徳用焼きのり (有明産)

多少のキズや穴はありますが、味と香りは遜色ありません。

節分だった

2015-02-03 | 日記
心の中で豆まきをして太巻きを食べた。



ひぃぃ2月になってしまった


ひぃぃぃぃ



ちょっと寒いから早く南下したい。

しかしドイツ人に言わせると"Kein richtiger Winter"らしい。

マイナス20℃くらいになるときもあるらしいから
氷点下1〜2℃なんてそりゃそうだよなと思う。

この辺で寒くなるのも止まって頂きたいものである


うーんヤフーニュースみてても暗いニュースが多い

それにしてもだ。

どう考えても異常な性癖をもつ人間は、何かやらかす前から必ず何かその兆候になるようなことしてるわけだし、
これは絶対にやばいと感じている人がどこかに必ずいるはずだから、前もってなんか手を打つべきだろうとは思う

何をどう道徳だ倫理だいったってこういう人間は必ず一定の割合で存在すること、
そしてその人たちに人権がどうとか言ってる間に一般人が殺されてしまうということを
どうしてわかってて何もしないんだろう。

というか何もできないのかしら。

もし学校の先生が「こいつは人を殺す可能性がある」と生徒に感じた場合ってどうしたらいいんだろう

なんかどうもできない気がする。防げないのかしらこういうのって。

一番怖いのは明らかに生きている人だなと思う。




進路と外国語教育についてほうほうと考える日が続く。


英語の授業を高等学校で英語でやることについては、

いろんな意見があると思うけれどそれで飯を食っていこうとしている身としては
賛成も反対も言わず粛々と業務を遂行せねばならないのだろうと思う

Hello everyone, how are you today?ときいて今日も変わらずFine, and you?が返ってくるんだろうなと思いながら

ただより良くすることだけはつねにしていきたい。

こうして還元していくことしか私にはできないだろうし、これが私がいまここにいる意義なんだろうなと思う


なぜ外国語学ぶんでしょうか。

ちょっぴり人生が楽しくなるからくらいとしかまだ自分のなかで答えが出ない


なんだかな。



RADWIMPSを聴いて高校生に戻る。

歌詞とかまだ覚えてるのがすごい。

私はかわいい女子高生だったんだよ。(うそ)

ある一件から私は野田洋次郎がダメになってしまったのだが、
愛しとかもしもとかオーダーメイドとかトレモロとか当時わたしの大のお気に入りだった曲を聴くとぞぞぞと鳥肌がたつくらいその時の気持ちに戻れるのだ。

それなのにそれなのに君の言葉はいうこんな僕に誰より何より僕が愛しいという


だよぉ。

重いぃ。


みんな好んで聞いてたんだなーこういうのー

かわうぃーねー


ねー


私はこういうこっぱずかしい思いをしてもらいたいがために子どもは共学にすすませるべきだと思うよ。




今日で試験おわった。


くっそ簡単で腹が立った。少しでもまともにやろうと思った私がバカみたいだった。
試験の作成に手を抜く奴は私は嫌いである。
もう少しちゃんとやった人が報われる試験を作ろうな。

あれじゃあ差がつかないぜ。

そのくせにドイツ語歴1か月の人でもわかる単語を間違えた。

Artztってなんだよ。

なんか多いなと思ったんだよな。多いよばか。



そして久しぶりに街に出て靴を買ってエルベから夜景をながめてヒロイズムに浸る病気になる。

これまで生きてきたなかで一番に好きな景色だから、ほんとうに私の大好きな人たち全員に見せてあげたい。

厚木の景色なんて、ネオンばっかりできたなくて覚えてない。


愛すべき日本の景色はいっぱいあるけれど、とりわけ車で空港に向かう途中の川崎の工場とかベイブリッジのあたりの夜景はたまらなく好きだよ。

メールを返信して報告書をようやく出して愛読書「ためらいの倫理学」を読む。


明日もおべんきょだ。



人にされたいことだけして、されたくないことだけしなければいいんだなと確認する。


もう少しどうにかしなければいけない
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しくみ

2015-01-23 | 日記

予定のない週末は長い

実家にいたころは予定のない週末が大好きで、部屋にこもって本を読むとか、ひたすらに料理をするとか、
映画をみるとか、ただごろごろ寝るとか、新聞を取りに行く以外一歩も外から出ない休日をひたすらに愛していた。

