下側が傷ついて、白く腫れているか赤く腫れているのが見える。被害者はすぐに判別できる。
 私は今日も右目の眼球の内側白い箇所がかなりひどく腫れている。左目の内側ははれてはいないが、かなり赤い。さらに右目の眼球の下側もかなり赤みがかっている。左目は白いままだ。
 このように見えない箇所が傷つけられている。また鼻の中も刺されてよく観察すると小さな針刺し切り傷がみつかるはずだが、よく見えない。
 もっと簡単に、ミントの香りをするものを、顔につけてみる。弱い刺激で普段はなんともないが、この被害者は今はよくしみるはずだ。私は今朝、ひどくしみた。歯磨き粉にミントの臭いのするのがあった。
それで、擬似花粉症なのだ。

 対策は、イオンガードが最も効果的と判明した。鼻の周りに、花粉症のイオンガードの薬をつける。私は、アルカリ剤の粉末をつけた。すると、ぴたっと止まった。たったこれだけのことに五年くらいわからなかったのが不覚である。

 今朝は、鼻づまりにされた。最近、一週間くらいわざと、それをしてくる。自宅にいて、朝に鼻づまりになるとは、信じられないだろう。私も、この年で久々にやられた。これは鼻の中に何か薬物を投入して、そうしているようだ。
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資本主義か終焉しない理由その三 創造性の観点から

2015-03-23 11:54:16 | 社会思想の終焉
大阪は晴れ

 今日は体調不良
 発達心理の文書を翻訳中。英語にして、各方面にアタックしてみよう。わかる人が幾人かは現れるかもしれない。今日は、自転車事故に注意。ペルー大地震はあるかも。

資本主義か終焉しない理由その三 創造性の観点から

 個人がいかに創造性を発揮するか。アイデアやひらめきが得られるには、どんな場所にいたらよいか? その個人のアイデアを最も社会が採用して、活用するには、どんな社会組織にしたらよいか? 

 企業内の創造性を高める研究は様々ある。今日は、国家という大きな社会で、個人の創造性が最も社会に生かされるには、どんな体制にしたらよいか? という話だ。

 資本主義は、民間企業と個人の自由がある国家だ。社会主義はトップが最も頭を使い、独断する。官僚がその目標に沿って、計画を作る。どちらが、国家は成長するか?

 成長とは、新しいアイデアを実現させて、新しいことをなして、実現する。創造とは、従来にないことを作ることだ。人間はそのアイデアを出す。アイデアとは新しい技術、新しい情報、新しい理論などだ。社会はそれを採用して、実行に移す。すると、社会はカイゼンされ、やがては変革する。社会は古いものを壊し、新しくなる。それが社会の成長だ。

 社会の変革には、いったいどれほど多くの新しいアイデアが必要だろうか? そのアイデアの量は、今回は数えない。たくさんなければならない。少なければ少ないほど、その社会は発展しないで、停滞する。現在、日本の企業が進歩するには、日本国全体でこのぺースで成長するには、何人、何万人の人々が、新しい方法を考え、それを実行して、改革しなくてはならないのか? その統計は知らないので、省略する。

 資本主義は、自由がある。個人と会社が、それぞれ自由にアイデアを持ち寄り、よりよいことを追求する。QCサークルで品質を工場させる。新しいアイデアを思いついた人は起業して、社会に問う。企業は独自に研究開発する。それは自由で、あらゆる分野に及ぶ。大学でも、自由に研究される。偏らない。それで、新しい製品は無数に発表される。新しい文学や芸術も現れ、テレビでは面白いエンターテイメント、映画、ドラマが作られる。そうやって、資本主義国では、社会全体が新しいものを人々は求め、作り出し、大きく発展する。

 社会主義ではどうだろうか?
 基本的に自由がない。計画経済だから。独裁者は人民のためを思い、何か画策する。官僚も独裁者の命令を達成しないと、命が危ういからそれを満たすような計画を立案実行する。地方の工場も、計画通り生産しないと、更迭されるから、文字通り、必死に働く。国の命令が創造を促し、国家機関は計画をなしとげる。

 しかし、個人に自由はない。民間企業にも自由はない。わずかな役人と公務員が、独裁者の気に入ることをするために、創造性を発揮する。独裁者と官僚と役人だけのわずかな創造性だけが、国家を発展させる。

 その創造性の量はあまりに少ない。それで、社会の末端には行き届かない。都市は政府庁舎は立派になる。が、町の隅々は黒く暗くなる。地方は、どんどんさびれてゆく。昔のままだ。何も新しく変わらない。まるで過去の遺物のようになる。誰も新しいことを、トップの了承なしにやりとげてはならないからだ。

 農業は衰退する。しだいに生産が小さくなる。農地改良は、畑ごとにしなくてはならない。が、中央の役人が統一的にするために、不適切になことが行われ、農地が荒廃するからだ。また農民もしだいに意欲を失う。

 工業は、新しいアイデアが大量に必要な分野だ。が、官僚が命じて設計していたのでは、足りない。どんどん資本主義国に遅れをとり、やがては何十年も差をつけられる。国営工場の進化が微々たるもので、新しいことはほとんどなされないからだ。

 社会主義は、国民の創造性を押さえつけ、殺す。それを生かして活用する体制ではない。よって、その成長は遅く、やがては停滞。果ては衰退か、昔のほうがうまくいった、と退行してしまう。社会主義は、民間部門や国民の創造性を取り込まない体制のため、必ず失敗する。

 世の中、個人や企業の生産の自由を認める社会主義はない。それは社会主義の定義(国がすべて統一的に行う、社会主義に民間がない)に反するからだ。その社会では、創造性があまりに低くて、現在の発展を維持できない。

 よって、資本主義の体制で発展している人類は、現体制を放棄して、社会主義に後戻りしない。ソ連のような成長鈍化、退廃を再現しない。社会主義は、個人のアイデアを殺すことばかり行い、それを創造性を取り込まない悪質な体制だから。

 資本主義の未来は、また資本主義的なものである。資本主義以上に、創造性を社会に吸い上げる制度はない。もしそれはあっても、定義上、社会主義ではない。それは資本主義の中にしかない。

 発達心理はお休み。

本日の被害
 朝から目が痛い。ストーカーひどいな。昨夜は、眼球が真っ赤で、左目は内側に傷があった感じで痛み、右目は、右下が特に赤くなっていた。ひどいな。眉毛の下には刺された痕の傷は残っているし。というわけで、川西のアカせいで、体調不良。右目の内側は、まぶたをめくると、白い部分が蚊に刺されたように大きく腫れている。
 また室内には、大量の粉塵(毛のほこり)がまっている。つもるほどに。

 偽花粉症の猛攻撃を受けた。これを花粉症というのは明らかに症状が違うから、そんなことを言うのはくだらなさすぎて、相手にしない。そんなことを言っていたら、いつまでも治らない。原因が違うのだから。鼻炎は鼻炎でも、傷害と薬物が原因だから。

 ここで刺されるとは、刺されて薬物を少量注入されることだ。単に刺されるなら傷ですむ。何か注入されるから、赤みがかる。かゆくなる。
 昨日は、金剛山に登ったが、かなりひどいことを朝からされていた。夜には左目は充血。右目は内側下が、かなり傷ついて真っ赤。目を開けるのもつらかった。昨日朝はあまりひどくなかったが。口元まで刺されて、ハリ感があった。さらに眉毛下にも刺れ、翌日にはにきびのようなものができていた。そこにできたのは数年ぶりで。刺され入れられたものが、新陳代謝できない時に、にきびになるようだ。
 しかもだ。一番ひどくなったのは、伏尾台の自宅周辺だ。金剛山は杉があったがその時も、何かされていた。山道に、いつもの刺激剤の粉塵がまかれていた。それは知っていた。登りは何もなかったのに、下りだけ、目が痛くなったから。山道がおかしいと思ったのだ。若干、白い粉塵はまかれていた。私は見え方でわかる。
 家に帰ってから、もっともひどくなる。杉林よりも、自宅のほうが、症状がひどくなる。もっとも刺激剤が噴霧され、汚染されているのが、自宅周辺なので、それは当然だ。

 昨夜は、体もだるくさせられ、動けなかった。鼻の中も刺された。鼻の中が傷つけられて、小さく刺激に弱くなっている。そのため、鼻がむずむず痒いような痛みがある。特定の電波が浴びせられると、鼻の中が閉じる。昨夜は、鼻で呼吸もできなくなった。これは1年ぶりくらいだ。東大阪ではよくやられた。やっとその犯行の手口がわかった。鼻の穴を狭くする作用がある電波はあって、それはある伏尾台の短毛のアカ女のしわざだ。それ以外にも似たような鼻づまりを引き起こすのがいた。
 ハイキングにひどいことをされた。私以外の被害も知っている。当然。
 今週末に来たのは悪辣だった。そんなやつらは、仕事にはもう行けないだろうが。
 
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資本主義か終焉しない理由その二 組織形態の観点から

2015-03-21 11:30:56 | 社会思想の終焉
大阪は晴れ
 朝から目が痛む。それでつらい。

 発達心理でこのブログに書いたものを3月分まとめた。是非どうぞ。

 資本主義か終焉しない理由その二 組織形態の観点から

 資本主義国家の組織形態とは、何か? 民間企業がたくさんある。その反対の社会主義国では民間企業がない。闇市場にはあるとしても。
 資本主義国家とは、国家の中に小さな社会組織がたくさんある組織形態である。これは、集団制組織と名づけた。企業が分社した後にそんな姿になる。それは一つの企業グループの中に、たくさんの企業がある。ナショナルグループのような感じだ。

 では、社会主義国家とは何か? そういう自由な活動ができる社会組織がないことから、全体主義的な独裁国家(集権制組織)をさす。すべて国有化されている。国家がすべて末端の活動まで統制する。

 この全体主義(社会主義)では、自由な活動が許されない。自由活動をすることは、定義上、社会主義ではなく、資本主義だからだ。中国は社会主義の顔をした資本主義ともいえる。組織形態では。

この資本主義が終焉すると、具体的にはどういうことか? 
 資本主義の組織形態以外には、社会主義(全体主義)しかない。資本主義が終わるときは、私はそんな未来はこないと考えるが、すると全体主義になる。資本主義が終わり、改良された資本主義になるときは、それは資本主義は終焉してない。ある特殊な資本主義が終わっても。

 社会主義は、社会組織や個人の自由活動(生産や販売など)を禁じる。資本主義の体制を終わらせるには、その二つの活動を禁じるしかない。具体的には、企業は国有化される。個人は、国家に所属する。そこが社会主義だ。
 資本主義が終焉するとは、そういうソ連によって破綻することが証明された社会主義体制に戻ることだ。私は、こういう退行は起こらない、考える。

 社会主義化しない理由
 配給では物を考えない。配給で考えると見落とすものが多々ある。配給が完全でも、自由がないと、そこは死んでいると同じだ。社会は発展しない。それはまた後で。今は、組織形態で論じている。

 もう社会主義国家が経済的に機能しないこと。そんな20世紀の冷戦を終わらせて得た歴史の教訓を忘れたのだろうか?
 社会主義国家では、個人の自由がない。社会活動の自由はない。メディア・テレビも国営だ。国家がふさわしくないとしたものは、一切、新聞に掲載されない。報道もされない。生産は、すべて国が決める。農業も工業もだ。
 市場のニーズにこたえてその製品を供給するという市場経済はそこにない。国家が計画して、生産量を決める。それを国民に与える。これが暗黒社会なのだ。ソ連もそうだし、キューバも大方そうだ。

 そんなひどい国家は、すぐに停滞する。物が不足して、製品の品質が落ちて、適時に不足したものを配給することはない。それが計画経済が破綻したソ連で、どこも共産国は似たようなものだった。もっとも大事なことは、それら社会主義国に自由がないことだ。すべて国が決める。官僚と政治家が決めてしまう。共産の独裁体制が国を支配する。国民はそれに従うだけ。そんな共産・社会主義国家には、喜びも楽しみも、国民の幸福も未来もなかった。

