アニデレ10話という非常に複雑な構造物をスパっと割り切るのは私の芸風ではありません。なので雑談をします。
CANDY ISLAND、凸レーション、その構成メンバーは、デビュー以前から本筋において重要な役割を果たすことなく、しかし出番は常にちょこちょことあって、何かをしていた子たちです。杏がどういう子であるか、みりあ&莉嘉がどういう子であるか、デビュー前から私達は一応の認識を持っています。それらのちょっとした描写の積み重ねは9話と10話において、欠くことのできない要素となっていました。何も知らずに9話の杏を見た人は、1話から見続けて来た人と同じ驚きを味わうことは出来ないでしょう。
シンデレラガールズというソシャゲにおいて、三村かな子というアイドルが、他の子に対してどういう態度を取るのか、これまでは想像の域を出なかった。それが8話まで毎日のようにお菓子を持ってきたり、5話でみくにゃんがストライキをした時には息を切らせながら走って知らせに行ったり、そういう彼女を見てきた人なら、9話でリーダー然として杏と智絵里を引っ張っている彼女の姿には違和感を持たないでしょう。でも、ソシャゲしか知らない人は、かな子がリーダーと聞くと疑問に思うんじゃないでしょうか。
すなわち「本筋に絡まないごちゃごちゃ」は、何ひとつ無駄にできないもので、9話、10話つまりは彼女達がデビューするためには必要な道程であったということ。
美しいなあと思うのは、時計に支配されたアニデレのシリーズ構成において、先にデビューしたラブライカ、ニュージェネレーションズ、後からデビューしたCANDY ISLAND、凸レーションに、それぞれ、そうなるのが正しい順序、正しい時間の使い方であると、思えることです。
ラブライカには、何の積み上げもない真っ白な状態でデビューすることの不安と、それを支えるのは、どうしたいかという自分の目標をしっかり持つことだということが表現された。
ニュージェネレージョンズでは、ひょんなことからバタバタと早い時期にデビューすることになったがために見逃されていたもの、大事なものをすっ飛ばして先へ進んでしまったために起きる混乱が描かれた。
そして8話の蘭子回が、それまでにPとアイドル達が積み上げて来たものの集大成であったことは、多くの認めるところではないでしょうか。
早いデビューには早い理由、遅いデビューには遅い理由がある。そう思えるというのは凄いこと、じゃないかな。
アニデレの1話について記事を書いたとき、実はあれには後半があって、そこでは中野有香について書くつもりだった。島村さんは報われたけれども、それは実は例外であって、依然として不人気で不遇なキャラはいるよと続けるつもりだったんだけど、まあ、アニメの話とは関係ないし、中野ちゃん知らん人には難しいだろうと思って、没にした。
ゆかゆかのりこが喋りながら画面横切った時には指差して声出して笑った。夢かと思った。
アニデレ分割2クールなら、1期はこのままCuで新規に声つくアイドルはいないことにいなるんだろうかと、言った人がいた。その矢先だった。
話し戻すと10話は凄く複雑なんだけど、1番印象的だったのは、いったい、この組み合わせで、みりあちゃんをどう描くんだろうか、正統派というか、つまり普通の子である彼女は、もちろんエネルギッシュで魅力的な子ではあるけど、莉嘉ときらりの前では霞んでしまうだろうと。そのみりあちゃんにしか出来ないこと、莉嘉もきらりも落ち込んだときにそれを吹き飛ばす役目が与えられたのが彼女だったということを、心の底から凄いと思った。それはただ困難を打開したってことではない。10話では城ヶ崎姉妹はいいとこなくて混乱の元になっていた。きらりも自分の行動を悔いることになった。パッションは考えなしだからダメだ、という結論になってしまいそうだった。それはPが許したことでもあったので、彼も同罪だった。本来なら、皆が謝って終わりと言う、実際にそういうラストではあったけれども。でも、やはりというか、パッションはだめだ、自由にやらせたらだめだ、で終るわけにはいかない。事態を好転させたみりあちゃんの機転こそ、パッションそのものであること。彼女は汚名を返上したのである。だからPも姉妹もきらりも、誰も悪くないのだ。
失敗はしたけれども、目立たない子もいるけれども、なかなか登場できない子もいるけれども、でも、それで終わりじゃないんだと。
