今週面会室に現れた黒いキャップを被った男の手に、本はなかった。 彼は出版社の担当者である。

「えッ!? 面会室に持って来ていいの? 鞄の中に入ってるから後で差し入れておきます」

だって。 何しにわざわざ葛飾の小菅くんだりまで来たんだか。 舌打ちしそうになっちゃった。

 

私が気にしてる事実チェックの不首尾や誤植や校正ミスについては

「ん~ 4~5箇所はあるかもしれないけど、増刷になったら直すんで」

って、オイ。 何なんだ、この適当さは。 恥。

彼との面会は軽く50回超えていると思うのだが、なぜこうも通じ合えないのか。 謎。

 

今週は、みかん君がカントリーマアムを差し入れて帰ったのにもぶっ飛んだが、トミー君がバターとジャム選びにまごついて食パンを買い忘れるという失態を演じ、叱咤モードで「どういうつもりなんだッ!」と苦情の手紙を出した。

「アベノミクスで内部留保が増加した大企業ランキング50」にランクされた会社に勤めている男のすることとは思えぬ不手際に呆然。

「英語は帰国子女にまったく太刀打ちできません。 willとwellの違いが聞き取れません。 木嶋さん、世の中はすごいことになってます。 グローバル人材です。」なんて言っている。 オジサンになってから突然職場で英語力を求められるのは辛いだろうな。

 

今年になってから私はトミー君に「木嶋さん」と呼ばれている。 お正月のことだった。 初詣に行くトミー君から届いた手紙に

「私もお参りするから、木嶋さんも神様の方向に祈ってください。」

と謎のメッセージが書かれてあり、それ以来ずっと「木嶋さん」。 まぁいいけど。 好きとも愛してるとも言ってくれませんが。

私はトミー君に無償の愛を捧げている、と思っている。 面会室がカツアゲの現場みたいになってますが、それはそれ。

「女の子は男に甘えていいんだよ」ってトミー君は言ってくれるし。 素敵!

彼は、私の顔にイボができたと知ると

「よく効く塗り薬送ります」

歯科診察を受けたと伝えたら

「歯医者代はいくらかかったの?」

面会は平日の午後に来てほしいとお願いしたら

「日中は仕事が忙しいので、平日の夜か週末にできませんか」

なんて言う素人。 使えない・・・。

 

今月に入りやっと

「ガンバルね!」と、やる気を見せてくれたのだが、いつもと違うテンションに、お酒に酔って書いた疑いもあり、そこはあえて確かめず、「ガンバル」という言葉を信じることにしていたところの失態。

男性を「礼讃」しているという本を書いた私が言うのも何だが、男の「頑張る!」は当てにならん。

 

拘置所生活を語るにあたり、去年は実験的なことを色々してきた。 今年はその報告的なものを書いてゆく。

人や物や思想を取捨選択していくなかで、自分が何を好きかが分かり、私はやはり「木嶋佳苗」であると気づかされ、ちょっとショック! 

「特打フリックでスマホの文字入力を練習してるオッサン」な彼氏に「フリックって何?」と訊いた塀のなか歴5年半のオバサンな私にもショック!

 

でもね、幸せですよ、私は。 ジル・サンダーのニットを着て、ふっかふかの今治タオルで顔を洗い手を拭いて、コンビーフのサンドウィッチを作り、熱々の珈琲を飲みながら本を読む。 クッキーとチョコレートを食べながら原稿や手紙を書く。 好きな人との面会と手紙から元気をもらう。

 

去年も数百冊の本を読んだが、自分で買ったことは一度もない。 無料貸出の官本は一度も借りなかった。 衣類や寝具を自分で買ったこともない。

 

これは幸せですよ。 女に生まれて良かったと思いますよ。 私の書くものは資本主義を信じない人にはつまらないかもしれませんが、私の言葉をヒントに自分の頭で考えられる人には楽しんでもらえると思います。

 

ポートネックでドロップショルダーのとびきり肌触りが良いふっくら起毛感のあるクリーム色のニットを着る幸せを与えてくれる彼に感謝しながら、拘置所の冬は寒くても、心身が暖かいのは物欲が満たされているから、という現実を堂々と書く。

 

私は木嶋佳苗だから!