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【チュニジア襲撃テロ】
結城さんが手記 朝日記者の怒声に「ショック…」 国際報道部長が謝罪「重く受け止めおわびします」
銃を持った警察が助けに来てくれた時には安心して号泣してしまいました。母を助けるようにお願いしましたが、歩ける人が先と言われ、私は母と別れ救急車へ連れて行かれました。
病院へ着くと、パスポートなどが入ったバッグはとられて、携帯もなくなってしまいました。診察を受け、処置を受けた後、全身麻酔が必要なので移動する、と言われ、また救急車で移動しました。外でも、救急室でも、多くの人がいて写真やビデオを向けられ、とても不快でした。
新しい病院に移ると、すぐに病室へ通され、まず局所麻酔で耳の処置をされました。かなりの痛みがあり、それを伝えると、手と背中の処置はもっと痛いので、全身麻酔でする、と言われました。
その後、部屋に大勢の人々が入ってきました。チュニジアの首相や、政府の方々に、母を見つけてほしいとお願いしました。その後、NHKやニューヨーク・タイムズを名乗る人々も来て質問に答えるように言われました。そうしなくてはならないのだ、と思い答えましたが、何を話したのか正直なところ覚えていません。
日本大使館の方がいらして、日本の家族の連絡先を聞かれましたが、携帯がなかったので実家の固定電話しか分からず、なかなか連絡がつかなかったようです。
夕方になり、母は他の病院で手術を受けていて無事だ、ということが分かり、安心しました。しかし、私も手術が必要だと言われ、手術室へ移動しました。全身麻酔だったので起きたら全て終わっていたのですが、手術前と比べ激しい痛みがあり、お願いして痛み止めを使ってもらいました。しかし、母は全く英語が話せないので、話が通じているのだろうか、痛みはないか、と不安になりました。手術は3時間ほどで、夜10時を過ぎていたようです。