第31回人権啓発詩・読書感想文入選作品 読書感想文の部門【中学校(中学部)の部】


『「同和教育を知る」を読んで』 河内長野市3年

 私がこの「同和教育を知る」という本を読もうと思ったきっかけは、私の友人の言葉でした。久々に会った地元の友人と話をしている時、社会見学についての話になりました。友人は中学一年生の時に水平社博物館へ行き、部落差別について学び、今でも道徳の授業で部落差別をテーマに話し合いなどをしているそうです。私はこの「部落差別」をLHRの時間に一度だけ学びましたが、あまり詳しいことは知らなかったので、友人が真面目にこの問題に向き合っていることを知り、私も部落差別について詳しく学びたいと思ったのです。しかし、この友人は同和教育に対して、「同和教育は行うべきではない。」という意見を持っていました。だから私は一度、部落差別の歴史の本を読み、その次にこの本を読むことにしました。そうすることで、部落差別問題の過去と現在の両方を知ることができ、友人の意見に対する正しい答えが見つかると思ったのです。
 私は、この本を読んで、友人の「同和教育は行うべきではない」という意見は間違っていると思いました。実は私はこの本を読む前は、友人と全く同じ意見でした。なぜなら、私は去年の授業で初めて部落差別について知ったからです。もし授業が無かったら、私は死ぬまで部落差別を知らなかったかもしれないのです。部落差別を教えなければ、年を追うごとに部落差別を知る人が減少し、いつかは差別自体が無くなる、と私は考えていました。なぜ、この本を読んだ今、私が意見を変えたのかというと、同和教育を行わなければ部落差別を知らない人の中から、部落に対して間違えた認識を持つ人が出て来る可能性がある、ということを知ったからです。私のような、部落差別をあまり良く知らない人が増えたとしても、今でも一部の高齢者の人たちは部落を嫌がる感情を捨て切れていないそうです。そのような人たちから、間違えた考え方を教えられる可能性はそう低くありません。もし私の祖父母がそのような考え方を持っていれば、小さいうちから、感覚的に部落差別を教えられることで、「はっきりした理由は無いけれど、あの道は通りたくない」というような間違えた考えを自分も持つようになっていたのではないでしょうか。だから、同和教育は無くしていくのではなく、進んで行うべきだと私は思います。
 この本の中にはとても気になる箇所がもう一つありました。それは、被差別部落と原子力発電所の位置関係について書かれている所です。その内容は、「原子力発電所は被差別部落の近くに建設されていることが多い」というものでした。これは、この本の筆者である本田豊さんが全国の海沿いの被差別部落と原子力発電所の位置関係を見て、思ったことを書いた箇所ですから、絶対に正しい情報だ、という訳ではありませんが、この話を読んで私はとても驚いてしまいました。今、世間では、去年の東日本大震災による福島原発事故によって、原発反対運動が広がっています。私の住んでいる近畿地方では福井県にたくさんの原子力発電所があります。最近では、大飯原発の再稼働が大きな問題になり、デモなども行われました。筆者は、その様な未だに危険性がよく分かっていない原子力発電所は、意図的に被差別部落の近くに建設されていると言うのです。筆者はその理由を、漁業権を持たず、貧しい暮らしをしている被差別部落の近くに原子力発電所を建てることで、原子力発電所建設には付き物である、反対運動を軽くすることができるからだと考えています。これは、事実ではないかもしれません。しかし、もしこれが事実ならば、絶対にあってはならないことだと思います。部落差別は社会全体が協力しなければ解決しない問題です。筆者が言うように、本当に電力会社が部落差別を利用することで原子力発電の推進を図っているのなら、それは社会の一員として、また、人間として、私は許すことができません。そもそも、被差別部落は政府が自分たちが優位に立つために、勝手に作ったものです。今、電力会社が行っていることは、それと同じなのではないか、と私は思います。これでは、部落差別問題を解決できないばかりか、新たな問題を増加させてしまうことになるのです。
 私は、この本を読んで、部落差別問題の複雑さ、難しさをより実感することができました。私は、部落差別が無くなりつつある今だからこそ、部落差別について詳しく学ぶ必要があると思います。私たちの中には、人より優位に立ちたいという思いがあります。その思いを制御できるようにならなければ、差別は絶対に無くならないと私は思います。

「同和教育を知る」 作・本田 豊
エムティ出版

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府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ

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