2015年03月25日

久利康暢「高野山癒し」

今年は高野山が開山されて1200年にあたる。
その記念事業として焼失して長い間なかった中門が建造されているそうだ。

高野山は言わずと知れた弘法大師、空海が開創したところ。
でも高野山というのが山を示すのではなく、真言密教総本山の金剛峯寺とその塔頭寺院全体を有する町を指すということは知らない人が多いかもしれない。
この本の著者である久利氏は塔頭寺院のなかでも鎌倉時代の建物がそのまま残る、北条政子が建立した由緒ある金剛三昧院の住職である。
この寺院で生まれ、千葉で育ち、中・高をカトリックの学校で教育を受け、大学ではインド哲学を学んだが、三十歳までは寺とは関係ない仕事に就いていたそうだ。
三十歳で寺院に戻ることはずいぶん以前から自分の中で決めていたという。
この本では高野山という聖なる場所の案内を、平易な言葉で説明している。
空海や真言密教のことを勉強するにも、また観光本としても充実しているので、高野山に行くときの素敵なガイドブックになるはずだ。

私は関西に5年半住んだことがある。
その間、誰かから「どこに行きたい?」と訊ねられると、三つの地名を挙げたものだ。
「奈良」「近江路」そして「高野山」。
高野山には5回くらい行ったと思う。春や秋の良い季節のこともあったし、極寒の冬のときもあった。
いつ行っても感じたのは、霊なるものと私が繋がっているという意識だった。
それを言葉で上手に説明はできないのだけれど、特に奥之院では霊気が強く漂っていたような気がする。
高野山の奥之院にはいまも空海の祈りが続いているというから、私のような者にもそれに触れられたのかもしれない。

高野山は標高900メートルに位置するので、冬はとても寒い。
その寒さのなかで、あれは仏教高校の生徒たちだったのだろうか、若い男子生徒と女子生徒十数人が白装束を身に着けて、池に入ってお経を唱えていたのを見たことがある。
なかには真っ青の顔になって倒れる寸前の女の子もいたが、その子を守るようにすぅっと男子生徒たちが彼女を囲み支えていた。
気がつくと私は涙を流し、彼らに手を合わせていた。自然にそうしていた。
周りを見ると私と同じように手を合わせて彼らを見守っている人たちがたくさんいた。
まだ修業中で高僧などでは全然ないかれらの姿に、貴い、ありがたいものを見せてもらったという気持ちでいっぱいになった。
著者は空海を「アイドル」と言っている。「スーパーヒーロー」とも。
私もそれに大賛成だ。
共に唐に行った最澄が秀才だとしたら、空海は天才なのだ。ちょっと格が違うひとだったと思う。
単に抜きんでた頭脳をもっていただけでなく、宇宙につながる強いパワーをもつ人だったのではないだろうか。
空海の言うことは現在の天文学や分子生物学に結びつくことで、もちろんそれらをも超えるもの。
私も弘法大師さん、大好きなんです!

そんな高野山を巡るにはぜひ宿坊に泊まってみてほしい。
金剛三昧院でもたくさんの部屋があり、精進料理を供している。
早朝の勤行や、般若心経の写経や瞑想法の阿宇観を体験するのもいい。
(現在は高級旅館のような宿坊もあって、バストイレ付き、床暖房付きという部屋もあるらしい)。
一泊と言わず二泊くらいして、ゆkっくり高野山を歩きたい。

戦国武将の墓も高野山にはたくさんある。
殺生をしつづけた武将たちが、せめてあの世で穏やかに暮らすために、高野山に眠ることをねがったのだろうか。
(高野山には悲しい歴史もあって、豊臣秀吉の弟の秀次は高野山で切腹させられている。その寺院も見学可。)

四国のお遍路を無事に成就させたあとは、高野山の弘法大師さんにお礼を言いに行かなくてはならない。
それでやっと巡礼が終わるのである。

仏教のいろんな難しいことは置いておいて、ともかくお祈りをしよう。
般若心経はもっとも短くて、もっともありがたいお経だけれど、それも知らないと言う人でも大丈夫。
うれしい時にも悲しいときにもいつでもOKの祈りの言葉がある。
「南無大師遍照金剛」
仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、長い歴史の中で人々が唱えてきた祈りの言葉には力があるのだ。

そうそう、知ってましたか?
生まれた干支によって、守ってくれるご本尊がそれぞれ違うこと。
私のご本尊は「虚空蔵菩薩」だとか。
このご本尊は、智慧と福徳が増し、記憶力高まるという素晴らしいもので、そのご真言はちょっと長くて覚えられそうもない。
ご真言というのはいわゆるマントラのことで、唱える音律も大切だと聞いたことがある。
一度、本物を聞いて勉強したい。

