下甑事案は、自衛隊の内部、特に隊員にどのような命令を与え、部隊をどう言った法的根拠で行動させるかを考えなければならない”防衛”と呼ばれる部署で勤務する隊員にとって、大問題となった事案です。
ですが、事案が終息した後は、事実上の箝口令が引かれたため、自衛隊内部では、防衛担当者を除けば、ほとんど語られることはありませんでした。また、世間一般でも、幕引きをした久間防衛庁長官(当時)の対応が巧かったため、危機管理関係者、自治体関係者等の一部の方を除けば、ほとんど忘れ去られた事案となっています。
しかし、この事案が問題化した原因が、上記記事にも書いた文官統制の害と、防衛省がかかえるもう一つの大きな問題にあったため、文官統制の廃止だけでなく、近年の防衛問題に大きな影響を与えた事案です。
もう18年も前の1997年に起きた事案ですし、今回の文官統制廃止によって、事案が発生した原因は、相当程度改善されました。
ですので、どんな事案だったのか、簡単に紹介したいと思います。
ただし、自衛隊法で規定されている秘密を守る義務については、退職後も期限はありません。そのため、以下及び上記リンク内で書いた内容は、既知のオープンソースで明らかにされている情報をまとめ、それに基づいて解説を加えたものです。
よって、これでもまだ意図的に隠された部分がある不正確な情報です。その点はご容赦下さい。
事案の発端である事件は、当時ちょこちょこ発生していた日本国内で不法就労をするための中国人の密入国です。
2月2日
1997年2月2日の夜、鹿児島県の西側、いちき串木野市の西方海上に浮かぶ下甑島の南端、釣掛埼灯台付近に中国人密入国者が上陸しました。恐らく、密入国を手引きした業者が適当で、本土に近づくと海保に発見される危険性が高まるため、上陸させた密入国者が困ることはお構いなしに、離島である下甑島に上陸させたのでしょう。
2月3日
言葉も通じない上に土地勘もない密入国者は、3日の早朝、住民に発見されます。発見者は、警察に通報しますが、島には派出所が2つ、駐在さんは2名しかいませんでした。
本土にある川内署から署長を始めとした応援が駆けつけ、警察官だけでなく、消防団員や役場職員までが捜索に加わって、3日の内に20名を逮捕しました。しかし、逮捕された密入国者の供述によると、上陸したのは25名以上とのこと。
島にある航空自衛隊下甑島分屯基地からは、役場に連絡員を派遣して情報共有を図っていましたが、この日役場で実施された対策会議において、川内警察署長から自衛隊に対して捜索活動への協力依頼がなされます。
ただし、後日、川内警察署は、自衛隊出動の経緯について「自衛隊側から捜索に協力したいと申し入れがあった」と説明しています。
(この自衛隊、警察の齟齬は、事案の原因を推定する上で、非常に重要です)
2月4日
下甑島分屯基地司令である第9警戒群司令から報告を受けた西部航空警戒管制団司令、津曲空将補(当時)は、野外訓練を根拠とした捜索活動の支援を指示しました。(野外訓練の命令権者は、群司令以下なので、命令ではなく指示)ただし、野外訓練での行動では、隊員には武器使用はおろか、職務質問や逮捕等の権限はないため、自衛隊の分隊に警察官1名と消防署員1名の随行をしてもらうよう指示もしています。
そして、指示した事実を、西部航空方面隊司令官鈴木空将に報告しました。
自衛隊員は、ロープを使って絶壁を200mも下り海岸の捜索まで行っています。
なお、上陸25名というのは供述者の勘違いだった事が、後に判明しています。
2月6日
朝日を始めとした新聞各紙が、この行動を自衛隊法違反だとして批判する報道を始めます。そして、村田防衛事務次官(当時)が、「自衛隊参加は適切さに欠ける……中略……所要の手続きを経て、警察機関への協力活動として実施すべきところ、野外訓練の一環として実施した点については適切さに欠ける面があった」とコメントします。
2月7日
前日の、防衛事務次官コメントが、朝日新聞の朝刊紙面に載ります。そして、防衛庁長官が、朝日新聞の夕刊紙面上において、「時間のコメントそのものはいいと思う」「(捜索に)出て行った理由づけは後から付いてくる話だ。出て行ったこと自体が適切さに欠けるわけではない」とコメントしました。
この長官コメント以降、マスコミ報道は沈静化し、自衛隊が法令違反を犯して、不適切な行動を行ったと非難された事案は終息します。
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