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アニメーターが紙と鉛筆を捨てるとき: ACTFが予見するペーパーレス、そして「波乱」の兆し

 
 
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TEXT BY ASSAwSSIN

当日最も会場をどよめかせたのが、このシンガポール発のアニメーション制作ソフト「CACANi」。自動で中割りを生成(つまり最初と最後を描いておくと、その中間の動きをソフトが自動で描く)する機能は、アニメ制作をエンハンスする魔法のツールなのか、それともアニメーターの仕事を奪う魔のツールなのか。

ACTFは波乱で幕を閉じた

和やかに進んだクリエイターの発表に続き、メーカー各社のプレゼンテーションが始まると、会場内で溜息が聞こえるようになった。それぞれのツールが謳うデジタルの可能性は圧倒的で、そのクリエイティヴィティには誰もが目を見張る。一方「業界全体が一斉に、同じツールを、同じスタイルで使うように乗り替える」といった方針をとることは不可能にも思えてくる。似たような機能を実装するソフトウェアがたくさん競合している上に、それぞれが、デファクトスタンダードというにはほど遠いからだ。

ぼくとしては「RETAS STUDIO」や「CLIP STUDIO PAINT」を抱える国産大手のセルシスこそ本命──と推したいところだが、英語圏で普及しているカナダ生まれの「Toon Boom Harmony」やフランス産の「TVPaint Animation」も魅力的で、それぞれが日本語対応を押し進め、日本市場への参入に強い意欲を示している。さらにいえば(イヴェントには不参加の)世界的ビッグネームであるAdobeは、月額数千円という格安のクラウド型サーヴィスをいちはやく提供、神風動画のみならずぼくのようなフリーランサーに対してもPhotoshopやAfterEffectsの存在意義を強めている。百花繚乱、まさしく「カオス」と呼ぶにふさわしい。

混乱する聴衆の前に登壇したシンガポールのCACANiに至っては、作画の一部をコンピューターに肩代わりさせて絵を「自動生成」するという、デジタル作画の範疇を超えた機能を披露。ここで遂に、ダムが決壊したようなどよめきがわき起こった。聴衆は期待よりも、仕事を奪われるかもしれないという不安を煽られたに違いない。

無論、CACANiの開発マネジャーは「このデモリールは習熟しないアニメーターがツールの助けによってつくり上げた」と説明し、「このツールは良質なアニメーターから仕事を奪うものではない」と言い添えている。けれど、そういった細かな勝手については(短時間のプレゼンテーションでは)聴衆に伝わりきる筈もない。

そんなわけで、ラストの質疑応答では「アニメーションそのものが面白くなる、という発表はなかったと感じる。生産性は上がるかもしれないが、現場の人間は新しいことを覚えて対応しなければならず、負担は増える一方だ」といった辛辣な、悲鳴に近い意見も飛んだ。そう発言せざるをえない空気が、会場内に高まってしまっていた。気持ちはわかる。痛いほどわかる。

けれど、そうやって後ろ向きに捉まえていては損だ。仮にもクリエイターならば、いつだって「作品の面白さは手段に依存しない」とわきまえるべきである。紙と鉛筆とカット袋を使ってきた結果、面白い作品ばかりではなく、つまらない作品も次々と生み出されてきたのは疑いようのない事実。デジタル作画が台頭したところで、本質が変わるとは到底思えない。

むしろ心配されるのは、波に乗り損ねてどこかの制作会社が潰れ、その会社とコネクションを深めていたせいで食いっぱぐれてしまうクリエイターの行く末だ。「とにかく孤立してはいけないと思う」という、JAniCA・森田宏幸の発言に本質は集約されている。

その点でメーカーと業界団体の責任は重い。カオスであっては困るのだ。「ツール同士のファイルフォーマットが(ベクターデータのレベルで)互換性をもてば、導入のストレスはかなり軽減される」という、りょーちもの意見にも深く納得させられる。

ここで少し個人的な体験を話そう。ぼくはいまでこそCGアニメ作家(少しは手描きもする)を名乗っているが、かつてはプログラマーで、パナソニックの一員としてDVDフォーマットの国際統一規格に関与した。

その経験からいえば、ユーザー個人の嗜好は事の大勢に寄与しない。結局はメーカーとハリウッド大手スタジオの密約が大勢を定め、それが国際的な統一規格に育っていったとみて間違いない。だから「DVDプレーヤー」の普及には混乱が生じなかった。と同時に、ハリウッドが主導しなかったせいでフォーマットが乱立した「DVDレコーダー」の市場は、DVD-RAMだのDVD-RだのDVD+RだのDVD±RWだのと互換性のないディスクが飛び交い、エンドユーザーからすれば噴飯ものの出来映えで、メーカーも傷だらけになった。

反省の下に生まれたブルーレイではソニーとパナソニックが手を組み、結果としてDVD系記録フォーマットは(互換性の高いDVD-Rを残し)ほとんどが死に絶えた。跡形もない。無残である。いまとなってはVHSテープのほうがよっぽどニーズがある。

そうならないためにも、ACTFは今後クリエイターの意見を集約しつつメーカー間の調整役として機能し、「デファクトスタンダードとなるワークフロー、あるいはファイルフォーマットの標準化」を牽引していくべきだろう。「アニメはもう紙と鉛筆のエコシステムをもっているのだから、それを壊すつもりなら、壊す側が相応の苦労を担うべき」に思う。

ここでいう「壊す側」にはアニメを観るだけのエンドユーザーも含まれている。本当にテレビや映画は、これからもっともっと高画質になっていくのか──なっていく「べき」なのか?

4Kや8Kを目指す技術動向はアニメーターに最初からベクターデータで描くことを強いる。つまり紙と鉛筆からペンタブレットへの移行は、個別メーカーの意図を超えて、世界的な「うねり」を受けとめたものだ。そういう意味においてもACTFは業界の巨人Adobeとコトを構えるべきに思うし、今後の展開について大いに期待したい。来年こそは悲鳴ではなく、暖かい拍手で終わってほしいと──ペンタブレット愛好家の立場から、切に願っている。

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液晶ペンタブレットと高度な支援ツールを積極的に使いこなすアニメ後進国たちによって、紙と鉛筆から脱却できない日本の手描きアニメが量のみならず質でも追い抜かれてしまう…そんな悪夢を見ないためにも(クリエイティヴィティで優位な、そして懐が温かいうちに)ワークフローの構造改革に着手すべきではないだろうか?

 
 
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