高野山、行きたいなぁ。行きたい。
でも今年はずいぶんな人出だろう。汚い心をリセットしたい。
この本には参道にあるお数珠のお店、和菓子屋さん、ごま豆腐屋さんが紹介されている。
昔よく使っていた胃腸薬のお店って、もちろん今でもあるはず。あの薬は効いた、効きすぎたくらいに効いた記憶がある。

高野山は吉野、熊野とともに世界遺産です。三大霊場として世界にそのパワーを広めたいものです。


posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

パトリック・モディアノ「地平線」

久しぶりの外国文学。
若い頃は外国文学しか読まなかった私だが最近では年に数冊程度。
これもじつは私ではなく夫がライブラリーから借りてきて置いてあったものだ。
彼は「日本の、とくに若い女性の小説は、なんだかブログ記事を読んでるみたいで物足らない」と言う。その意見はわからないでもないけれど、それがいまの日本のリアルなのだと私は思っているので、良くも悪くも仕方ない。

パトリック・モディアノは2014年、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家である。
彼がこの世界的な賞を獲ったことは、意外なことだったそうだ。
なぜならば、彼の作品は社会的でも民族的でもなく、このところの賞の傾向とは異なっていたからだ。
(数年前にはフランスからル・クレジオが受賞しているのだからなおさらだ)。
記憶という文学の永遠のテーマを扱い、フランス的というのが評価だった。
私はこれが初読みだった。

たしかに「地平線」は記憶がモティーフとなっている。
記憶はボロボロと掌からこぼれ落ち、断片的なものでしかなく、一つの物語として繋がらない。
それでもボスマンスには忘れたくない記憶がある。
彼はいま60代半ばだが、若い頃地下鉄の入り口で偶然知り合い、お互いの孤独を分かち合ったマルガレットを忘れられない。
記憶と記憶を結びつけるかのように、ボスマンスはパリの街を彷徨する。
場所と記憶は強く繋がるもの。作者は街の通りの名前と地番を詳細に書くことで、記憶を明確にさせようとしているのだろうか。

暗いというよりは落ち着いた雰囲気。
こういう雰囲気は嫌いではない。
第二次世界大戦をまだ引きずっているような1960年代に、ボスマンスとマルガレットの二人も心の中に戦争や戦後を持ち続けているようだ。
マルガレットがベルリン生まれというのも、なにか不穏なものをはらんでいる。

探していたマルガレットは案外簡単に見つかった。
パリの北駅で40年前に別れた彼女はベルリンにいたのだった。
その情報はネットでわかったという、ちょっと肩透かしの設定なのだが。
住所も電話番号もネットにあった。
ボスマンスはベルリンに赴く。マルガレットが経営しているという本屋はすぐ近くだ。。

小説はここで終わっている。
再会は描かれていない。
40年の時間が埋まるのかどうかは読者が想像するだけ。

初読み作家さんで何も知識がなかったので、あとがきを読んだのだが、驚きの事実が一つあった。
それはモディアノがルイ・マル監督の「ルシアンの青春」の脚本を、監督と共同執筆していたことだ。
「ルシアンの青春」はナチス支配下のフランスのルシアンという17歳の少年が、ナチスに協力しだんだんナチスかしていったときに、一人のユダヤ人少女と知り合う話なのだが、ラストがいまでも鮮やかに思い出せるほど強烈だった。
モディアノにとって戦争の記憶は1945年生まれというから実際にはないはずだけれど、人生の軸となっているのだろう。

読み易くてあっという間に読んでしまったが、速く読み過ぎたかもしれない。
もっとじっくり読むべき本だったと思います。
posted by 北杜の星 at 08:06| 山梨 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

本屋図鑑編集部編「本屋会議」

読書が好きというひとは本屋さんが大好きだと思う。コdもの頃「本屋さんになりたい!」と思ったひともおおいのではないだろうか。
しかしその本屋さんがすごい勢いで消えている。
とくに「町の本屋さん」といわれる地元に密着して生きてきた小さな本屋さんがなくなっている。
現在日本全国においてじつに17パーセントの自治体に本屋さんが一店もない状況となっているそうだ。
町村だけでなく「市」にもないのだからひどい話だ。

私は東京から八ヶ岳南麓に移住して7年になるが、東京にあってこちらにないものはたくさんあるけれどそのなかでも大きな本屋さんがないというのがもっともさみしいことだ。
でもあるだけマシなのかもしれない。ショッピング・モールの中にあるし、リゾートホテルにはブック・カフェもあるのだから。
(だけどモールの本屋さんにはベストセラー本はあっても純文学系作家のものはほとんどないし、カフェではお洒落な本は置いてあっても、フツーの本がない。)

