一週間ほど前、びっくりドンキーで昼休憩をしていたのだが、引きこもりニートについて語る疲れ顔のオバサン集団がいた。
「働きもしないぼんずの未来は、親不孝するか、税金掠め取って生き延びるかのどちらかでしょう? ダサイわねぇ」
細かな部分まで覚えてはいないが、見下すばかりであった。
だらしない。すねかじり。穀潰し。
これに類する言葉を、連れ合いの主婦友と思われるオバサンたちにぶつけて、心の底から充実したような顔をしていた。
「事件起こす人たちって大抵、家にずっとこもってる人よねぇ~~」
「教育がなってないというか、意思が弱いというか、親もそうだけど近所の人もいい迷惑よ」
「アニメやゲームばかりの毎日だから、脳の大切な部分が一つ一つ潰れていってるんじゃないかしら」
話せば話すほどに、言葉に含まれた毒が増え、聞いているだけでも身動き出来なくなるような内容だった。
自分たちの人生を相対的に見て悪くないと思う為に、自分よりも下の身分の者を貶しているのだろう。
「わたしの若い頃なんて、ちょっとした休みがあるだけで体がムズムズしてきたけどね?」
「そうよそうよぉ~。一生懸命労働するのって幸せな事なのに、逃げるなんて情けないし恥ずかしいし可哀想よ」
「パソコン世代はロクなのいないわね。幸せになる為に機械があるのに、手段と目的を履き違えて、朝からポチポチいじくり回すもんだから、不眠症になったり犯罪予告したりして不幸せになっちゃってるんだもんね」
あまりに悪意が籠もっていて、チーズハンバーグの味が薄く感じられた。
なにより腹が立ったのは、「まーまー。気にしないのが一番でしょ。どうせ困るのあの人達なんだから。せいぜい転がれるだけ転がり落ちてくださ~~~い。うっふふふふ」と高笑いしていた瞬間だ。
こうしたセリフってのは、「車に轢かれてくれないかな?」「怖い人に埋められちゃえば良いのに」「崖の上で足滑りなー」と罵倒しているのと同然である。
社会的に落下するのは、骨が折れたり、血を吐いたり、歯が溶けたりするのとなんら変わりのない激痛を伴うものだ。
なのに、オバサン達は冷酷なる発言に気づいていない。
その割には、重大事件があると、「ほんっと暴力は最低よ。人間として生活していてはいけない存在よね」と立腹する。
前科もなく、反抗期でもない引きこもりニートに対して、あれだけ複数人でこきおろしておいて、よくそんな発言が出来るなと関心してしまう程だ。
今や引きこもりニートは、ロングヒットのサンドバッグのようになっている。
多分これから何年、何十年もの間、憂さ晴らしの道具として扱われてしまうだろう。
ここまででも十分に腸が煮えくり返ったのだが、オバサン達がパフェをおかわりしていたのを見て、椅子を持ち上げて振り回したくなった。
ふがふが鼻息を出しながら、生クリームで口元を汚し、「それにしても今の若者って自制心がないわよねぇ」と自分を棚に上げる。
しかも、ナプキンを床に落としているのに拾いもせず、目を三角にして踊るようにケラケラと笑い出す。
ウェイターが、「お水注いでもよろしいですか?」と質問しているのに、「鬱陶しいわねぇ」とでも言いたげな顔をして頷きもしない。
このオバサン達が、もしも若者であったなら、きっとどこに行っても通用しないんだろうなと思った。
時代が味方してくれて、他人を腐すだけの毎日を過ごしていても、誰にも文句を言われないオバサン達は人類の歴史の勝者なのかもしれない。
そう考えると、腹の虫が治まらなくなってくる。
オバサン達は、フリーターや派遣社員、新型ウツについても言及していた。
「不安定な働き方の若者も、もう少しここ(頭)を使えないのかねぇ? 人手不足なんだから介護でも建設でもやればいいじゃないの。文句だけは一人前なもんだから、女性にも相手にされないわけよねぇ。ぐあははは」
「どーせ、じぶんが大好きちゃんばかりなんだろーねー。思いやりとか欠如してるのよ」
「ガールフレンドの作り方が分からない子供達が増えているともニュースキャスターが言っていたわ。自分しか見てないからそうなるのよねぇ。誰かの為とか、これを言ったら傷つくなとか、そーした人間の大切な感情がないのよきっと」
