現代は良くも悪くも真面目な社会になったと思う。
大多数が害悪だとか・言葉にならない嫌悪感を感じたら、それに対して容赦しない。
ターゲットが降伏するまで攻撃を止めない。よしんば降伏したとしても、謝罪の言葉が気に食わなければ更に攻撃はエスカレートする。
テレビ
とある有名タレントのブログが炎上していた。とあるバラエティ番組での彼女の態度が、視聴者の想定していなかったものだったらしい。
このニュースを見たとき、「怒ってる人たちはなんて真面目なんだろう」と思った。
きっと彼らは「この番組が面白くなるにはこうあるべき」を熟知しているんだろう。
だから、それに至るプロセスを邪魔するものにイラッとしてしまう。
「 自分だけドロップアウトしてお金を毟り取るなんて何事だ!
(番組的には最後まで必死に逃げ続けるのが面白いんだろ!) 」
TV業界の人間以上に番組のことを考えている。
「タレントの行動は自分の意志であり、賞金も本当に貰えている」ということから疑ってみる真面目さも必要かもしれない。
アニメ
別の場所に目をやってみると、真面目はアニメにまで侵食してしまっている。
とある男性の喫煙シーンが修正されて見えなくなっている。本人が未成年だかららしい。
鍛えた拳と特殊能力で悪をなぎ倒すブラックヒーローであり、風貌も男らしい。
きっと憧れる少年も多いことだろう。だからだろうか、
「あの青年に憧れてタバコを吸い始める未成年」が増えることを心配しているんだろう。
本当に真面目だ。フィクション作品が現実に与える影響を心から信じている。
真面目な人にとっては、知識不足は見過ごせない。
弓矢の構え、トランペットの吹き方、包丁さばき、細かい部分を見過ごせない。
「おかしくね?」と思う視聴者が火をつけ
「昔やってた私からしてもおかしい」という経験者が便乗し、
「本来のスタイルはこう。だから合ってる」という専門家がしのぎを削る。
真面目すぎないか、誰も気にしなければ、誰も不幸にならないというのに。
そんなにパーフェクトがお好き?
各々が持っている「自分の中の完璧」を目指すのは構わない。
完璧を求めるのは、自分の成長にとっても大切なことだと思う。
ただ、現代はそうじゃない。「自分の中の完璧」がパワーを持つようになった。
ネットによって、「自分の中の完璧」が集まって「集団の中の完璧」に変わった。
力を持った完璧は意志を持ってターゲットをつぶしにかかる。こうなると周りが見えなくなって、自分のやっていることが真っ当なことだと思ってしまう。
他人にまで完璧を求める社会は真面目すぎる。
ミスもできない、油断もできない、常に周りを意識しないといけない。
そんなの疲れるだけじゃないか。 松田さんの言葉が耳に染みる。
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