「一生いっしょにwikipedia」じゃねえよ。お前のページを三木Do三に書き換えてやろうかコラ。
最近ラブソングを聴くと無性にこう叫びたくなるのはオッサンになったからなのか。一応彼女ができたおかげで、女性と付き合うことの楽しさと厳しさを学んだからなのか。
気がつけばぼくもあの曲が大ヒットした当時の三木道三さんぐらいの年齢にさしかかってきている。まだまだぼくのライフタイムはリスペクトされるような素晴らしいものではないが、一生いっしょに韋駄天靴と言える相手を見つける旅は現在進行形で続いている。
「恋しちゃったんだ…多分、気付いてないでしょ?フヒヒ」じゃねえよ。言いたいことあるならちゃんと言えや。
昔はこういう曲を聴いて心臓の高鳴りを抑えきれなかったのはぼくがCHE.R.RYだったからなのだろうか。あぐらをかいてギターを弾く系女子を見たのは初めてで新鮮だったからなのだろうか。
他にも「会いたくて震える」とか「60億分の1に出会えた奇跡」とか「あなたがいないと死んじゃう」とか「見つめ合うと素直におしゃべりできない」とかもうね、大げさすぎてなんか凄いドン引きしちゃうわけですよ。
それでもこういう曲を好んで聴いていた時期があったのは、きっとこういうことを言われたかったからなのか。ラブソングを好んで聴いていた時期ほどモテなかったのは、やはりそういう下心が透けて見えていたからなのだろうか。
「さくらんぼ 大塚愛」と検索すると、なぜか検索候補に「さくらんぼ 大塚愛 下ネタ」と表示されるのは、やはり思春期=ソレだからなのだろうか。それとも大塚愛がそういう意図を持ってさくらんぼの歌詞を書いたからなのか。この記事を書くことに専念したいので、後で確かめることにしよう。
こう考えるようになったのは、大人になるにつれて「歌詞を深読みする」ようになったからだと思っている。ラブソングの歌詞というのは、恋愛が一番盛り上がっている時期の気持ちを書いていることが多い。しかし、一度異性と付き合ったり突き合ったりすると、それを継続することの難しさが身に染みる。
だから、今のぼくはきっと「夢見てんじゃねえぞこのダボが!」と無意識に思ってしまうのだろう。ダボと言ったが、ラッパーのDABOのことではない。
歌詞を深読みするという部分では、最近流行りのドラゲナイこと「Dragon Night」という曲をちょこちょこ聴く。それの歌詞に
人はそれぞれ「正義」があって、争いあうのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ
というのがある。
うん
そこまで理解してるなら、なんでお前そいつのこと嫌いなん?
とかリアルで言ったらぼくのSEKAI NO OWARIがやってくるので、ブログ内だけにしておこうとおもうんだ。ドラゲ(ry
なんて色々なことを昼休みに考えながらツイッターをいじくり倒していたら、こんな画像が目に飛び込んできた。
ぼくの言いたいことは全部この画像が言ってくれた。
おわり。残業疲れたので、今日はここまで。
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