土日のどちらかが予定で埋まっていたら、
どちらかは必ず空けるようにしてたし。


でもそれは家族がいたからだったんだなあと改めて気づく


最近は毎日がかるいホームシックだぜ。1回帰っちゃったからかな。


家族とか日本の友だちの夢を頻繁にみるし、夜中に目が覚めると実家の部屋だと錯覚することもある。

こないだは自分の部屋から帰ってきて、いつも物を置いているところに物を置こうとしたら机がなくてはっとした。




早く誰かドイツ来ないかな。いま日本・ドレスデン間、往復で85000円だよ。びっくり。

私が行ったときなんて最安値で22万だったのにな。。
今ほんとうにヨーロッパと日本間びっくりするくらいに安いわ、なんだこれ。



くだらないと思うのだけど私にはくだらなくないこと。

今日みたいにいっぱい雪が降った日に、雪がすごかったのって、
はじめて食べたDürümがすごく大きかったけど結構おいしくてうれしかったのとか、
有害アプリインストールしてしまって画面がヌードだらけになってしまって、
それをすべてアンインストールするまでに英語ドイツ語のマニュアルをがんばって読んで、
どれだけ不安だったかと、(自業自得だけど)なんとか自分でやりきったかというのだけでも、

そんなどうでもいいことを言える人がいるのといないってこんなに大きいんだなって思う。



友だちはいるけど毎日会うわけじゃない


誰かといちばん話したくなる金曜の夜に限って日本は真夜中だったりする。


好きで来たのだしけっこう幸福に暮らしているのだからあまり考えないようにはしてるし、
死んでしまいそうに泣いて寂しくてしかたないってわけではない。

ただ、こう小さい虚無感とか所在のなさが自分のなかに積もり積もってじわじわ浸食されそうになるのは感じる


夜10時過ぎに図書館からの帰り道の寒さとか風の冷たさとかそういうことを懐かしむ日がいつかくるのか



週末予定がないと家にいるしかないのだ(ほんと)

図書館にいくのも何だか億劫だし。仕方ないから行くけど。

誰かに会う気にもならないのだけれど外に出る気にもならないのだけど


ねえ。


わたし寂しがりやでしたっけ。

一人でいるのも落ち着くし孤独を孤独として楽しむのもわりと好きなんだけど。(実は楽しいのかも、いま)




昨日留学の意義についての記事を読んでたら私って何しにここに来てるんだろうってまた鬱になりかけた。

でも5秒後くらいに私が「行ってよかった」って思えたらそれでいいんだと思うことにした。

何の資格も得られなくたって、英語の先生になったってドイツ語の先生になったって、今やってることが活かせなくたって

この1年は他の誰にもできなかった私の個人的な経験の一部としてちょびっと私の人生を豊かにするのに貢献してくれるはず。


最近非常に立ち直りが早いのは内田先生のおかげ以外の何者でもない。
わたしが心から師と呼べるのは今のところ内田先生と中島みゆきだけである。

1年で得られるものなんてたかが知れてる。
そうであったとしてもそれはそれでいいのだ。

楽しかったな、だってべつにいいでしょう。

それが他の人からみて甘ちゃんな考えだなあばかだなあっていくら思われても
私自身がうじうじしてたら元も子もないじゃない。


私らしいなんて結局突き詰めていけばそんなものは存在しないのだから
自分がなんとなく気分がいいなと思うなってことだけ続けていけばいいんだと思う



洗剤変えた、とても好ひ匂い。評判もよい。


よい。
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信じられない速さで時が過ぎ去ると

2015-01-21 | 日記
知ってしまったらどんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ


おおお。人生はみじかい。


ラーメンのことを考えるのと同じ頻度で哲学っぽいことを考える。


おばあちゃんみたいだけど、まだけっこう若いのだけれど、
あと何回私に春は来るのだろう、この桜はこの銀杏はこの雪はあと何回見れるのだろう

そしてどこかに行くたびに私はここに戻ることができるのか
そして人と会うたびにこの人にあと私は何回会うことができるのだろうと時々思うのだ(上記の歌の影響である)

もう二度と会えないかもしれないしもう二度とここには来れないかもしれない
年をとるたびにたぶんそれは現実味を帯びていく。(あと1か月足らずで23歳である。)

