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【名古屋ダービー】村上義、1年間自粛休場前に涙の連覇!

2014年3月24日6時0分  スポーツ報知
  • 優勝し、胴上げされる村上義弘
  • 優勝し、胴上げされる村上義弘

 ◆第67回日本選手権競輪・G1名古屋ダービー最終日(23日・名古屋競輪) 決勝戦は23日、優勝賞金6000万円(副賞含む)をかけ第11Rで争われ、稲垣裕之の先行に乗った村上義弘(39)=京都=が、最終2コーナーからまくって大会連覇、通算3回目のダービー制覇。2着は武田豊樹。村上義は日本競輪選手会からの移籍問題で5月1日から1年間自粛休場勧告をされており暮れの「KEIRINグランプリ」(GP=12月30日、岸和田)出場は微妙。2月のG1「全日本選抜」は弟の村上博幸が制しておりG1・2大会連続で「チーム報知」選手が頂点に立ったが村上博も6か月自粛勧告による出走回数不足でGP微妙。G1優勝両者のGP出場を願うファンの声も多く、今後が注目される。

 こんなことがあるのか…。稲垣のハイペース先行に乗った村上義弘が、最終バックから番手まくり。武田、深谷が襲いかかった最後の直線。デビュー21年目の義弘が未体験ゾーンへ突入する。「(弟の)博幸が横に張ったのは分かった。でも、4コーナーを回ってからゴールするまでの記憶がない。(ゴール後)博幸に教えてもらって初めて、自分が勝ったのが分かった」。まさに無我夢中。2年連続、3回目のダービー王の座を、力と魂を最後の一滴まで振り絞ってつかみ取った。

 昨年12月に起こった競輪選手会退会騒動から3か月余り。心穏やかに過ごせた日は一度もなかった。「開催中でも、時間があれば考えてしまう」。周囲の様々な声も聞こえる中、自分の行動を自分で問い直すことで、練習に集中できない苦境が続いた。大会直前に今年5月から1年間の自粛休場勧告も出された。引き揚げてきた直後は「言葉が浮かんでこない。みんな苦しかったと思う…」と仲間を思って、ただ涙した。

 レース中も表彰式も、ファンの大声援が温かかった。「本当に苦しい6日間でした。でもお客さんの歓声が、今開催の自分を支えてくれた。何とかそれに応えたい一心だった」。11年、初めてダービー王となった時も、そして今回も表彰した河村たかし・名古屋市長は「3年前のことは覚えとるで。いろいろどえりゃあ苦労があったらしいが、戦わないけん。さらに苦労が待っとるらしいが、競輪を盛り上げにゃいけん」とエールを送った。

 一部で取りざたされた自身の進退については「4月いっぱい、共同通信社杯(伊東)まであっせんはあるし、そこまではしっかり走りたい。1年間、競輪を離れることに自分が耐えられるかどうか。(処分が明けて)家族も交えてじっくり考えていきたい」と語った。決勝戦はもちろん、各選手の競輪への思いがレースに表れた今開催は必ず伝説になる。競輪をもっとも愛し、競輪の神様にも愛された義弘の走りを、今後も見続けたい。

 ◆村上 義弘(むらかみ・よしひろ)1974年7月6日、京都市生まれ。39歳。私立花園高卒。日本競輪学校73期生として1994年4月にデビュー。2000年「ふるさとダービー豊橋」でビッグ初制覇。GIは02年岸和田「全日本選抜」、03年一宮「オールスター」、11年名古屋、13年立川「日本選手権」と合わせて今回が5勝目。12年京王閣「KEIRINグランプリ」も制した。1592戦512勝。通算獲得賞金は14億934万7789円。170センチ、76キロ。血液型O。家族は夫人と三女。

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