 この国はトップ政治家は王様で、彼しか自由に活動できない。国民は抑圧され、奴隷ようだ。社会主義とは、王様と奴隷しかいない制度だ。組織形態ではそれは明らかだ。全体主義国家とは、そういう国だからだ。よって、そんな資本主義より劣る体制を人類は選択しない。

 まとめ
 またソ連が崩壊した1992年に、国民と企業に自由活動させることを禁じてはいけない(資本主義体制はやめてはならない)、と人類は学んだ。全体主義の間違いを人類は学習した。もう、個人の自由を捨てて、資本主義を放棄することはない。

 資本主義の組織形態は、これ以上よいものがないから、それが永遠に維持される。それが現実である。それが真の未来である。資本主義という組織形態は永劫に終わらない。

 経済体制における資本主義はまた別項で論じる。それは今、勉強中。

 発達心理 体調不良のため休憩

 
 本日の被害
 6-7時に目覚めさせられる。鼻がつまらされた。それで鼻水どぼどぼ。それから目覚めると、眼が痛い。鏡で見ると、充血していた。特に右目がひどい。眼球の内側が大きく腫れている。これは、悪質なアカが来たようだ。この症状は、池田中近くのアカがよくやる犯行だ。それが来たのだろうか。しかも、目やにが白いから、網膜あたりを切られたようだ。かなりひどく眼がやられた。

 昨夜は、ここ数日とまっていた鼻水が出て、眼の内側が痛くなった。これは強力なまた電波による症状だ。連休なので、先週きていた連中が再び現れたようだ。隣近所に。

 今日は、それら苦痛で頭がぼーっとしている。そんな麻薬か何かを、注射されている。手も動きが悪い。
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資本主義か終焉しない理由その一 アフリカ・中南米は発展中、発達心理10 空間期の理念

2015-03-20 11:33:29 | 社会思想の終焉
大阪は晴れ

 道徳教育論をまとめてホームページに掲載した。校正は十分できなかったが。少しは読みやすくなっただろう。こういうのは原案として活用する。

 資本主義か終焉しない理由その一 世界各国は資本主義で活況中

 誰でもわかることを書いてみたい。
 現在、インドネシアやブラジルなど経済成長が著しい。彼らもやがては先進国並みになってしまうだろう。しかし、中国よりもそれは遅くなるだろう。10年以内に韓国やイタリアと肩を並べるのは中国くらいで、他国はもう少しかかり20年は要するだろう。
 日本の停滞から、資本主義が終焉すると、考える人は少々いる。一橋大名誉教授の中谷巌も『資本主義以後の世界』というそんな内容のタイトル本を書いていた。図書館にある。目次を見て、〜以後のもので、めぼしいものが何もなくて失望した。『新。資本主義宣言』という水野和夫などとの共著もあるようだ。こちらはまだチェックしてない。

 しかし、ブラジルやインドネシアはまだまだ20年は資本主義で発展する。アフリカ諸国はそれで、30-50年は発展しなくてはならないだろう。こういう世界各地で、長期間かけて、資本主義が発展して、町が都市になり、ビルが建ち、工業化して、先進国の様相になる。それを忘れて、日本国内で不況風が吹いたくらいで、『資本主義の終焉』といいだすのは時期早々、いや、お角違いだ。全共闘のマルクス幻想が浮上したようにしかみえない。
 そんなのは、30年後に再び、もっと自由に染まってから考えたらどうか、と言いたい。資本主義はまだまだ何十年と続く。それだけは確かである。ケニアの首都ナイロビにはどんどん高層ビルが建っている。あれこそが、アフリカにおける文明、資本主義の象徴だ。あのビルが、まもなく廃墟ビルになるのだろうか? いや、そんなことはならない。


発達心理10 空間期の思想はどうなるか?

 知性 → 理性 → 社会 → 空間

 人類のテーマは200-400年ごとに変わる。社会がテーマとなってもう200年。そろそろ社会思想の末期だ。次のテーマについて、どんなものになりそうか? どんなムーブメントが起きそうか。考える。

 どのようにして『空間ブーム』が登場するか。
 それはブームである。社会を改革することに人類が熱中したように、空間を改良することが、あちこちで大流行する。具体的に、どんなものになりそうか?

 まずは空間探求の始まり
 社会改革で効果的なことはやりつくした。もう何もすることがない。何をやっても出来はかわらない。はてどうしたものか? ならば都市空間や建物を改良してみよう。すると、人々の生活は劇的によくなるのではないか。そのようにして社会思想の時代は終わり、空間改良ブームにいたる。

 創造性開発はそういう展開だった。会議をいかに効率よくするか、あのKJ法、ブレーンストーミングしても、やがてアイデアがひらめきにくくなった。それで、リラックスできる事務所を作ったり、臭いをかがせたり、自然の環境を再現して、アイデアが出やすくした。そうやって、企業内の制度改革にゆきづまったから、空間をどうするかという方向に向かった。

 おそらく、人類もそんな流れで、社会制度の改良に限界を感じる。誰かが視点を変え、空間をよくするというアプローチで突破口が開く。すると、続々と空間を改良する人々があとに続く。そうやって、人々は創造性を求めて、社会から関心を離し、空間にゆきつくだろう。

 空間的な合理性
 すると、経済的な合理性、という尺度が終わる。空間的な合理性というものが始まる。それはどんな基準か? 輸送距離かもしれない。安くても、遠くに工場は作れない。輸送の手間がかかるから。人口密度かもしれない。都市に住みたい。田舎では、何もないから。都市の集積効果かもしれない。都会でないと、才能ある者が集まらなくて、技能は維持できない。そんな空間の最適化して、効率をあげるというものだろう。
 
 個人のテリトリー
 社会思想の時代では、"人権"という個を認める社会制度を国家が確立することが課題だった。空間では、個人は"テリトリー"で、その行動範囲、生活上の最低限の空間、動作空間が決まる。この個人の空間を確立して、社会が保護することは、課題となるだろう。個人のテリトリー保護は、空間期における重大な側面だ。

 流通の合理化
 社会制度上の合理性、簡易性とは、少し違う。流通では、空間的な配置、経路が問題となる。これは、社会制度上の問題ではなく、空間の問題だ。空間期に一時的に注目されるだろう。

 快適性
 住む場所では、快適性が重視される。人間が生きてゆくには、体温を36度で保つ。室内は18-28度くらいで保つと快適だ。空間をよくすると、人間は快適にそこに住める。快適性こそが、空間のよしあしをはかる指標となる。もっと洗練された基準が登場すれば別だが、当面は"快適性"が基準ではないか。

 感性
 社会思想の時代では、人々はみな"自由"を求めた。空間の時代は、何を求めるか? 快適性だろうか。"感性"というものはある。絵画や建物の芸術に対する感じ方だ。美的な感性もある。量感や質感など絵画の感覚もある。これも、基準候補である。

 空間主義
 環境主義は地球を守ろうという運動だ。ただ、守るだけではなく、美しく、人類にとって住みやすい星にする。環境主義は、空間期の思想のはしりだ。ただ、洗練されてなく、純粋なものではない。環境という言い方は適切ではない。空間期の思想は、すべて、空間主義と呼ぶべきだろう。
 
以上、空間期の思想について、どんな理念や基準、課題があるかを考察した。それは社会思想の時代には耳慣れないものとなるだろう。

 
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『新潮45 4月号』 ゼロ成長社会などの感想 発達心理9 新しい思想のはじまり

2015-03-19 11:59:13 | 社会思想の終焉
こんにちは 雨

 暖かくなったのはいいが、今年は雨が多い。なんとかならないかな。

 『新潮45 4月号』を立ち読みする。その感想
 曽野綾子の弁明を読む。彼女はアパルトヘイトの一面を評価しただけで、世界からパッシングを受けた。彼女は世界を歩いているわりには、上手に反論できてない。過剰なパッシングの体験、作家の言葉というだけでは・・・ 普通は、『アパルトヘイト下におけるある面を評価したが、制度自体はよいと思ってない。』 と発信する。謝罪はしなくてよい。元の文もそんな内容だった。報道が歪曲したのだから。

 アメリカ経済学の傲慢も読む。アメリカの経済学が数理的に走ったのは、マル経に対抗するためだ、というのは間違いだ。彼らはマル経など眼中になかった。単に、統計がとりやすかったからだ。

 「ゼロ成長社会」への道筋 水野和夫は、前半の歴史は意味不明。専門の経済史を書けばよいものを。たとえば、過去に「資本主義の終焉」と言った経済学者を列挙して、その予言がいかに外れたか。詳しく書けば、面白かったのに。

 ゼロ成長社会について、彼は1000兆にのぼる日本の借金が返せないとしきりに吼えていた。まじめにこつこつ返済しては返せない額だ。ならば、経済学者なら、そういう返済不能を長々と詳しく分析しても、どうかな。そんなみえすいた予測は誰でもできる。その程度のことを、得意げにすることはない。経済学者ならば、どう解決するか? そういう大局的なことを述べなくては。

 全体的に、マル経教授に、「ケインズなど経済学で資本主義の終焉を導き出せ。」とお題目を与えられ、それを嬉々として、全共闘気分になって、やってみせた、という代物にしか見えない。「ゼロ成長のなんたるか? を事細かく記せ。」というアメリカ経済学者からの課題はなかったのかな?

 しかし、ゼロ成長社会論には、落とし穴がある。名目成長で考えると去年の値段と今年の値段はインフレ率の分だけ、違う。だから、実体を知りたいならば、実質経済で比較しないといけない。経済学の常識だ。

 ただ、経済学諸氏は、あまり重大視しないが、゛実体経済を測るためには、もう一つしなくてはいけないことがある。それを補正しないと、生活が向上したかどうかはみえてこない。それは、外国の物価安を計算しなおすことだ。それをしないと、真にゼロ成長か判別できない。生活は安い輸入品を買ってよくなるのに、統計上は家計が低くなるからだ。それをクリアして、ほしかったものだ。

 購買力平価で思い出した。外国の安い産品を日本人は買う。日本で、100円するりんごは、アメリカの輸入品となると、30円になるだろう。
 もし、純粋な実体経済を計算したいならば、同じものが100円と30円になっていてはまずい。日本の価格に補正し直さなくてはいけない。
 が、経済学者は、そういうことをしない。円高となり、安い輸入品を買えた時に、実質GDPを示して、日本の成長率はなんぼと出した。だから、この統計の数字が、生活実感とややずれた。
 本当の国民の生活が向上したかを判定できてないからだ。

 100円ショップで安くてよいものはたくさん買える。それは円高のおかげだ。他国が物価安だから、安い商品がある。円高日本は、そのおかげで、お金は少なくてもよい暮らしができた。実質経済では、そういうことは数字に出なかった。統計の偽り。そういうのをできるだけ、小さくして、計算しなくてはいけない。

 今後、世界各国は先進国並になってゆく。どんな辺鄙な国でも、50年かけてそうなる。すると、資本主義はその間、発展し続ける。世界のGDPはあがる。大事なのはその先だ。世界中が先進国並になると、世界の物価がほぼ同じになる。そうなった時に、本当に経済は成長しているか? 考えられる。そこまで、真の実体経済が数字に表れない。その時まで、正確なことがわからないではいけない、と思う。

 現在は物価が安い国の産品を買ってくる。その製品価格は低くなるから、そういうものが増えると、GDPが下がる。すると生活は過去と同じでも、成長率が減っているように見えてしまう。人口減の問題もあるのだが、輸入物価補正をしないと、正確にはいえない。実質GNPは、概算としては使えるかもしれないが、数パーセントの誤差は出るはずだ。

 そういうあまりあてにならない数字で、ゼロ成長と危惧するのもどうかと思う。実質GDPにおけるゼロ成長の意味をもっと詳細に検討しなくてはいけないだろう。本当に、生活は向上してないのか? 単なる数字のまやかしなのか? を。もし、偽りの数字ならば、ゼロ成長でも、実質経済は向上していたかもしれないし、低下していたかもしれない。それでは、適切な対策も打てない。

 今回 経済ゼロ成長論は、あまり根拠のない統計からきている、という疑義を提言した。

発達心理 解説8 次の社会テーマ 空間の機運はまだ大きくない

 知性 → 理性 → 社会 → 空間

人類と個人の発達心理と一致する。よって、発達課題は同じになる。2015年3月は、社会思想の末期だ。次は、人類は「空間」をテーマにする。現在、どんな兆候が現れているだろう。「空間ブーム」は始まっているか?