「サイコパスだったかしら? やっちゃいけない事とか、後々うける罰を想像出来ない人が一定数いるとも聞いたわー。やっぱり、引きこもりニートは例外なく隔離しなきゃじゃなーい? 隣近所にそんな変人いたら気持ち悪いもの」
「生まれつき社会不適合なのね。新型ウツってのも流行ってるらしいのよ。ウツとか無気力症候群とか、若者が逃亡出来る言葉が増えちゃったから、忍耐力のないダメ男はみんな精神疾患になっちゃうみたいだわぁ~~。寝てても文句を言われない称号を得られるなんて、ラッキーな世代よねぇ。まぁ、わたしなら自己嫌悪で吐き続けちゃうと思うけど」
「新型ウツって、遊ぶ時だけ元気になるんでしょー? そんなのありにしたら、全ての人がウツになるじゃなぁ~い。みんな辛いんだから。ふふふ。でも、こんな意見したら猛バッシングされちゃうわね。仕事もせず遊んで、注意もされないなんてとんだ強者ね。同じ人間として恥ずかしいわ」
オバサン達の意見の中には、多少なりとも頷ける部分はあるが、時代や環境の状況を一切考慮せずに一刀両断しているから、愚かであるし胸くそ悪い。
使命感を持って引きこもってる人だっているのに、あんまりじゃないか?
人手不足がうんたら言ってるけれど、やりがいを持って遊ぶように働けるマーケティング部門だとか、人事に口出せるような役員への出世コースが閉ざされた仕事にしかつけなければ、働く意欲が沸きにくいものだ。
「好みの仕事につかなきゃ頑張れないなんて奴は、どこに行ったって頑張れないよ」
こんな説教をする人って結構な割合でいると思うが、経験則から言えばそれは間違っていると思う。
僕は18~27歳の今までに、100社以上で働いた。
その内、3年ぐらいは引きこもりニートであった。
どこで働いても、「なんかやる気しないな」「他人より利益出してるのに、同じように分配されるならやらない」などと言った不平不満で脳内が満たされ、次々と辞めた。
唯一続いたのはある営業会社で、そこは一年以上勤務した。
なぜ長期的に働けたかと言うと、数十人の部下を持てるマネージャーポジションであったし、指導方法から休憩時間まで大きな自己裁量権を持って一日を過ごせたからだ。
そこも別会社に吸収合併だかされて、命令されるだけの日々が到来した為、警報ベルがなり響いた時の強盗のような速度で逃げた。
そして、現在は父親の経営する会社で働いている。
働き方も、勤務時間も、使用するPCも、休憩も全て自分で決められる。
だから、お客さんの電話が立て続けに入ったり、目が痛くなるほど書類とか数字のチェックをしていても辛みは一つも感じない。
自主的に土日も出社する事もあり、これは今までの仕事生活では考えられない変化である。
結局の所、人間が本気で働く為には、自分の好きな事か、自分が主体性を持って働けるか、自分の働きに対して感謝と利益がそのまま返ってくるかのどれかが必要なのだ。
一度、履歴書に空白を作ってしまうと、そうした人間の持つ欲求と適合する会社に所属する事は難しくなる。
であるから、僕はハッキリ言って、嫌だなと思ったら一生働かなくても良いと思う。
生まれつき持った能力、育った環境、キッカケに出会えるかどうか、これらは綺麗事抜きに言えば運だからだ。
もちろん、僕のように親とかコネに恵まれている場合は、自らに対して運がどうこう口にしてはならない。
しかし、他人に対しては運が左右していると考え、寛大に接するべきだ。
成功者がよく、「社会貢献を考えなさい」とこれからの人にアドバイスしているが、それを実践するのは一部だけで良いと思う。
社会に働きかけるだけの資質と幸運は、全ての人々が手に入れられるものではないからだ。
「働きたくないから働けない」
こう吐き散らす無職に、「理由になってないじゃないか」と反論する人はいるが、そんなのは気にしなくて良い。
真剣に働ける、取締役から認められる、管理監督者の地位にいる。
この時点で奇跡の状態なのだ。
恵まれて恵まれて恵まれ過ぎているからこそ、「働いている自分」が存在していると言う事実を忘れてはならない。