私はこれを書いたあとメンザに行くのだが、その道中で突然の死を迎える可能性ももちろんある。

誰にでも言えることだ。

在宅してても、もし隣人が「私を殺さないと家族が皆殺しになる」っていう脅しをテロリストから受けてて
泣く泣く私を殺さざるをえない可能性だってないわけじゃない。

人生何が起こるかわからない。

だって毎日病気や事故や事件で人が死んでいてかならず当事者がどこかにいる
たまたまその当事者が自分じゃなかっただけで





あと〜年もあるじゃんはきっとすぐに終わる

次の楽しみはこれ、それまでがんばる、それが終わると次の楽しみはこれ、次は〜〜〜

っていうのを繰り返してくと人生本当にすぐ終わる。

気がする、本当に。

学部2年生のとき週5で4時半に起きて23時に寝る生活をしてたんだけど、
起きて最初に考えることが「つぎいつ寝れるか休めるか」だったのね。

それで「つぎいつ寝れるか」の毎日を繰り返してたらあっという間に終わってた

仕事とかも同じなのかなと思ってしまう
つぎいつ休めるかって考えて、それを楽しみに日中ばりばりやることやって、週末がきて、って
それを40年くらい繰り返す

私は当たり前のことをつねに真剣にいう。バカである。

逆算したら自分にあまり時間が残されていないことを知る


私は本当は何をしたいんだろうなと思うのと今まで何をしたくてここまで来たんだろうと思う

なんでいまドイツにいるんだっけ。






昔できていたことが今できなくなっちゃうことって意外にある

特に人間関係って一回なにか歯車がずれちゃうと、自分も相手もどうしようもできなくなっちゃうことって多い
それがわかるから余計にさびしいしかなしい

前みたいにねってなかなかうまくいかない悲しいことに

私だって、できることならそうしたい。




ユーロと日本の関係のレポートを書きはじめる

日本に住んでいてユーロを意識しない平凡な国民にとって大事なのは

1.ユーロ圏にいくときにユーロが下がれば下がるほどうれしいということ
2.ユーロ圏から帰ってきたときにユーロが上がれば上がるほどうれしいということ
3.通貨はみんなユーロにしてほしいということ
4.コンセントを日本に合わせてほしいということ

ひたすらに切実な問題としてはこれくらいじゃないかな。

でもユーロ圏から取り入れたいなと思うことってけっこうあるのかなと思う。

学生の立場、教授法、農業、教育制度、仕事のやり方、家族との過ごし方。

違うシステムを取り入れるのは難しいことももちろんわかってるけど、
考え方としていいなあと思うことはいっぱいある。

残業しないでプライベートとか家族の時間をいちばんに考えるドイツ人の働き方って私は大好きだよ。

みんな家族と過ごしたいから定時に帰るってすばらしーくないですか。

フランスは子どもの教育が充実してるんだっけ、だから出生率高いんだっけ。

むりに私は日本の出生率伸ばしたいとは思わないけど、
なんかもう少しみんなが幸福に子育てできるアイディアがあるなら取り入れたっていいじゃんと思う。


それだけ。



昨日もお好み焼きつくりにいった。

私と友だちは会うたびお好み焼きメーカーになってる気がする。
何度もいうようだけど、お好み焼きはいつどこで食べても本当においしい。

えらいぞ日本の食文化。



改めて周りの人のやさしさに感動する日々が続く。

だから私も自分にできる限りのことはしたいね。

でも内田先生も言ってたけど礼儀正しく機嫌よくが結局世の中を回していく最大の鍵なのだと思う。



今日行くメンザのメニュー(直訳)

「鶏のシュニッツェルとミーヌードル」
「狩人風シュニッツェル・香りのよいソース、野菜炒めとじゃがいも添え」
「豆腐炒めとチリディップ」
「ヴェジタリッシュ=カリーヴルスト」