 空間改良の機運
 1990年頃から、地球を守ろうという運動が強い。公害が世界規模に広がり、地球温暖化をどうにかしないといけないからだ。エコ・環境主義が年々強まっている。地球と空間に人類は生きている。地球を人類の住む星として、よくしていこうとする運動である。

 都市論も見直されている。日本は出遅れているが、排ガス規制が強いヨーロッパの国では、都市部に車を入れない所もある。それは1990年頃から増えている。
 創造性開発とは、当初は会議の仕方で、ブレーンストーミングなど開発された。が、しだいに、場所が重視されるようになった。どんな場所でアイデアがひらめくか、と探る方向にも進んでいる。快適でリラックスしたところでないと、創造性が高まらない、という。
 事務所の環境も研究されるようになった。ただ仕事をすればよい部屋、という雑然としたところではなく。また労働の制度を改良して、仕事の効率をあげる方法では限界にきた。もっと効率よく仕事をさせるために、職場空間そのものを改良することが始まっている。
 このように、社会制度であげられる効率。それであがる能率も限界にきたため、ビジネス界では、空間の改良に眼を移しはじめている。それは、先端の研究である。

 このように、人々は社会制度の変革が頭打ちになっているのを感じ取っている。それで、さらなる改良をすべき箇所を求めて、空間的なものを探るようになったのが、現在である。これらは、まだ社会全体を巻き込むものとはなっていない。が、しだいに、しだいにおおきくなってゆくであろう。


本日の被害
 昨日、擬似花粉症対策のやっと透明なプラスチックの防護めがねをはずした。それは、青白い粉塵がまかれた空間では、威力を発揮していた。が、悪質さが低下したため。眼がそんなに痛くならなくなったからだ。

この件で発見があった。眼がねに小さな小さなほこりが一つつくだけで、目が痛くなることがわかった。それを取り除くとすっきり治る。小さな小さなのほこり、ちりあくた一つが、目の痛みに原因となる。そのチリには刺激性の薬剤か芳香剤がついているのかもしれない。

が、鼻は毎日ぐずぐずいう。眼は右目眼球の内側が、大きな蚊に刺されたようにふくらむ。まぶたをあげると、そうみえる。
 靴は、表面は水をはじくのだが、一週間前から、そうならなくなった。水が中に浸透する。嫌がらせの一つだ。咳き込む。これも電波だ。

 近所の電気屋のチェーンで、昨日、心臓痛があった。店内に来たアカかな。それとも、店員かな。客のほうだろう。この系列はわりと、私に悪さしないから、客のほうだろう。ここの店員でアカ仲間が一人はいる。そういうのはどこにもいる。かつては大店にもいた。今は、大店でもそんなのは1-3人くらい。

 一週間くらい前、私が店内を歩いていると、裏口にその店員が手押し車を押して入った。商談中か、別の客もいたのに、その時に、バーンとわざと大きな音を立てた。なんのつもりか知らないが、マナーがなってない。この男は挙動がおかしく、何かに怯えている。店長にはそんな乱暴な行為をしたことが発覚してほしくないらしい。しかし、店内にアカストーカーがうろうろしているし、この噂は止めようがない。無駄だろう。そもそもアカがそうするよう依頼したのかもしれない。

 またこの店は、ゲームの新製品の宣伝ビデオが、他店と比べて、やってくるのが遅い。ふつうは発売一ヶ月前に新しいビデオが発売予告として入る。それが、私が見出してから、発売前日か一週間前に出るようになった。まったくでない時もあったくらいだ。テレビ予知で、ゲームビデオは参考になる。が、ここは使えない店。これも一種の嫌がらせと思うが、クレイジーなことをしているから売り上げは伸びないだろう。
 アカはお金をもってない。気を使う相手を間違えている。アカはもう客を動かせない。店を繁盛させることなどできはしない。
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『テクノロジーが雇用の75%を奪う』の感想

2015-03-18 11:21:18 | 社会思想の終焉
こんにちは 晴れ
 本日、頭痛のため、頭があまり働かない。簡単に。

 『テクノロジーが雇用の75%を奪う』の感想

 (朝日新聞出版社 マーティン・フォード著)

 雇用は、機械化、電子化によって、75%は今後奪われると彼は2009年に予測した。この本はなかなか面白い。低賃金の労働者だけでなく、ホワイトカラーも仕事を失うという。すると、労働市場が縮小する。給与の総額が小さくなる。
 すると、自由市場で、買う人が減る。企業が人に販売する額は減る。企業相手の売買が増加するわけだ。
 彼は、そこまで言ってなくて、自由市場が縮小すると書いていた。ここが私には目新しく思えた。

 で、市場を保つためにも、失業者には給付金を出すことになるだろう、という。彼はベーシックインカムを知らないようだが、それが機械化によって、それをしなくてはいけなくなるほどの大失業時代が来るらしい。
 これで、給与格差が生じるという。企業は儲ける。が、ほとんどは機械での生産となるから、どんどん労働者の割合も減る。給与も小さくなる。社会全体でそういう流れになる。だから、労働市場も縮小する。一番の問題はそこらしい。

 私は昨今の格差拡大という主張に納得していない。そうなった必然性を見出せなかった。今回、少しだけ見えた。テクノロジーによって、給与総額が小さくなった。労働者の取り分が全体的に減った。労働市場が小さくなりつつある。消費者の購買力も失われている。理論上、全体が小さくなったから、個別の給与も下がったはずである。

 とはいえ、そんなことで資本主義の破綻というほど、彼は無知ではない。この失業者達には、給料を働かないでも与える、という制度によって、解決されるだろう、と提言する。安易な経済学者と一線を画しているから、私は彼を評価しよう。

 資本主義の破綻という人は、本当の問題がみえていない
 おやじギャグが好きなのは、おやじだから。他人の気持ちに鈍感なのは、おやじだから、となんでも『おやじ』が原因とすれば片がつくというように話す人は、おやじの何が問題なのか、本当の理由を知らない。

 トヨタという大企業が儲けるのは資本主義だから。経営者の給料が高いのは、資本主義だから。なんでも資本主義とつければ、賢そうに話していると錯覚する人は、要は単に全共闘のトレンドを語っているだけで、本当のことは知らない。

 『ゼロ成長だから、資本主義の破綻だ。』、『格差が拡大するから、資本主義の終焉だ。』 なんにでも『資本主義の終わり』と最後に付け加える人は、そうすれば左翼にとって知的にみえることをよく知っているのだろう。右派から見ると、マルくすにかぶれている危険人物としかみえない。こういう人たちの意図はせいぜいそんなところだ。これは、資本主義体制のどこに問題があるか、わからない人が使うセリフである。わかっていたら、資本主義と全体をぼんやり指摘することはない。

 的確に経済体制の問題を論じられる人は日本にいないのか。
 
 本日の被害
 強い頭痛。体のだるさはある。眼球の内側は、白く腫れて、ふくらんでいる。そこが時々かゆくなる。電波で刺激され目が痛むようだ。頭痛も電波の刺激で生じる。かなりひどくやられた。
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『大停滞』(タイラー・コーエン)の感想 発達心理7 社会期の終わりごろに起きること

2015-03-17 11:56:12 | 発達心理
こんにちは 晴れ
 やっと晴れた。暖かい。いい気持ち。梅でも見にゆくか。

 日本では、二流の経済学がすぐ話題になる。ピケティなどをすぐ持ち上げるようでは、日本は経済学三流国家だ。主流派が極論を的確に分析して、過剰な期待を削いでいかなくては。そういう立派なのがいないから、私ががんばる羽目になった。世界に通用する経済学者は日本にいない。

『大停滞』(タイラー・コーエン)の感想
 経済の実質成長率がゼロでも、技術革新は起きて、社会は進歩している。それでも資本主義が終わった、というのは短絡的な発想だ、と昨日説明した。さてと、今日は『大停滞』を論じる。

 『大停滞』とは、女を抱いていたい、ではなく、タイラー・コーエンがあらわした経済本。我々が簡単に利益をあげられるビジネスはなくなった、という2011年の。彼は、その本で、電化製品(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)のように容易に儲けられるものがなくなった。インターネットは無償なことが多い。収益はあっても、ソフトは複製するだけで生産できるから、大勢が儲からない。アメリカの医療は先進的だが、効果は低く、長寿になってないし、皆が健康でもない。さほど生活の質をあげてない。

 とネットにある。私は貧乏なので直接、訳本を読めないから。そう理解する。当時、話題になった頃、あまりたいした本ではないと思った、と記憶する。

 あの資本主義終焉者たちが問題にしたのはこの本で、技術革新がすぐに儲けにつながらなくなった、という面だった。家電製品で、洗濯機は労働を減らして効果が大きかった。どの家庭も大金をはたいて買った。今は、そんなに新しい技術の製品が、すべての人の必需品となり、経済規模の増加に大きく貢献するものはない。新しい技術が即、巨大な経済市場になり、GDPを押し上げるものはない、と。それでもって、経済成長はさらに鈍化してゆく、という根拠にしていた。本当だろうか?

 現在、大きな市場が見込める新規産業はあるか? 
 これがないと、GDPは大きく上がらない。新しい技術が現れて、成長産業となり、大きな市場を作る。すると、経済全体も成長する。資本主義の成長はこれにかかっている。

 PCも登場した88年から現在にいたるまで、新しい巨大な市場を開拓した。が、今は、もう飽和状態。PCゲーム市場も、任天堂などが勃興したが、ピークをすぎた。携帯電話は新しい市場で賑わっている。

 しかし、資本主義終焉者がいう。そんな生活の必需品となるような新しい道具が登場することは今後期待しにくい。それでもって、資本主義は20世紀ほどに今後、成長しない。それで、資本主義が終焉だ、という論陣を張る。

 彼ら悲観者は、新しい市場がもうない、という立場のようだ。実際はどうか? そんなに生活を向上させる未来技術や製品はないのか?

ロボットは大きい。家庭に1台の30-50万円のロボットが入る時代はまもなくくるだろう。
宇宙旅行も、大きいかもしれない。しかし、実際は海外が宇宙にかわるだけで、旅行費自体が増えない。大きな市場は生まれない。
遺伝子産業は大きいかも。しかし、医療費は高止まりで、限界近いから、さらなる市場にはならない。
自動車は台数は増えても、標準化するから、やがて下がる。
霊との交信機。このくらいはあってよいだろう。しかし、ネット電話程度の価値しかなく、既存のテレビに小さな電子部品をつけて、できるだろうから、大きな市場にはならない。
生体監視装置。これは本人の状態をすべて記録しておく装置。あらゆる思考も記録されるから、日記をつける手間もなくなる。これはせいぜい10万円。

 ロボットが大きく、その他は、PCゲーム程度の市場にしかならない。機械製品が来て、電子製品がやってくる。それが今後、さらに複雑化しても、単品としては高くて10万円くらいにしかならない。1台数百万円の車にかなわない。

 今後、大きく人類の生活は向上しても、それを支える個々の製品が小さな市場をもたらすとしても、新しい大市場になるわけではない。現在は携帯の電子製品が家庭に入り込む。それが世界経済を牽引している。しかし、いかんせん市場規模が小さいのだ。これでは、先進国の経済が大きく伸びない。

 彼らが言うこと、今後、新技術・製品が大きな経済成長要因にならない、はさほど的外れでなかった。私もそう思っている。しかし、ここから出てくる結論が彼らと私は違う。

 さて、ここまでみてきて、わかっただろうか?

