(2015年3月24日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

リー・クアンユー氏が死去、シンガポール初代首相

シンガポールの「建国の父」と呼ばれたリー・クアンユー氏〔AFPBB News

 広東省出身の曽祖父を持つリー・クアンユー氏は、シンガポール首相として初めて中国を訪問した際、中国側のホストに対して家族が抱いた印象について、こう語った。「私たちは中国人と彼らの慣習を異質に感じた」

 だが、英国で教育を受け、先日91歳で死去したリー氏は、病を患っていた毛沢東国家主席と手短に握手した1976年の最初の訪中後の度重なる訪問で、中国および中国の指導体制について極めて鋭い理解を深めていった。

 実際、常に米中双方の政府と良好な関係を維持したリー氏以上に、過去数十年間の中国の秘密主義の指導者とその政治体制をよく理解していると主張できる世界の指導者は恐らくいないだろう。

 オーストラリアのフリンダース大学で国際関係学科の准教授を務めるマイケル・バー氏は「彼は誰よりも早く中国の台頭に気づいた」と言う。

 リー氏は一連の訪中について詳細に記録した回顧録で、その市場志向の改革が今日の中国という経済大国を解き放った鄧小平のことを「中国と世界の運命を変えた偉大な指導者」と断言している。

中国を鋭く観察した現実主義者

 だが、リー氏は決して賛美に迷い込まず、中国共産主義の官僚制度の限界と、北京の権力の中枢と地方の省の関係を理解する重要性について、明晰な現実主義をもって書いた。

 リー氏が、周恩来首相の死後、先陣を切って中国を訪問した外国首脳の1人になり、多くの人に先んじて鄧小平と会うことになったのは、この理解があったからだ。この関係から、鄧小平はリー氏が赤道直下の小さな島に築いた経済的奇跡を見るために1978年にシンガポールを訪問することになった。