
大阪天満宮は949年に創建された神社で、菅原道真を祀っています。
菅原道真が神として祀られるようになった経緯は以前の記事、
北野天満宮 梅 『菅原道真の怨霊を畏れた村上天皇』 にも書いたのですが、もういちど書いておきますね。
菅原道真((845年~903年)は宇多天皇、醍醐天皇に重用され、右大臣にまで上り詰めました。
901年、これに嫉妬した藤原時平は醍醐天皇に「道真は謀反を企てている」と讒言し、これを信じた醍醐天皇は道真を大宰府に左遷しました。
903年、道真は大宰府で失意のうちに亡くなりました。
その後、、藤原時平、醍醐天皇の皇子や孫王が相次いで病死しました。
また疫病が流行り、天災が相次ぎました。
930年には清涼殿で干ばつ対策会議を行っていたところに落雷があり、道真左遷に関わった人物が大勢死傷しました。
それらは道真の怨霊の仕業であると噂されました。
醍醐天皇はノイローゼとなって清涼殿落雷事件の3か月後に崩御されました。
京都の北野天満宮は道真を慰霊するために947年に創建されました。
大阪天満宮はその2年後の949年に創建されたわけです。
北野天満宮の創建は村上天皇の勅命によるものであるとは伝えられていないようです。
しかし、村上天皇は道真を大宰府に左遷した醍醐天皇の第十四皇子なので、
北野天満宮の創建には村上天皇の意志が働いているのではないかと私は考えています。
大阪天満宮は村上天皇の勅命を受けて創建されています。
ということは、北野天満宮の創建にも村上天皇の意思が働いていると考えるのが自然かな、と思います。
この地はもともとは大将軍社があったところで、901年、菅原道真はこの大将軍社にお参りをしてから大宰府に向かったと伝えられます。
道真の死後、949年のある夜、大将軍社の前に光り輝く七本の松が生えたそうです。
村上天皇は「これは菅原道真に縁のある奇端であるとして大阪天満宮を創建したとされます。
大阪天満宮の土地は大将軍社から借りているということで、元日に借地料を大将軍社に治めているそうです。
古代中国では金星を軍事をつかさどる星神として信仰していました。
これが日本の陰陽道に取り入れられたのが、大将軍です。
大将軍は金星の神といってもいいでしょう。
記紀神話では星の神は天津甕星(別名カカセオ)一柱しか出てきません。
ギリシャ神話には多くの星の神が登場するのに、日本の星の神は一柱しかいないなんて変ですね?
そういったことから、星の神を信仰する先住民族がいて、星の神は抹殺されたという説もあります。
そして天津甕星は『天照大神の芦原中国平定に最後まで抵抗した荒々しい神』であるとされています。
どうも天津甕星は謀反人であるようです。
菅原道真はこの天津甕星や大将軍とイメージが重ねられ、星の神として信仰されたのではないでしょうか。
光り輝く7本の松とは北斗七星のことだと思います。

上の写真は大阪天満宮にある星合の池です。
この池の名前から見ても、この地に星の神への信仰があったことがわかります。
大阪天満宮・・・大阪市北区天神橋2-1-8
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