私にとっての理想の本屋さんとういうのは、ある程度の売り場面積があること。
買うための立ち読みしても気がねでなかったり、歩きまわって普段自分の読まないジャンルの棚に思いがけず興味をひく本を見つける偶然性がある広さが欲しい。
古書店なら狭くて本のジャンルが特化されていてもかまわないけれど。
家から歩いて15分くらいの散歩の圏内で、途中にお茶を飲めるところがあれば言うことなし。
そういう意味で東京では中央線沿線の荻窪、西荻の駅近に住んでいたので、条件は十二分に満たしていた。

なぜ町の本屋さんが消えてしまったのか?
この「本屋会議」では町の本屋さんのこれまで、今、これからをいろんな方向から検証している。
モデルケースとして長野県茅野市、岩手県釜石市、広島県庄原市、北海道留萌市などにある本屋さんが紹介されている。
留萌の場合は町の最後の本屋さんが消えてしまって、官民一体になって三省堂を誘致するまでの運動が書かれているが、本当に市民の「本屋さんがほしい!」という切実な熱意が伝わってくる。留萌市民は本屋さんができたあともさまざまなイヴェントを催して、本屋を継続させるための努力を怠らない。

本屋さんは店のお客さんだけが相手ではない。
「外商」といって、幼稚園、病院、美容院などへの本の配達が多くを占めている場合があるようだ。
でもそれも大変なこと。配達するには車が必要だし、スタッフも必要となる。
本屋さんの荒益がどれくらいかは知らないのだけれど、おそらくは2割~3割じゃないかな。
家賃、人件費、諸経費を支払えば、自分の給料はほとんどないという店主がたくさんいる。

私の夫の叔父さんは青山学院の近くの246沿いで長年本屋を営んでいたが、本屋は朝とても早くに本が届くことなど重労働が大変で、バブル期にビルを2棟建設し、今ではビル管理会社となってしまったが、それを聞いた時私は、なんだかとっても悲しかった。
どんなにお金が入ってもそれはちょっと違うことじゃないかと。

なぜ町の本屋さんが売れなくなったのか。
本を庶務人が少なくなった。
雑誌やコミックをコンビニで買うようになった。
少子化で参考書の類が売れなくなった。
大型店法がなくなり、大規模本屋ができた。
そしてもちろん、amazonなどネットで本を購入する人が増えたからだ。
(私のように、多い時には月に3万円くらい本に使っていたのに、年金暮らしとかモノを持ちたくないので、もっぱら本は図書館でというひともいると思う。)

町の本屋さんの前途はこれからも大変だ。
新たに個人で本屋さんを始めようにも、資金が2千万円も3千万円も必要と知ると、ため息が出てしまう。
それでも、頑張っているたくさんの町の本屋さん。
ちっぽけな私という人間をつくってくれた本を売っている町の本屋さん。
これまでの感謝をこめて、本を買う時にはなるべくamazonではなく、普通の本屋さんを利用したいと思う。
(amazonがいいのは、廃刊になった本でも「古本」リストがあることなんだよね。これは結構大きな利点なんです)、

この「本屋会議」も先日読んだ「昔日の客」を発刊している「夏葉社」から出ているものです。

posted by 北杜の星 at 07:33| 山梨 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

田中小実昌「くりかえすけど」

大好きな田中小実昌の未発表作品集がこれまた大好きな出版社、幻戯書房から出た。
しかも「銀河叢書」という新しいシリーズの第一回目の発刊本として。
「くりかえすけど」について書く前に「銀河叢書」のことをまず知ってもらいたいと思うので、少し長いけれどコピペするので以下の幻戯書房newsを読んでみてください。


読書人のための、新たな文芸書シリーズ
銀河叢書
2015年1月より、発刊いたします。

敗戦から七十年。
その時を身に沁みて知る人びとは減じ、日々生み出される膨大な言葉も、すぐに消費されています。人も言葉も、忘れ去られるスピードが加速するなか、歴史に対して素直に向き合う姿勢が、疎かにされています。そこにあるのは、より近く、より速くという他者への不寛容で、遠くから確かめるゆとりも、想像するやさしさも削がれています。
長いものに巻かれていれば、思考を停止させようと、儚くも居心地はいいことでしょう。しかし、これを疑う者は、居場所を追われることになりかねません。
自由とは、他者との関係において現実のものとなります。いろいろな個人の、さまざまな生のあり方を、社会へひろげてゆきたい。読者が素直になれる、そんな言葉を、ささやかながら後世に継いでゆきたい。