ミーヌードルってなんだ
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何かやらなきゃ誰にも会えない

2015-01-19 | 日記
後回しにしない人になりたい。


これに尽きるなー


私はお金の計算がほんとうに苦手だから助成金の経費報告書後回しにしてたら大変なことになってた


謝って返金したら済む話でしょうか
ううう泣きたいよおおお私のおお不徳の致すところでございますうう

日本にいたらまあなんとかなったかもしれないが、まあ状況が状況でなんとかなるわけもない。

でもちょっとめんどくさすぎだよ色々と。。。。。



反省してます。ごめんなさい。私が全部悪いの。責めて。

でもよかった。

先生にもちゃんとメールしたから。

先生ごめんなさい。

怒られてもいいから見放さないでほしいな。
せっかくがんばろうって気になったのです、今。

あと半年あるからちょっとずつでも進めよう。

手だけは抜いちゃだめだ、自分が嫌になったら終わりだもの


あやまってばっかりいたらちょっと悲しくなった

ちょっと悲しい時にひとりだと少し落ちこむね




前までの記事ぜんぶ消しちゃったーすっきりしたー

たまにそうでもしないと気分が悪くなる。


うううまた太ってしまった。原因はわかってる。わかってるうう。ううう。


2月3日まで頑張ればいいみたい、テストがんばろうねわたし。


大学の友だちも高校の友だちもドイツ来てくれるからうれしいなー!

旅行もするのーたのしみだなー!

あーポルトガルほんとうにたのしみー!ひとりだけどー!



EUと自国の関係性と将来という題のレポートはどう書けばいいんだろう

クラスは30人中28人がEU出身、残りの二人は中国人とワタシ
日本にいてEU意識するときくらいなんて旅行するときくらいだもんね。

ユーロいい具合に下がってきたから送金しちゃった!

これで帰国までの生活費もばっちりなはず!(けっこうお父さんのカード使ってる。ごめんね。)



週末はカーステンのお家にお好み焼き作りに行ってた。

お好み焼きはいつどこで作ってもおいしいからえらい。

しかしそれにしてもここまで私自身の家族についてむちゃくちゃに突っ込まれるとは思ってなかった。

びっくりして泣いてしまったけど、帰って落ち着いたらそこまで傷ついてもなかった。

まあそういう考えもあるんだろうなって感じ。
でも話さなきゃよかったな。

私は別に自分のお母さんに二度と会えなくても構わないです。
だって私は彼女を少なくとも今は赦せないし、彼女は自分の子どもよりほかの男の人を選んだんでしょう。
もうその人にはまったく別の人生があるだろうし。

この人は私の生きてきた時間をほとんど知らないのだからこの人のことを知ったって意味ないでしょう。

ただ顔が似てるだけ。

何をしてでも会ったほうがいいだなんて他の人に言えることではない。
生物学的な母親を母親と呼ぶかどうかの決定権は子どもにあると思う。
ゆえに私は自身の生物学的母親において母親という言葉すら口にしたくないのだ。
だから私の一部が母親だなんて言わないでほしい、私は彼女とは別の人間だし家族は今の2人で十分だ。

母親がいないことで私のなかに欠陥があるというのはたぶん私が一番言われるのが怖いこと。

そんなこと言われたらなんかそう思えてきちゃうからいやなんだよな、そうじゃないと思わせてよ。

誰だって程度差はあり欠陥はあるでしょう。
だけどそれがあるのが私だけみたいという言い方がいやなだけなのだ。

だって私は本当に何不自由なく幸せに生きてきてるのに、今さらそんなこと言われたって仕方ない。

だからどうしろっていうのよ私に。ぷんぷん。

顔も年も消息も知らない人に私は執着しないよ。元からいなかったんだし。
何より一番つらいのはお父さんだし話させたくないし思い出させたくないの。
うちのお父さんはお父さんでありお母さんです。そういう人なの。


私が成熟してないから理解できないわけでもないと思うんだけど

いつか菩薩顔で赦してあげられる日がくるのかしら。


しかしすべては幻想なのだと思ったらとても楽になった。内田先生は素晴らしい。それに尽きる。


人は生きやすい幻想に乗るのだという話
幻想に乗らなければ「やってけない現実」があるのだという話

わたしはそれに深く納得して自分の選ぶ幻想を生きることにしています。



あーすっきりした。わたしの心の闇である。ほお。



今日はかわいい服を買った。日本で着るために。

それだけでほんとうに機嫌がよくなるとはしみじみ私も女だなと思うね。

鴨がのったカレーうどんを食べた。ピーナッツが入るとおいしくなるってことを発見する。

チャリに乗ったヨガの先生が私に気づいて二回も振り向いて手を振ってくれた。

人間はそれだけで生きていこうと思える。



掃除をして、レポートを書きはじめて、寝よう。

あすは1限である。
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