埼玉・桶川、70年前の姿をとどめるカミカゼ訓練場

日本で唯一、元のまま保存…桶川市の飛行学校分教場跡ルポ
17歳から25歳までの若者1600人が、死ぬために飛行訓練を行った場所
写真・手紙などがそのまま残る
市民200人がボランティア「歴史を知り、二度と繰り返さないよう後世に伝える」

埼玉・桶川、70年前の姿をとどめるカミカゼ訓練場

 気温は5度、冷たい春雨が木造の内務班のスライド屋根にぱらぱらと降り注いでいる。ここは埼玉県桶川市の「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡」。鉄道の駅から南西に4.5キロ離れた、ひなびた荒野だ。行く先を告げると、タクシーの運転手がいぶかしがった。「そんな田舎に、何しにいくんです?」

 白髪のボランティア案内員、内藤武さん(75)が「ここは、日本に10カ所あった陸軍飛行学校の中で、唯一そのまま保存されている場所」と説明した。神風特攻隊のパイロット候補生がここで訓練を受け、日本各地の基地へと移動した。そのような基地の一つが、鹿児島の知覧基地(現在の知覧平和博物館)だ。

 知覧基地とは異なり、桶川分教場跡は現在も荒野に近い状態で残っていた。桶川市は先月、ここを復元・保存することを決めた。桶川市の関係者は、本紙の電話インタビューの中で「神風特攻隊は素晴らしかったとPRするためではなく、戦争がどれほどむごたらしいものかを記憶するため」と語った。内藤さんのようなボランティア約200人が、2007年から無報酬で資料を集め、訪れた人を案内し、市民1万4000人の署名を集めて保存の決定を引き出した。

 桶川分教場は1937年6月に開校した。それから45年4月までの7年10カ月の間に、一度も飛行機に乗ったことのない17歳から25歳までの若者1600人が入校し、「死」を前提にした6カ月の飛行訓練を受け、戦場に投入された。

 敷地(9587平方メートル)は広々としていた。分教場の学生たちは20人で一つの班を作り、毎日午前6時にラッパの音で起床、朝の駆け足を行った。午前8時から午後5時まで、航空力学・気象学・通信技術を学んだ。その後、「赤とんぼ」と呼ばれた初等練習機で単独・夜間飛行訓練を受けた。100時間操縦かんを握ると、教育は終了。内務班の建物の後方に、木造のトイレが12室残っていた。「くみ取り式」だが、便器は白い陶器でできていた。このような施設にしてはきれいだった。内藤さんは「当時は軍国主義社会だったので、軍人には何でも一番良いものを与えた」と説明した。食事も米飯が出た。

桶川(埼玉)= ヤン・ジヘ特派員
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