幻戯書房はこのたび、「銀河叢書」を創刊します。
シリーズのはじめとして、戦後七十年である二〇一五年は、戦争を知っていた作家たち≠主なテーマとして刊行します。星が光年を超えて地上を照らすように、時を経たいまだからこそ輝く言葉たち。そんな叡智の数々と未来の読者が、見たこともない「星座」を描く――
「銀河叢書」は、これまで埋もれていた、文学的想像力を刺激する優れた作品を、厳選して紹介してゆきます。それは、現在の状況に対する過去からの復讐、反時代的ゲリラとしてのシリーズです。

その「戦争を知っていた作家たち」の初めてとして発刊されたのが、この田中小実昌「くりかえすけど」と小島信夫「風の吹き抜ける部屋」である。
以後隔月で、舟橋聖一、島尾ミホ、石川達三、野坂昭如と続く予定だ。
なおこの叢書の条件として、単行本未掲載未発表ということなので、おかげで田中小実昌もこうして読めるのがうれしい。


さて、「くりかえすけど」。(以前の田中小実昌の小説の中に何度も何度も「くりかえすと」というフレーズが出てきていた、あれは「ポロポロ」だったかな?)
いつもコミさんの小説を説明するのは難しい。書いてあることが難解というわけではないのに、どこかノラリクラリとしていて、でもこのノラリクラリにだまされてはいけないのだ。
底には結構硬質なものが横たわっているからだ。
この作品集には戦中戦後、ほとんど私小説として書かれているのだが、広島県呉という軍需そのものの町に育ち、戦争に敗れ帰国し、戦争をした相手のアメリカ進駐軍基地に出入りし、そしてアメリカと繋がって生活するという主人公の不条理さが伝わるものだ。
戦争をした人間の愚かさ、その愚かさは「世間」そのもの。ノラリクラリのなかに痛烈なコミさんの戦争への拒絶がある。

NYタイムスの日本支局長が「日本のメディアは最悪」と言うように、テレビも新聞も政府の御用機関となってしまった感があるが、出版はこの幻戯書房のようにまだ頑張っているところがある。
辺見じゅんさんが亡くなった時はどうなるかと心配したが、立派にこうして不屈の精神で続いているのは心強いことだ。
ただこれはしかたないことかもしれないけれど、もうちょっと価格が安ければいいのになぁ。
「銀河叢書」シリーズはずっと大切に読んでもらいたいとしっかりした装丁になっていることもあって、税抜きで3200円。
小島信夫の本も買いたいけど、ちょっと、いやだいぶ悩む。。でも応援します!
posted by 北杜の星 at 07:08| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | タ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

木村秋則監修「自然栽培 宇宙の真ん中で」

木村秋則さんは青森でリンゴ農家を営んでいる。
不可能といわれた無農薬でりんごを作り始め、さまざまな苦労を経て、「自然栽培」を日本の農業に根付かせる運動をしている人だ。
自然栽培は有機栽培とは違うし、自然にまかしてほっとき放しの農業でもない。
有機栽培というのは化学肥料は使わないが堆肥などの有機肥料は使うもの、しかし自然栽培は農薬や肥料を使わないだけでなく、雑草も抜かないのだ。

農薬に弱い体質の奥さんのために無農薬のりんご作りを始めたものの、失敗続き。もうどうしようもないとロープを持って山に入った木村さんは、山の土地と自分のりんご農園の土地が違っていることに気付いた。
山の土地はふっくら軟らかいのに、りんご農園の土地は硬い。山を見ると木の根っこのまわりにはたくさんの落ち葉があった。
どんどん痩せるりんごの木の根っこはきれいに除草されていた。
それを見た時から彼の自然栽培は始まったのだ。

この本では木村さんと理論物理学者の佐治春夫さんの対談が載っているが、木村さんがしていることはずべてロジカルなことだとわかる。
それは宇宙につながることでもあって、木村さんは物理学のロジックからではなくりんごを育てる経験を通して得たことだった。
自然の摂理は厳しく優しい。そのことがよくわかる対談だ。

この本には木村さんが奨めている自然栽培を実践している米農家の方々が紹介されている。
パン食やパスタを食べる人が多くなったと言っても、米はやはり日本人の食の基本となる穀物。
だからこそ安全なものを食べたいと思う。
自然栽培には「考え方」も必要だがテクニックも必要だ。守らなければならないテクニックがここには書かれている。
・土を活かす。
・作物の根を活かす。
・雑草を活かす。

