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南モンゴルは中華人民共和国建国直後から、大規模な漢人の流入に見舞われたため、モンゴル人は早くから少数派に転落していた。
1960年代、中ロ対立が顕在化すると、モンゴル人がロシアの勢力を背景として分離独立することを恐れた中国は、南モンゴルにおける「自治」に対する弾圧を開始、1966年に文化大革命に突入すると、「内モンゴル自治区」主席ウランフを失脚させ、約100万にも上るモンゴル人に「国家分裂主義者」、「地方民族主義者」のレッテルを貼って次々と投獄し、約20万人を虐殺した。これが内モンゴル人民革命党粛清事件である。
このような弾圧・虐殺だけでは足らないと思ったのか、1970年、中国は「内モンゴル自治区」を廃止し、周囲の省に分割編入してモンゴル人の分散を図ると同時に、漢人によって構成される生産建設兵団を南モンゴルに大量に送り込んで、漢土化を図った。
この結果、文革後に「内モンゴル自治区」は復活したものの、この地域の人口比率の79%を漢人が占めるに至っており、「自治区」とは名ばかりになってしまっている。これは人口侵略、更には民族浄化そのものと言って良い。