「もし、あなたが今、いじめられていたら、とにかく逃げなさい」
ネットで拡散する2006年に書かれた文章
逃げる前に「遺書」を書き、台所に置いて、学校に行かず、一日中、ブラブラして、大人達に心配をかけて、「死に切れなかった」と言って戻ってきなさい。それでもダメなら、学校宛てに、あなたをいじめている人の名前書いて送って、そして、その学校から逃げなさい。大人だって、会社が嫌なら逃げているのです。逃げることは恥ずかしいことではありません。逃げて逃げて、逃げ続けるのです。
大丈夫。この世界はあなたが思うよりはるかに広いのです。どこかの山にも南の島にも、あなたが生き延びられる場所はあるのです。とにかく逃げなさい――
を読む。
全面的に賛成である。
いやだったら逃げちゃえばいいのに。
けっこう難しいんだけどさ、とはいえ逃げるって。
親に言わなきゃいけないし先生に言わなきゃいけないし心労はすごいけど、
でももっと大事なことあるでしょう。
その面と向かって戦うとかいうよりかは簡単な気がするよ
自分の生命を消耗させてくる人の顔をみる必要はない。
そんなクズと会ってしまった自分は運が悪かっただけだ。
前から全裸でひょっとこのお面かぶって踊り狂うソマリア人が来たら逃げるでしょう
それと同じだと思ってほしいなあ。
嫌な人とかかわる必要なんて学生の時代はないんだよ(社会人はある程度仕方ないかもしれないけど)
それに気づくのって難しいし、それを認めるのも難しい。
嫌なことに耐えることが美徳みたいにされてるのもほんとに良くない。
その人さえいなければ自分は問題ないのに、自分のしたいことを伸び伸びとできるのに、
どうしてそいつらがいる環境にわざわざいなきゃいけないの。
自分が行かなきゃいけないところに強い恐怖や強い不快感を感じてまで行く必要あるのかな。
やられたらやりかえすとか考えなくていいから、そいつらのいないところにいけばいいのに。
あなたをいじめない人がいるところなんてどこにだってあるのに。
自分の感情とか感覚を鈍らせてまでそんな経験をする必要はないのに。
いじめ乗り越えたからって別に強くなるって保障はないんだからさ。
嫌な思い出は短いほうがいいですよ。
私も中学校2年生のとき一部の女の子からさんざん悪く言われたしさんざん卑猥な噂流された。
ぜんっぜん知らない先輩から「どのAV出てるの」「AV見せてよ」って毎日いわれた
出てるわけねーじゃん●ね
言ってる女の子たちはどう考えても私よりずっとブスでずっと頭が悪かったし、
あんまりしゃべったこともなかったからよくわかんなかった。なんだったんだろうあれは。
でも私の場合は運よく味方してくれる子もほんとに多くて、わりと落ち着いた3年間だった。
まあそれにしてもすごく不快だったよね。あんな経験しないほうが良かった。
久しぶりに思い出したけど今でも原辰徳だわ。ハーッ。
どのツラ下げてFB申請してくんのかしらないけど一応スパム報告しておいたぜ。
よくわからないが、向き合って戦えという人は何かしら自分の過去に基づいた成功体験があるのだろうか。
戦えというのであれば武術で黒帯とってぼこぼこにするくらいまで準備が整ってからにしたほうがいいと思うんですよね。
つねに私が思っているのは長い目で見てその人の幸福に貢献するのであればいいんじゃない、という話である。
基本的に子どもたちにはみんな幸せな人生を歩んでほしいし、そのために何かできたらよいという気持ちや意欲は十分にあるから先生には向いてると信じたい。
でも大学4年間のうちほんとに心から先生になりたいと思ってたのは最後の一年くらいだったと思う
それまでへらへら(もちろんダメ元だが)アナウンサーかラジオ作る人になりたがってて、
だめなら教員でいいかあ、くらいにしか考えてなかった。
それが変わったきっかけは複数あれど大きい2つを挙げておく。
ひとつめ。
大学3年生のときの授業。
過去の私のレポートより引用。
"最後に、教職全体を通じて最も印象深かったのが「学校カリキュラム論」の授業であったことに言及したい。
その授業で私は、教師にしかできないことが何であるか、教師にどれほどの価値がある仕事かを感じ、迷っていた教員への志望を決めた。
「生徒一人一人を知り、そして一人ひとりに対しかれらが最も成長できる期を見極め、もっとも適切な学びの選択肢や環境を提示してあげること、それができるのは、そしてすべきであるのが教員という存在である。
知識の教授は塾や予備校でも、また極端にいえば独学でも補うことは可能である。
しかし、家庭や他のコミュニティでみせることのない、学校という現場でのみ生徒が見せる人間を、
感じ取り、認識し、その成長に貢献できるのは教員の仕事でしかない。」
そのように記憶している。この授業をきっかけに、人を育てることにどれほど価値があると思えるか、子どもに可能性を見出そうとする意欲があるかということを、大きな教師としての適性と考えるようになった。"