こうした自然栽培は個人が細々とするものだろうと考える人が多いかもしれない。
しかし農業は変わろうとしている。戦後ずっと強い支配力を持ち続けてきたJA(元農協)が弱体化し影響力を失いつつある。
これは日本の農業にとってある意味いいことではないだろうか。自由に農業をしたい人にとってはJAは足かせのところがあった。
この中には自然栽培により大規模農家経営を目指す女性の記事があるが、読んでいると農業の世界が拓ける気がしてくる。
自然で安全だから儲けなくていいわけではない。ちゃんと採算が取れて利益を生むからこそ、次世代につなげられるのだ。

とても興味深かったのが、農業に使う機具のこと。
「耕す」ことは土と向き合うこと。そのための道具は耕運機など大きく変遷したものがあるが、いっぽうでは「鍬」のように弥生時代からその形状がほとんど変わらないものもある。
どんなに機械化が進もうとも、「鍬」は永遠に究極の農機具だ。
耕うん、耕起、畝立て、土寄せ、聖地などに使われる。
鍬には「打ち鍬」「引き鍬」があって、代表的なものとして「大正鍬」「文化鍬」「天鍬」などがある。(私にはそれらの違いがわからないけど)。

自然農法で出来た米や野菜を販売するところが紹介されているので、注文可能。
加工品(酒やおかき)もある。
私の住むすぐ近くの富士見町でも自然栽培で米作りをしている素敵なご夫婦がいる。この方たちの米づくりについては原田マハさんの「ラブコメ」に詳しい。
posted by 北杜の星 at 07:13| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | カ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

西加奈子「サラバ!」下巻

上巻を読んでから3週間あまり、やっとライブラリーから届いた下巻。
気が抜けたビールのようかと心配だったけれど、まったくの杞憂だった。
普通長編小説というものは、最初は面白くてもだんだんとつまらなくなったり混沌としたりすることがある。
でも「サラバ!」は違った。中だるみもなく、というより上巻より下巻の方がずっと面白かった。
さすが西加奈子。読ませる力をもっていいる作家さん。いつものような幸福感に包まれた。

阪神淡路大震災から下巻は始まっている。
歩は大人だ。
両親っは離婚し、それでも父は元家族の生活をすべて支えている。(その理由は後半明かされる)。
姉の貴子は宗教に関わって、その後はわけのわからない巻貝のパフォーマーとなった。
フリーライターとして活躍していた歩はしかし、だんだん生彩を欠くようになっていった。
頭髪は抜け、太り、恋人のレベルも下がった。
そして仕事も少なくなった。
何がいけないのか。。歩は自己崩壊していくばかりだ。

この本にはニーナ・シモンの「feeling good」の歌とアーヴィングの「ホテル・ハンプシャー」がかなりのキーワードとして出てくる。
西加奈子は文中でニーナ・シモンを「乾いた声」と書いているが、乾いているかなぁ。私には深くしっとりして聞こえるのだけど、まぁそれはいいとして、「ホテル・ニューハンプシャー」に関しては、そうか、この小説は「ホテル・ニューハンプシャー」にどことなく似ているかもしれないと思った。
家族それぞれの存在、とくに貴子はあの物語の中にいても不思議はない女性だ。
「サラバ!」には熊もレスリングも出て来ないけれど、でもウィーンに替わるエジプトやテヘランは出てくる。
歩にとってエジプトは「サラバ!」を見つけた土地なのだ。

「サラバ!」は何に対しての「サラバ」なのか?
人はみな過ぎし時間の中に「化け物」を抱えている。それがいいものであろうとわるいものであろうと。
そして絶えずその化け物に「サラバ!」と言いながら生き続けている。大切なのは「サラバ!」。すくなくとも歩にとっては。
「あなたの信じるものを、だれかに決めさせてはいけない」。
せっかく歩という名前をつけてもらったのだから、もう一度歩き始めなくては!

言葉を信じ、小説を信じる西加奈子ならではの作品。(彼女の「小説観」がこのj本にはよく表れていると思う。歩がフリーライターになったときにお手本にしたのはエッセイではなかった。文章を書く人間として「小説」こそが彼の指標となったのだ。)
もし直木賞を受賞しなかたとしても、これは彼女の代表作となっただろう。
posted by 北杜の星 at 07:00| 山梨 | Comment(0) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月16日

関口良雄「昔日の客」

本当に素晴らしい随筆集で、読み終わった後しばらく本を胸に抱えて離せなかった。
本を読む歓びがじんわりと身体を包み、しみじみ幸せだった。

30年前まで大森駅前に「山王書房」という古書店があった。
店主の名は関口良雄さんといって、詩や小説を愛し、また詩人や小説家をこよなく敬愛し、自ら俳句をつくった人。