 人類は技術革新をたえまなく行う。生活の質はどんどんあがる。未来には、新しい技術が夢のようなことを実現してくれる。いまや人々の創造力は、20世紀初頭の何十倍も社会を豊かにする。そんなに人類は成長速度を大きくあげた。

 成長はアイデアの数にかかっている。それは特許の数で表される。特許出願数はいまや過去最大だろう。おそらく。

 しかし、経済学の手にかかると、それでも人類はゼロ成長、という。まるで狐につままれたようだ。ここまで、読んで、何がおかしいのかわかっただろう。資本主義か? それとも経済学者の見方か?

 資本主義は問題ない。自由経済によって、人々は創造しているから。それ自体に陰りはみられない。私は、貨幣を指標とする態度(経済学の分析法)が新しい現実についてこれてない、と思う。

 資本主義社会は陰りがない。が、資本主義経済になると、成長が止まる。つまり、問題は現行制度ではなく、"経済(マネー)"による価値判断にある。

 彼ら資本主義終焉論者は、セクハラが止まらないのは日本社会制度のせいだ、という。私は、セクハラ部長のせいだ、と言いたい。全体が悪弊の原因ではない。それを言うのは扇動者だ。悪の原因を特定しないと、学者とはいえない。
 

発達心理 解説8 社会思想の時代の末期に起きること

段階 期間  組織形態             流行       社会現象
↑6, 2010-30 個人制 コラボ、プロジェクト型  個人・資本家  Facebook、格差解消、個の確立
↑5, 90-2010 集団制 分社体制        グループ     地域主義 EU、経済圏
↑4, 70-90 官僚制(専門)            専門家      官僚ブーム
↑3, 50-70 分権 事業部制           自治       民族主義
↑2, 30-50 集権                  権力志向    独裁国家
↑1, 1910-30 創業期  

現在は、2015年。社会思想の時代が終わるまで約15年。いわば末期的症状が発生するころだ。どんなことが起きるだろうか?
 
 社会的な価値が低下する。
1,マネーが消えつつある。社会的な価値を最も表すのが、お金だ。需要と供給で物の値段は決まる。そのマネーが電子化して、姿を消しつつある。また社会が発展しているにもかかわらず、経済成長がマネーでみると、ゼロという。社会価値を表す指標として、役立たなくなっている。
2,共産理論の無効化。共産主義は社会思想の時代にのみ、人々を吸い寄せた。しかし、社会的な価値などいまや日々低下している。よって、そのイミテーション・バッチモンの共産理論も、魅力を失う。共産国家は今後どんどんと統制がなくなってゆき、2030年までにつぶれるだろう。
3,社会的な価値の体現者の魅力が低下する。その価値の低下に伴って、それをあらわすシンボルも威光がなくなる。金持ちは憧れではなくなりつつある。また大統領や首相は、一番立派な人物だった。が、彼らへの敬意も昨今低下中だ。

 社会制度改革に限界感
1,一度の制度改革の効用が、どんどん低下している。以前は、改革すると大きな社会変動が生じた。今は、何を変えても、小手先をいじくっているようにしかみえない。ベーシックインカムが最後の砦のようだ。
2,社会制度にとらわれない人が台頭している。これはどの国の制度でも、やつていけるようなバイリンガルの増加。どの国に住んでもかまわない、という人が増えている。国へのこだわりはしだいになくなりつつある。

 社会統合論の出現 理性期の終わりには、ヘーゲルが理性を完成させた。社会期の末期にも、あらゆる社会論を統合するような先進的な理論が現れる。

 社会思想の工業的なものが世界中に広がる
 理性期の後半には、産業革命があり、機械が日常に入り込んだ。そのように、理性の工業産品が登場した。社会思想の工業産品とは、インターネットだ。インターネットは、人々の社会関係を工学技術でよくすることに貢献した。

 社会論の数式モデルが登場する
 理性期の末期には、ヘーゲルによって、論理学が開発された。理性を、論理学であらわせるようになった。社会制度も、何か数式で表せるようになるはずだ。

 以上 社会思想末期に起きる現象を説明した。

 本日の被害
 昨日、一日中、鼻水が止まらなかった。それで、一日をだめにした。これは鼻の中に、刺激剤がたくさん入った現象。本日は、それはない。朝のシャワー中に、鼻の穴を大きく開いて、水を入れて、洗うととれた。それ以来、鼻水はあまり出てない。
 右目は、内側が大きく腫れてる。右まぶたをとってみると、明らかだ。
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資本主義は最低2050年まで世界で拡大する

2015-03-16 11:58:21 | 社会思想の終焉
こんにちは 曇り

 私は大阪市立大学の経済学部卒だ。マル経は講義に出なくても、必須だから試験に貨幣論を書いて合格してやった。あまり経済史や詳しいことは忘れた。最近の経済学者はいい加減な感じを受ける。非主流派が大きな顔をしている。

私は入学して、三ヶ月で経済学に見切りをつけ、経営学ばかり勉強していた。が、まるっきり知らないわけではない。
 昨今の経済学者の過ちを、経営学(組織形態論)の観点からではなく、経済学的にも、あばいてみたい。うまくゆくかな。

 資本主義は最低2050年まで世界で拡大する
 成長率が低い、ゼロ、と一部経済学者は騒ぐ。このままでは資本主義が終焉する、と。しかし、この日本人経済学者の主張は、視野狭窄ではないだろうか? 本当に経済成長率が止まったのだろうか?

 これは簡単に検証できる。経済成長(GDP)の長期見通しをみればよい。現在から、GDPが将来も変わっていないならば、ゼロだ。

 イギリスのPWCの調査『2050年の世界』(2013年度)では、
 日本が2011年に4531*(10億ドル)、2030年に5842、2050年に8065とほぼ倍増する。
 購買力平価ベースの計算らしい。

 日本人の一部経済学者は成長してないと悲観的だが、イギリスでは日本は成長している、とみているようだ。

実質成長率かどうかが、問題なのだろう。しかし、実質成長とは何か?
 経済学においては、名目成長率と実質成長率がある。名目成長率とは、物価上昇分を含めた成長率。なので、実質成長率が、本当により経済的に豊かになったかを示す値だ。
 購買力平価ベースとは何だろう? ちょっと忘れた。物価上昇を含めるのかな。含まないのかな。成長率は日本が2%だった。

 どちらにしろ、経済学の"実質成長率"はあてにならない
年々よりよいPCが開発されている。しかし、値段だけみる経済学ではその製品が安くなると、それは進歩の産物ではなく、退行の産物となる。よりいいものが手に入るようになっても、価格が安くなると、安物。

 ゼロ成長だから、経済は発展していないという主張は、値段だけみている者の言葉だ。実質成長という指標では、とらえられない社会の進歩がある。社会が実際に成長しているか、その指標ではっきりわからない。これを『実質成長率の罠』と呼んでおこう。

 インフレでもデフレでもないのに、同じ値段で買えるものが、現実では日々品質向上する。同じ値段のお菓子が、菓子職人の工夫で、少しずつうまくなっている。もしくは材料費が上がったから、菓子は安上がりに作ったかもしれない。

 経済学のいう実質成長率では、それは数字に表れない。実質成長率ばかりにこだわると、この成長面やマイナス面がみえなくなる。そして短絡的な判断をしがちだ。

 実際は自由社会は創意工夫して、改善するから、全体的に少しずつ商品の質をあがる。社会はそれらノウハウを得て、よりよい質となり、成長する。

 特に、経済成長がゼロと盛んに言い立てて、資本主義が終焉すると単純なものを言う輩は、こういう金にならない質の向上は捨象しがちだ。実質成長率をそのまま社会の成長率と信じこんでしまっている。 

 経済学者もこの程度のことは知っている。だが、つい実質成長率が低いから資本主義は終焉、と世間をだましてしまう。悪い癖だ。世間に何かそれで印象づけることはできても、経済学の同業者には通じない。それもまた経済学者はわかっている。

 しかし、実質ゼロ成長だから、社会の進歩が止まっている、と経済指標の誤解みたいなのを、さも正しいかのようにいつまでも言っていたら、信用されなくなる。そんな安っぽいことを言い続けたら、いずれ経済学が現実をとらえきれないから、不要ということになってしまうだろう。

 まだそこまで見抜いて発言する人は現れていないようだが。経済学不要という極論に至ってないが。

 だから、ゼロ成長=資本主義の終焉、と言う経済学者もその見解の根拠が弱いことは自覚している。だから、その理論的な欠陥を補うために、いろいろ根拠を別に探している。一方では、経済学が社会の進歩を本当に現すか? それを血眼になって検証している。『大停滞』の話だ。結局はここにゆく。これは今度にする。

 今回は、世界経済は成長している。それは数字では明らかだ。2050年までずっと拡大する。名目とか実質とか、あまり厳密に区別する必要はない。成長していれば、それで成長だ。なぜなら、経済学では本当の成長は数字に出ないのだから。極度のインフレでなければ、それで世界経済はうまくいっている。その間、世界は成長しているとみてよい。先進国が停滞しても、世界の資本主義は年々拡大している。よって、まだ、資本主義の終焉を唱えるのは早い。これが結論である。

発達心理 一時休養

本日の被害
 鼻のかゆみが起きる。電波で刺激されているようだ。ほこりに静電気様のものを発生させるらしい。ほこり一つが鼻の中に入る、それがかゆくなる。ほこりに刺激剤が付着しているようだ。また窓を開けていると、白っぽい粉塵が入ってきた。それをすうと、鼻から鼻水が出た。あまりにひどくて、物書きもできない。夕方までずっと止まらない。かなりひどく鼻を傷つけられた模様だ。
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貨幣なしの資本主義もある 発達心理 今後の予測(段階6)

2015-03-14 11:47:25 | 発達心理
こんにちは 雨

 昨夜、ここに書いたものを手直しして、サイトにアップした。『大野思想研究所』是非どうぞ。まとめて読める。これ、時間がかかった。まだ1/3ほどしかできてないけども。

社会主義が資本主義に劣る、という話が大好評。

 資本主義の未来はばら色

 そもそも資本主義とは?
 18世紀のドイツで、民間企業を活用するのが、資本主義のはじまり、とされる。しかし今や資本主義はもっと洗練された。現在は、何が資本主義の定義か?

 資本主義の反対は社会主義だ。社会主義とは中央集権の計画主義だ。純粋な社会主義では民間企業がない。
 よって、その逆が資本主義だから、民間企業を取り入れるのが資本主義、もしくは、国家が一つの統制社会でないものが資本主義となる。
 社会主義が社会組織が一つの国、資本主義は内部に複数の社会組織をもつ国と定義できる。
 この資本主義を制度でみると、個人・グループ活動の自由がある国といえる。そのため無数の自由な活動主体がその国にはある。社会主義は、それがない国と定義できる。
 資本主義というとき、『資本』という言葉にこだわってはその本当の姿を認識できない。そこが大事である。資本ばかり論じ、その制度の本義を見落としていけない。

 経済面はどうなるか?
 資本主義だけが貨幣経済をもつ、と思われている。しかし、社会主義でも貨幣経済にできる。よって、それは資本主義特有ではない。
 
 貨幣経済がない資本主義は成り立つか?
 社会主義では貨幣なしの配給制度はあった。よって、資本主義でも原則さえ守れば、貨幣なしもありえる。資本主義は貨幣がなくても成立する。もともと民間の自由活動の制度があるのが資本主義だからだ。貨幣は、流通の手段である。貨幣制度は、古来からあり、資本主義がなくても成立してきた。
 また貨幣制度は、その名から資本主義を支える要件と思われがち。だが、資本主義とは、純粋には、組織形態をさす。個人や企業の自由活動さえ、その制度要件さえ認められたら、それはその経済がうまくいこうが、悪かろうが、資本主義である。よって、貨幣制度がないそれもありえる。
 貨幣制度が破綻するかいくら議論しても、資本主義の成否に結びつかない。それは民間の活動を停止するか、国有化すべきどうか、という話でないからだ。

 経済体制に資本主義と社会主義のほかに何があるか?
 部族社会の経済はある。マルクス主義で原始共産制と呼ばれるもので、所有がまだあいまいな状況だ。これは大きな社会では、所有を区別するから、成り立たない。この体制は、家族みたいな小さなグループで起こらないから、社会や国、人類を考える時には、必要ない。
 
 国がすべての人民の親となると、北朝鮮のように親が何もかも独占する。こういうのを先進国で行う発想は、家族主義や部族社会を国家にもちこむことで、幼稚である。

 というわけで、経済には大きく、資本主義と社会主義しかない。原始共産制は論外である。そして、社会主義に貨幣なしの制度があるから、同じく資本主義においても、貨幣なしの制度がありえる。ここが大切。

 現在、貨幣制度に陰りが見えている。よって、このまま推移すると、資本主義から貨幣制度が取り除かれてゆくのではないだろうか。それは社会主義ではなく、あいかわらず資本主義である。その社会は一極集中でもなく、統制されることもなく、個人や企業が自由に活動するからだ。これが、資本主義の未来である。

 経済学者諸君。貨幣経済なしの資本主義社会を描いたらどうだろうか? その未来がバラ色であることを証明しよう。

 
発達心理 解説7 この理論では今後何が起きるか?