もちろん授業にもコンテクストがあるので、これだけじゃ何だかよく伝わらないのだけれど、
それまで進学校でしか教えたくなかった、大学進学実績伸ばすがための指導じゃなきゃ意味がないとおもっていた私が中等教育の存在意義にはじめて気づかされたのだ。
おおおおおお私は人を幸せにする使命があるのではないかと思ってしまった。
もう思ってしまったらそこで負けである。私は先生になろうとかたく決め、最終選考まで(なぜか)残った●梨放送の最終面接をバックれた。
この先生は私が大学で出会った、心から敬愛と尊敬のまなざしをおく4人の先生のうちの1人である。
というか今読み返すとわたし最後の教職のレポートほんと良いこと書いてあるな。えらい。
ふたつめ。
教育実習。
生徒かわいすぎ。一日目からほんとかわいくて仕方がなくてこの子たちのためなら何でもできると思った。
毎日顔みるのが、話すのが、その子たちのことを知るのが楽しくて、
あのときは二週間だけだったけど本当にこの子たちがどうか幸せな人生を歩んでほしいと思った。
それと同時に、私は先生になれるのだなと思った。
そういうふうに決めてからも、一度学校に入ったらずっと先生だし学校出て学校に入って
学校のことしか知らないのはどうなのかな〜とか教員になる前に社会人としての経験を積んだほうがいいのかな〜とかぼんやり考えていたのだけれど
「だからその数年企業で働いた経験が学校でなんの役に立つのか俺には分からん。
マナー?スキル?それはそこでしか身につかないもの?
少しでも早く学校に入って教員としての経験を積んだ方がいいに決まってんじゃん」
そうだね。たしかにね。成程。納得!
私がもしラジオ局で働いたからといってそこで身につけたスキル(よくわからない)が
学校の先生をやっていくうえで何のプラスになるのかしら。
けっきょくゼロからのスタートなんだよねまったく違う仕事なんだもん。
単なる「経験」であってそれは別に何にもならない。
おおお、現役教員のいう言葉は強い。
帰ったらすぐ同級生で教員やってる友だちに会っていっぱい話ききたいな!
大変なこともあるけど、毎日ドラマみたいでほんとう楽しいよって。
みんな口を揃えていう。
ひいいいいい早く先生になりたいよおおおおおおおおおおおお!!!!!!
いろんな価値観はあるけど幸福になるための努力は怠ってはいけないですね(図書館にいこう。痩せよう。)
ネットで拡散する2006年に書かれた文章
逃げる前に「遺書」を書き、台所に置いて、学校に行かず、一日中、ブラブラして、大人達に心配をかけて、「死に切れなかった」と言って戻ってきなさい。それでもダメなら、学校宛てに、あなたをいじめている人の名前書いて送って、そして、その学校から逃げなさい。大人だって、会社が嫌なら逃げているのです。逃げることは恥ずかしいことではありません。逃げて逃げて、逃げ続けるのです。
大丈夫。この世界はあなたが思うよりはるかに広いのです。どこかの山にも南の島にも、あなたが生き延びられる場所はあるのです。とにかく逃げなさい――
を読む。
全面的に賛成である。
いやだったら逃げちゃえばいいのに。
けっこう難しいんだけどさ、とはいえ逃げるって。
親に言わなきゃいけないし先生に言わなきゃいけないし心労はすごいけど、
でももっと大事なことあるでしょう。
その面と向かって戦うとかいうよりかは簡単な気がするよ
自分の生命を消耗させてくる人の顔をみる必要はない。
そんなクズと会ってしまった自分は運が悪かっただけだ。
前から全裸でひょっとこのお面かぶって踊り狂うソマリア人が来たら逃げるでしょう
それと同じだと思ってほしいなあ。
嫌な人とかかわる必要なんて学生の時代はないんだよ(社会人はある程度仕方ないかもしれないけど)
それに気づくのって難しいし、それを認めるのも難しい。
嫌なことに耐えることが美徳みたいにされてるのもほんとに良くない。
その人さえいなければ自分は問題ないのに、自分のしたいことを伸び伸びとできるのに、
どうしてそいつらがいる環境にわざわざいなきゃいけないの。
自分が行かなきゃいけないところに強い恐怖や強い不快感を感じてまで行く必要あるのかな。
やられたらやりかえすとか考えなくていいから、そいつらのいないところにいけばいいのに。
あなたをいじめない人がいるところなんてどこにだってあるのに。
自分の感情とか感覚を鈍らせてまでそんな経験をする必要はないのに。
いじめ乗り越えたからって別に強くなるって保障はないんだからさ。
嫌な思い出は短いほうがいいですよ。
私も中学校2年生のとき一部の女の子からさんざん悪く言われたしさんざん卑猥な噂流された。
ぜんっぜん知らない先輩から「どのAV出てるの」「AV見せてよ」って毎日いわれた
出てるわけねーじゃん●ね