馬込は昭和のはじめにたくさんの文士たちが住んでいたところ。彼の店にはそんなもの書きや文化人がずいぶん出入りしていた。
私小説家の上林暁や尾崎一雄、尾崎士郎、木山捷平(木山と関口さんは句集を刊行していた)、小田切進、五木寛之、近藤富枝、洲之内徹、長岡輝子、出久根達郎、萩原葉子、中谷孝雄などなど。
題の「昔日の客」は、野呂邦暢が書いた自著の署名からとっている。
野呂は山王書房の近くのガソリンスタンドで働いていた頃、よく店を訪れたそうだ。本を値切って関口さんから怒られたこともあるし、お金がなくてまけてもらったこともあるらしい。その野呂が故郷の九州諫早に戻り書いた小説「草のつるぎ」が芥川賞を受賞し、関口さんの店を再訪して、お土産代りに自分の本を置いて帰った。
その本の見返しに達筆な墨書きで「昔日の客より感謝をもって」とあったそうだ。
(野呂さんに関するこの随筆を読んでいると、野呂さんの抒情溢れる文章を読みたくなった)。

古書店の店主はなんとなくおっかなそうな印象があるが、関口さんは話し上手の聞き上手。興が乗れば歌や踊りが出る楽しい人。
そんな彼に客たちはみな矜持を開いた。
作家たちのさまざまなエピソードが楽しいし、なかにはじーんと涙が滲む文章もある。
飾り気のないまっすぐな関口さんの文章がなんとも心地よい。

しかしこの本の発刊直前に、関口さんは病に倒れ還らぬ人となってしまった。
どれほど無念んだったことだろうか。
この本は絶版となった後もじわりじわりと文学好き、古書好きの人間の評判を呼び、高値で取引されるようになっていた。
それを遺族の許可を得て、以前と変わらぬ装丁で、夏葉社から再刊されたのが2010年。
(初版は神田の三茶書房という古書店だが出版にも携わるところから出た。私は木山捷平の本を手に入れるために三茶書房を何度か訪れて先代のご主人と話したことがあるが、いろんな戦後作家のことを教えてもらった)。

夏葉社は島田さんという方がたった一人で経営されているとても小さな出版者で吉祥寺にある。
小さいのでたくさんの本の出版はないが、本好きにはたまらない素敵な本を選んでいる。この本のように絶版になった珠玉の作品が多い。
これまで私は夏葉社刊の本は、小島信夫「ラヴ・レター」と庄野潤三「親子の時間」しか読んでいないが、読みたいものがいっぱいあるのでこれから一冊一冊大切に読んでいきたいと館気ている。
好きな作家がいるように好きな出版社があるというのは、素敵なことだ。
島田さんはあるインタビューで「文学は人生の総体を学問している」と仰っているが、本当にそうだと思う。
ちなみにあの又吉さんもこの「昔日の客」の大ファンらしい。

関口さんの命は60年に満たなかったが、なんという幸せで充足した人生だったことか。
「古本と文学を愛するすべての人へ」この本をぜひぜひお薦めします。
posted by 北杜の星 at 07:51| 山梨 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

中村文則「教団X」

えーっと、今日は悪口を書きます。
不快な方は読まないでください。
私にしても悪い気を撒き散らすのは心苦しいのですが、でもこの中村文則はあまりにもつまらない。
この本の書評をいくつか見ると、評価しているものがかなりあるけれど、「本当かよ?」と言いたくなります。
(最近の書評は概して提灯記事が多く真の書評となっていないことがあって、それは多分、書評家が自分で本を買わずに送られてきたものを読むからだと思います。)

失踪した立花涼子を追って楢崎は松尾正太郎率いる宗教団体(といっても緩い自由な組織)を訪れる。
しかし涼子はそこにはいなかった。
松尾から詐欺を働きより過激な宗教団体をつくった沢渡の元へ移っていたのだ。
それは水面下で「教団xと呼ばれる団体で、近い将来事件を起こす可能性があると警察や公安が捜しているものだった。
教団Xには涼子の恋人の高原がいて、彼は教団とは別のテロを計画しているようだ。。

小説はたくさんのテーマがあって重層的になっている。
カルト教団、途上国の貧困と先進国の若者の苦悩、善と悪(これは中村文則の根本テーマ)・・
問題はテーマを広げ過ぎたことではないし、混沌とし過ぎていることでもない。
なんというか、これは薄汚いのだ。
必然性のない長さのセックス描写は辟易以外のなにものでもない。
中村文則の初期作品「銃」や「遮光」は暗く重いものだったが、緻密な心理としっかりした文章は奥底に響くものがあった。
でも「掏摸」以降の彼は変貌してしまった。それも悪く。
不器用なまでに純文学していた彼は今や彼は三流のエンタメ作家になり下がってしまった。
そんな小説にサルトルやドストエフスキーをで出すなんて噴飯コメディだ。

