その記念事業として焼失して長い間なかった中門が建造されているそうだ。
高野山は言わずと知れた弘法大師、空海が開創したところ。
でも高野山というのが山を示すのではなく、真言密教総本山の金剛峯寺とその塔頭寺院全体を有する町を指すということは知らない人が多いかもしれない。
この本の著者である久利氏は塔頭寺院のなかでも鎌倉時代の建物がそのまま残る、北条政子が建立した由緒ある金剛三昧院の住職である。
この寺院で生まれ、千葉で育ち、中・高をカトリックの学校で教育を受け、大学ではインド哲学を学んだが、三十歳までは寺とは関係ない仕事に就いていたそうだ。
三十歳で寺院に戻ることはずいぶん以前から自分の中で決めていたという。
この本では高野山という聖なる場所の案内を、平易な言葉で説明している。
空海や真言密教のことを勉強するにも、また観光本としても充実しているので、高野山に行くときの素敵なガイドブックになるはずだ。
私は関西に5年半住んだことがある。
その間、誰かから「どこに行きたい?」と訊ねられると、三つの地名を挙げたものだ。
「奈良」「近江路」そして「高野山」。
高野山には5回くらい行ったと思う。春や秋の良い季節のこともあったし、極寒の冬のときもあった。
いつ行っても感じたのは、霊なるものと私が繋がっているという意識だった。
それを言葉で上手に説明はできないのだけれど、特に奥之院では霊気が強く漂っていたような気がする。
高野山の奥之院にはいまも空海の祈りが続いているというから、私のような者にもそれに触れられたのかもしれない。
高野山は標高900メートルに位置するので、冬はとても寒い。
その寒さのなかで、あれは仏教高校の生徒たちだったのだろうか、若い男子生徒と女子生徒十数人が白装束を身に着けて、池に入ってお経を唱えていたのを見たことがある。
なかには真っ青の顔になって倒れる寸前の女の子もいたが、その子を守るようにすぅっと男子生徒たちが彼女を囲み支えていた。
気がつくと私は涙を流し、彼らに手を合わせていた。自然にそうしていた。
周りを見ると私と同じように手を合わせて彼らを見守っている人たちがたくさんいた。
まだ修業中で高僧などでは全然ないかれらの姿に、貴い、ありがたいものを見せてもらったという気持ちでいっぱいになった。
著者は空海を「アイドル」と言っている。「スーパーヒーロー」とも。
私もそれに大賛成だ。
共に唐に行った最澄が秀才だとしたら、空海は天才なのだ。ちょっと格が違うひとだったと思う。
単に抜きんでた頭脳をもっていただけでなく、宇宙につながる強いパワーをもつ人だったのではないだろうか。
空海の言うことは現在の天文学や分子生物学に結びつくことで、もちろんそれらをも超えるもの。
私も弘法大師さん、大好きなんです!
そんな高野山を巡るにはぜひ宿坊に泊まってみてほしい。
金剛三昧院でもたくさんの部屋があり、精進料理を供している。
早朝の勤行や、般若心経の写経や瞑想法の阿宇観を体験するのもいい。
(現在は高級旅館のような宿坊もあって、バストイレ付き、床暖房付きという部屋もあるらしい)。
一泊と言わず二泊くらいして、ゆkっくり高野山を歩きたい。
戦国武将の墓も高野山にはたくさんある。
殺生をしつづけた武将たちが、せめてあの世で穏やかに暮らすために、高野山に眠ることをねがったのだろうか。
(高野山には悲しい歴史もあって、豊臣秀吉の弟の秀次は高野山で切腹させられている。その寺院も見学可。)
四国のお遍路を無事に成就させたあとは、高野山の弘法大師さんにお礼を言いに行かなくてはならない。
それでやっと巡礼が終わるのである。
仏教のいろんな難しいことは置いておいて、ともかくお祈りをしよう。
般若心経はもっとも短くて、もっともありがたいお経だけれど、それも知らないと言う人でも大丈夫。
うれしい時にも悲しいときにもいつでもOKの祈りの言葉がある。
「南無大師遍照金剛」
仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、長い歴史の中で人々が唱えてきた祈りの言葉には力があるのだ。
そうそう、知ってましたか?
生まれた干支によって、守ってくれるご本尊がそれぞれ違うこと。
私のご本尊は「虚空蔵菩薩」だとか。
このご本尊は、智慧と福徳が増し、記憶力高まるという素晴らしいもので、そのご真言はちょっと長くて覚えられそうもない。
ご真言というのはいわゆるマントラのことで、唱える音律も大切だと聞いたことがある。
一度、本物を聞いて勉強したい。
高野山、行きたいなぁ。行きたい。
でも今年はずいぶんな人出だろう。汚い心をリセットしたい。
この本には参道にあるお数珠のお店、和菓子屋さん、ごま豆腐屋さんが紹介されている。
昔よく使っていた胃腸薬のお店って、もちろん今でもあるはず。あの薬は効いた、効きすぎたくらいに効いた記憶がある。
高野山は吉野、熊野とともに世界遺産です。三大霊場として世界にそのパワーを広めたいものです。