言ってる女の子たちはどう考えても
あんまりしゃべったこともなかったからよくわかんなかった。なんだったんだろうあれは。
でも私の場合は運よく味方してくれる子もほんとに多くて、わりと落ち着いた3年間だった。
まあそれにしてもすごく不快だったよね。あんな経験しないほうが良かった。
久しぶりに思い出したけど今でも原辰徳だわ。ハーッ。
どのツラ下げてFB申請してくんのかしらないけど一応スパム報告しておいたぜ。
よくわからないが、向き合って戦えという人は何かしら自分の過去に基づいた成功体験があるのだろうか。
戦えというのであれば武術で黒帯とってぼこぼこにするくらいまで準備が整ってからにしたほうがいいと思うんですよね。
つねに私が思っているのは長い目で見てその人の幸福に貢献するのであればいいんじゃない、という話である。
基本的に子どもたちにはみんな幸せな人生を歩んでほしいし、そのために何かできたらよいという気持ちや意欲は十分にあるから先生には向いてると信じたい。
でも大学4年間のうちほんとに心から先生になりたいと思ってたのは最後の一年くらいだったと思う
それまでへらへら(もちろんダメ元だが)アナウンサーかラジオ作る人になりたがってて、
だめなら教員でいいかあ、くらいにしか考えてなかった。
それが変わったきっかけは複数あれど大きい2つを挙げておく。
ひとつめ。
大学3年生のときの授業。
過去の私のレポートより引用。
"最後に、教職全体を通じて最も印象深かったのが「学校カリキュラム論」の授業であったことに言及したい。
その授業で私は、教師にしかできないことが何であるか、教師にどれほどの価値がある仕事かを感じ、迷っていた教員への志望を決めた。
「生徒一人一人を知り、そして一人ひとりに対しかれらが最も成長できる期を見極め、もっとも適切な学びの選択肢や環境を提示してあげること、それができるのは、そしてすべきであるのが教員という存在である。
知識の教授は塾や予備校でも、また極端にいえば独学でも補うことは可能である。
しかし、家庭や他のコミュニティでみせることのない、学校という現場でのみ生徒が見せる人間を、
感じ取り、認識し、その成長に貢献できるのは教員の仕事でしかない。」
そのように記憶している。この授業をきっかけに、人を育てることにどれほど価値があると思えるか、子どもに可能性を見出そうとする意欲があるかということを、大きな教師としての適性と考えるようになった。"
もちろん授業にもコンテクストがあるので、これだけじゃ何だかよく伝わらないのだけれど、
それまで進学校でしか教えたくなかった、大学進学実績伸ばすがための指導じゃなきゃ意味がないとおもっていた私が中等教育の存在意義にはじめて気づかされたのだ。
おおおおおお私は人を幸せにする使命があるのではないかと思ってしまった。
もう思ってしまったらそこで負けである。私は先生になろうとかたく決め、最終選考まで(なぜか)残った●梨放送の最終面接をバックれた。
この先生は私が大学で出会った、心から敬愛と尊敬のまなざしをおく4人の先生のうちの1人である。
というか今読み返すとわたし最後の教職のレポートほんと良いこと書いてあるな。えらい。
ふたつめ。
教育実習。
生徒かわいすぎ。一日目からほんとかわいくて仕方がなくてこの子たちのためなら何でもできると思った。
毎日顔みるのが、話すのが、その子たちのことを知るのが楽しくて、
あのときは二週間だけだったけど本当にこの子たちがどうか幸せな人生を歩んでほしいと思った。
それと同時に、私は先生になれるのだなと思った。
そういうふうに決めてからも、一度学校に入ったらずっと先生だし学校出て学校に入って
学校のことしか知らないのはどうなのかな〜とか教員になる前に社会人としての経験を積んだほうがいいのかな〜とかぼんやり考えていたのだけれど
「だからその数年企業で働いた経験が学校でなんの役に立つのか俺には分からん。
マナー?スキル?それはそこでしか身につかないもの?
少しでも早く学校に入って教員としての経験を積んだ方がいいに決まってんじゃん」
そうだね。たしかにね。成程。納得!
私がもしラジオ局で働いたからといってそこで身につけたスキル(よくわからない)が
学校の先生をやっていくうえで何のプラスになるのかしら。
けっきょくゼロからのスタートなんだよねまったく違う仕事なんだもん。
単なる「経験」であってそれは別に何にもならない。
おおお、現役教員のいう言葉は強い。
帰ったらすぐ同級生で教員やってる友だちに会っていっぱい話ききたいな!
大変なこともあるけど、毎日ドラマみたいでほんとう楽しいよって。
みんな口を揃えていう。
ひいいいいい早く先生になりたいよおおおおおおおおおおおお!!!!!!
いろんな価値観はあるけど幸福になるための努力は怠ってはいけないですね(図書館にいこう。痩せよう。)