私は何が嫌いって、純文崩れのエンタメ小説が大嫌い。
少々粗削りで稚拙であっても、一生懸命これを書かずにはいられないという純文学には敬意を感じている。
それと同じように優れたエンターテイメント小説も素晴らしいと思っている。
面白いエンターテイメント小説は次のページを繰るのがもどかしいほど「読ませる要素」とテクニックに溢れていて、心躍るものがある。
だけどこれは何なんだ!
ヒドイです。本当にヒドイ。
ま、中村文則はアメリカではノワール小説を書くミステリー作家として人気を博しているそうだから、これでいいと彼自身が考えているのだろう。
でも初心を忘れたらこうなりますよ、の悪い見本がここにある。

人生の全肯定という希望のラストがあるから少しは救われたけど、職業作家がお金のために小説を書くことはなにも恥ずべきことではないけれど、こんな駄作はハズカシイ。
きちんとしたものを書いてください、中村さん。
posted by 北杜の星 at 08:04| 山梨 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | ナ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

八ヶ岳野鳥クラブ「八ヶ岳南麓野鳥2015」

これをライブラリーのHP内の新刊本案内で見つけた時、出版社の欄に「非売品」とあったのでいったいどんな本だろう、もしかしたら小冊子なのかなと思った。
予約一人の後で私に届いたのだが、ちょっと驚いた。
小冊子ともいえないような表紙を含めた9ページのコピー用紙が綴られたものだったからだ。
けれど見ているうちに、とてもとても「たった9ページ」とは思えなくなって、地道に観察を続けた方たちの野鳥に対する愛情と熱意が伝わる「定線センサス調査のまとめ」だった。

山梨県北杜市大泉町の標高1000メートルにある飛沢ため池を起点とし、未舗装の別荘地の林など標高差100メートルの範囲を毎月一回、望遠鏡や双眼鏡を持ち歩き、鳥の種類や数や行動を調査している。
2009年から2014年までの6年間で記録された鳥は、10目、30科、74種、4183羽。
これらが一覧表となっているのだが、この鳥とあの鳥が同じ科目なのかと初めて知ったものもいるし、我が家にたびたび来る「イカル」って意外に個体数が少ないのだなと思ったり、逆にこのあたりであまり見ない「カケス」があのあたりにはいるんだなと思ったりした。(蓼科にいた頃はカケスがいつも庭に来ていた。色がきれいだけど鳴き声が汚い鳥だ)。
我が家の標高は800メートルちょっとだが、200メートルの差って生態系にとっては大きいのかもしれない。

最初は表がほとんどを占めるブックレットなので面白くないかと思ったが、いえいえ、これ本当に興味深かった。
名前は知っているものの、姿をみたことのない鳥の多いこと。(見てもわからないんだろうな)
オオタカが観測されているが、すごい!
どんなところにいたのだろうか。私が見てもオオタカかワシかトンビか見分けがつくか心配だ。

心配といえばこのところ北杜市ではとても気がかりなことがある。このままでは野鳥の住むところがなくなってしまうのではないかと。
北杜市は全国で一番日照の多い明野町があるのだが、南アルプス麓を除いてどこもお日様さんさんな土地だ。
だから太陽光発電パネルがどんどん設置されている。
自然エネルギーの太陽光発電に私は反対する者ではない。反原発運動をしているので自然エネルギーには大賛成だ。
しかし今設置されている、または今の数倍も申請されている太陽発電パネルは自然エネルギーのエコロジカルな精神とはまったく異なるもので、森や林を伐り倒して更地にして、そこにパネルを並べるのだ。
そこには「お金儲け」しかない。使わない土地をお金を産む土地に変えるために、環境のことを顧みず設置している。その経済優先の考えこそが原子力発電を産んだのではなかったか。
こんな環境破壊は許せないと住民が立ち上がり、大泉地区ではやっと条例が出来て、自分の家の屋根にパネルを設置することだけが認められるようになったそうだ。
おかしいんだよね。山荘を建築する時の建築申請を出す際には、木を何本伐るかを届け出る義務があるし、伐った木の代わりに後で植えることも義務付けられているのに、太陽甲パネルに関してはなんの規制もないのは。
こんなことが続けば、野鳥の住処がなくなってしまうし、美しい景観が消えてしまう。
私たちの友人が中心になって住民運動をしているので、私たちも署名集めに頑張っています。
(私たちが危惧していることの一つに、もし太陽光発電事業が破綻した場合、または耐用年数が過ぎた後のパネルの撤去についてで、多大な経費をかけて撤去するはずはないということ。またあれだけの数のパネルをどう捨てるのかの問題がある。
昨日テレビで見たのだが、ドイツではそういう場合を考慮に入れて、設置する時に共済金を課しているのだそうだ。パネルに許可を出す日本の自治体はまったくそんなこと考えてもいない。)

