蓄膿。
妻と私は蓄膿している。
咳と鼻水とまらない。
息子と娘も鼻水ずるずる。
私は・・・頬の上あたり、目の下あたりが
重くて熱い。
あぁ・・・しんど。
なにより喉痛いっ!
蓄膿していると寝るときうつぶせの方が楽なもんで
みんな寝るときうつぶせ(ぁ
耳鼻咽喉科行って蓄膿吸い出してもらいたいわぁ・・・あぁ・・・
2015年03月23日
2015年03月22日
にしまつや。
西松屋に行きました。
子供服の多さに圧倒される(ぉ
息子と娘の入園に向けて着るものを増やす。
これは大事なこと。
それで安くて種類豊富な西松屋へ。
息子ぐらいのサイズなら
入園式に使える正装ちっくなものはあるんだけど
娘の・・・ってなるとなかなか。
難儀なもので。
淑女と呼ぶに相応しい服装の1歳児用ってのも
なかなか見つからないもんだねぇ。
とりあえずそれっぽい服をなんとか見繕ったけどね。
妻が結構がんばって
息子と娘の服を2万円分ほど購入。
一着で1000円しない物もあること考えると
結構な量だよね(ぁ
子供服、微妙なのも少なくないけど良く見ると可愛いのもぽつぽつと。
今後も利用したいね。
何より安いしね(ぁ
子供服の多さに圧倒される(ぉ
息子と娘の入園に向けて着るものを増やす。
これは大事なこと。
それで安くて種類豊富な西松屋へ。
息子ぐらいのサイズなら
入園式に使える正装ちっくなものはあるんだけど
娘の・・・ってなるとなかなか。
難儀なもので。
淑女と呼ぶに相応しい服装の1歳児用ってのも
なかなか見つからないもんだねぇ。
とりあえずそれっぽい服をなんとか見繕ったけどね。
妻が結構がんばって
息子と娘の服を2万円分ほど購入。
一着で1000円しない物もあること考えると
結構な量だよね(ぁ
子供服、微妙なのも少なくないけど良く見ると可愛いのもぽつぽつと。
今後も利用したいね。
何より安いしね(ぁ
2015年03月21日
結婚記念日。
昨日は結婚記念日でした。
ささやかにケーキでお祝い。
10日前ぐらいに私が話して
そのタイミングで妻がそういえば結婚記念日かと思い出して
当日は妻が午前中は覚えていて
私は丸々忘れてて(ぁ
午後、妻も忘れていて・・・
私が帰宅中に妻からのメールでケーキのこと思い出し(ぁ
閉店準備してるケーキ屋に滑り込む(ぁ
妻とお互い、忘れるよねーって話しながら。
今年もよろしくおねがいします。
ケーキ食べながら言いましたとさ。
息子は良くわからんままいちごのショートケーキもらえてラッキー
そんな感じか?(笑
ささやかにケーキでお祝い。
10日前ぐらいに私が話して
そのタイミングで妻がそういえば結婚記念日かと思い出して
当日は妻が午前中は覚えていて
私は丸々忘れてて(ぁ
午後、妻も忘れていて・・・
私が帰宅中に妻からのメールでケーキのこと思い出し(ぁ
閉店準備してるケーキ屋に滑り込む(ぁ
妻とお互い、忘れるよねーって話しながら。
今年もよろしくおねがいします。
ケーキ食べながら言いましたとさ。
息子は良くわからんままいちごのショートケーキもらえてラッキー
そんな感じか?(笑
2015年03月20日
離れたところで地元トーク。
お客さんが長野県出身者だった。
長野県から出た人の思うあるある見たいなのでちょっと盛り上がった
企業やお店のグループの知ってる知らない。
長野県内では有名で沢山お店出していても
県外には一切お店だしてない企業や
グループ企業だけど長野に進出しにくくて
長野では知られてない企業とか、よくある。
長野でると、みんな綿半知らないよね、とか。
家電量販店なんてコジマとエディオンぐらい?とか
アルピコグループとか。
松本市民が自慢しているパルコが
県外出ると別にパルコあること自慢してるところがないとか
むしろ関西じゃ「パルコって何?」ぐらいのレベルだとか(ぉ
そんな話で盛り上がり。
いや、近い境遇の人って
お互いのことを大して知らなくても盛り上がるね(笑
長野県から出た人の思うあるある見たいなのでちょっと盛り上がった
企業やお店のグループの知ってる知らない。
長野県内では有名で沢山お店出していても
県外には一切お店だしてない企業や
グループ企業だけど長野に進出しにくくて
長野では知られてない企業とか、よくある。
長野でると、みんな綿半知らないよね、とか。
家電量販店なんてコジマとエディオンぐらい?とか
アルピコグループとか。
松本市民が自慢しているパルコが
県外出ると別にパルコあること自慢してるところがないとか
むしろ関西じゃ「パルコって何?」ぐらいのレベルだとか(ぉ
そんな話で盛り上がり。
いや、近い境遇の人って
お互いのことを大して知らなくても盛り上がるね(笑
2015年03月19日
特別な相手とだから、特別な日々。
ふと思い返すと。
結婚ってものに対してのイメージを
私は踏み外さずにいたのだろうと思う。
恋って言うのは
相手が特別に思えるのが普通だし
私もそうだった。まぁ今もある意味そう感じているが。
していること、目的が恋である内は
相手との関係に起こることを特別であることを期待するので良いと思う。
しかし、結婚っていうものは
結婚っていうのは・・・相手との関係と距離感
相手を含めて周りの環境が、家族になるということ。
一見これも特別なことに見えるかもしれないけど・・・
これが多分、錯覚の原因。
家族っていうのは日常であって
特別ということはない。
まぁ、ある意味家族は家族とそれ以外の人と区切った場合に特別なわけだけど
家族っていうのは自分が生活の拠点としておく小規模組織であり
生活そのものだ。
その人にとって家族がいいものであれ、わるいものであれ、
生活の仕方の基本となる土壌であることは変わらないはず。
そういった意味で
自分の生活する上での感性の基点なのだから
それは特別なことというより
自分の平常、皆それぞれに違う「ごく普通」の、土台だと思う。
つまりは
結婚するってことは家族になるってことで
相手が特別であっても
その相手と「普通」に落ち着くっていうこと。
結婚前に、結婚前提に付き合うなら付き合う前に、
どれぐらい、その相手と普通であることを意識できるだろう?
付き合うときに、相手へのサプライズで
大枚はたいて船でお食事をプレゼントなんてのも格好良くて良いだろう。
でも、それについていえば
経済的に問題がある場合、しょっちゅうそれが出来る人なのかな?っていうこと
経済的に問題なかった場合でも、しょっちゅうそんな食事が出来たら、それ特別じゃなくなるよ?
求められる側にしろ、提供する側にしても、頻度は当たり前になると廃れる。
そんなことも含めて、相手を見通す。
きっと、変に気取らずに生活のアクセントぐらいに思っていたら丁度いい。
特別なことを日々繰り返すとそれは特別ではない。
特別な人でも常となりにいるのなら、
そこにある気持ちは常になる。
その気持ちに抑揚は減っていくのだから尚更で。
きっと、特別であることを維持するのは困難だろう。
イベントやサプライズで特別を演出するなら尚更。
私は、はなっから変に自分を飾らなかった。
一緒に生活し始めたらどうせ自分なんてバレるんだから。
自分が自分の生活のままを見られて
それでも嫌われないなら、好いてもらえるなら
その人とやっていけるのだろうと思っていたから。
そういった意味で私は
付き合う前から、普通になることを視野に入れていて
それは実際に結果として良い方に結びついている。
まぁ付き合う段階では相手に良く見せるのが普通だし
端から本性さらけ出しなんて大体は嫌がられるだろうけど。
私がそれでも未だに妻を特別と思えているのは
こうまで自分に合う相手はなかなか出会えるものじゃないっていう自覚。
日々、別段サプライズとかがあるわけではなし。
結婚って
特別な相手と、特別でなくなること。
そんな一面が必ず、あるんだと思う。
だからこそ思う。
いつまでも特別を望む人は、切り替えが効かない人は
結婚を意識したときからか、
生活が始まってからか、歯車は狂い始める。
その調節が出来なくなったら、
それを調節するということが理想と違うと思い違いをしてしまったら、
壊れる。
そして
きっとそれに気付けなかった自分の所為なのに、
相手の所為だと信じて疑わない。
お互いに。
結婚ってものに対してのイメージを
私は踏み外さずにいたのだろうと思う。
恋って言うのは
相手が特別に思えるのが普通だし
私もそうだった。まぁ今もある意味そう感じているが。
していること、目的が恋である内は
相手との関係に起こることを特別であることを期待するので良いと思う。
しかし、結婚っていうものは
結婚っていうのは・・・相手との関係と距離感
相手を含めて周りの環境が、家族になるということ。
一見これも特別なことに見えるかもしれないけど・・・
これが多分、錯覚の原因。
家族っていうのは日常であって
特別ということはない。
まぁ、ある意味家族は家族とそれ以外の人と区切った場合に特別なわけだけど
家族っていうのは自分が生活の拠点としておく小規模組織であり
生活そのものだ。
その人にとって家族がいいものであれ、わるいものであれ、
生活の仕方の基本となる土壌であることは変わらないはず。
そういった意味で
自分の生活する上での感性の基点なのだから
それは特別なことというより
自分の平常、皆それぞれに違う「ごく普通」の、土台だと思う。
つまりは
結婚するってことは家族になるってことで
相手が特別であっても
その相手と「普通」に落ち着くっていうこと。
結婚前に、結婚前提に付き合うなら付き合う前に、
どれぐらい、その相手と普通であることを意識できるだろう?
付き合うときに、相手へのサプライズで
大枚はたいて船でお食事をプレゼントなんてのも格好良くて良いだろう。
でも、それについていえば
経済的に問題がある場合、しょっちゅうそれが出来る人なのかな?っていうこと
経済的に問題なかった場合でも、しょっちゅうそんな食事が出来たら、それ特別じゃなくなるよ?
求められる側にしろ、提供する側にしても、頻度は当たり前になると廃れる。
そんなことも含めて、相手を見通す。
きっと、変に気取らずに生活のアクセントぐらいに思っていたら丁度いい。
特別なことを日々繰り返すとそれは特別ではない。
特別な人でも常となりにいるのなら、
そこにある気持ちは常になる。
その気持ちに抑揚は減っていくのだから尚更で。
きっと、特別であることを維持するのは困難だろう。
イベントやサプライズで特別を演出するなら尚更。
私は、はなっから変に自分を飾らなかった。
一緒に生活し始めたらどうせ自分なんてバレるんだから。
自分が自分の生活のままを見られて
それでも嫌われないなら、好いてもらえるなら
その人とやっていけるのだろうと思っていたから。
そういった意味で私は
付き合う前から、普通になることを視野に入れていて
それは実際に結果として良い方に結びついている。
まぁ付き合う段階では相手に良く見せるのが普通だし
端から本性さらけ出しなんて大体は嫌がられるだろうけど。
私がそれでも未だに妻を特別と思えているのは
こうまで自分に合う相手はなかなか出会えるものじゃないっていう自覚。
日々、別段サプライズとかがあるわけではなし。
結婚って
特別な相手と、特別でなくなること。
そんな一面が必ず、あるんだと思う。
だからこそ思う。
いつまでも特別を望む人は、切り替えが効かない人は
結婚を意識したときからか、
生活が始まってからか、歯車は狂い始める。
その調節が出来なくなったら、
それを調節するということが理想と違うと思い違いをしてしまったら、
壊れる。
そして
きっとそれに気付けなかった自分の所為なのに、
相手の所為だと信じて疑わない。
お互いに。