宗教学者・作家 島田裕巳
 
 オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件から20年の月日が流れました。幸い、日本国内では、それ以来、宗教を背景としたテロ事件は起こっていません。
 しかし、海外に目を移せば、2001年に起きたアメリカでの同時多発テロなど、宗教に関連する数々のテロ事件が起こってきました。最近では、「IS=イスラミック・ステート」という武装勢力によって、多くの外国人が殺害され、そのなかには二人の日本人も含まれるという出来事も起こっています。今から振り返ってみると、オウム真理教の起こした事件は、そうした出来事の先駆けとなるものだったと見ることができます。

 オウム真理教の教団自体は解散となり、サティアンと呼ばれた施設も解体されました。数々の凶悪な犯罪に関与した教祖をはじめ、幹部や信者も逮捕され、裁判にかけられました。そのうち、13名に死刑判決が下され、それが確定しました。
 しかし、オウム真理教の後を継いだアレフや光の輪と呼ばれる教団は現在でも活動を継続し、昨年末の時点で、1600人の信者をかかえ、7億円近い資産を有しているとされています。こうした団体は、団体規制法の観察処分を受け、公安調査庁の監視下にありますが、そうした教団を消滅させることは難しい状況にあります。
 教団の資産が増えているにもかかわらず、そのなかで、被害者やその遺族に対する賠償金に回される額が少ないことも、こうした教団が事件に対して十分な反省を行っていない証明にもなっているように思われます。
 私たちは、宗教にもとづくテロ事件がなくならない現状において、オウム真理教の引き起こした事件をどのように考え、そこからどういった教訓を引き出してくるのかを問われていると言えます。
 ただし、オウム真理教が登場し、その勢力を拡大していった時代と現在とでは、社会のおかれた状況が相当に異なっていることも事実です。
 オウム真理教の前身となるヨガの道場が誕生したのは、日本がバブル経済にむかっていく1984年のことでした。バブルの時代には、金だけがすべてという風潮が生まれ、それについていけない若者たちが、ヨガの修行による神秘体験を求めて、オウムに魅力を感じ、入信し、出家していきました。
 オウムの教団が、瞬く間に拡大していくことができたのも、バブルの金余りの時代には、自宅などの不動産を売れば、一般の人間でも億単位の金を教団にお布施として捧げることができたからです。
 教団が暴力的な手段を使ってお布施を集めるようになるのも、バブルが崩壊し、資金を集めることが難しくなったからではないでしょうか。
 また、1989年のベルリンの壁の崩壊によって、ソビエト連邦の解体という出来事が起こり、それによってオウムは、混乱状態にあったロシアへの進出を果たします。ロシアでは、日本以上に多くの信者を獲得したばかりか、ラジオの放送枠を買って、日本向けの放送をはじめたり、信者が武器にふれることができるツアーなどが行われました。サリンを空中からまくためとも言われる大型のヘリコプターも、ロシアから教団が購入したものでした。
 はっきりと証明されているわけではありませんが、オウムがロシアに進出した1992年以降に、教団の武装化が進められたことを考えると、サリンのような化学兵器を開発し、それを社会を混乱させるために使用するというアイディアも、ロシアとのかかわりのなかで思いついたのではないかという推測が成り立ちます。
 このように、オウム真理教が急成長をとげるとともに、凶悪な事件に関与していく背景には、バブル経済とその崩壊、そして、戦後の世界情勢を根本から規定した冷戦構造の崩壊ということが大きく影響していました。こうした背景がなかったとしたら、国内のみならず、世界を震撼させたあの事件は起こらなかったのではないでしょうか。
 その点では、当時と今とでは、社会情勢が根本から変化しています。もし、現代にオウムのような宗教団体が登場したとしても、同じ道をたどることはないようにも思われます。
 そこに、教訓を引き出すことの難しさがあるのですが、組織犯罪の典型としてみるならば、あるいはそれも可能になってくるかもしれません。
 数々の事件のはじまりとなったのは、修行中におかしくなり、騒ぎ出した信者に水をかけたり、風呂の水のなかに頭を漬けさせたりした結果、その信者を死にいたらしめたことでした。しかも、その死を隠し、遺体も秘密裏に処分してしまいました。
 それが出発点となり、その事実を知っている信者が脱会を申し出ると、それを殺害したことが最初に彼らが犯した殺人となりました。そして、この犯行にかかわった人間たちが中心になって、オウム真理教被害者の会を発足させた坂本堤弁護士一家の殺害が実行されたのです。
 一つの重大な秘密を抱え、それを隠そうとすることで、次々と重大な事件を引き起こしていく。これこそ、組織犯罪の典型的なパターンです。
 教団の武装化は、サリンなどによって社会に大混乱を引き起こし、それによって権力を掌握しようとする試みだったと考えられますが、そこにも重大な秘密を抱えた教団をなんとか守らなければならないという意識が働いていたものと思われます。
 問題は、そうした凶悪な犯罪に、神秘体験を求め、修行の場を求めたはずの信者たちが、なぜ関与してしまったのかということでしょう。彼らは、もともと犯罪性行のあるような人間たちではありませんし、十分な教育も受け、真面目な性格の人間が少なくありません。
 しかし、彼らが求めたのは、なによりも自分自身が宗教によって救われるということでした。そのため、社会のことや、他者のことに対して関心が薄くなり、自分たちだけ救われれば、他がどうなってもかまわないという意識を持つようになったのではないでしょうか。
 犯罪に関与した信者たちは、できれば、そうしたことにかかわりたくないと思いつつ、それを命じられると、断ることができず、ずるずると犯罪を重ねていくことになってしまったのです。
 そこには、彼らの精神的な弱さということが大きく影響していました。教祖をはじめ、犯罪を命じた側は、その弱さを巧みに突いたとも言えます。そして、自分から主体的に犯罪にかかわったわけではないため、それを正当化する教祖の教えにすがり、自分たちは犯罪を犯しているわけではなく、救済の活動を実践しているのだと思い込もうとしたのです。
 罪を問われた信者たちの反省の弁が、一般の人たちのこころに響いてこないのも、自分たちは自ら望んで犯罪にかかわったわけではなく、やらされたという思いが強いからではないでしょうか。
 ただ、自分が救われたいと思って入信した若者たちが、いつの間にか、凶悪犯罪を犯していた。そこにこそ、オウムの事件の怖さがあります。どうしてそうなったのか。そのメカニズムを解明しておかなければ、将来同種の事件が起こる可能性はなくなりません。