我が家の庭の小梨の木に置いてある鳥の餌箱は、友人が作ってくれた立派な大きな「一軒家」風のもの。
毎朝それにシジュウカラやコゲラがたくさんやって来る。
餌はひまわりの種。ときどき豚肉の脂身を枝に差してやると、とても喜ぶ。
餌を出し忘れると、窓枠のところまで来て催促するまでになった。
この餌箱にひまわりの種を入れるのもあと一か月ちょっと。春から秋は自力で餌探しをしてもらう。
(友人の家には何か所も餌箱が置いてあって、ひまわりの種の特大袋を買って用意していると言う。)

野鳥が幸せに飛び交う自然は、人間にも大切なもののはず。
(以前はわが家のそばに梟がいたのだけど、私たちが住むようになったせいか最近は見ない。ごめんなさい、)

これがここの町のライブラリーにあるのは、意味と意義があるのですね。大変な観察、ご苦労様でした。
posted by 北杜の星 at 07:54| 山梨 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤ行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

小川洋子・平松洋子「洋子さんの本棚」

作家小川洋子と料理エッセイスト平松洋子、私の大好きな二人の洋子さんの本をめぐる対談集。
小川洋子の本好きは作家としてもちろんだが、平松洋子さんも本好きは小川さんと双壁で「野蛮な読書」という著書がある。
彼女たちは名前だけでなく、岡山県生まれで大学は東京という共通項がある。
年齢は平松さんが4歳上だけど、ほぼ同じ時代を生きてきた。
だから読書体験も似ているところが多いようだ。

人を形成するにはいろんな道があると思う。
ある人にとっては音楽や絵画などの芸術活動だったり、ある人にとってはスポーツだったり、また病気などの苦難が人をつくるということもあるかもしれない。
二人の洋子さんにとっての道は、ひたすら本を読むことだった。
本を読むことで少しずつ少しずつ感性を磨き知識を得、世界を広げてきた。
レベルは違うけれど私自身がそうだから、この対談を読むと洋子さんたちの本に対する気持ちがよくわかる。

第一章 少女時代の本棚 &(私たちをつくっている、ささやかな記憶の欠片)
第二章 少女から大人になる &(忘れられないあの味、この味)
第三章 家を出る &(私のなかの海、産むこと、母になること)
第四章 人生のあめ玉 &(日々の習慣が暮れる偉大な力)
第五章 旅立ち、そして祝福 &(女友だち、男友達の条件)
巻末付録 人生対談

本の内容だけでなくその折々の感じ方や考え、当時の生活などについても話している。女同士ならではの対談だ。
これまでの二人の「本棚」に共通していた本は、「トムは真夜中の庭で」「インド夜想曲」。
これは私の本棚にもあった。
私が「トムは・・」を読んだのは遅く30代初めだったけど、文章のすべてのシーンをイメージできた。
「インド夜想曲」は須賀敦子が訳しているということで読んだのだが、行方不明の友人を探してインドを旅する「僕」のラストのどんでん返しに足をすくわれながらも、やはりイメージが膨らむ作品だった。タブッキのなかではもっとも好きだ。

ちょっと意外だったのが小川洋子が挙げる宮本輝「錦秋」だ。
私もじつは宮本輝の小説の中では「錦秋」が大好きなのだ。
彼女はこの本を「書簡小説の白眉」「日本語がとても美しい」と述べている。そうなんですよね。
平松さんの「みちのくの人形たち」(深沢七郎)についての話も、子小説の怖さをよく表わしている。「楢山節考」「笛吹川」などより私は「みちのくの人形たち」が強く印象に残っている。

最後の「人生問答」は編集者が二人の洋子さんに「新しく始めたいことは何ですか」とか「これだけは捨てられない、愛着のあるものは何ですか」などの質問をしているもので、これまたとても楽しい。

この本の冒頭に二人の幼いころの写真が載っている。
小川洋子は今と同じ。ふかふかほっぺがつきたてのお餅みたい。
平松洋子はとっても利発な顔をしている。彼女の今のきりっとした感じ、あるある。
本好きには楽しめる対談集でした!
posted by 北杜の星 at 07:44| 山梨 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行の作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする