プロ当事者とは
私のタイムラインで「プロ当事者」への言及が散見されるようになって、ググってみたらこちらが元記事のようです。*1
“当事者としての各種活動ってのは、シッカリとした本業があった上で、副業として初めて成り立つモン...「障害を持ちながらも真っ当に社会参加をしている人である」というお墨付き” / “RUNNING RIOT IN ’84 - アスペ…” http://t.co/5kqKz3uXdS
— kukkanen (@kukkanenjp) 2015, 3月 21
ワタクシが思うに当事者としての各種活動ってのは、シッカリとした本業があった上で、副業として初めて成り立つモンなのである。本業がシッカリしてるって事は、社会人としての義務をシッカリ果たしてるという事であり、ソレ即ち「障害を持ちながらも真っ当に社会参加をしている人である」というお墨付きなのである。そのお墨付きがあるからこそ、その人が講演する事に意味が生まれるのである。でも講演の出演料だとか、本の印税だとか、あるいはNPO立ち上げ時に貰える政府の補助金とかで食って行こうと企む”プロ当事者(あるいはプロ当事者志望)”が少なくないのである( ̄~ ̄)
"プロ当事者"とは、"プロ市民"などと同じく当事者性を生業にすることを揶揄した言葉のようです。
プロ市民などと揶揄される以前から、利益を追求しないタイプの団体が成立させ、活動に勢いを与えることは有効とされている前提があるのだから、本業か副業かの問題の前に、その組織の目標が達成された社会が成立したら、別の問題にあたるか解散するか、ニッチを攻めるか。とか。違うかなー
— なぎ (@nagi_schizo) 2015, 3月 21
華麗なるプロ当事者たち
今回、問題提起されていたのは発達障害という分野のプロ当事者ですが、その他の障害の当事者の活動が注目されている例がいくつかあります。
べてるの家(統合失調症など)
古くは、「べてるの家」という北海道にある精神障害者の活動拠点が有名です。浦河という小さな町の作業所やグループホームに、入退院を繰り返す妄想が残っている人も含めて、100人以上の当事者が集っています。
参考:べてるの家とは | べてるの家の情報サイト べてるねっと
「当事者研究」と呼ばれるべてるの家の活動は、沢山の書籍として出版されており、メンバーは他の当事者グループに呼ばれて、全国で講演したり、当事者ミーティングに参加したりして活躍しています。
U2plusの東藤泰宏氏(うつ病)
そして、最近の事例だとU2plusという認知行動療法プログラムが提供されるうつ病の人向けのWebコミュニティがあります。こちらは、自身もうつ病での休職を経験している東藤泰宏氏が仲間と起業したもので、2015年1月に就労支援事業所などを全国展開する大手企業に事業譲渡しています。
このように、本業(障害とは無関係の)を持たず、自分の障害特性をテーマに活動することによって、収入を得ている当事者は沢山います。
当事者性を副業のタネにしたい人
そこで、対立軸として存在するのが冒頭で引用した"シッカリとした本業"がある人達のようです。
「障害を持ちながらも真っ当に社会参加をしている人が講演することに意味がある」というのは、確かにもっともらしいご意見です。
引用したはてなダイアリーの見出しには「本業あっての副業」というタイトルがつけられています。
天邪鬼な私は、副業という単語を見逃しませんでした。Wikipediaでは、副業を以下のように定義しています。
副業(ふくぎょう)は収入を得るために携わる本業以外の仕事を指す。サイドビジネス、兼業ともよばれる。副業は就労形態によって、アルバイト(常用)、日雇い派遣、在宅ビジネス、内職などに分類される。また、収入形態によって給料収入、事業収入、雑収入に分類される。
「"収入を得るために携わる"本業以外の仕事」なのか、「"収入を得るために携わる本業"以外の仕事」なのか、解釈がわかれるところですが、一般的には以下のように収入を得ることを目的とした活動を副業と呼ぶのではないでしょうか?
- 本業の収入の不足分を補ったり、リスク分散のために確保する収益手段
- 本業以外でライフワークとしているもののうち、収入が得られる仕事のこと
そう考えると、当事者性をタネに収入を得ようとしている行為に変わりはなく、その金額の多寡と、個人のバックグラウンドが異なるということになります。
当事者としての情報発信活動と収益化
今、多くの当事者が自分の障害に関する情報をネットで発信しています。
近年、Webを取り巻く技術も成熟し、ブログのようなCMS*2とTwitterやFacebookのようなソーシャルメディアを利用すれば、誰でも簡単に当事者活動を展開することができるようになりました。
そして、これらの個人メディアを収益化する手法として、Google AdSenseのようなクリック報酬型の広告システムや、Amazonアソシエイトのような成功報酬型のアフィリエイトも普及しつつあります。
つい先日、とある当事者ブロガーさんがGoogleの仕様変更で自分のブログの評価が変わることに強い懸念を抱いている様子が目に止まりました。
@kei225 検索は新規記事だけでなく継続的にアクセスが積み重なってくるので非常に重要になってまして・・。一応キーワードでターゲット絞って検索上位狙って記事書いているだけにキツイですわ~。
— なないお (@Nanaio627) 2015, 3月 19
26件のコメント http://t.co/GYEZzrpNM1 “アフィリエイトやブログランキング参加はgoogleガイドライン違反に変わります - うさもふ” http://t.co/s5QxtPX1Wb
— なないお (@Nanaio627) 2015, 3月 19
その方は、発達障害の当事者であるご自分のお子さんに「ブログを収益化する仕組み」を生計を立てる手段の一つとして見せているそうです。
このブログには広告が貼ってあり、徐々にアクセスをいただくようになっておかげさまで少しの収入を得ることが出来るようになりました。
(といってもお小遣い程度の金額ですが^^;)
その仕組みや金額も子供達に見せています。
収入を得るためには色んな道があることを知ってもらうためです。
企業に雇用されない形で、個人がなんらかの営利活動を行う場合、そこには必ずネットスラングでいうところの嫌儲*3という反発が生じます。
特に、マスコミに華々しく取り上げられた成功者達が獲得した印税の額や、事業譲渡で手にしたお金のことが気になる人もいるでしょう。
そして、"当事者性の収益化"という意味で同じ土俵に立つ、その他の本業や副業で当事者活動を行っている人に嫉妬や妬みの感情が生まれるのは自然なことです。
無職の発達障害当事者は成長しないの?