段階 期間  組織形態             流行       社会現象
↑6, 2010-30 個人制 コラボ、プロジェクト型  個人・資本家  Facebook、格差解消、個の確立
↑5, 90-2010 集団制 分社体制        グループ     地域主義 EU、経済圏
↑4, 70-90 官僚制(専門)            専門家      官僚ブーム
↑3, 50-70 分権 事業部制           自治       民族主義
↑2, 30-50 集権                  権力志向    独裁国家
↑1, 1910-30 創業期  

現在は6段階目の個人制組織の段階だ。個人を保護する社会保障が整う。そして、個人の自由活動は、現在は地域主義ほどの範囲に及ぶ。地域文化圏を個人が意識する。

 今後、何が起きるだろう。

 個人の流動性の拡大、その受け皿も大規模化
 IS(イスラム過激グループ)を見る。世界中から戦闘的な個人が、中規模国家ほどの支配地域をもつISへ集まる。現在は、コラボレーション(こじんが集まって仕事をする。)の規模が、中規模国並に広がっている時期だ。ISはその時流の典型といえる。
 今後、この自由な個人の流動性はますます高まる。より人の移動が加速される。個人の自由意志、(ボランティア)で集まる組織も、より規模が大きくなる。
 個人は自分に向いた職業を求めて、世界中の国々、企業へと流れる。それが加速される。その受け皿も、より大きな規模となるだろう。
 この個人の流動性が高まるにつれて、自由のない国はその統制力が弱まるだろう。共産中国、北朝鮮、ベトナム、キューバはその自由な流動圧力に耐えられなくなり、崩壊する。

 社会的自己の範囲も拡大
 この期間は、個人が社会的な自己を確立することが求められる。2014年までは国家規模の社会におけるアィデンテティを確立するため、民族主義的だった。今後は国家を超えて、中華、キリスト教、イスラムなど文化圏のアイデンテティを自覚する。そんな行動が予想できる。
 文化的な共同意識は高まる。それは多国間の協調につながる。アジアでは、2014年は韓国、日本、中共はいがみあい、露骨に民族主義的だった。が、これから2015年にかけては、国際協調主義が強まる。
 問題は、国際主義の過激思想が台頭することだ。一つは共産主義。ギリシアは左翼政権が暴れている。中国も東アジアには融和的でも、その他では外交を悪化させるだろう。国際的なイスラム過激主義も強まるだろう。この間は、国際主義に規律が生じる期間でもあるため、それを期待するしかない。

 個人保障制度の拡充
 人権の保護は、大方整った。言論,信教、結社などの自由はさらに侵害されなくなる。しかし、経済的な保障は十分ではない。格差という問題は大事となっている。だが、給料は国が改善できない。結局は、ベーシックインカムを整えるしかない。それが2030年までに一部先進国で採用されるだろう。非摘出子?、父親が認知しない子も、今後は国が存在を認めてゆくことになるだろう。

 この段階の特徴からいえることは以上だ。個人制の段階は、社会期の最終にあるため、次のテーマ『空間』に向かって、社会期の決算みたいなことも起きる。

 社会期の末期の現象
 社会イデオロギーの時代でなくなると、過激な社会イデオロギーによって成立しているものは、つぶれてゆく。
 社会制度は、この期間に、標準化される。すると非標準的なものは、姿を消す。共産国は、過激な社会思想だ。その力によって支えられている国は、社会思想そのものに影響力がなくなると、統制力がなくなり、壊滅する。共産国だけではなく、共産党もなくなる。自由国家は、正しいものだから、なくなりはしない。

 今日は時間がなくなったから以上である。

 段階6で今後起きることを記した。

本日の被害
 朝から、唇に二箇所以上の傷がある。寝起きで鼻水が大量に出た。これもやられた症状。鼻から2-3cmのプラスチックの糸が出てきた。布団の周りにはそんなものは落ちてない。ブラシの毛だと思う。
室内は、白い粉塵がかなり舞っていた。これは見える。窓を開けた。音声送信は、『そうやな』とこれを書きている最中に聞こえる。お風呂で、頭が滅入る。北側から強い電波が当たったよう。最近、隣近所のアカ基地からは強い電波は出てない。二週間くらいそうなる。かわりに、道路をはさんで北側から強い電波が飛んでくるようになった。
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発達心理 社会組織成長論で現在をみる

2015-03-13 11:33:36 | 発達心理
こんにちは 晴れた
 マルクス弁証法批判で最高アクセスを記録。このサイトは以前から共産関係者が注目していたようだ。私の告発が気にかかるのかな。
 ここに書いたものを今、まとめている。校正して、サイトにアップする予定だ。1/3ほどできた。お楽しみに。
 防護メガネをすると、外出時の目の痛みがなくなった。これはいい。

発達心理 解説6-7 社会組織成長論で現在をみる


段階 期間  組織形態             流行       社会現象
6, 2010-30 個人制 コラボ、プロジェクト型  個人・資本家  Facebook、格差解消、個の確立
5, 90-2010 集団制 分社体制        グループ     地域主義 EU、経済圏
4, 70-90 官僚制(専門)            専門家      官僚ブーム
3, 50-70 分権 事業部制           自治       民族主義
2, 30-50 集権                  権力志向    独裁国家
1, 1910-30 創業期  
      
6 各段階の世界構造の変革
 どの段階でも、組織改革は、ミクロからマクロへと向かう。

 個人→仲間→企業→地方→小国家→国家郡→地域圏(EU)→文明圏→世界

 自治ブームなら、まずは小さな会社で分権が行われる。そして、大学などに自治がおりる。しだいに変革対象の規模は大きくなる。国家が自治を拡大する。そして、地域経済圏で自治的なまとまりができる。このようにして、最終的には、世界全体が『自治』をとりいれる。すると、その段階は完結する。このように、世界構造は、その段階で、その理念(変革モデル)によって組織改革する。

 組織改革の理念(モデル)は、この前の段階にはできている。たとえば、第五段階は、地域集団が集まる組織形態となる。それは、企業では『分社』、国家では『民主化』か、『資本主義』という制度に変化することだ。それら、組織改革の手法は、その段階になって初めて開発されるわけではない。それ以前に、知られている。

 企業の『組織形態』とは、世界では『世界構造』,『世界の体制』と呼ばれる。ここから、『構造主義』という哲学が派生した。その思想の原理は、組織改革だ。組織変革時における形而上学をそれは取り扱った。

7, 社会組織成長論で現在をみてみよう
 現在は、いったいどの段階のどのレベルに位置するのだろうか?
 現在は、2015年3月だ。それは、個人制の段階だ。個人を社会的に確立する段階だ。個人が社会ネットワークを形成する。社会はそれを後押しする。Facebookが勢いを増した。個人が活躍する場を提供する制度が生じる。コラボレーション。一段階は20年だ。その1/4ほど進んだところだ。個人の活躍が目立つようになる。

改革はミクロからマクロへと向かう。

 個人→仲間→企業→地方→小国家→国家郡→地域圏(EU)→文明圏→世界

 現在はどこか。1-2月までは右派ナショナリズムが強まっていた。そこから、組織変革は国家レベルに達していた、といえる。しかし、2014年11月に、中国は日本を受け入れた。ナショナリズムは衰退ぎみだった。2015年1月のギリシア選挙では、左翼政権が勝つ。ここから、ナショナリズムの期間は終わったとみなせる。左翼とは国家主義の面もあるが、国際主義的(あの悪名高いインターナショナル)だからだ。よって国家郡の変革の期間に入った、と思われる。

 国家郡の変革の期間とは?
 地域主義のはじまりだ。それまで国家における個の社会的な確立(アイデンテティ)が課題でナショナリズムが高まった。今後は、地域文化圏におけるその個の確立がテーマとなる。国家の枠組みにとらわれない個人がさらに増大する。これによって、恐怖支配をとっていた国はさらに、個人の自由活動の高まりで、崩壊の危険さらされる。中国は、個人の行動をさらに統制できなくなる。が、この期間は、国際主義の左翼が躍進する危険性がある。

近隣諸国の共通の価値観が浮上する。日本の場合は、中華圏だから、韓国、台湾、中国と和する流れが生じる。中華文化圏としての自己を認識する。それは中国文化が流入した日本では、その価値の見直しとなる。実際、日本と中国の関係は、中国からの買い物客の多さからみて良好である。

ヨーロッパにおいては、共通の価値観はキリスト教である。非キリスト教徒や移民に排他的になる可能性はある。ここはどちらに転ぶかは予測しにくい。健全な国際協調主義は、EUを強化するだろう。なぜなら、EUはその価値によって成立した共同体だからだ。アメリカも大国だから、その建国の価値観は強められるだろう。個人を認めない非人権国家の中国や、それを制限する共産国がさらに、混乱する。内部の個人が国際連携を強めるためだ。

おそらくEU発生当時と似たような地域経済圏の構想が今後1年間、強まるのではないだろうか。

 以上

地球人類は、すこぶる順調に発展している。なんら停滞はみられない。なぜなら、世界の多くが民主化して、自由な国だからだ。非民主的な国だけが、内部の人々の国際的な行動により、崩壊の危機がさらに高まる。

 本日の被害
 擬似花粉症対策のために、防護メガネを買う。それをつけたら、目の痛みが激減した。鼻水も止まる。外でも、家の内でつけている。私は家の中が一番ひどくなるため。
 眼球の内側に、1-2cmの腫れがある。虫さされのあとのようにふくらんでいる。ここからも、花粉症ではないとわかる。なぜか? 花粉症ならば全体に腫れるはず。が、一箇所だけ蚊や蜂に刺されたあとのようにふくらむとは考えられないからだ。両目がそうなっている。昨夜は、左は何もなかったが。右目も腫れがひいていた。それが、朝には倍になっていた。これは、睡眠中に刺された、と考えるしかない。
 また、白く、わずかに青みがかって光る粉塵がある。室内にまかれる。粉塵なので、よくみえる。空気がうっすらと変色している。それに触れると、私はとたんに目が痛くなる。私の家の周辺にそれはまかれている。室内にも、睡眠中に、朝にはまかれている。
 なお、私が通るいつもの道には、あらかじめこの粉塵がまかれているため、そこを通っても目は痛くなる。普段通らない道に入ると、それはまったくなくなる。

 淡路島の洲本で五人の親族をナイフで殺害した男は、電磁波被害を受けていて、政府のしわざと主張していた。それはそもそも間違いで、犯罪組織は、しょうもない共産イデオロギー集団だ。
 親族はアカでなければ、敵ではない。何も知らないのが大半だ。勘違いしてはいけない。怒りがそちらに向かうとは、この男もどうかしている。
 犯人は、家の外にいる。被害者はおとなしくしていたら、いずれ政府が救済してくれる。必ず。その時までは暴れたりしない。被害者はいつものように合法的に告発、抗議しておこう。ただ警察も、ちゃんと被害者は被害者として扱わなくてはいけなかった。精神科医も犯罪を知っていたら、倫理観にのっとって、被害者扱いをすべきである。それらで問題がこじれた。
 電波犯罪は傷害罪であり、それは親告罪ではない。だから、警察は被害者の親告をまたなくてよい。警察は電波犯罪の証拠をもっているところが多いから、動けたはずだ。このあたりの警察の怠慢も、事件が別の方向(親族殺人事件に発展した)にいった原因だろう。
 一番悪いのは、殺人を犯した犯人。次に、そう誘導をした電波犯罪者。そして、それらを知っていて放置した警察関係者である。
 治安関係者はこういう悲劇は起こさないようにしよう。
コメント

中野剛志氏の『資本主義の〜』感想 発達心理5 社会組織成長論で20世紀を区分する段階

2015-03-12 11:57:50 | 発達心理
こんにちは 晴れた
 寒いけど、アクセス数は増えた。亜流の弁証法を論じただけで。あんなちゃちいものはすぐに間違いと気づかなければ、思想は語れない。

ネット囲碁が低調で、昨日六段で打って負けかけた。韓国のネット碁、東洋囲碁にいる。ネームは「tasuku??」

 昨日、中野剛志氏の『資本主義の預言者たち ニュー・ノーマルの時代へ』(角川マガジンズ)を立ち読みする。「資本主義の終焉」を論じていた。彼は社会主義(共産主義)をもっけから信じてない。ただ古くさい経済学者を出して、今後の行方を示そうとしている。全共闘が古典を経典にして、それを読まなければ何もわからない、という。それと似たような口調だった。彼は経済学の主流派とは違った見解だ。

 ただ私は「資本主義の終焉」という論理は狩る。どう書いてあったかは忘れた。立ち読みだから。社会主義幻想をいだかせないためだ。共産に利用され、また間違いでもあるため。

 水野氏は、ゼロ成長だから破綻、というたわいない論理だった。破綻するのは経済学の成長神話であって、資本主義ではないのだが。中野氏のほうがタフなようだ。今度、しっかりと調べて、きっちり反論してみよう。だが、彼は、資本主義が組織形態をさす言葉と、わかってないところが痛い。そのあたりから、資本主義が終焉しないことを説明しよう。

資本主義のあとに、社会主義は始まらない
 組織形態でみると、資本主義と社会主義の違いは、明確だ。
 社会主義は企業がなく、国家組織一つがすべてを運営する。つまり、単一組織だ。
 資本主義は国家が一つですべて行うわけでない。多数の企業が活動する。それは大きな組織の中に、多数の組織がいる形態だ。
 その違いの根本は、数だ。国家に一つの組織しかない制度を社会主義という。二つ以上(寡占を禁じるから少ないより多いほうがよい)の組織があると、資本主義となる。そう区別できる。これが正しい定義なのだ。その他の経済主体うんたらは、附属的なものでしかない。

 この優劣を考える。
 巨大な一つの国家組織がすべてやってしまうと、どうなるか?
 トップが一つ間違えたら、この社会は全体が危機に陥る。食料分野を一つ間違えると、もう数割は飢える。北朝鮮のように。
 それを複数の組織がやると、どうなるか?
 一つの組織が間違えても、他がうまくやれば、なんとか、最悪の事態は免れる。
 無数の組織がそれをすると、どうなるか?
 誰かが多少間違えても、食料の問題はうまく行われる。食料は不足しない。
 つまり、一つの組織に任せてしまうよりは、多くの組織にやらせたほうが、その国家は生き残る、繁栄する可能性が高い。

 これはリスク管理の観点だ。一社に生産を委託するよりは、10社に依頼する。すると、リスクが分散される。これが、資本主義が絶対的に社会主義より優位なところだ。このリスク分散の体制は、人類は放棄しない。よって、社会主義の制度は致命的な欠陥があるから、人類は採用しない。よって、資本主義の体制は未来永劫つづく。

 生物学では、このリスクの分散をよく研究している。種の多様性という話だ。
 たとえはこんな話。箕面の滝の側に食い物がたくさんあり、猿の群れがそこだけに集まる。ある日、そこの食べ物がなくなったら、その猿の群れは全滅する。
 そこ以外の場所で、食物をとる猿の群れが別にいるとしよう。万が一、箕面の滝の食い物がなくなって、箕面の滝の猿は全滅しても、他の猿は生き残る。このように、組織が多様性をもっていると、生存する率が高くなる。

 社会主義は、国に一つしか組織がなく、独裁的だ。一つの方向性に全体が進む。そのため、環境がある日変わったら、それで全滅するリスクが高い。
 資本主義は、多数の組織が別々のことをしている。そのため、リスク分散している。いろんな可能性がある。それで、環境の変化にも強い。資本主義では、社会が生き残れる。

 社会主義はあまりに一色になりすぎて、環境変化に弱い。柔軟性がある資本主義のほうがよい。

 創造性の観点からは、この二つの組織にはどういう差があるか?
 資本主義と社会主義の差が最も大きいのは、この創造性だ。一つの巨大組織が、政府中央ですべて決定する体制が、社会主義だ。国だけでなく、市場や企業・個人が自由に決定できる体制が資本主義だ。この二つの体制では、その社会が採り入れる創造性の量に大きな差が出る。

 まずは社会主義。官僚やトップは、日々国中のことを調べ、それを計画する。彼らと政府お抱え学者がアイデアを出す。だが、一般個人や企業は、計画を実行するのみ。創造性は使わない。わずか、政治家や官僚など数千人の知恵で、一国が動く。

 そこでは民間の創造性は、まったく無視される。それを社会で活用することは禁止される。それが社会主義の原則で、企業や個人で商売などしてはいけないためだ。この社会ではトップや政府が進歩の原動力となる。
 しかし、創造性の量は少ないため、わずかしか進歩しない。政府は豪華になっても、末端(庶民に近いところ)はいつまでも停滞する。そのため、町は進歩がなく、何十年も変わらない。だんだんとさびれて、町は時代錯誤のような過去の空間になる。北朝鮮がまさにそうだ。あの国は社会主義体制の必然だ。

 資本主義は、政府や官僚は国をよくするために考える。彼らは計画主義の国家のように隅々まで采配しない。しかし、膨大な企業や個人が創造性を発揮する。カイゼン、工夫。労働人口分の創造性が、国家全体で活用される。町でも、地域でも、企業も、どこでも毎日のようにそれで進歩、発展する。使用される創造性は、計画主義の何十倍、いや何千、何万倍に達するだろう。それで国家のあらゆる領域で、産業は発展して、豊かに文化を開花させる余裕するある。

 社会主義は、政府しか頭を使わないために、何もかも遅々と進む。現在の人類の成長スピードについてこれない。だが、資本主義では、人類の発展に必要な創造性の量は確保できる。両体制が必要とする創造性の差は、とてつもなく大きい。この差が、資本主義と社会主義の絶対的な差となる。人類はもはや、社会主義体制に後退すると、破滅してしまう。社会は発展しなくてはならず、そんなことにはならない。よって、資本主義の体制は、何が起きても、維持される。

 これでも、まだ社会主義に後退して、成長を放棄することが、今後、資本主義がゆきづまったようにみえた時に起きる、と言うのか? 

 おそらく、左翼批判は、つまらないかもしれない。若い人はそうだ。

発達心理 解説5 社会組織成長論で20-21世紀をみると?
 
私はグレイナーの「ライフサイクル社会論」を改良して、社会組織成長論を作った。組織形態の変化はこうなる。

 創業期 → 集権 → 分権 → 官僚(専門) → 集団制 → 個人制
        独裁  事業部制 官僚制     分社体制 コラボ、プロジェクト型

 この段階を20-21世紀にあてはめる。類似の現象を調べる
 1,極度に集権的な体制となった1930-45年を集権の段階とする。
 2,民族主義がおきて自治ブーム。各国が独立した時期を分権の段階とする。
 3,官僚制度がもちあげられた1970-90年は官僚の段階とする。
 4,地域主義が勃興した1990年代を集団制の段階とする。
 5,G7,G8が世界を管理した1980年代は官僚の段階とする。
 6,Facebookなど個人の活躍の場を提供した2010年からは個人制の段階とする。
 7,1970年が市民運動のはじまりだ。それは区切りとする。
 8,1974年ベトナム戦争は敗北した。民族主義はその頃には終わっていた。
 9,ISは個人を集めて傭兵とする。これは新たな組織形態だ。個人制の段階とする。
10,官僚組織は無敵という神話があった1970-80年を官僚の段階とする。

 以上からみえてくること
1,世界の歴史は、集権→分権→官僚→集団制→個人制と進むようにみえる
2,各段階の時期、経営学では、その段階の組織形態がもてはやされる。
3,世相は、その段階の組織改革の理念と一致する。専門家ブーム、コラボブーム、独裁者こそが国家の窮地を救う、自治が日本を活性化させる。

各段階の期間について 分権のはじまりは、民族主義が始まるサンフランシスコ講和条約の1950年頃とする。1970年から市民運動が始まり、転機だった。1990年にソ連は崩壊。民主化した。1992年にEUが地域主義から成立した。
 これらから、20年ごとに大きく変わる。各段階の期間を20年とする。
 また1970年を官僚の段階のはじまり、1990年を地域主義のはじまり、1950年を民族主義のはじまりと区切る。

各段階20年なので、人類の社会構造の発達段階は、このように期間を区切れる。

 創業期 → 集権 → 分権 → 官僚(専門) → 集団制 → 個人制 
1910-30 30-50  50-70   70-90     90-2010 2010-30(年)

 以上。これが社会思想の各6段階である。人類は各段階ごとに、特有の理念をもち、その理念が導くように世界中の社会組織を構造変化させた。そして、その変革リーダーに魅力を感じ、時に賞賛した。そのようにして、社会を発展させた。         

本日の被害
 目の内側がかゆくなり、かゆくなる。これは眼球の内側が傷つけられている。かなり腫れていることを確認した。また6時半に起こされ、「ごめん」といわれた。これは悪質なことをされた時に言われること。何をされたのか、まだはっきりと自覚してない。
 口の中は、二箇所、さし傷がある。睡眠中にできたものだ。
 昨夜は、白い涙跡がたまっていた。これは網膜が切られた時の症状。ひどい傷があるようだ。
コメント

311の慰霊 マルクスの弁証法は科学の精神に反する

2015-03-11 11:44:08 | 発達心理
こんにちは 朝は晴れた
 311の慰霊の日
 もう大震災から4年。まだ復興はまったく進んでない地域もある。復興が終わったところもある。たいへんだ。黙祷する。

 本日は、昨日の体調不良のため、あまり下調べしていない。日本で、よく言われることで、明らかに間違った考え方をとりあげる。

 発達段階の類型論がある。精神は発達心理の課題を解決すると、精神はより上の段階に上がれる。しかし、解決しないと、そこで本人の哲学はそこで止まる。『感覚』→『知性』→『理性』→『社会』→『空間』とあがる。9割9分の人は、『理性』の精神に達しない。知性の段階で止まる。

 『知性』の段階の人は、ストア哲学からデカルト以前の哲学・思想と同じ発想をする。彼らの半分は、まだ『神学』を抜けきれてなく、ほぼ全員は理性(世界が法則で動いていること)を心から信じていない。正直、彼らは現代科学の考え方を心から受け入れていない。

 彼らは、そのため『大勢が信じることが正しいことだ。』、『主観と客観があり、人間は客観を手に入れることはできない。』と、古臭く現代では通じないことを平然と言う。これの何が間違っているかわからない? それは重症だ。明らかに科学の精神に反しているではないか。『弁証法で、知識は進歩する。よって人間は新しい知恵を手に入れるには、間違いを知らなくてはいけない。』こんな愚鈍なことを言う人も、時代遅れの同類だ。それを説明しよう。

『大勢(社会)が信じることが正しいことだ。』
 馬鹿も休み休み言えといいたい。衆愚の典型ではないか。正しいことは、科学法則のみだ。科学的な検証で事実としたものが正しい。間違ったことを何人、何万人、国全体で信じても、間違いは間違いだ。それが、科学的な態度だ。一人が信じていても、それが法則や事実なら、それが正しい。
 よって、科学的な精神を身につけた人は、それが法則かどうかだけで純粋に判断して、それが正しいかどうかを決める。こういうのが、理性的な段階にあがった人の考え方だ。そして、現代の精神、科学的な態度である。上の言葉は、世間では通らない。

『主観と客観があり、人間は客観を手に入れることはできない。』
 これは『知性』の段階特有の発想だ。彼らは、常に真実や事実や法則とは関係なところで、思考している。彼らは、大勢が正しいと認めることが正しい。それが客観だと考える。個人の考えは、主観だ。それは基本的に間違いだ、とする。これは科学的な精神ではない。

 科学では、主観と客観は問題視されない。客観的なものが、法則とする。たった一人が法則(客観)も知る時がある。大勢が知るものが法則とは限らない(主観のこと)時もある。科学的では、その考えを知っている人数に関係なく、法則やその他が決まるからだ。
 また個人が法則に気づいた時は、それは個人が客観を手に入れたことになる。科学ではそういうことがよくある。
 『主観と客観』を問題にした時点で、もう科学的な態度から逸脱している。現代では通らない古い考えである。さも、ものがわかったような顔して、廃れた哲学をふりかざすのは格好悪い。
 理性的な人は、常に、法則を身につける。科学的な人はそういうものだ。だから、個人の考えでも、どこでも自然の中、世界で通用する。そうあらねばならない。

『弁証法で、知識は進歩する。よって人間は新しい知恵を手に入れるには、間違いを知らなくてはいけない。』
 これは安っぽい哲学。全共闘のいう弁証法とは、マルクスの共産主義の『弁証法』をさすらしい。あれは、確か、まずは『知る』 → 『それを否定する』 → 『新しい知識を手に入れる』、とこんなもののようだった。私は、この論理は間違いと確認した後、記憶しなかった。
 科学では、新しい法則は『帰納』によって得られる。科学の発展は、常に、自然現象の帰納、帰納、帰納だ。たとえば、ある法則を発見したとしよう。それは自然現象だ。たとえば、地中から電気をとりだす技術を開発した、とする。
 ある日、地面を触ると、びりっと電気が流れる感触があった。静電気ではなかった。それは地球を流れる電気だった。それを偶然、強く感じた。それ以来研究して、地中から大量の電気を取り出せるようになった、としよう。
 彼は、新しい発見をした。が、それまで彼は地面から電気を取り出せないとは思ってなかった。というわけで、新しい知識を得ても、何もそれまでの考えを否定するものはなかった。彼は弁証法に反するわけだ。そして、新しい知恵を手に入れた。何も間違えずに。
 科学法則というものは、自然現象に、共通するパターンをみつければよい。ただそれだけで、いくらでも見つけることができる。よって、科学の発展はある意味、帰納のみによって支えられる。そして、その新しい法則が、それまでの科学の体系の中でどこに位置するかを探る。そして、分岐をつけたす。これを『分化』という。
 科学の発展は、帰納で、法則を知る。そして、体系の枝先で、『分化』して完了する。たまに体系どうしをあわせる『統合』がある。そのようにして発展する。これが、ヘーゲル示した学問の発展だ。それが正しい。科学の発展は『分化』によって達成される。自然を見て、共通のパターンをとらえる。それが科学の発展となる。そう考えるのが、理性的な人の態度だ。

 あの『弁証法』ではどうなるか? 新しい事実が発見されたら、それまでの考えが一部否定される。それは、弁証法における否定、つまり、『間違いを知る』ことなのだろう。だが、厳密には、新しい事実が登場した時点で、その者は新しい知恵を手に入れている。その後に、従来の考えを否定する。つまり、弁証法ではこうなる。
 最初の考え方 → 新しい知恵(例外事象) → 最初の考えの否定 → 新しい知恵を受け入れる。
 自分の考えを否定する前に、新しい知恵を得ている。科学の発展では、より多くがこのパターンである。なぜなら、例外事象が発生した時点で、それは新しい領域がそのまま出現したことになるからだ。科学では、その時点で、新理論の登場(単独の事例であっても、すぐに法則になると考える)なのだ。

では、もう一度、あの安っぽい弁証法をみてみよう。

 最初のやり方 → ゆきづまる → 新しい知恵を求める。
 これは、科学とは少し違う。これは、べたな方法論だ。今までのやり方が通じなくなった。それで代替を求める。その程度のことだ。失敗は成功の母のほうがよい。これは多くの場合は、従来のやり方がゆきづまる前に、新しいより効率的な方法を採用する。現代は特にそうだ。
 コンピューターはそうだ。その問題が明らかになる前に、よりよいものが登場する。世の中、それが失敗する前に、新しい事実や発見がある。それが大量に押し寄せてくる。たとえば、日本人がアメリカに住んだら、その新しい生活文化に直面する。日々、みたことがないものの連続。それで、本人は自分の間違いを一つずつ確認することなく、それらを受け入れ、学ぶ。いちいち、間違いに気づくことは、さほど重大ではない。

 自然の中に生きていると、たいていそうだ。子供を育てる時も、発見ばかりだ。自分の考えを修正するのは後回しだ。こちらが、学問の習得だ。現在の人類の進歩のあり方だ。
よって、人は自分の間違いを知らなくても、新しい知恵を手に入れる。古い弁証法が適用できるのは、一部に限られている。こういう安く半分はインチキな弁証法のようなことを得意になって言うのは、学問の発展、人の成長、意識の発展の本当のところが見えていないのである。この弁証法を使う人は局部しかみてなく、科学の精神がわかっていない。

本日の被害
 また不可解な症状が出る
 深夜、早朝に、鼻が詰まった。しかも、早朝にその後、起きた。起こされたのだろう。これは珍しい。鼻はいくら詰まっていて、睡眠中に通るようになる。
 思うに、寝ている時に、鼻に何か薬剤を入れたのだろう。それで、鼻が詰まった。それを確認するために、電波で起こしたと思える。アカが起こすのは、通常は、かなりひどい針刺しをして、そのチェックのためだ。そちらかもしれない。
 朝、口の中、唇の近く、右側が切られていた。何か、睡眠中に噴霧するようで、私の顔から肩にかけて、毎日ぬるぬるして、気持ち悪い。おなかあたりは、まったく汚れてないのに。それで、朝シャワーすることになる。
 昨日、右目の眼球が内側奥が、大きく腫れてふくらんでいた。目の内側がかゆいのではなく、痛いのである。これも、花粉症に似せるため、アカが針で傷つけた類だ。
 私は、侵入を防止した日に、この手の被害がまったくなくなったことがある。その日から治る。よほどひどくやられている。
 
コメント

日共は安倍政権に一部賛成している 発達心理 解説2 20世紀は社会思想の時代 社会組織成長論の完成

2015-03-10 10:32:08 | 発達心理
こんにちは 朝は晴れたが、今は雪が降っている。たまげた。

 室内にいると鼻がむずむずしてかなわない。正直、自分の部屋だけそうなる。外出して、自然の中にいて、花粉にさらされると、おさまる。不思議だろう? これはなんという症状だろうか? わかれば、私ほど裏に通じている人。

 実は日本共産党は安倍政権に一部賛成している
 つぶさに公約を調べると、違った事実が浮かびあがる。日共は、政府にすべて反対しているように世間を洗脳するが、それは大きな間違いだ。安倍政権と同じことを言う。いや、安倍政権の政策をかなりぱくっている。安倍政見に従属しているかのようだ。

 たとえば、安倍政見は給料をあげようと、労働団体に働きかける。それは産業界の賛同を得て、効果をあげている。日共も同じことを言う。しかし、こちらは効果はない。非現実的な政策が、自給千円など多いためだ。

 安倍政権は、米価を下げないように公約で農家に配慮している。日本共産党もなぜか、同じように公約で米価を下げないようにする、と言う。自民党は元来農家の支持に支えられてきた。農家を軽蔑して、工場労働者ばかり目を向けてきた日共が何を今更、と思うが、どうやら自民党の政策をまるごと写したようだ。

 他にもいろいろあったが、今度調べて書くことにしよう。安倍政権がこれらの政策を実現したら、それは自民党のお手柄だ。それは勘違いしないでほしい。

発達心理 解説2 20世紀は社会思想の時代 社会組織成長論の完成 
 
課題 年齢(才) 世紀 思想、特徴
↑点  35-39 36-40 原子論、ブロックのような宇宙論
↑直線 30-34 31-35  文、音楽
↑平面 25-29 26-30  絵、写真、
↑空間 21-24 21-25 建築物、都市空間、  
↑社会 18-20 19-21 社会論 経営学 社会組織論
↑理性 16-17 17-18  理性、デカルト、経験主義、カント、ヘーゲル
↑運動 12-14 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教,ルネサンス、足利文化的
↑感覚 9-11  8,9-12  貴族 平安時代
↑?? 6-8 6-8 王 奈良時代
↑?? 3-5   
↑?? 0-2才         気質の形成

3, 20世紀の変化は社会組織論で記述できる
 20世紀は社会思想が世界を動かした。これをどう理論づければよいか? 私は経営学を学んだ。そして、企業の組織成長論も理解した。それは企業だけでなく、国家や宗教組織など、社会組織全般にもあてはまる。すべて同じ成長過程をたどる。それをつらつらと見ていて気づいた。大学3-4年生の頃だったと思う。組織形態の変化と20世紀の世界構造の変化が一致する、と。

社会組織成長論   世界の構造変化

↑ 5,集団組織 地域主義    1990〜
↑ 4,官僚組織 世界官僚体制 1970〜
↑ 3,分権的な組織 民族主義と国家自治 1950〜
↑ 2,集権的組織 集権国家の台頭 1930〜
↑ 1,創業期 組合クラブの勃興 1910〜

 組織形態が同じだ。いろんな時代のブームがある。権力者が問題を解決すると思われた1940年頃、民族の独立が世界を新たに作りなおせると希望がわいた1950-70年。専門的なグループ発生しはじめた1970年。国家は地域ごとにまとまることが突然始まった1990年代。これらは世界の流れ、経営のブーム(新しい組織形態を行う企業が出現した)であり、社会の構造的な問題を解決できると人々の希望となったものだ。これら20世紀の歴史は社会組織成長論が示す枠組み、そのものだった。

 このようにして、私は20世紀の社会変化の法則をつきとめた。そして、1992年に卒論で『社会組織の時代』とまとめた。この頃に、私はうまく理解者をみつけておけば、数年後には、この論文を内実あるものに仕上げ、発表していただろう。時代の寵児となっていたかも。

4, 社会組織成長論の完成
 私はラリー・グレイナーが1972年に発表した『組織ライフサイクル理論』が緻密だと思った。他にも様々あるが、これが合理的で、最も完成されていた。

 段階 成長要因    危機           組織形態

第1段階 創造性による成長 リーダーシップの危機  原初組織
第2段階 指揮による成長 自主性の危機       集権的な組織
第3段階 権限委譲による成長 コントロールの危機 分権的な組織(事業部制組織)
第4段階 調整による成長 形式主義の危機      官僚組織
第5段階 協働による成長 新たな危機        集団制組織(分社)
(グレイナーの理論より )

 細かい説明は省く。
 上の理論は企業を研究して得られたものだ。第5段階では、企業は、集団グループを作る。具体的には、『分社』する。企業グループをたくさん作る。しかし、そうなった組織形態が最終形とは思えない。グレイナーも集団どうしの軋轢があり、この組織は疲弊すると、考えていた。だから、より上の段階があるはず、と私は考えた。