他人に対して、「働かないのは悪だ」とか、「新型ウツ病なんて、楽したい嘘つきの装備品だろ?」と思うのは、天狗の鼻が伸びすぎている証拠だ。
僕はずっと、芸能人や政治家を恨み続けていた。
生まれた瞬間から、こいつらが自分よりも遙か上にいて不公平だと思ったからだ。
だったら、「働く必要はない」って幼稚園児の時には既に思っていた。
だから、クラスでやるサッカーも、オモチャのお片付けもやらずに、先生の後ろで見学をする毎日を送り続けた。
この頃の父親は、高所得ではあったが、サラリーマンだった。
その為、「なんでこんな悪魔の世界に生まれてしまったのだろうか?」と考え出す。
自分が大人になったら就職活動をしなくてはいけないのか……。
考えれば考えるほどに、努力がバカらしくなった。
宿題も提出しなくなり、みんなが喜ぶプールにも入らなくなり、ファミコンとスキーばかりやって過ごした。
この前、『モテる男子高校生が心底嫌いだ。大人になってからの恋愛は、「禿げてからオシャレ」と同じ。もう遅い。 - ピピピピピがブログを書きますよ。』と言う記事に下記のコメントが書き込まれた。
すごい長文ですね。
なんか貴方の考え方って、全てを他人のせいにしていますね。偏りも凄いし。
自分は、モテたかったので話題、勉学、容姿、言葉使い、
彼女達がどういう時にどう思うのか…etc.研究しました。
貴方はそこまでしてますか?
全てを他人のせい。
ドンピシャな意見をくれたなと思った。
僕は、幼少期から人のせいにして生きてきた。
一時期、死んでもゴミ拾いをしないと決めていた事があった。
なぜか。それは、清掃活動をする事によってテレビの出演者に褒められているボランティア団体を目にしたからだ。
「同じ行為をしているのに、評価の変わる世界なんだな。僕がバナナの皮を二つ拾ったのに、あの人達はドングリ一つで賞賛されている。なら、僕は拾わないから全部拾ってくださいよ」
こんな風に思ってしまったのだ。
僕はきっと屈折しながら生まれてきた。
こんな性格だからこそ、働きたくない理由が強烈にあるのであれば、働く必要なんて全くないと思うのだ。
朝から晩までボケっとしていました。良いんじゃないか?
朝から晩まで親の金でネトゲ課金していました。良いんじゃないか?
朝から晩まで犬と遊んで疲れたので寝ていました。良いんじゃないか?
こんな風に言ってあげたくなる。
意志ではなく、立場によって人は形作られていくのだ
だから、全て親のおかげで頑張れるようになった僕は、ゴミ拾いをするようになった。
僕も将来、何らかのトラブルに巻き込まれて会社も仲間も失った場合は、働かず、一日中はてなブログをやり続けると思う。
いつだったか、「やりがい搾取」って言葉が流行っていた。
けれど、それって搾取される環境が多いのではなくて、やりがいを持てるポジションが限られているって事なんだろうね。
僕は昔、「企業ってのはろくでもない。経営者なんて利己主義の塊だろ?」と思い込んでいた。
でも、父親と共に多くの企業のトップや役員連中の話を聞いていると、どうもそうではない事がわかった。
ほとんどの経営者は、「なんとか利益を上げて、みんなに還元してあげたい」と思っている。
愛情があっても、無い袖は振れない。
つまり、みんな誰かの為に何かしてあげたいと思う心は持っている。
だけど、実際にその想いを実現させるエネルギーもあるかと言えば別問題なのだ。
資本主義であり、競争原理が働いている以上、勝ち上がって儲ける事が社会貢献なのだから、ある程度働け! 働け! となるのも致し方ない。
企業も、個人もみんな精一杯やってる。
働くのも良い。働かないのも良い。
恵まれた人は社会貢献出来る程に働けば良いし、恵まれなかった人は寿命が来るまで寝転がっていれば良い。
いつか、どうにかならなくなったら、どうにかならなくなってから考えるのだ
僕は根本的には働きたくない。
けれど、恵まれた今だけは働ける。
今だけなんだ。
きっと、すべてを失ったら働けない。
僕は働きたくないんだ。
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