そう思えるって事が凄いなと。
CANDY ISLAND、凸レーション、その構成メンバーは、デビュー以前から本筋において重要な役割を果たすことなく、しかし出番は常にちょこちょことあって、何かをしていた子たちです。杏がどういう子であるか、みりあ&莉嘉がどういう子であるか、デビュー前から私達は一応の認識を持っています。それらのちょっとした描写の積み重ねは9話と10話において、欠くことのできない要素となっていました。何も知らずに9話の杏を見た人は、1話から見続けて来た人と同じ驚きを味わうことは出来ないでしょう。
シンデレラガールズというソシャゲにおいて、三村かな子というアイドルが、他の子に対してどういう態度を取るのか、これまでは想像の域を出なかった。それが8話まで毎日のようにお菓子を持ってきたり、5話でみくにゃんがストライキをした時には息を切らせながら走って知らせに行ったり、そういう彼女を見てきた人なら、9話でリーダー然として杏と智絵里を引っ張っている彼女の姿には違和感を持たないでしょう。でも、ソシャゲしか知らない人は、かな子がリーダーと聞くと疑問に思うんじゃないでしょうか。
すなわち「本筋に絡まないごちゃごちゃ」は、何ひとつ無駄にできないもので、9話、10話つまりは彼女達がデビューするためには必要な道程であったということ。
美しいなあと思うのは、時計に支配されたアニデレのシリーズ構成において、先にデビューしたラブライカ、ニュージェネレーションズ、後からデビューしたCANDY ISLAND、凸レーションに、それぞれ、そうなるのが正しい順序、正しい時間の使い方であると、思えることです。
ラブライカには、何の積み上げもない真っ白な状態でデビューすることの不安と、それを支えるのは、どうしたいかという自分の目標をしっかり持つことだということが表現された。
ニュージェネレージョンズでは、ひょんなことからバタバタと早い時期にデビューすることになったがために見逃されていたもの、大事なものをすっ飛ばして先へ進んでしまったために起きる混乱が描かれた。
そして8話の蘭子回が、それまでにPとアイドル達が積み上げて来たものの集大成であったことは、多くの認めるところではないでしょうか。
早いデビューには早い理由、遅いデビューには遅い理由がある。そう思えるというのは凄いこと、じゃないかな。
アニデレの1話について記事を書いたとき、実はあれには後半があって、そこでは中野有香について書くつもりだった。島村さんは報われたけれども、それは実は例外であって、依然として不人気で不遇なキャラはいるよと続けるつもりだったんだけど、まあ、アニメの話とは関係ないし、中野ちゃん知らん人には難しいだろうと思って、没にした。
ゆかゆかのりこが喋りながら画面横切った時には指差して声出して笑った。夢かと思った。
アニデレ分割2クールなら、1期はこのままCuで新規に声つくアイドルはいないことにいなるんだろうかと、言った人がいた。その矢先だった。
話し戻すと10話は凄く複雑なんだけど、1番印象的だったのは、いったい、この組み合わせで、みりあちゃんをどう描くんだろうか、正統派というか、つまり普通の子である彼女は、もちろんエネルギッシュで魅力的な子ではあるけど、莉嘉ときらりの前では霞んでしまうだろうと。そのみりあちゃんにしか出来ないこと、莉嘉もきらりも落ち込んだときにそれを吹き飛ばす役目が与えられたのが彼女だったということを、心の底から凄いと思った。それはただ困難を打開したってことではない。10話では城ヶ崎姉妹はいいとこなくて混乱の元になっていた。きらりも自分の行動を悔いることになった。パッションは考えなしだからダメだ、という結論になってしまいそうだった。それはPが許したことでもあったので、彼も同罪だった。本来なら、皆が謝って終わりと言う、実際にそういうラストではあったけれども。でも、やはりというか、パッションはだめだ、自由にやらせたらだめだ、で終るわけにはいかない。事態を好転させたみりあちゃんの機転こそ、パッションそのものであること。彼女は汚名を返上したのである。だからPも姉妹もきらりも、誰も悪くないのだ。
失敗はしたけれども、目立たない子もいるけれども、なかなか登場できない子もいるけれども、でも、それで終わりじゃないんだと。
そう思えるって事が凄いなと。