 最近ではさらに、企業組織は進化している。『プロジェクト型組織』、『コラボレーションの組織』がある。先にコラボレーションが流行った。それは2000年代だと思う。芸術家が個人どうし集まり、共同企画をたちあげる。それは維持費などかからずに効率がよかった。終われば、解散する。企業も、似たような制度を作ったのが、プロジェクト型組織だ。企画ごとに参加メンバーを募り、活動する。それが終わると、また解散して、元の職場に戻る。

 私はこの組織形態が、第6番目の段階と考えた。これは、個人を単独で独立させている。それは小集団体制とは異なるからだ。個人ごとに独立して活動する。個人主義的な組織である。これを付け加えたのが、私の理論だ。

 段階 成長原理 リーダー    組織形態         危機 
1 創造性    創造性      原初        リーダーシップ
2 指揮系統  命令・一人    集権的な組織      自主性の
3 権限委譲 自主独立、自治  分権的(事業部制) コントロールの
4 調整     専門家      官僚組織     形式主義の
5 協働   多能化、ジェネラリスト 集団(分社) 適性の  
6 適性    独立した個人   個人単位(コラボ型、プロジェクト型)

 これで組織論は完成するはずだ。というのは、個人以上に組織を分割できないからだ。このようにして、私は、社会組織成長論を最終段階まで、描いた。しかし、まだ中身は詳しくできていない。

地球人教育 
 本日は体調が悪いため休憩。

 本日の被害
 鼻水が大量に出るし、鼻がむずむずする。家の中だけ。自分の部屋で特に。外出すると、治るから、これは花粉症ではない。馬鹿なやつだけ、これを花粉症という。
 鼻の中にどんな薬剤を入れられたか。アルカリの粉石鹸の一種らしい。液体ではない。"青いほこり(細かい繊維)"に付着している。液体でないのは、液体だとべとつくから乾燥させなくてはいけない。手間がかかる。それに、空気中を舞わない。
 ぞうきんを買ってこよう。

どうも、PC机に何か薬剤を散布されたようだ。それで、PC机に座ると、症状が悪化する。机をふいたら、だいぶよくなった。治った。すべて、電波犯罪の症状になるのは、種もしかけもある。ただ、電波だけで症状を引き起こしているのではない。電波は筋肉痛いの症状しか起こせない。その応用くらいだ。そのほかは弱い症状だ。たいていは、物理的な処置がなされている。
 目が針か何かで傷つけられたり、鼻が傷つけられて、何か飲まされて、それでやっと症状がひどくなる。

アカはやりたい放題である。しかし、そのつけは毎日彼らが払っているように思える。アカは自業自得なのだが、なぜか私より損害を受けてもアカはやめない。犯罪の常習性は怖い。何が生活をよくするか。もう彼らは本来の正常な判断ができなくなっている。私のところにきて、悪さして、得する者はもう誰もいないのだから。

 私は海外のメディア、日本のメディアには犯罪組織を実名で告発している。メールではかまわないのだ。だが、ここには書きづらい。いわゆる裁判所の裁判官が認めるような証拠不十分だから。とはいえ、犯人は18年前からわかりきっている。共産主義を信じる連中である。
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発達心理 青年期の発見他、地球人教育-気候帯、安倍政権を止めたら構造改革も止まる

2015-03-09 11:45:38 | 社会思想の終焉
こんにちは
 大阪はまた雨。でも、最近、気分はいい。
 私は長らく、精神世界という今まで、誰も関心がもたないことを研究してきた。まったく反応がなかった。あっても、とても薄かった。私の提案がどれほど価値あるか、誰も理解しなかった。が、最近は、発達心理、哲学・思想、政治。みなの興味をもつものを発表している。まだまだ反応はなくても、共感は得られていると信じる。

 統一地方選挙が一ヶ月後
 私にとって、これは戦いなのだ。共産を叩く、という。みなもやってほしい。あんないかがわしい政党に、国のマネーが注がれるような(議員報酬は国のマネーをもらうこと)最悪の結果にならないように。
 まだ民主党のほうがまし。自民党政権は、暴走ではない。かつての民主党政権が停止か、超低速のノロノロ運転だった。自民の改革のペースこそ自由主義国では普通だ。しかし、私には遅すぎるようにみえるが。

 安倍政権の何が遅いか?
 まずは憲法改正。1年で1,2歩ではないか。まありに慎重に段階的に進む。そんなにとろとろしていてはいつになったら改正できるのやら。
 拉致者の帰還。この前帰ってきたきり。その後、一人も帰ってこない。犯罪者の赤軍は帰ってきたのに。北朝鮮の調査も、総連本部の問題が解決したとたんに、にっちもさちも進まなくなった。
 自衛隊の法整備。民主党政権の時に中断して、ようやく再開され、議論に上ったとしても。それで、中国の侵攻に間に合うのか? 尖閣も、小笠原諸島の密漁船に対しても、不十分なことしかできていない。
 TTP交渉。どこまで進んだかすらわからない。少しずつ進展するような報道は漏れてくる。しかし、正確なところはどうななのか?
 従軍慰安婦問題。挺身隊(朝鮮婦人の軍への労働)を慰安婦と呼ぶ間違いがある。いまだ韓国はもとより、世界の多くが誤解したままだ。この明らかな間違いは、いつになったら、正されるのか? 政府の対応は遅すぎる。
 電波犯罪の告発。これも含めておこう。左翼の地下犯罪は20年もメディアによって隠蔽されている。政権がそれを暴露しなくてはいけない。左翼過激派には公安を潜入させている。だから、政府は知っているとみてよい。いつになつたら、公表するのやら。
 というわけで、私には、安倍政権の行動が、遅くて遅くて、あくびが出ている。こんなにとろとろしているのに、それを止めてしまったら、まったく進まなくなる。そんなことをしたら、構造改革が止まり、日本は民主党時代に逆戻りだ。不況風が、再び、吹きはじめる。それは、まずい。

発達心理 解説1 青年期の発達心理の発見、人類と個人の成長過程の一致。 
 
課題 年齢(才) 世紀 思想、特徴
↑点  35-39 36-40 原子論、ブロックのような宇宙論
↑直線 30-34 31-35  文、音楽
↑平面 25-29 26-30  絵、写真、
↑空間 21-24 21-25 建築物、都市空間、  
↑社会 18-20 19-21 社会論 経営学 社会組織論
↑理性 16-17 17-18  理性、デカルト、経験主義、カント、ヘーゲル
↑運動 12-14 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教,ルネサンス、足利文化的
↑感覚 9-11  8,9-12  貴族 平安時代
↑?? 6-8 6-8 王 奈良時代
↑?? 3-5   
↑?? 0-2才         気質の形成

 私は上のような発達心理モデルを作った。個人も人類も同じ成長過程をたどる。人類と個人の関心が一致する。そういうことが書かれている。

 どうやってこの理論を作ったか?

1, 青年期の発達心理を発見する
 私は、16才の夏から、ギリシア劇に興味をもった。それからギリシア思想を読んだ。ソクラテス、プラトンの饗宴、国家など。それからアリストテレスの形而上学や二コマコス倫理学だ。それからは、ローマの思想はつまらなかった。ストア哲学も一瞥した。んで、デカルトの方法序説から読む。カントの純粋理性批判、ヘーゲルの人生哲学で、理性の発展を理解した。ニーチェは数ページでごみなので、捨てた。それ以後の社会思想はあまり興味はわかなかった。このとき、自分が理性だと、学問的に体系を発展させるのが、成長だと深く理解した。高校は哲学と理性を独学した。
 18才に大学に入ると、社会論に興味をもった。経済学部に入った。私は心の内から求めるものを、学業とは関係なく、個人的に学ぶ。最初は、ミクロ経済学に興味をもつ。しばらくして、経済学は社会のメカニズムをとらえきれない、と見切り、経済学部の中で、経営学を勉強した。経営学、経営組織論、生産管理など。私は社会の仕組みに興味があった。
 が、それも21-22才頃には止まる。その頃は、建築や都市論に興味をもつようになった。

 私は自分の内なる欲求に従い、自分の興味をもつものを探求していた。16才からは「理性」、18才からは「社会」、21才頃からは、「空間」に関心があった。これは、青年期の発達心理そのものだ、と考えた。

2,青年期の発達心理と近現代の思想テーマが一致する

 私の発達課題は、理性→社会→空間と変わった。これは、近現代の思想史のテーマと一致することに気づいた。
17世紀にデカルトが、「自己」が純粋な数学的なもの、概念的なものであることをつきとめた。18世紀にカントがその理性をさらに純粋にとらえた。ヘーゲルは、その理性の成長するモデルなどを現した。
私も、16-17才には「理性」そのもに興味をもっていた。
19世紀からは、自由を人々が求め、社会改革を実行するようになった。20世紀は社会イデオロギーが世界の流れを支配した。理性探求を終わったら、人々は、自由を求め、社会をよくすることに興味をもった。
私は、理性の探求を終わらせた18才からは、社会に興味をもった。具体的には、自分と周囲との関係、社会そのものの仕組みを研究した。


この関心の順序は、私の青年期探求と、近現代の思想は内容から同じだ。特に、理性→社会にテーマを移すところが。そこで、私は、発達心理と人類の思想とは、一致する、という仮説を立てた。

このようにして、私は自分の体験から、主要な仮説を二つ打ち立てた。一つは青年期の発達心理、もう一つは人類と個人の成長過程は一致する、というものだ。

このふたつのアイデアをつきつめて、さらに精神段階説を付け加えたのが、上の表である。

地球人教育 地球 気候帯

 気候帯とは、寒帯とか温帯など小中学校で習ったものだ。それはドイツの気候学者あら時ミール・ペーター・ケッペンが植生分布にもとづいて、1923年に提案した。
 それは、寒帯、亜寒帯、温帯、熱帯からなる。乾燥帯もある。

 寒帯
 最も暖かい月の平均気温が10度未満の地域だ。これは最も暖かい月が0-10度のツンドラ気候と、0度未満の氷雪気候にわかれる。
 ツンドラ気候
 コケがなどが育つ。北アメリカとユーラシア大陸の北方、シベリア、フィンランド北部などにある。
 氷雪気候
 南極大陸とグリーンランドの内陸部のみ。

 亜寒帯
 最も寒い月の平均がマイナス三度未満で最も暖かい月の平均気温が10度以上である地域。樹木がある。
 森林が多く、農業も可能。人は住める。

 ロシアの半分、中国北東部、朝鮮半島北部、東ヨーロッパ、コーカサス。アメリカやカナダの北部。

 温帯
 最も寒い月が-3度から18度未満で、最も暖かい月が10度以上の地域。
 四季がある。農業ができる。緯度が30-40度の地域。日本もここに属する。文明が発達する。

 熱帯
 最も寒い月が18度以上であること ヤシが育つ。
 多雨だと、熱帯雨林(ジャングル)が茂る。台風がよく通る地域もある。
アマゾン川、カリブ海、アフリカ大陸中部、インド、インドシナ半島、インドネシア、オーストラリア北部、オセアニアの北部

人類はどの地域に多く住んでいるか?
 亜寒帯は寒いため、食料も乏しく多くは住めなかった。が、暖かい家を作れるようになると、増えた。また熱帯は、食料は豊富だが、マラリアなど熱病が多く、大勢が住み、文明を長く発展させることは薬が開発される近年まで難しかった。温帯に住み、人類は発展した。

私は暖かい地域が好きだが、みなさんはどうだろう?


本日の被害
 朝は目が痛いし、鼻は詰まるし、さんざんな目にあっている。さらに口の中に小さなできものが。目は、内側が刺されて、赤くなっている。鼻は鼻先が痛むから、そこが刺された。口の中も刺された。鼻の中には、何か刺激剤も入れられた。それで鼻水が出る。それはほぼアルカリの洗剤である。鼻水が、洗剤の味がする。

 昨日は、洗ったばかりの服とずぼんが、しょんべんくさかった。洗濯物が、干されている間にそれはやられた。私の家は、通りから侵入しにくい。が、隣の家とは接している。ふつうに考えると、家宅侵入の経路は、道からでないところだ。

隣の家の人は、一週間ぶりに、声をきいたし、姿を今朝みた。今までいなかったようだ。
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