こう言っちゃアレだが、プロ当事者になりたがるヤツの相場は決まってる。本業が無いか、あるいはあってもショボいヤツである。
発達障害のプロ当事者に限らず、精神疾患などで職を失った、あるいは就くことができなかった人が、"自分と同じ病気や障害で苦しんでいる人をサポートする"対人援助職につくことを目標にすることがあります。
これらの人達は、往々にして連続したキャリア形成がなされていないので、一般企業への再就職も難しく、自分の当事者性を活かす可能性がある福祉の世界を目指すことがあります。
そして、ヒューマンスキルが低いことの自覚があるからこそ、精神保健福祉士や臨床心理士といった資格試験で自分の評価を確実なものにしようという傾向があります。
「自分は当事者会の救世主だッ!自分が世の中を正すッ!」とか勘違いするヤツも出てくるのである( ̄~ ̄)が、改めてもう一度言うが、社会性に乏しいニートや引きこもりに世の中なんか変えられないのである。
上記に引用した暴言はあながち間違いではなく、「ピアサポートで同じ精神疾患を持つ人を救いたい」と公言する人ほど、その適性に欠けている場合がままあります。
ニートからの起業
だからといって、現状での能力が低い障害当事者が、社会の中で自分の居場所を探すことはいけないことでしょうか?
U2plusの東藤氏は、こう語っています。
うつの人にWEBで認知行動療法を提供する、という事業計画書を作ってとあるビジネスプランコンテストで優勝し、起業資金を獲得できた。
簡単に言えば「うつ病転じて福となす作戦」が成功して、生きる道をつくれた。
応募したときはニートを脱した先のアルバイトですら、休みすぎて首になりそうで、体調もメンタルもフラフラで、コンテストを主催している会社に打ち合わせに行くのもつらく、おまけに道ばたで意識を失ったりとまあひどい状況だった。
今でこそ、「うつ病からの復帰をICTでサポートする」ことに成功した起業家として有名になった東藤氏ですら、そのプランを思いついた時点ではアルバイトすら満足にこなすことができない状態だったわけです。
発達当事者が生きやすい社会基盤の整備
ワタクシがプロ当事者の登場に反対する一番の理由は何か。その答えは「ブームは何時か必ず終わるモンであり、この発達障害ブームも例外ではないから」である。
ワタクシの予想は「当事者及びその支援者の仕事は、やがて行政の公共サービスや民間企業のサービスに取って代わられる」である。
前者は何処まで行ってもアマチュアだけど、後者はれっきとしたモノホンのプロである上に、インフラもカネもあるからである
上記の指摘はその通りで、発達障害が一過性のブームから、もっと広く世間に受け入れられて、当事者が暮らしやすい社会基盤が構築されれば、アマチュアの当事者会の出番はなくなるかもしれません。
ですが、それこそまさに現在、社会に適応することが難しい当事者が訴える願いでもあります。
当事者として、社会とつながること
私は先日、障害者向けの相談支援事業所というところを訪れました。
そこで面談してくださった相談員の女性は、私と同い年で「自分自身もうつ病で休職したことが福祉の道に進むきっかけとなりました」と自己紹介してくれました。
当事者から対人援助職への転身に成功した方と出会ったのは初めてのことで、口先だけでなく自分の目標を実現している人の存在を知り、勇気が出ました。
ブームが終われば、当事者は元の場所に戻る事になるのである。本業がある人ならば、そのまま本業で食って行けば良いだけの話である。が、当事者活動が本業となったプロ当事者は、当事者活動を失ったら何が残るんだって話である。そう、何も残らんまま、膝抱えて泣いていた場所へ逆戻りするのである。
当事者として何かしたいという思いから始めた活動は、その当人に何も残さないのでしょうか?
前述した相談員さんやU2plusの東藤氏だって、職を失った抑うつ状態のどん底から、その当事者性を主軸にアクションを起こしたからこその現在があるのだと思います。
もちろん、この二人のポテンシャルが高かったことは言うまでもありませんが、人間は誰しも成長する可能性があることを信じたいです。
発達障害は「先天的なハンディキャップ」ではなく、「一生発達しない」のでもありません。
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人は、家庭環境や教育環境など、様々な外的要因に影響を受けながら一生を通して発達していく存在であり、発達障害の人も同様です。
...(略)...
幼い頃には配慮が受けられず困難な環境の中で成長してきた発達障害の人も、周囲からの理解と適切なサポートが得られれば、ライフステージのどの時点にあっても改善への道は見つかるでしょう。
*1:このブロガーに議論を挑む気はさらさらなく、直接記事のリンクを貼ると、相手のブログにピンバック通知が飛ぶようなので、ツイートにしておきます
*2:Content Management Systemの略称で従来型のホームページと比較すると、簡単にHTMLを生成できるシステム
*3:参考:嫌儲 - Wikipedia